ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

ホワッツ・ゴーイン・オン/愛のゆくえ(What's Going On)

2021年01月02日 | 名曲

【Live Information】


いわずとしれたR&B(リズム&ブルース)、あるいはソウル・ミュージックの名曲、「ホワッツ・ゴーイン・オン」。
日本では、当初「愛のゆくえ」というタイトルで発表されました。
この曲をカヴァーするミュージャンは数知れず。
またR&B系のセッションでは「フィール・ライク・メイキン・ラヴ」などと並んでしばしば演題に取り上げられる定番曲でもあります。
マーヴィン・ゲイは1971年5月に、現在では「不朽の名作」と言われているアルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」を発表します。
このアルバムに先がけて、1971年1月に同名シングル・レコードがリリースされましたが、あっという間に10万枚の初回プレス盤が売り切れてしまったそうです。


ベトナム戦争や公民権運動などで大きく揺れた1960年代は、アポロ11号の月面着陸やビートルズの解散、ド・ゴールの死去などの出来事とともに、混沌の中で終焉に導かれました。
しかしそれらは同時に、新たな時代の幕開けを予感させる空気をも秘めていました。
そういう時代の中で制作されるポップ・ミュージックには、当然のように歌詞に政治的メッセージを込めた作品も多く見られるようになりました。
黒人音楽も例外ではなく、1960年代後半からはエドウィン・スターの「黒い戦争」やジェームス・ブラウン「セイ・イット・ラウド」、テンプテーションズの「ボールズ・オブ・コンフュージョン」などの政治的主張を伴う曲が発表され、支持されていました。


 Marvin Gaye


マーヴィンの弟であるフランキーは、ベトナムからの帰還兵です。
フランキーの語る悲惨な戦場の様子に衝撃を受けたマーヴィンが作った曲、それが「ホワッツ・ゴーイン・オン」だと言われています。
「こんなに多くのものが母さんに涙の雨を降らせ」「仲間が次々と死んでゆく」この状況を、「愛を降り注ぎ」「愛で憎しみに打ち勝つ」世の中にしよう、と優しく、力強く歌っています。
「愛があれば世界はもっと素晴らしくなるんだ」という思いでルイ・アームストロングが歌っている「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」を思い出しますね。


マーヴィンの甘くセクシーな声で歌われる「ホワッツ・ゴーイン・オン」。
パーカッションとリズム・ギターとベースが生み出すリズムはグルーヴィーでありながら、ゆるやかに淡々と流れてゆきます。
スタイリッシュなストリングスとソウルフルなコーラスは、曲にドラマチックな陰影をつけています。
イーライ・フォンテーヌがイントロで聴かせてくれるアルト・サックスが、これがまたクールなんです。
イントロとインターリュード、エンディングで聞かれる声は、「群衆の声」を想起させるものがあります。
その「声」によって世の中が変わってほしいと願っている、ように聞こえるのは考えすぎかな。


マーヴィンの歌うオリジナル・バージョンと並んでぼくが大好きなのは、ダニー・ハサウェイの「ライヴ」(1972年)に収められているバージョンです。


 Donny Hathaway


ダニーの弾くグルーヴィーなエレクトリック・ピアノですぐに気持ちを鷲掴みにされます。
そのダニーの歌は、力強く、優しい。
彼の歌声は「ソウル」そのものです。
この歌声に勇気づけられた人も多いのではないでしょうか。
バンドが繰り出すリズム、これがまさに強力な「グルーヴの波」なんですね。
体が自然に揺れてしまいます。
後半からエンディングに向けてどんどん熱くなる演奏は、感動的ですらあります。


この両方のバージョンに共通しているのは、パーカッションがリズムをより強化していること。
そして盤石ともいえる強力なベーシストが起用されている、ということです。
ベースを弾いているのは、マーヴィン盤がジェームス・ジェマーソン、ダニー盤はウィリー・ウィークス。
ふたりともベーシストの歴史に残るであろう名うてのグルーヴ・マスターです。


「What's Going On」。
「いったい何が起きているんだ?」、という意味です。
曲の背景を知ると、悲壮感すら感じられるタイトルです。
それは今でもあまり変わっていないような気がするんです。
「What's Going On」には、他に「やあ、どうだい」「元気?」というニュアンスもあります。
「やあ元気かい?」という意味の「What's Going On」が、すべての人のあいだで笑顔をもって交わし合える日、それがマーヴィンやダニーが歌に込めた願いの実現する日なのではないでしょうか。



【歌 詞】

【大 意】
母さん
たくさんのできごとがあなたに涙を流させる
兄弟たちよ
大勢の仲間が次々と死んでゆく
だから今ここで愛をもたらす方法を見つけよう

父さん
もうたくさんだ
愛だけが憎しみを克服できるんだ
戦争では解決にならない
だから今ここで愛をもたらす方法を見つけよう

デモ隊、彼らが掲げるスローガン
暴力で痛めつけるのはやめてくれ
話せば分かるがずだ
いったい何が起こってるんだ?
何がどうなっているんだろう?

母さん
みんなが「間違っている」と思っている
けれど僕たちの髪が長いというだけで判断される覚えはないんだよ
だから今ここで愛をもたらす方法を見つけよう



◆ホワッツ・ゴーイン・オン(愛のゆくえ)/What's Going On


  ■作詞・作曲 
    アル・クリーヴランド/Al Cleveland、レナルド・ベンソン/Renaldo Benson、マーヴィン・ゲイ/Mavin Gaye 


 Album「What's Going On」(Marvin Gaye)
  ■歌・演奏
   マーヴィン・ゲイ/Mavin Gaye
  ■プロデュース
   マーヴィン・ゲイ/Mavin Gaye
  ■シングル・リリース
    1971年1月20日
  ■収録アルバム
    What's Going On(1971年)
  ■録音メンバー
    マーヴィン・ゲイ/Mavin Gaye (vocals, piano, box-drum) 
    ジョニー・グリフィス/Johnny Griffith (keyboards)
    アール・ヴァン・ダイク/Earl Van Dyke (keyboards)
    ジョン・メッシーナ/John Messina (guitar)
    ロバート・ホワイト/Robert White (guitar)
    ジェームス・ジェマーソン/James Jamerson (bass)
    チェット・フォレスト/Chet Forest (drums)
    ジャック・アシュフォード/Jack Ashford (percussion)
    エディ・"ボンゴ"・ブラウン/Eddie "Bongo" Brown (percussion)
    イーライ・フォンテーヌ/Eli Fountain (alto-sax)
    デトロイト交響楽団                etc・・・
  ■チャート最高位
    1971年週間シングル・チャート  アメリカ(ビルボード)2位、アメリカ(キャッシュボックス)1位 
    1971年週間R&B/Souチャート   アメリカ(ビルボード)1位
    1971年年間シングル・チャート  アメリカ(ビルボード)21位、アメリカ(キャッシュボックス)22位 
    1971年年間R&B/Souチャート   アメリカ(ビルボード)2位


 Album「Live」(Donny Hathaway)
  ■歌・演奏
    ダニー・ハサウェイ/Donny Hathaway
  ■プロデュース
    アリフ・マーディン/Arif Mardin
  ■収録アルバム
    ライヴ/Live(1972年)
  ■録音メンバー
    ダニー・ハサウェイ/Donny Hathaway (vocals, electric-piano)
    フィル・アップチャーチ/Phil Upchurch (lead-guitar)
    マイク・ハワード/Mike Howard (guitar)
    ウィリー・ウィークス/Willie Weeks (bass)
    フレッド・ホワイト/Fred White (drums)
    アール・デロウエン/Earl DeRouen (conga)
  ■チャート最高位
    1972年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)18位
    1972年週間R&Bアルバム・チャート アメリカ(ビルボード)4位





 
 






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スター・スパングルド・バナー(星条旗)

2020年11月23日 | 名曲

【Live Information】


ミュージシャンの伝記映画やドキュメンタリー映画が花盛りな感のある昨今です。
この数年で観たのは、メガ・ヒットを記録した「ボヘミアン・ラプソディ」(クイーン)をはじめ、「エイト・デイズ・ア・ウィーク」(ビートルズ)、「ロケット・マン」(エルトン・ジョン)、「12小節の人生」(エリック・クラプトン)などなど。
そして去年観にいった「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(ホイットニー・ヒューストン)。


「オールウェイズ・ラヴ・ユー」の中で取り上げられていたエピソードのひとつに、「スーパーボウルでの国歌独唱」があります。
このできごとは知ってはいましたが、実際はどんな歌いっぷりだったかは恥ずかしながら知りませんでした。


あとで動画投稿サイトでその映像を見直してみました。
凄い。
トリハダものです。
「圧巻」という言葉が安っぽく感じられるくらいです。
「伝説的な」「神がかった」「スーパーボウル史上最高の」といった、数々の、そして究極の賛辞は、みな言葉どおりのものだったんですね。





