ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

江畑溜池堰堤

2020-12-02 15:05:01 | 山口県
2020年11月21日 江畑溜池堰堤

江畑溜池堰堤は山口市阿知須の土路石川水系土路石川上流部にある灌漑目的の表面石張り玉石コンクリート重力式堰堤です。
1889年(明治22年)に初代江畑溜池が土堰堤として完成しますが翌年の豪雨で決壊、下流域に大きな被害をもたらしました。その後何度も再建計画が持ち上がりますが決壊を恐れる下流住民の反対で実現できませんでした。
昭和に入り決壊の恐れのないコンクリート堰堤を採用した再建事業が進められ、1927年(昭和2年)に着工、1930年(昭和5年)12月に現在の江畑溜池堰堤が竣工しました。
堤高13.6メートルと河川法上のダムの要件を満たしてはいませんが、香川県の豊稔池ダム、兵庫県の上田池ダム山田池などと並び日本でもっとも初期の農業用コンクリート堰堤の一つとなっています。
2001年(平成13年)にはその歴史的・技術的価値から国の有形文化財に登録されるとともにBランクの近代土木遺産に選定されています。
なおダムの要件を満たしていませんが、ダム便覧には参考掲載として掲載されています。
 
県道218号から宇部72カントリークラブの標識に従って右折、次の分岐を左に採るとゴルフ場のゲート手前から江畑溜池堰堤を遠望できます。
残念ながら樹林に邪魔され全容を見ることはできません。
 
一つ手前の分岐に戻り江畑堰堤の標識に従って進むと堰堤右岸に到着します。
天端への入口には文化庁の文化財説明板と1930年(昭和5年)の竣工記念碑が建っています。
 
まずはダム下へ下りてみます。
直下から見上げると13.6メートルという堤高以上の高さを感じます。
撮影ポイントが少なく持参した24ミリの広角レンズでは全容を治めることができないのが残念。
 
堤頂には自由越流式洪水吐が3門。
天端高欄の装飾は簡素ですが、逆に質実剛健の風が漂います。
 
右岸低部にある取水設備からの吐口。
溜池堰堤ということで底樋と呼ぶのが妥当なんでしょう。
 
側面から
目地も美しく花崗岩の関知石が整然と積み上がっています。
寸分の狂いもなくとはこのことを指すんだと思います。
 
天端の脇から貯水池右岸に出ることができます。
上流面
取水設備はこの時代おなじみの半円形、
取水設備建屋だけはコンクリート製の新しいものに置き換わっています。
 
溢流部をズームアップ
扶壁側面も石張りされています。
 
天端入口
 
惜しむらくは取水設備建屋も石張りならば・・・。
 
総貯水容量は45万立米ですが満々と水を貯えそれ以上の大きさに見えます。
貯水池周辺はすべてゴルフ場になっていますが、集水には問題なさそう。
寧ろゴルフ場造成による防災調整池の機能もあるかもしれません。
 
竣工から約90年経過するにもかかわらず、いまだに大きな不具合はなく大きな改修もないまま現在も現役で稼働しているのがすごいところ。
昔の人たちの英知と技術力の高さにはただただ脱帽するばかり。
石積みマニア、ビンテージダムマニアにとっては必見のダムの一つです。

S513 江畑溜池堰堤(参考掲載)(1579) 
ため池コード 354030031
山口県山口市阿知須
土路石川水系土路石川
13.6メートル
68.8メートル
450千㎥/450千㎥
阿知須地区
1930年

昭和池

2020-12-02 01:23:00 | 山口県
2020年11月21日 昭和池
 
昭和池は山口市鋳銭司の南若川水系南若川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では全国で9基の『昭和池』が掲載されていますが、いずれも昭和に竣工したのがその所以となっています。
当池も同様で1945年(昭和20年)に竣工、その後1986年(昭和61年)から1998年(平成元年)にかけて大規模な改修が行われました。
池の管理は受益者で組織される水利組合が行っています。
 
国道2号線山口南インター東側の今宿西交差点を北に折れ、山陽道の高架を潜り南若川沿いの隘路を進むと昭和池に到着します。
止まっている車は見回りに来た受益者のU様のものです。
池のある鋳銭司地区は明治維新の軍事の天才大村益次郎生誕の地で、U様も益次郎に関わる家系ということで池のみならず歴史のお話を多々伺うことができました。
こういう出会いが溜池巡りの楽しさの一つです。
 
