真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

哀しみのベラドンナ

2007年02月27日 18時51分56秒 | 虫プロ
 全編中、最も異色なシーンがジャンヌが身も心も悪魔に捧げた直後、ポップな画風で様々なイメージが錯綜するパートだ。

ここの作画は後に『まんが日本昔ばなし』で演出も手がける美術の児玉喬夫。その後のジャンヌが目覚めるシーンは、まるで油絵が動いているかのような映像だが、ここは漫画家、イラストレーターとしても知られる林静一が担当している。そして不透明の絵の具で描きながら、撮影を進める手法がとられている。

 当時の資料には、スタッフの中に「実写撮影」の役職で前衛的な作品で知られる写真家の森山大道の名がある。実は当初、劇中に実写パートが挿入される予定であり、そこに彼が撮った映像を使うプランだった。

 内容は現代の日本の女性を撮影した、ジャンヌの物語とは直接関係のないもので、当時の「キネマ旬報」の記事によれば、マスコミ向けの試写では、まだその実写パートが残されていた。

 ラストシーンも数バージョンあり、現在ソフト化されているものは、ヒロインのジャンヌが火あぶりになったあと、エピローグのフランス革命に物語がつながるかたちになっているが、この他にも、火あぶりのシーンで終わるバージョンなども公開されている。

 また、かつてあるアニメーション専門書に配給会社である日本ヘラルドの社長が、最初の試写で『ベラドンナ』を観て、わけがわからないと言い、そのために制作をやり直す事になったと書かれ、多くのアニメファンは、ながい間、その逸話を信じていた。

 1989年に山本暎一さんの著書「虫プロ興亡記 安仁明太の青春」が発行され、新事実が明らかになった。

 先に納品されたのは、納期に間に合わせるための間に合わせの映像を入れて、一度完成させたものであり、スタッフ達はその後も制作を続けのちに差し替えた。

そのために、莫大な製作費が浪費されてしまった。

また、『ベラドンナ』が映倫よりカットするように指示されたとも書かれていたが、LDのスタッフコメンタリー(リリース中のDVDにも同じものが収録されている)で山本さんはそれを否定。カットが入ったのは前々作の『千夜一夜物語』であり、『クレオパトラ』だったと、語っているのでそのとおりであろう。

お話

 中世フランスのとある村。ジャンとジャンヌの婚礼の日、領主は貢ぎ物の代わりにジャンヌを犯し、家来達に輪姦させた。村は飢饉だったが、悪魔の力を得たジャンヌは紡いだ糸を売って生計を立て、そのおかげでジャンは税金を取り立てる役人になる事ができた。だが、戦争の資金が調達できなかったジャンは左手首を切り落とされ、やがて、ジャンヌは悪魔つきとして村人に追われる事に。ジャンにも見放されたジャンヌは、身も心も悪魔に委ねて、魔女となった。黒死病が村を襲い、人々は倒れていった。ジャンヌは毒草ベラドンナを使い、人々の病を治すのだが……。


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