第25回スーパーボウルは、1991年1月27日にフロリダ州タンパにあるタンパ・スタジアムで行われました。
ホイットニーは、試合開始前にフロリダ管弦楽団の演奏をバックに、「星条旗」を歌いました。
この歌唱は歴史的な名唱として絶賛され、今に至るまで語り継がれています。
ホイットニーの歌った「星条旗」はこの年シングルとしてリリースされ、ビルボード20位までチャートを上昇しました。
10年後の2001年起きたアメリカ同時多発テロ事件の直後にもリリースされ、この時はビルボード6位の大ヒットを記録しています。


「星条旗」は、アメリカ国歌です。
米英戦争真っただ中の1814年9月、フランシス・スコット・キーは捕虜交換のためメリーランド沖のイギリスの軍艦に乗り込みました。
捕虜交換の話はまとまりましたが、作戦上イギリス艦隊はボルティモアのマクヘンリー砦を終夜砲撃し続けます。
激烈をきわめた夜間砲撃が終わった9月14日(ちなみにぼくの誕生日です)の夜明け、キーたちは曙の中で砦に星条旗が翻っているのを目にするのです。
アメリカ軍が苦難に耐え切って砦を死守したことに大きく感動したキーは、すぐに砦の防衛を題材とした詩を書きあげます。
この詩は、当時人気のあった歌「天国のアナクレオンへ」のメロディに合わせてアレンジされたのち、この年10月14日に初披露され、のち「The Star-Spangled Banner(星条旗)」として出版されました。
国歌として正式に採用されたのは1931年3月3日。時の大統領はハーバート・フーヴァーでした。


アメリカン・フットボールは、野球、バスケット・ボールと並ぶアメリカの三大スポーツです。
アメリカン・フットボールのふたつのリーグの覇者がそのシーズンの優勝をかけて激突するスーパー・ボウルは、国をあげての一大イベントといっても過言ではないでしょう。(ちなみにボウルは「ボール(ball)」ではなく、ボウル(bowl 鉢。フットボール・スタジアムの形状から。)」です)
試合前に歌われるのは「国歌」(星条旗)と決まっています。
ごまかしはきかず、純粋に歌い手の力量のみが問われる重要なパフォーマンスで、マイクを持つことができるのはアメリカを代表するシンガーだけです。





1991年の晴れ舞台に国歌独唱を指名されたのは、ホイットニー・ヒューストン。彼女が27歳の時です。
ホイットニーは、「どれだけたくさんの砲弾やロケット弾が飛んで来ようとも折れることなく翻り続けた星条旗」にゴズペルのフィーリングを取り込んでみたいと感じたそうです。
ホイットニーの音楽スタッフであるリッキー・マイナーは、もともと3拍子のこの曲を4拍子に変えることを提案します。その方がさらにソウルフルな歌になると考えたからです。
ただ、湾岸戦争が勃発したばかりのこの時期、ホイットニー側が準備しているサウンドが「戦時中なのに不謹慎」とする向きもあり、実際ナショナル・フットボール・リーグからは、アレンジをもっと質素にするような要望が出されたということです。しかしこれはスーパー・ボウルのエンターテインメント部分を担当するプロデューサーによって却下されました。(大英断!)


声の美しさはもちろん、なんと優しく、柔らかい歌声なのか。
7万人を超す大観衆の中で、とてもリラックスして歌い始めている(ように聴こえる)ことに驚かされます。
途中でアレンジがストリングス中心になりますが、そこでのホイットニーの声は、まさに慈愛。
そのあとの「And the rocket' red glare」からは一転、伸びやかな高音でソウルフルに歌い上げます。
クライマックスに向かうホイットニーとオーケストラが放つエネルギーが一体となって、感動を生み出しています。
ホイットニーの表情は実に豊か、そしてとってもチャーミング。
「Oh, say does that star-spangled banner yet wave(ああ星条旗はまだたなびいているか)」の部分では不覚にも目が潤んできます。アメリカの国歌に大きく感情を揺さぶられてしまっている自分が少し照れくさくもありますが。
敬礼している軍人を映像に入れるという演出が、またアメリカらしいというか、ツボを心得ているというか。
さらに、要所要所でズシンとくる打楽器群が実に効果的なんですね。
そして「O'er the land of the free」で繰り出すハイトーンに気持ちを鷲掴みにされます。感動はもちろん、清々しい気持ちにさえなってしまうのです。





「口パク」だという説もあるようです。
でも、この歌を聴かされると、そんなことはどっちでもよくなります。
それくらい素晴らしすぎる歌声だと思います。
映画の中では「ホイットニーには当日(前日だったかな)譜面を渡した。体調も良くなく、不機嫌だった。」との証言があったと記憶していますが、それでいながらこの物凄いパフォーマンス。
ホイットニーが、決してヒット・ソングを量産するだけの美人ポップ・シンガーではないことを、改めて骨の髄まで思い知らされました。


[歌 詞]



■星条旗/The Star-Spangled Banner
  ◆リリース
    1991年2月12日
    2001年9月26日
  ◆歌
    ホイットニー・ヒューストン/Whitney Houston
  ◆プロデュース
    ジョン・クレイトン/John Clayton (music arrangement)
    リッキー・マイナー/ Rickey Minor(music coordinator)
  ◆作詞 
    フランシス・スコット・キー/Francis Scott Key (1814年9月)
  ◆作曲
    ジョン・スタフォード・スミス/John Stafford Smith (1780年)
  ◆週間チャート最高位
    1991年 アメリカ(ビルボード)20位、ビルボード・アダルト・コンテンポラリー・チャート48位
    2001年 アメリカ(ビルボード)6位、ビルボード・R&B・チャート30位、カナダ5位




「星条旗」 歌・ホイットニー・ヒューストン 1991年1月27日 タンパ・スタジアム


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レヴォリューション (Revolution)

2020年07月01日 | 名曲

【Live Information】


 ぼくをロック・ミュージックに導いてくれた人のひとりに、年の離れた従兄がいます。
 その従兄は、「ビートルズの中で一番ロック・スピリットがあるのはジョンだ」と教えてくれました。
 それは多分、ジョンが、ロックの特徴である「体制への反抗」「大人が主流である社会に対して反乱を起こそうとする少年」などを体現していた、いわゆる「とんがった存在」だったことを含めてのことだと思います。


 じっさいジョンの発言には独特のユーモアがありましたが、とても率直で、辛辣です。
 なかでも有名なのは、「安い席の方は拍手をお願いします。それ以外の方々は、すみませんが宝石をジャラジャラさせてください」「僕たち(ビートルズ)は今やイエス・キリストより有名だ」といったところでしょうか。
 そのほかにも積極的に政治的発言を行っていたことはよく知られています。


 ビートルズの曲の歌詞は、ラブ・ソングはもちろんですが、キャリアを積むごとに哲学的だったり世相について言及したり、つまりしばしば彼らからのメッセージが込められるようになりました。
 もともとナイーブかつ自己主張の強いジョンの作品にはとくにその傾向が強いんじゃないかと思います。
 とくに1960年代後半になると、そういう曲がいたって目立つようになります。
 その中のひとつが「レヴォリューション」です。
 もちろん「レヴォリューション」も中学生時分から聴いていた曲ですが、なぜか今ごろになって再びドはまりしてしまい、iPodのプレイリストに入れては日々聴いているところです。


 「レヴォリューション」は、ジョンの代表作のひとつです。
 1968年に、あの「ヘイ・ジュード」とのカップリングでシングル・レコードとしてリリースされました。
 作者クレジットはレノン=マッカートニーとなっていますが、実質的にはジョンが書いたもので、「ヘルター・スケルター」や「ドライヴ・マイ・カー」などと並ぶ、ビートルズが生み出したハード・ロック・ナンバーのひとつです。



 

 特徴は、ノイジーなギターと、リンゴの重いバス・ドラム。
 「ハード・ロック」の萌芽期ともいえるこの頃ならではの荒々しい演奏が、かえって瑞々しく感じます。
 そして、ワイルドでエキセントリックなボーカルは、まさにジョンの真骨頂。
 それに加えての、ニッキー・ホプキンスの弾くピアノ。R&B色豊かなプレイが際立っていますね。
 メッセージ色の濃い歌詞も特徴のひとつといえるでしょう。


 曲の開始約5秒後から聞こえてくるギターがラウドである意味とてもパンクだと思っていたんですが、実はこれはジョンのシャウトだったんですね。ようやく最近になって知りました。


 とくに強調しておきたいのは、エンディングのジョンのシャウトです。
 エキセントリックでとにかく過激、これがたまらなくカッコいいんです。
 ジョンが連呼する「Alright」を聴いていると、いま何かといえば感じられる息苦しさ(自分の気に入らない意見を「批判」の名のもとに罵倒したり責めたり吊るしあげたり攻撃したり、という空気)を吹き飛ばしてしまいたくなるようなエネルギーが体内に満ちてくるんです。
 All Right!