天端に並ぶ記念碑
左手は1945年(昭和20年)の竣工記念碑。右手は昭和末期から平成にかけての改修記念碑。
篆書体で書かれた竣工記念碑はなかなか趣があります。
 
総貯水容量12万立米の貯水池。
上記U様のお話では貯水池奥の山の中腹にマツタケの群落があるそうですが、道はなく行きつくには岩登りの技術が必要だそうです。
 
左岸の横越流式余水吐。
 
 
コンクリートで護岸された上流面。
 
上流から見た余水吐。
 
取水設備は階段式の池栓。
 
池栓から見た上流面。
 
昭和池へ向かう途中の南若川にある古い落差工。
 
これで全国に9基ある昭和池のうち8基を訪問しました。
残るは京都府亀岡市にある昭和池のみです。
 
3569 昭和池(1578)
ため池コード 352030364
山口県山口市鋳銭司
南若川水系南若川
17.5メートル
84メートル
120千㎥/120千㎥
水利組合
1945年

玉泉池

2020-12-01 13:49:46 | 山口県
2020年11月21日 玉泉池
 
玉泉池は山口県防府市大崎の佐波川水系須川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では玉祖郷土地改良区の事業により1941年(昭和16年)に竣工とあります。
この竣工年度は現地記念碑と一致しますが、戦前には土地改良区はなくその前身となる耕地整理組合の事業で建設されたと見るのが妥当でしょう。
改修記念碑によればその後1977年(昭和52年)から1980年(昭和55年)に県の事業により改修工事が行われています。
池の管理は玉祖郷土地改良区が行っています。
 
防府市街から県道348号線を西に進み、進路が北西に変わったどん詰まりに玉泉池があります。
池には2基の記念碑があり、上の写真は左岸に建つ竣工記念碑。下は天端に建つ改修記念碑です。
 
 
余水吐と上流面
写真中央に石積み見えます。
たぶんはこれは1941年(昭和16年)の竣工当時のものと思われます。
 
左岸から上流面
外来魚駆除目的で水が抜かれています。
上流面はコンクリート張り、対岸に斜樋が見えます。
 
余水吐導流部。
 
横越流式余水吐。
 
総貯水容量12万4000立米の貯水池。
貯水池のすぐ上流を山陽新幹線が走っており、列車が通過するたびに轟音が響きます。
 
土砂吐
一般に土砂吐は斜樋と同じ場所につくられることが多いのですが、ここは別になっています。
 
天端からの眺め
池の直下には結構大きな家?がありますが人が住んでいるのかわかりません。
 
下流面
綺麗に刈り払われています。
 
右岸の斜樋
シャフトは4本。

ダム下には下りなかったので底樋は確認できませんでした。
 
2051 玉泉池(1577) 
ため池コード 352060241
山口県防府市大崎
佐波川水系須川
17.6メートル
66メートル
124千㎥/124千㎥
玉祖郷土地改良区
1941年 

燈籠池

2020-12-01 13:40:27 | 山口県
2020年11月21日 燈籠池
 
燈篭池は山口県防府市牟礼の馬刃川水系馬刃川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では1988年(昭和63年)に牟礼土地改良区の事業で竣工となっていますが、農水省のリストでは1943年(昭和18年)に土地改良区の事業で竣工となっています。
一方燈籠池湖畔には農水省の補助を受けた県のため池整備事業の説明板が設置されています。
池は1943年(昭和18年)に土地改良区の前身となる耕地整理組合の事業で竣工、その後1988年(昭和63年)に大規模な改修が行われ、便覧の竣工年度は改修事業の竣工年度を採用していると思われます。
現在池の管理は受益者で組織される燈籠溜池水利組合が行っています。
 
防府市中心部から佐波川左岸沿いの県道184号を北上、山陽道、新幹線を潜り佐波川に架かる人丸橋手前を右折し、一車線半の市道を東進すると燈籠池に到着します。
市道は左岸を通り、道路沿いにダム改修事業の説明板と改修記念碑が建っています。
改修記念碑では『敷山溜池』となっています。一方説明板は文字がかなり剥げ落ち判読に難渋します。
 
 
天端は車両進入禁止。
左岸(手前側)に余水吐があり、天端へはここを渡ります。
 
余水吐導流部。
 
横越流式余水吐。
 
水が抜かれ右岸の斜樋がすべて姿を現しています。
 
貯水池
総貯水容量5万7000立米の小さな溜池です。
外来魚駆除目的で水が抜かれています。
 
燈籠池の由来となった貯水池の燈籠。
水を張った状態で見てみたかったなあ。
 
天端からの眺め
樹林の先に受益地である牟礼地区の水田があります。
 
上流面はコンクリートで護岸。
 
斜樋と土砂吐。
 
2057 燈籠池(1576) 
ため池コード 352060102
山口県防府市牟礼
馬刀水系馬刀川
15.2メートル
107メートル
57千㎥/57千㎥
燈籠溜池水利組合
1943年竣工
1988年大規模改修工事竣工