以前、長野の諏訪大社に行ったときに、
近くのお寺に忠臣蔵の悪役
吉良上野介の息子義周のお墓があるって、
案内板を見たんです。
時間がなかったから、寄らなかったのですが、
なんで、長野に吉良のお墓があるんだろう?
討ち入りがあったのは江戸。
地元は三河の方じゃなかったかなぁって不思議に思ったけど、
その後、調べもしなかった。
その忠臣蔵、最近はあまりテレビでは見ないけど、。
BS11の偉人・素顔の履歴書と
BS TBSのにっぽん!歴史鑑定で、
忠臣蔵をテーマにしていた。
しかも、両方とも悪役の吉良側からの視点で。
吉良上野介って、本当は領民思いの良い殿様って聞いたことがあるし、
殿中での事件は、浅野内匠頭が精神を病んでいて突発的に襲ったって、
本で読んだ事があるのですが、
今回の放送も、吉良側の視点ってこともあるでしょうが、
概ねそんな感じ。
にっぽん!歴史鑑定は、そんな説もありますよって感じでしたが、
偉人・素顔の履歴書の加来耕三先生は、
なんの落ち度もない吉良さんが可哀想だって、言ってましたね。
なぜ、浅野が切りつけたのかってのは、
浅野が即日切腹した為、理由が分かってないそうです。
それなんで、色々な説があるのですが、
両番組とも全部否定してましたね。
よく言われている、
饗応役の浅野に指南役の吉良がちゃんと教えなかったって説については、
饗応役ってのは、お金を出すだけなので、
そんなに指南されることはないそうです。
賄賂を貰えなかったからってのも、
賄賂ではなく、当時のしきたりで、当然の事だったそうです。
吉良にしてみれば、コンサルタント料が振り込まれなかったって感じ。
だから、吉良上野介が恨みを買うことはあまり考えれない。
浅野内匠頭は、今で言う自律神経失調症で、
事件の三日前にも医者から薬を貰っていたそうです。
やっぱり、浅野内匠頭の突発的な犯行なんでしょうね。
殿中で切りつけられて吉良は、
殿中って事で刀を抜かなかったそうです。
なので、喧嘩両成敗とはならなかたのですが・・・。
生類憐れみの令なんか出して、
超評判が悪い当時の幕府。
その幕府を表立って批判できない江戸っ子が、
不満のはけ口を高家肝煎の吉良に向けていき、
いつの間にか、喧嘩両成敗じゃないのはケシカラン
って、
成ったそうです。
幕府も庶民の不人気は承知していて、
最初はかばっていた吉良を見捨てて、
吉良に江戸城下から新開発地の本所に移転を命じるのですが、
この命令は、誰が何の目的で言い渡したのかは、
分かってないそうです。
討ち入りの噂を気にした、
吉良邸の周りの大名が、
幕府に討ち入りが有った時はどうしたら良いのかと
問い合わせると、自邸を守れとの返答。
完全に見捨てられた吉良上野介。
討ち入りの時は、吉良上野介はテレビなどでは
隠れたいた事に成っていますが、
どうやら、脇差しのみで立ち向かったそうです。
息子の義周は、薙刀で応戦しますが、
命は助かったものの気絶。
これが、後に仕方不届きとして処分されるのです。
何が不届きかって?
赤穂浪士に討ち入りを許し、
上野介を守れなかったからだって。
御家断絶、義周は罪人として諏訪高島城へ。
無茶苦茶な処分ですよねぇ。
義周は3年後21歳で失意のうちに亡くなったそうです。
だから、諏訪にお墓があったんですね。
なんか、やるせないお話しでした。
近くのお寺に忠臣蔵の悪役
吉良上野介の息子義周のお墓があるって、
案内板を見たんです。
時間がなかったから、寄らなかったのですが、
なんで、長野に吉良のお墓があるんだろう?
討ち入りがあったのは江戸。
地元は三河の方じゃなかったかなぁって不思議に思ったけど、
その後、調べもしなかった。
その忠臣蔵、最近はあまりテレビでは見ないけど、。
BS11の偉人・素顔の履歴書と
BS TBSのにっぽん!歴史鑑定で、
忠臣蔵をテーマにしていた。
しかも、両方とも悪役の吉良側からの視点で。
吉良上野介って、本当は領民思いの良い殿様って聞いたことがあるし、
殿中での事件は、浅野内匠頭が精神を病んでいて突発的に襲ったって、
本で読んだ事があるのですが、
今回の放送も、吉良側の視点ってこともあるでしょうが、
概ねそんな感じ。
にっぽん!歴史鑑定は、そんな説もありますよって感じでしたが、
偉人・素顔の履歴書の加来耕三先生は、
なんの落ち度もない吉良さんが可哀想だって、言ってましたね。
なぜ、浅野が切りつけたのかってのは、
浅野が即日切腹した為、理由が分かってないそうです。
それなんで、色々な説があるのですが、
両番組とも全部否定してましたね。
よく言われている、
饗応役の浅野に指南役の吉良がちゃんと教えなかったって説については、
饗応役ってのは、お金を出すだけなので、
そんなに指南されることはないそうです。
賄賂を貰えなかったからってのも、
賄賂ではなく、当時のしきたりで、当然の事だったそうです。
吉良にしてみれば、コンサルタント料が振り込まれなかったって感じ。
だから、吉良上野介が恨みを買うことはあまり考えれない。
浅野内匠頭は、今で言う自律神経失調症で、
事件の三日前にも医者から薬を貰っていたそうです。
やっぱり、浅野内匠頭の突発的な犯行なんでしょうね。
殿中で切りつけられて吉良は、
殿中って事で刀を抜かなかったそうです。
なので、喧嘩両成敗とはならなかたのですが・・・。
生類憐れみの令なんか出して、
超評判が悪い当時の幕府。
その幕府を表立って批判できない江戸っ子が、
不満のはけ口を高家肝煎の吉良に向けていき、
いつの間にか、喧嘩両成敗じゃないのはケシカラン
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ang.gif)
成ったそうです。
幕府も庶民の不人気は承知していて、
最初はかばっていた吉良を見捨てて、
吉良に江戸城下から新開発地の本所に移転を命じるのですが、
この命令は、誰が何の目的で言い渡したのかは、
分かってないそうです。
討ち入りの噂を気にした、
吉良邸の周りの大名が、
幕府に討ち入りが有った時はどうしたら良いのかと
問い合わせると、自邸を守れとの返答。
完全に見捨てられた吉良上野介。
討ち入りの時は、吉良上野介はテレビなどでは
隠れたいた事に成っていますが、
どうやら、脇差しのみで立ち向かったそうです。
息子の義周は、薙刀で応戦しますが、
命は助かったものの気絶。
これが、後に仕方不届きとして処分されるのです。
何が不届きかって?
赤穂浪士に討ち入りを許し、
上野介を守れなかったからだって。
御家断絶、義周は罪人として諏訪高島城へ。
無茶苦茶な処分ですよねぇ。
義周は3年後21歳で失意のうちに亡くなったそうです。
だから、諏訪にお墓があったんですね。
なんか、やるせないお話しでした。