【歌 詞】


【大 意】
君は革命が必要だと言う
みんな世界を変えたいさ
君はそれは変革だと言う
みんな世界を変えたいさ
でも破壊しようと語る君には賛成できない
世の中はいい方向へ向かっているのだから

君は本当の解決策があると言う
みんなそういう計画なら知りたいさ
君は僕に何を貢献できるか尋ねるが
みんなできることをやっているのさ
でも憎しみの心を持つ人々のために金を集めようとするなら
僕は君に、時期を待ったほうがいい、と言いたい
世の中はいい方向へ向かっているのだから

君は社会の構造を変えたいと言うが
みんなは君の頭の中を変えたいのさ
君はそれは制度を変えることだと言うんだけど
代わりに君の精神を変えた方がいいんじゃないかな
もし君が毛沢東主席の写真を持ち歩いているなら
革命を起こすなんて無理さ
世の中はいい方向へ向かっているのだから



◆レヴォリューション/Revolution
  ■シングル・リリース
    1968年8月28日
  ■歌・演奏
    ビートルズ/Beatles
  ■プロデュース
    ジョージ・マーティン/George Martin
  ■作詞・作曲
    ジョン・レノン & ポール・マッカートニー
  ■録音メンバー
   <ビートルズ>
    ジョン・レノン(lead-vocal, guitar)
    ポール・マッカートニー(bass, organ)
    ジョージ・ハリスン(guitar)
    リンゴ・スター(drums)
   <ゲスト>
    ニッキー・ホプキンス/Nicky Hopkins (electric-piano)
  ■チャート最高位
    1968年週間チャート アメリカ(ビルボード)12位
  ■収録アルバム
    ヘイ・ジュード
    ザ・ビートルズ1967~1970
    パスト・マスターズvol.2







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アイ・シャル・ビー・リリースト (I Shall Be Released)

2020年05月17日 | 名曲

【Live Information】


 
いまは地元の議員さんとして活躍しているMさん。
もう何十年もお会いしていないのですが、当時は岡山市にあったカントリー&ウエスタン色の強いライブハウス「ハンク」でよくお目にかかっていました。
そのころのMさんは、自営のかたわらカントリー系バンドのボーカルとしても活動していました。
Mさんのレパートリーの中で2曲印象に残っている曲があります。
1曲は、ハンク・ウィリアムス作のノリノリのシャッフル・ナンバー、「ヘイ・グッド・ルッキン」。
そしてもう1曲が、「アイ・シャル・ビー・リリースト」です。
なんとも渋い、まさに珠玉のバラードです。


Mさんが歌う「アイ・シャル・ビー・リリースト」を初めて聴いたとき、ぼくはまだ20歳そこそこくらいだったと思います。
西暦でいうと、1980年代に入ったばかりのころ。
相変わらず貪欲にいろんなレコードを聴きあさってはいましたが、それらは少年・青年向けの、ビートがはっきりしていて、派手な衣装とか、派手な演奏のバンドのものばかりでした。
フォーク・バンドのレコードなんかは、興味本位にひととおり手を出しはしましたが、それ以上聴き込みはしなかったなあ。
 
 
「アイ・シャル・ビー・リリースト」は、ボブ・ディランによって書かれた曲です。
1966年7月にオートバイ事故を起こしたディランは、それをきっかけにニューヨーク州ウッドストックにこもり、ザ・ホークスとともにデモテープの制作に打ち込みます。この曲はそのときに生まれた作品のひとつなんですね。
ザ・ホークスは1968年にバンド名を「ザ・バンド」に変え、デビュー・アルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」を発表します。
「アイ・シャル・ビー・リリースト」は、そのアルバムのラストを締めくくるナンバーです。
デビュー・アルバムに収められた曲にして、いまやザ・バンドの代表曲といってもいいほど世に知られている名曲です。





 「ザ・バンド」は、フォーク、ジャズ、土着のブルースなどアメリカのルーツ・ミュージックをバック・ボーンにした、味わい深い音楽性を持っています。
 しかし当時のぼくには、アップ・テンポの曲もないし、派手なアドリブや大向こう受けしそうな派手なパフォーマンスがあるわけでもない、ただ地味にしか感じられない、そんなグループのレコードを聴く気なんて起きませんでした。


ただ、この曲の不思議な存在感はしっかり心に残っていました。
そしていつしか「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」はぼくの愛聴盤の一枚になっていました。


いま思うと、1968年当時のザ・バンドの面々の年齢は、最年長のガース・ハドソンで31歳、最年少のロビー・ロバートソンが25歳。
つまりメンバーはほぼ20代後半だったわけです。
その若さで醸し出しているこの老成感に、むしろ感嘆さえしてしまいます。





ラブ・ソングが圧倒的な割合を占めているポップ・ミュージックの中にあって、ディランの書いた詞は異彩を放っています。
「無実を訴える男の叫び声を聞きながら釈放される日を待つ囚われ人」を歌った詞の意味するところは思わず考えさせられてしまいますし、メッセージ性を持った歌詞を世に問うバンドのオリジナリティも感じられるような気がするんです。


起伏のある美しいメロディは、優しく心を揺さぶります。
アメリカのルーツ・ミュージック特有の味わいと、「熟成」という言葉がふさわしいシンプルな演奏は、年ごとに心地よく聴こえてくるようになりました。
そして、なんといってもリード・ボーカルのリチャード・マニュエルの歌声です。
彼の透き通った声とファルセットは、哀しみを帯びているようにも聴こえます。
訥々とした歌は聞き手に語りかけているようでもあります。一語一語ちゃんと自分の体温で温めてから発しているような、とでも言ったらいいのかな。





ぼくはいままでずっと決まったバンドに入ってなかったけれど、今年になって何十年かぶりに友だちのロック・バンドに加わることになりました。
しかもライブのときには、一晩に2~3曲はボーカルもとることになってしまいました。
何を歌おうかあれこれ考えたんですが、1曲はこの「アイ・シャル・ビー・リリースト」にするつもりです。
それが、とてもとても楽しみです。


[ 歌 詞 ]


[ 大 意 ]
なにもかも変わっていくと人は言う
すべての道のりに近道はないと人は言う
俺は俺をここに閉じ込めたすべての奴等の顔を憶えている

  ☆俺には西に沈んだ太陽が東から輝き始めるのが見える
   いつの日か、いつの日か
   俺は解き放たれるだろう☆

人々の権利は保護される必要があると人は言う
誰しも打ちのめされると人は言う
それでも俺にはこの壁の彼方に自分が反射して見える

  ☆~☆

寂しそうな群衆の向こうに立ちつくすのは無実を誓うひとりの男
一日中彼が叫ぶのが俺に聞こえる
俺は無実だと叫ぶ声が

  ☆~☆





◆アイ・シャル・ビー・リリースト/I Shall Be Released
  ■歌・演奏
    ザ・バンド/The Band
  ■シングル・リリース
    1968年8月8日(『ザ・ウェイト』のB面として)
  ■作詞・作曲
    ボブ・ディラン/Bob Dylan
  ■プロデュース
    ジョン・サイモン/John Simon
  ■録音メンバー
    レヴォン・ヘルム/Levon Helm (drums, vocal)
    ロビー・ロバートソン/Robbie Robertson (guitar, vocal)
    リック・ダンコ/Rick Danko (bass, vocal)
    ガース・ハドソン/Garth Hudson (organ)
    リチャード・マニュエル/Richard Manuel (lead-vocal, piano)
  ■収録アルバム
    ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク/Music From Big Pink(1968年)




 

 

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夢先案内人

2020年02月11日 | 名曲

 【Live Information】


 「夢先案内人」。
 山口百恵さんが歌った曲の中でも、ぼくがとくに好きなもののひとつです。


 ぼくが高校生だったころは、ラジオの深夜放送が人気でした。
 深夜、といっても、ラジオのスイッチを入れるのは、ちょうど野球中継が終わりに近づく21時ころ。
 野球は大好きだったけれど、野球中継が延長されるのにはハラ立ててたなあ。(^^;)
 ラジオに関しては野球より深夜放送でしたから。


 夜にラジオを聞くようになったのは中学時代。
 きっかけは、当時大人気だった「欽ちゃんのドンといってみよう」でした。リスナーによるネタ投稿番組のはしりだったんじゃないかな。
 そして音楽系ではFMの音楽番組をはじめ、「ヤングリクエスト」(朝日放送。通称ヤンリク。)、バラエティ系では「ヤングタウン」(毎日放送。通称ヤンタン)や「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)、トーク番組系では「パックインミュージック」(TBSラジオ)、などなど・・・。


 そうでなくても10代って悩み多き、というか、多感な年ごろです。
 みんな進路がほぼ明確になってきているというのに、ぼくは将来の見通しが立っていなかったな。
 家庭的にもいろいろあったし、進学校に通っていながら勉強にはついていけてなかったし、ミュージシャン志望でしたが先生方など大人たちからは反対されていたし。(というか、あきれられていたんだと思う)
 でも、いま思うと「志望」といえば聞こえがいいですけれど、単なる現実逃避だったかもしれなかったですね。
 授業をサボッてタバコをふかしたり(今は禁煙して10年以上経ちましたけどね)、ジャズ喫茶に入り浸ったり。禁止されていたアルバイトをしながら、「自分だけが取り残されている」感じを漠然と味わっていたり。
 どこか投げやりで、ヤケで、でも心の底は不安で。


 夜は、レコードやカセット・テープを聴いたり、楽器を触っていたり、ぼんやり考え事をしたり、そしてラジオをかけっ放しにしながら本を読んだり。気づけば朝、というのはよくあることでした。
 午前3時くらいになると、ヤングタウンやヤングリクエスト、パックインミュージック、オールナイトニッポンの放送が終わります。番組が終わると急に静けさに襲われたような気がしたものです。そしていよいよ「深夜」って感じなんです。
 そのあとは、長距離ドライバー向けの「走れ!歌謡曲」や「歌うヘッドライト」などのリクエスト番組です。パーソナリティも、落ち着いた感じの「オトナのお姉さん」でした。パーソナリティ的には、ぼくはこっちの方が好きだったな(^^;)
 窓の外は真っ暗ですが、そのうち闇の色が紺色っぽく変わってくるんですね。少しずつ夜明けが近づいてくる、そんな時間にラジオから流れてきたのが、「夢先案内人」でした。





 「月夜の海にふたりの乗ったゴンドラが 波も立てずにすべってゆきます」
 「朝の気配が 東の空をほんのりと ワインこぼした色に染めてゆく」 
 「ちょっぴり眠い夜明け前です」
 こんな歌詞が、現実から目を逸らし、夜明け前の布団の中でただ夜が終わるのを待つだけのぼくに、不思議にフィットしたものでした。

 
 百恵さんと言えば、デビュー当初のちょっとふてぶてしい感じのする早熟な歌、「秋桜」のような文学的で重厚な歌、阿木燿子&宇崎竜童による一連の少々とんがったロック系作品など、それぞれに印象の強い歌が多かったように思うのですが、その中でこの曲は、例えば漫画家の小椋冬美さんとか陸奥A子さんなどの作品のような雰囲気を持っていて、夢見心地な気分にさせてくれる穏やかな曲でした。
 なんというか、複雑に屈折していた当時のぼくの気持ちを慰め、和らげてくれたような気がするんです。


 この曲をリリースした時の百恵さんは、まだ18歳。
 弱冠18歳なのにこんな雰囲気で歌えるなんて、驚異です。
 声を張り上げなくてもしっかり響く豊かな歌声。力みのない、自然な発声。
 「あなたは時々振り向きwink & kiss」とか、「ちょっぴり眠い夜明け前です」の部分の、自然な歌いまわしと表現力なんか、ゾクッとしながらも涼やかなものを感じます。


 阿木燿子さんの書いた「ですます調」の歌詞が新鮮に響きます。
 ありがちな情熱的なラブ・ソングとは少し違って、主人公が自分の見た夢の内容を語っているだけなのですが、それが相手に対する思いをほんのり浮き彫りにしている感じがします。詞が知らず知らずのうちに染み入ってくる、とでも言えばいいのかな。
 百恵さんにおける宇崎竜童作品といえば、「横須賀ストーリー」をはじめ、のちの「イミテイション・ゴールド」「プレイバックPart2」「ロックンロール・ウィドウ」など硬派でハードボイルドなもののイメージが強いのですが、この曲などはその対極にあって、静かなきらめきとか淡い温かみみたいなものがある、今でいうところの「癒し系」な雰囲気に満ちていると思うのです。


 いま確認してみると、この曲がヒットしたのはぼくがまだ中学生だったころ。
 聴いたのがたまたま青春の不安定な時期だった高校3年の時で、それが夜明け前を迎えた自分の複雑な心境とリンクしたので、強く印象に残っているのでしょうか。
 いや、もしかすると、百恵さんの引退がたいへんな話題になっていたころだったので、引退にあたって何年か前の曲があちこちでかかっていただけなのかもしれません。
 いずれにせよ、屈折していた青春時代のぼくが抱えていた苦い部分を、懐かしく思い出させてくれる曲なのです。


[ 歌 詞 ]
 





◆夢先案内人
  ■歌
    山口百恵
  ■シングル・リリース
    1977年4月1日
  ■作詞
    阿木燿子
  ■作曲
    宇崎竜童
  ■編曲
    萩田光雄
  ■チャート最高位
    1977年 オリコン週間シングル・チャート 1位
    1977年 オリコン年間シングル・チャート 21位




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Feel Like Makin' Love (愛のためいき)

2020年01月18日 | 名曲

【Live Information】



 たまたまその場に集ったメンバーによって即興的な演奏を行うのがジャム・セッションです。
 その場で曲を決め(コードだけ決め、そのコードあるいはコード進行に則って演奏する場合もあれば、完全に即興で演奏する場合もあります)、ヘッド・アレンジで自由に演奏するのはスリリングで楽しいものです。
 アドリブが重要な要素であるジャズなどは、よくライブ・ハウスでも「セッション・デイ」を設けていて、ブルースをはじめ、「枯葉」や「オール・ザ・シングス・ユー・アー」などいったジャズのスタンダード曲が演奏されています。
 同じ黒人音楽をルーツとするのがリズム&ブルース、あるいはソウル系の音楽ですが、こちらのセッションでよく登場するのが、「ホワッツ・ゴーイン・オン」と「フィール・ライク・メイキン・ラヴ」です。


 「フィール・ライク・メイキン・ラヴ」には「愛のためいき」という邦題があります。でも今まで「『愛のためいき』やりましょうよ」などと言っている人を見かけたことは、う~ん記憶にないですね。なぜなんだろう。たいてい「フィール・ライク」とか「フィール・ライク・メイキン」で通じますね。





 タイトルは、とっても「オトナ」なもの。
 日本には「ふたりはひとつになった」とか、「あなたが欲しい」なんて表現がありますが、そーゆーことです
 「そろそろ春めいてきた夜に寄り添って歩いている恋人たちを見ていると、
  あなたに甘く低い声で囁きかけられると、
  食卓に灯したキャンドルのもとで手を握り合っていると、あなたと愛し合いたくなってくる」
 という曲です。
 ガツガツした欲望をぶつける、というより、ふとしたことで感じる自然なフィーリングを歌っているんじゃないかな、と思います。
 そう、その「ナチュラルな感じ」がこの曲のキーワードなのではないでしょうか。


 演奏も、ロバータの歌も、なんてナチュラルな感じなんでしょう。
 ちょっぴり可愛く、ちょっぴりエロティックで、ちょっぴり恥じらいがあって。
 俗に「秘め事」などと言って、そういうことをあからさまに表現したり伝えたりするのにはやや抵抗があるのが日本の文化なのですが、そういう自然な感情を自然にパートナーに伝えるって、実は下品でもなんでもないことなんですね。
 そしてお互いに相手の感情や感覚が満ち足りるよう思い合って接することで、ふたりの時間がよりステキなものになる、ってことです。


 もともとロバータは、感情をぶつけたり、声高に主張したりするタイプのボーカリストではないのですが、この曲の声や歌い方にはムリや力みがなく、いっそうソフトに感じられます。
 「こういう気持ちを察してほしい」と思うだけはなく、うるんだ眼差しで相手を見つめたり、そっと相手の肩にもたれてみたり。いわばそういった感じでしょうか。





 抑えた感じの演奏がこのロバータの歌にぴったりなんです。
 シンプルだけれど優しくグルーブし続けるドラムスとベース。
 まさに「ためいき」のように要所要所で奏でられるエレクトリック・ピアノ。
 ピアノに呼応しているかのような、セクシーなギター。
 そしてグルービーなパーカッション。
 パーカッションだけはリズミックなんですが、これが曲にメリハリを付けている感じです。全体的に「ゆるく流れている」サウンドとコントラストを成している、と言っていいでしょう。
 決して派手なサウンドではないのですが、とても印象に残ります。
 まさに「ソフト・アンド・メロウ」。
 こういうサウンドも「めくるめく」と言っていいのではないかと思うのです。


 「フィール・ライク・メイキン・ラヴ」には数多くのカヴァーが存在します。
 ヴォーカリストとしては、「歌ってみたい」「表現してみたい」そんなふうにそそられるのでしょうね。
 歌だけでなく、インストゥルメンタルとしてもよく取り上げられていますね。
 カヴァーの中では、マリーナ・ショウが彼女のアルバム「フー・イズ・ディス・ビッチ・エニウェイ」に収録したヴァージョンを特筆しておこうと思います。



マリーナ・ショウ 「フー・イズ・ディス・ビッチ、エニウェイ」


 よく男性は
 「もろに見せられる(または見える)より、見えるか見えないかくらいにそそられるんだよ」なんてことを言ったりするんですが、それは実は音楽にも当てはまるんじゃないかな。
 熱い想いを抑えた感じで出す。
 これって、実はとても説得力があったりするんですね。


[歌 詞]
 





◆愛のためいき/Feel Like Makin' Love
  ■歌
    ロバータ・フラック/Roberta Flack
  ■収録アルバム
    愛のためいき/Feel Like Makin' Love(1975年)
  ■シングル・リリース
    1974年6月10日
  ■作詞・作曲
    ユージーン・マクダニエルズ/Eugene McDaniels
  ■プロデュース
    ルビーナ・フレイク/Rubina Flake
  ■チャート最高位
    1974年週間シングル・チャート アメリカ(ビルボード)1位、イギリス34位
    1974年年間シングル・チャート アメリカ(ビルボード)35位



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Looking Up (ルッキング・アップ)

2020年01月11日 | 名曲

 【Live Information】

 20世紀終盤のジャズ・シーンを席捲したジャズ・ピアニストのミシェル・ペトルチアーニ。
 彼が彗星のように去ってしまったのは、1999年1月6日のことでした。わずか36歳でした。
 早いもので、もう21年になります。
 でも、ミシェル・ペトルチアーニの名が色褪せてきたかというと、そんな兆しは微塵もないと言っていいでしょう。
 ぼくにとっては、変わらずジャズ界を照らし続けている「親愛なる巨星」、といったところです。


 ミシェルは、ビル・エヴァンスから大きな影響を受けていると言われています。
 リリカルな演奏、クリアーなタッチ。
 それに加え、明快で、遊び心いっぱいのフレーズの数々。
 ロマンティックながらどこか武骨なところもあり、そのくせ明るく、時にはやんちゃな音楽を作り出す。それがミシェルの真骨頂だと思います。


 そして、演奏そのものはもちろんですが、彼の生み出す曲がこれまたぼくは好きなのです。
 明るい。
 情熱的。
 そのうえどこかユーモラス。
 そしてたくましささえ感じます。
 その、ミシェルの作品の中で好きなもののひとつが、「ルッキング・アップ」です。



ミシェル・ペトルチアーニ


 「Looking up」。見上げる。
 青い、澄みきった空を見上げるとき。
 大きく深呼吸しながら彼方を見上げるとき。
 そんなときって、気持ちが切り換えられたり、エネルギーが満ちてきたり、希望を感じられたりすると思うのです。
 「Looking Up」はそのほか、「良くなる」とか「元気を出す」という意味もあります。


 はじめて聴いたこの曲は、ライヴ・アルバム「ドレフュス・ナイト」に収められたものでした。
 柔らかな陽射しのような、優しくて明るいイントロを聴いた時は、まさに「澄み渡った青空を見上げる」、そんな印象を受けました。
 フレンドリーなメロディがラテン調のリズムに乗って流れてきます。
 やっぱり優しくて、すこしロマンティック。


 「ドレフュス・ナイト」は、1994年にパリで催された、「ドレフュス・ジャズ・レーベル」のイベントです。
 このライヴでのミシェルの共演者は、マーカス・ミラー(bass)、ケニー・ギャレット(sax)、レニー・ホワイト(drums)、ビレリ・ラグレーン(guitar)。
 なんて贅沢な組み合わせ。。。これぞ「スーパー・セッション」ですね。





 さすがは一騎当千の強者ばかり。
 アドリブはケニー、ミシェル、ビレリ、マーカス、レニーの順で回ってゆくのですが、それぞれが自分のソロで自分の世界を創り出してゆくところ、またコーラスを重ねるごとにヒート・アップしてゆくところを聴くのがこれまた楽しいんです。
 そして、リズム隊のマーカスとレニーのコンビネーションがいいんですね。
 ビレリのソロが終わった9分50秒すぎからマーカスのソロが始まります。
 マーカスのスラップの音色は、キレの良さがありながらも柔らかくて気持ち良いです。レニーのドラムはマーカスと一心同体というか、しっかりシンクロしていて、エキサイティング。お互いここぞ、というところではダイナミックに仕掛けていますしね。実はこのふたりは若かりし頃からの仲間なのですが、このコンビネーションの良さはそういったところも無関係ではないと思います。



マーカス・ミラー(左)、ケニー・ギャレット



ビレリ・ラグレーン(左)、レニー・ホワイト
 

 よく目に、耳にする、「障害を乗り越えて」というフレーズ。
 少なくともミシェルの素晴らしさは、「障害を抱えながら」ピアノを弾き続けたからではないと思うのです。(もちろんそこは否定されるべきところではなく、そんなミシェルから勇気を受け取った人もたくさんいるでしょう)
 身体的ハンディがあろうとなかろうと、ミシェルの弾くピアノ、そして生み出す曲が素晴らしいことに変わりはないということを改めて思いました。






◆ルッキング・アップ/Looking Up
  ■収録アルバム
    ドレフュス・ナイト/Dreyfus Night in Paris(2003年10月22日リリース) 
  ■作曲
    ミシェル・ペトルチアーニ/Michel Petrucciani
  ■録音
    1994年7月7日 パレ・デ・スポール、パリ
  ■録音メンバー
    ミシェル・ペトルチアーニ/Michel Petrucciani (piano)
    マーカス・ミラー/Marcus Miller (bass)
    ビレリ・ラグレーン/Biréli Lagrène (guitar)
    レニー・ホワイト/Lenny White (drums)
    ケニー・ギャレット/Kenny Garrett (sax)
  ■初出
    Michel Petrucciani「Music」(1989年)
  ■その他の収録アルバム
    Michel Petrucciani「Music」(1989年)
    Michel Petrucciani「Solo Live」(1998年)
  
 

  

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ワルツ・フォー・デビイ(Waltz for Debby)

2019年09月29日 | 名曲

【Live Information】  


 ぼくはそのころ何歳だっただろう。
 まだ幼稚園には行っていなかったと思うんです。だから保育園に通っていたころかな。
 アルバムを繰ってみると、ぼくが幼稚園に通ったのは6歳の時の1年間だけ。(今の今まで2年通ったとばかり思っていた。)
 ということは、3歳くらいから5歳くらいの間のことか。。。
 なんともあやふやな記憶なんだけれど。


 当時住んでいた家の雰囲気は、記憶によるとちょっと薄暗い感じ。
 午後の3時くらい、あるいは夕方前だったかもしれない。
 居間に置いてあったテレビ(まだ白黒放送とカラー放送が混在していた)で、地元局が放送している天気予報を、ぼくはいつも見ていました。
 父は自営だったので、事務所で仕事をしている時間です。母と姉がいたはずなのですが、不思議なことに、この天気予報を見ていた記憶の中にほかの家族の姿は現れてきません。だから、記憶の中のぼくは、ひとりきりでテレビの前に座っています。
 天気予報って、「岡山県のあすは、晴れ ときどき曇り」という、丁寧なナレーションがあるはずなのだけれど、アナウンサーの声がぼくの耳に届いていたかどうかも全く記憶にないのです。


 天気が気になっていたわけではないのです。
 バックでたんたんと流れている美しい曲が、まだ小さかったぼくの心にじんわりと染み込むのです。
 その曲は、ぼくが天気予報を見るたびに、まるでペンキを丁寧に何度も何度も重ねて壁や家具に塗るように、徐々に濃く記憶の抽斗に刻まれました。
 ピアノで奏でられるその曲は、どことなく愛らしく、品があり、清楚でした。
 これがぼくのいちばん古い、ジャズにまつわる記憶です。


          


 やがて家の近くの幼稚園に移ったぼくは、園を終えて家に帰るやいなや、友だちと遊ぶためにすぐに家を飛び出して行くようになりました。
 平日の午後にテレビを見ることはなくなり、いつしかその曲のことをまったく忘れてしまいました。

 大人になったぼくは、音楽にどっぷり浸るようになっていました。
 ジャズを演奏する頻度もとても多くなりました。すべからく、ジャズ・ナンバーをたくさん知っておく必要に迫られるようにもなりました。
 そこで、「ジャズ名盤ガイド」的な本などを参考にしながら、とにかくいろいろなレコードを有名なものから手当り次第に漁ったものです。


 当時のぼくにとってのジャズといえば、マイルス・デイヴィスだったり、オスカー・ピーターソンだったり、ハービー・ハンコックだったり。もちろんビル・エヴァンスもその中に入っていました。
 数あるエヴァンスのレコードの中で、いろんな本で見て馴染みだけはあった、女性らしきシルエットが浮かんでいるジャケットのレコードを手にしたときのことです。
 優しく可愛い3拍子のメロディが流れてきました。2曲目でした。
 思わず、はっとしました。
 これは、幼稚園のときに見ていたテレビの天気予報でかかっていた曲じゃないか!
 頭の片隅にひっそり眠っていた記憶が、一気に甦りました。
 この曲こそが、「ワルツ・フォー・デビイ」だったのですね。


 「ワルツ・フォー・デビイ」は、エヴァンスの兄の娘、つまり姪のデビイに捧げられた曲です。
 エヴァンスの初リーダーアルバムである「ニュー・ジャズ・コンセプションズ」(1956年)に、ソロとして収められています。
 「わたしが幼い頃、ビル(エヴァンス)がよく目の前で弾いてくれました」と、デビイは後年語っています。


          
          デビイ・エヴァンス(右)



◆ワルツ・フォー・デビイ/Waltz for Debby
  ■初出
    1956年(album 「New Jazz Conceptions」)
  ■収録アルバム
    ワルツ・フォー・デビイ/Waltz for Debby (1961年6月25日 ニューヨーク、ヴィレッジ・ヴァンガードで録音)
  ■レーベル
    リヴァーサイド/Riverside
  ■演奏
    ビル・エヴァンス・トリオ/Bill Evans Trio
  ■作曲
    ビル・エヴァンス/Bill Evans
  ■プロデュース
    オリン・キープニュース/Orrin Keepnews
  ■レコーディング・エンジニア
    デイヴ・ジョーンズ/Dave Jones
  ■録音メンバー
    ビル・エヴァンス/Bill Evans (piano)
    スコット・ラファロ/Scott LaFaro (bass)
    ポール・モチアン/Paul Motian (drums)



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貴方解剖純愛歌 ~死ね~

2019年09月27日 | 名曲

【Live Information】  



 これからの日本のポピュラー音楽界を活気づけ、支えていくであろうミュージシャンのひとり、あいみょん。
 「貴方解剖純愛歌 ~死ね~」は、そのあいみょんのデビュー・シングルです。


 もともとTOWER RECORDS限定のワン・コイン・シングルとしてリリースされたインディーズ・シングルなので、オリコン・チャートの記録は堂々の「圏外」。
 では、ひっそり目立たないデビューに終わったのかというと、どうやらそうではなさそうです。


 病んでいるというか、多少ホラーじみているというか、今どきの言い方をすれば「メンヘラ」な歌詞は大きなインパクトを残しました。
 なんといっても、愛する相手に「死ね」。
 死ね、ですよ、死ね。
 「死ね。 わたしを好きでないのならば」。
 こんな強烈な言葉をぶつけてくるラブ・ソングを聴いたのは初めてかもしれないなあ。


     


 対照的に、メロディーはポップ。そして、とにかくパワフル。
 ブルー・ハーツなどを思い起こさせるパンクなムードも持ちながら、飛び跳ねるように、伸びやかに歌われる、どこか「胸キュン」な曲です。
 歌詞が超過激であることを忘れてしまうような、軽やかな疾走感。
 あいみょん自身がライブのMCで、「世界一ピュアで可愛いラブ・ソング」と言ってのけるのもうなづけます。


 なんといっても、あいみょんの独特の感性が窺える歌詞が新鮮ですね。
  「ねぇ~」と「死ね~ぇ~」で韻を踏むところなんか、あとで考えると誰にでもできそうだけれど、それはいわゆるコロンブスの卵というやつで、実際こういうふたつの響きが同じ単語が脳裏に飛び出してくるところがまさにあいみょんの感性なのだと思うなあ。
 腕を切り落としたり目をくり抜いたりと、過激でホラーな言葉がひっきりなしに飛びだしてくるのですが、明るくエネルギッシュなメロディのおかげもあってか、ジメジメ感や絶望感があるようには思えません。
 「唇を縫い 私だけのキスを味わえばいいの」なんて、ちょっとした江戸川乱歩の世界?、、、でもなんだか可愛くもあるんです。
 どぎついとも思える歌詞だけれど、これは実際に腕を切り落としたり目をくり抜いてやろうとしているわけではなくて、それくらい相手のことが好きで好きでたまらないのだ、ということをあいみょん視点で言葉にしているだけなのではないでしょうか。
 ちょうど尾崎豊が「盗んだバイクで走りだす(15の夜)」「夜の校舎、窓ガラス 壊してまわった(卒業)」という言葉を当時のティーンエイジャーの荒れた気持ちを象徴する言葉として使い、彼らの思いを代弁したように。
 あいみょん自身も「冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない赤さが綺麗で(生きていたんだよな)」という歌詞を書いていますが、これなんかも「象徴としての歌詞」なんじゃないかな。
 (尾崎の歌を「犯罪を助長する」とか、「"血の赤いのが綺麗"だなんて不謹慎!」、などと評する声もあるようですが、これは国語力のなさ、いや想像力のなさから来ているのではないか、と自分では思っています。どのように読むのかは自由ですが、自分の感性に合わないだけで「不謹慎」「失礼」と決めつけてそれを押しつけて欲しくはないなあ)


     


 もちろん否定的な声もあるでしょうし、その否定的な声も受け取り方のひとつです。
 でも、きっと若い世代はあいみょんの率直な言葉や感性に安堵し、自分の気持ちを代弁してくれることに対して共感や信頼感を覚えていることでしょう。そして彼らはあいみょんに大きな拍手を送るであろうということは、想像するに難しくないのです。


 あいみょんって一見気だるそうな表情をしているけれど、その表情とはうらはらに声には明るさと温もりと湿り気が含まれていて、とても人間らしい響きがあると思うんです。



[歌 詞]



◆貴方解剖純愛歌 ~死ね~
  ■歌・ギター
    あいみょん
  ■リリース
    2015年3月4日
  ■作詞・作曲
    あいみょん
  ■編曲
    samfree
  ■チャート最高位
    2015年オリコン週間チャート  圏外



 あいみょん 「貴方解剖純愛歌 ~死ね~」



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シングル・カットされていないビートルズの名曲20撰

2019年08月18日 | 名曲

【Live Information】


 伝説のロック・バンド、ビートルズ。
 デビュー以来57年、解散してから49年が経っていますが、彼らの創った曲の数々は未だに光彩を放ち続けています。
 なんといっても、ポール・マッカートニー&ジョン・レノンという偉大なコンポーザー・チームを擁しているだけあって、「名曲」と称賛されている作品は枚挙にいとまがありません。
 全英もしくは全米チャートで1位を獲得したのは実に24曲を数えます。
 

 「ビートルズのシングル・レコードはB面も聞き逃せないので、ほかのシングル・レコードよりもお得だ」という意味の言葉も広く伝わっています。もちろんこれに疑い差し挟む人なんてほぼいないでしょう。
 そのくらいビートルズの曲には、シングル・カットされているかどうか、あるいはシングル・レコードのA面B面に関係なく、印象に残る名曲佳曲が連なっているんですね。
 そこで、バンドが実質的に解散(ポールが脱退)した1970年4月10日までに、イギリス、アメリカ、日本でシングルとしてリリースされていないものの中から、ぼくの好きな曲をピック・アップしてみました。どれもヒット・チャートを賑わす曲と遜色ないんじゃないかと思います。
 こうしてみると、「ホワイト・アルバム」に入っている曲が目立ちますね~


 実は、シングル・カットされていない曲のベスト20を選ぶ、という作業はなかなかに難しいものでした。
 つまり、ビートルズの作品の中で駄曲を見つけるのはかなり難しい、ってことですね。



20位 ミッシェル/Michelle (McCartney) [収録アルバム・・・ラバー・ソウル]
 せつなくエレガントなメロディが印象的なバラードで、シングル・カットはされていないものの1967年度のグラミー賞最優秀楽曲賞を受賞しています。フランス語を使っているところがユニークですが、そのフランス語の部分の発音がとてもまろやかに聞こえるので、ロマンチック感が増したような雰囲気になりますね。ロマンチックといえば、「I love you」の繰り返しもそうですね。

19位 グッド・ナイト/Good Night (Lennon) [収録アルバム・・・ザ・ビートルズ]   
 ジョンが息子ジュリアンのために作った子守唄。ビートルズでレコーディングに参加しているのは、ボーカルをとっているリンゴだけです。リンゴ独特の低く穏やかな声はこれ以上ないくらい曲にマッチしています。静かな夜、平穏、なにげない幸せ、そんな言葉が聴いているぼくの頭に浮かんできます。
 アルバム「ザ・ビートルズ」30曲中のクロージング・ナンバーです。29曲目がアヴァンギャルドな「レヴォリューション9」なので、この「グッド・ナイト」が醸し出す静けさがひときわ引き立っています。

18位 ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン/Happiness is a Warm Gun (Lennonn) [収録アルバム・・・ザ・ビートルズ]
 3つの部分からできている曲です。ふたつ、あるいはそれ以上のパートから成り立つメドレー風の曲を作るのはポールがよく使う手法ですが、この曲はジョンの作品です。しかし3つの部分とも、ジョンらしいちょっと尖ったイメージがにじみ出ている気がします。4/4拍子と3/4拍子が交錯するところもビートルズらしいユニークな仕掛けです。

17位 アクロス・ザ・ユニヴァース/Across the Universe (Lennon) [収録アルバム・・・レット・イット・ビー]
 とても思索的で、ジョンの価値観がはっきり出た歌詞を持つ美しいバラード。ジョンは、自作の歌詞の中でこの曲を最高だとしています。「Nothing's gonna change my world (何ものも私の世界を変えることはできない)」という部分と、マントラ(仏に対する賛美や祈りの言葉)の「Jai Guru De Va Om… (我らが導師、神に勝利を)」という部分がとても印象的。

16位 ヘルター・スケルター/Helter Skelter (McCartney)  [収録アルバム・・・ザ・ビートルズ] 
 ヘヴィ・メタル・ロックの源流のひとつと言われている、ビートルズのオリジナルの中で最もラウドな曲。重苦しいギターのリフ、ポールのシャウト、これぞハード・ロック。エンディング前にいったんフェイド・アウトしてからのフェイド・インは、アート・ロック花盛りだった当時らしい仕掛けです。エンディング前のわめき声なんか実にパンクです。それにしてもポールのボーカルって甘いバラードからこういうワイルドなものまでとても幅広くマッチしますね。いまさらながらの驚きです。

15位 アイヴ・ガッタ・フィーリング/I've Got A Feeling (Lennon=McCartney)  [収録アルバム・・・レット・イット・ビー]
 R&Bフィーリング漂うヘヴィなナンバー。ポール作の部分とジョン作の部分を繋ぎ合わせた曲だそうです。ギターによるイントロのアルペジオがとても印象的で、何事かが起こりそうな予感をかき立ててくれます。ポールのシャウトはやっぱりカッコいい!

14位 ア・デイ・イン・ザ・ライフ/A Day in the Life (Lennon) [収録アルバム・・・・サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド]
 ビートルズのオリジナルの中では最も壮大な雰囲気のする曲じゃないかな。淡々と何かを語りかけるような、やや抑え気味のジョンのボーカルの存在感の大きさ。多少効いているリバーブの影響で、なんだか夢の中で聴いているような錯覚に陥ります。そしてリンゴのドラムの盛り上げ方と、オーケストラを使ったアレンジは絶妙。どんどんボルテージが上がるエンディング前と、最後のコードのコントラストからは、えも言われぬ衝撃を受けます。ドラッグ・ソングとも見なされたサイケデリックな曲です。

13位 ドライヴ・マイ・カー/Drive My Car (McCartney) [収録アルバム・・・ラバー・ソウル]
 野性味あふれるポールのボーカルが魅力の、ソウルフルでエキサイティングなナンバー。ギターと少し歪んだベースのユニゾンからなるリフ、カウベルが刻むリズムが独特のグルーヴを生み出しています。ハード・ロックの原型と言ってもいいんじゃないかな。

12位 ヤー・ブルース/Yer Blues (Lennon) [収録アルバム・・・ザ・ビートルズ]  
 ジョンの作ったブルース・ロック・ナンバー。当時(1968年)の「猫も杓子も状態」だったブリティッシュ・ロック界のブルース・ブームを皮肉った曲だそうです。このビートルズ流ブルースはヘヴィで、迫力充分。8分の6のリズムが途中でブギーで変わるところなど、ビートルズらしい仕掛けだと思います。そして凄味のあるボーカル、これはまさにジョンの本領発揮といったところでしょう。

11位 トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ/Tomorrow Never Knows (Lennon)  [収録アルバム・・・リヴォルヴァー]
 「サイケデリック」の一語につきます。一種病的というか、「毒」とは言わないまでも得体の知れないものに虜になりそうで怖い感覚というか、耳の奥に刻みつけられて消えないというか、妖しく不思議な感覚に導かれて離れられなくなりそうな、そんな空気に満ちています。
 ループやサンプリング、テープの逆回転などの技術を駆使するほか、ボーカルをレスリー・スピーカーにつないで変化する音波の振動をうまく利用したり、タンブーラ(インドの弦楽器)を使うなど、アイデア満載です。
 奏でられるコードがCメジャーのみのワン・コードであるところや、スネア・ドラムの入る位置が3泊目の裏であるところ(独特のグルーヴ感を出している)、これらを延々続けることで、リスナーをいわゆる「トリップ」した状態、あるいは一種の「トランス」状態に落とし込んでいるのだと思います。

10位 ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア/Here, There and Everywhere (McCartney)  [収録アルバム・・・リヴォルヴァー]
 『リヴォルヴァー』きっての名バラード。作者のポールが「自分自身の最高傑作のひとつ」と言い切っているほか、ジョンやプロデューサーのジョージ・マーティンもこの曲を絶賛しています。
 牧歌的な雰囲気の漂うラヴ・ソングで、ジャズ系のミュージシャンにもよく取り上げられています。「この曲にはこれしかない」、という個性的なイントロがこれまた素晴らしいです。
   
 9位 バック・イン・ザ・U.S.S.R./Back In The U.S.S.R. (McCartney)  [収録アルバム・・・ザ・ビートルズ]    
 ビートルズ特製のハード・ロック・ナンバー。アルバム「ザ・ビートルズ」の1曲目に収録されていて、イントロのジェット機のエンジン音で一気にテンションがあがります。とにかくロックしまくるハードなナンバー。ビーチ・ボーイズっぽいコーラスと、ハナウタで歌えるフレンドリーなメロディが楽しいなあ。実際にビーチ・ボーイズがライブで演奏していたこともあったそうです。

 8位 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド/Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (McCartney) [収録アルバム・・・サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド]
 オーケストラのチューニングと客席のざわめきのSEから始まるこの曲は、いきなりトップ・ギアに入ったかのようなポールのワイルドなボーカルによってハイ・テンションに導かれます。間奏までの流れがとにかくカッコ良くて、そこだけを何度繰り返して聴いたかなあ。
 そしてフレンチ・ホルンによる間奏が「ペパー軍曹の」というだけあって軍楽隊ぽくてどことなくユーモラスで。そしてエンディングへ向かってさらにボルテージの上がるポールのボーカルで、聴いているぼくはまさにノックアウトされてしまいます。

 7位 夢の人/I've Just Seen a Face (McCartney) [収録アルバム・・・ヘルプ!]
 フォーク、あるいはカントリーの芳醇な香りにちょっとウキウキしてしまう、アコースティックな曲です。ポール、ジョン、ジョージの3人が弾くアコースティック・ギターと、リンゴがブラシで叩くスネア・ドラムだけで録音されていて、爽快感と疾走感に満ちています。

 6位 ヘイ・ブルドッグ/Hey Bulldog (Lennon) [収録アルバム・・・イエロー・サブマリン]
 ハード・ロック調のリフを持つジョンの曲。ジョン独特のとんがったボーカルがちょっとバイオレンスな感じを醸し出していて、思わずそそられちゃいます。

 5位 オール・マイ・ラヴィング/All My Loving (McCartney) [収録アルバム・・・ウィズ・ザ・ビートルズ]
 ポールの代表作のひとつ。ジョンに「悔しいほどいい曲だ」「ポールには完璧な作曲の才能がある」と言わしめました。ビートルズがアメリカの人気番組「エド・サリヴァン・ショウ」に初出演した時に演奏したのがこの曲です。この時テレビを観たのは全米総人口の72%でした。また、ビートルズ出演時には少年犯罪発生率が低下した、という話が残っています。ポールとジョンのハーモニー、ジョンのオルタネイト・ピッキングによる3連符のカッティングが印象的な、爽やかでちょっぴりせつないナンバー。

 4位 サヴォイ・トラッフル/Savoy Truffle (Harrison) [収録アルバム・・・ザ・ビートルズ]
 ジョージが、親友エリック・クラプトンの虫歯を「イジった」曲。いろいろなチョコレートの名前が連なる歌詞とはうらはらに、曲は6本のサックスからなるディストーションの効いたサックス・セクションと、ジョージのギターのアンサンブルがとてもロックでカッコいいのです。バックで薄くコードを弾いているオルガンもプログレ風でいいなあ。かなりグルーヴィーなロック・ナンバーで、ぼく的にはむかしからとても好きな曲なのです。

 3位 オブラディ・オブラダ/Ob-La-Di, Ob-La-Da (McCartney) [収録アルバム・・・ザ・ビートルズ]
 風変わりなタイトルは、当時ポールが遊びに行っていたナイト・クラブに出演していたナイジェリア人パーカッショニストの口癖から。レゲエ風味のたいへんポップな曲で、カヴァー・ヴァージョンも数多く、親しみやすいメロディは広く知られています。日本でもNHKの「みんなのうた」で取り上げられたり、さまざまな児童合唱団によって歌われたりしています。1975年には佐良直美が紅白歌合戦でこの曲を歌いました。

 2位 イン・マイ・ライフ/In My Life (Lennon) [収録アルバム・・・ラバー・ソウル]
 ジョンが、故郷リヴァプールでの思い出について歌っている曲。そのせいか、ベタつかないセンチメンタリズムやほどよいノスタルジーが伝わってきて、なんだかシミジミしてしまいます。ジョージ・マーティンが間奏で弾いているバロック風のピアノが、なんともノスタルジックでいいんだなあ。この間奏、演奏が難しかったために速度を落として録音し、元の速度で再生しているのですが、そのためにチェンバロのような音色になっています。

 1位 オー・ダーリン/Oh! Darling (McCartney) [収録アルバム・・・アビイ・ロード]
 ビートルズの曲の中でもぼくが大好きな曲です。オールディーズな雰囲気もする6/8のロッカ・バラードで、なんといってもポールのワイルドで、情感あふれるボーカルが素晴らしい。でもジョンはのちに、「これはぼくが歌った方が合う」と発言しています。じっさいジョンの本質はロックンローラーとも言えるので、そのスピリットと独特のアグレッシヴな歌声はたしかにこの曲にマッチしているような気がします。ジョンのヴァージョンがあれば絶対に聴いてみたいんですけどね。


 このほかにも「ゴールデン・スランバー~キャリー・ザット・ウェイト」、「ガール」、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」などなどがあったりして、とても選びきれません。
 そして、実際には順位付けなんてムリですね。好きな曲の「(例えば)A群」「B群」「C群」があるような感じです。
 また、シングルのB面にも「レヴォリューション」、「ドント・レット・ミー・ダウン」、「レイン」などなどの名曲がたくさんあったりして、ビートルズがいかに素晴らしいかを改めて思い知らされた気分になりました。




 

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真夜中のドア~Stay With Me

2019年07月28日 | 名曲

【Live Information】


 「ニュー・ミュージック」という言葉、あるいは音楽シーンにおけるカテゴリーが定着したのは1970年代半ば頃だと記憶しています。
 従来のフォークやロックから政治色・生活臭・メッセージ性・アンダーグラウンド感が薄まったものが「ニュー・ミュージックですが、歌詞やファッションなどの面では歌謡曲へ少し近づいた感もありました。
 それでも、自作(あるいはフォーク、ロック畑のコンポーザーへの依頼)曲を自分で演奏するスタイルが中心だったり、発言が比較的自己主張の強いものだったりと、歌謡曲畑のミュージシャンよりもオリジナリティやキャラクターがはっきりしていたので、「歌謡曲」と「ニュー・ミュージック」の間にはぼくなりの境界線がありました。
 そんな時期に、ニュー・ミュージック界の新星として現れたのが松原みきでした。


     


 1970年代中盤以降、ニュー・ミュージック系ミュージシャンが雨後の筍のように現れます。
 当時は、ざっと思い返すと、1976年に尾崎亜美、1977年に渡辺真知子、石黒ケイ、1978年に八神純子、竹内まりや、水越けいこ、越美晴、上田知華、杏里、1979年に門あさ美、須藤薫、石川優子、久保田早紀、1980年にEPOなど、きらびやかで多彩な面々がデビューし、日本のポピュラー音楽ッシーンを活気づけていました。
 松原みきのデビューは1979年。「日本を代表するジャズ・ピアニスト世良譲氏に見出された期待のシンガー」というコメントがメディアのあちこちで見られていました。


 「真夜中のドア」は、松原みきのデビュー曲です。洗練された都会的なサウンド作りが指向されています。
 おりしもロックとジャズの融合から生まれた「クロスオーヴァー」あるいは「フュージョン」、「ソフト&メロウ」「AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)」などの、いわゆる「オトナ」なロックなどが当時のポピュラー音楽シーンに広まっていて、その影響を大きく受けているように思います。


     
     松原みき『POCKET PARK』


 リチャード・ティーを思わせるエレクトリック・ピアノ。
 間奏の、なんとも都会的なサックス・ソロ。
 小気味のよい16ビートを刻むドラムやギターのカッティング。
 その16ビートにメリハリを付けてグルーヴしまくるベース。とくにエンディング前のギター・ソロを支えるエキサイティングなフレーズの数々には脱帽するしかない感じです。
 これらが当時の先端をゆくサウンドを創りあげています。いわゆる「シティ・ポップ」の王道ですね。


 「大人」というより、「大人になりかけている」感じがする松原みきの歌声は、その都会的サウンドによくマッチしています。
 明るさのあるボーカルなんですが、ぼくとしては、太陽の陽射しの明るさというよりも、夜の都会の街の明るさ、というイメージを抱いています。
 発音が明瞭で、よく歌詞が伝わってくるし、臆さず伸び伸び歌っているところも好きでしたね。
 
 
 エンディングのギター・ソロは、当時渡辺香津美と並んで新世代若手ギタリストの筆頭と目されていた松原正樹です。今剛(guitar)、斎藤ノブ(percussion)、そしてこの曲にも参加している林立夫らと「パラシュート」を組んでいたことでも知られている名手です。
 この松原氏のギターが、実に新鮮。伸びやかなトーン、流麗でドライヴするフレーズ、エキサイティングな流れ、ロックな豪快さとジャジーなフィーリング。どこを取ってもカッコよく、カセット・テープに録音したこの曲のエンディングだけを何度も繰り返し聴いたものです。


     


 「真夜中のドア」は、1980年にスマッシュ・ヒット。その年秋の学園祭には、早慶戦前夜祭も含め、早稲田大学学園祭など9つの学園祭に出演するなど、ちょっとした「学園祭の女王」でした。
 キュートな前歯と、シャープな視線がとってもチャーミングでしたね。


 1990年代以降はすっかり「松原みき」の名を聞くことがなくなり、時々「真夜中のドア」を聴いては懐かしく思っていました。
 あとで知ったのですが、当時は歌手活動を休止し、コンポーザーとして活動していたそうです。
 久しぶりに松原みきの名を目にしたのは、新聞の訃報欄でした。
 記事を目にして、寂しさのまじった残念な気持ちでいっぱいになったのを覚えています。


 2004年10月7日、松原みきさんはガンのため44歳の若さで亡くなりました。

 

[歌 詞]


◆真夜中のドア~Stay With Me
  ■歌
    松原みき
  ■シングル・リリース
    1979年11月5日
  ■作詞
    三浦徳子
  ■作曲・編曲
    林哲司
  ■録音メンバー
    松原正樹 (electric-guitar)
    ジェイク・H・コンセプション (sax)
    渋井博 (Keyboard)
    後藤次利 (bass)
    林立夫 (drums)
    穴井忠臣 (percussion)
  ■週間チャート最高位
    オリコン28位
  ■収録アルバム
    POCKET PARK (1980年)



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ヒア・カムズ・ザ・サン

2019年07月03日 | 名曲

【Live Information】


 ぼくの家には八兵衛(通称ハチくん)という名の柴犬がおります。
 一緒に暮らし始めてから9年が経とうとしています。
 ハチくんと一緒に散歩するのが、まあ趣味とは言わないまでも、日々の楽しみのひとつなんですが、陽射しに柔らかみが感じられ、梅の木に蕾がつき、なんとなく春が近づいてくるのが実感できるようになる頃の晴れた日の散歩中に思わず口づさんでしまう曲が、「ヒア・カムズ・ザ・サン」です。


 「ヒア・カムズ・ザ・サン」は、ビートルズの傑作アルバム「アビイ・ロード」B面の1曲目を飾っています。
 この曲のひとつ前のトラック、つまりアナログでいうとA面の最後は、ジョンの作った「アイ・ウォント・ユー」です。ヨーコへの想いをストレートに吐露した、ブルージーでヘビーでダークな曲です。
 アナログ時代は「アイ・ウォント・ユー」を聴き終えてからレコードをB面にひっくり返すのですが、その1曲目のイントロにまさに光を感じるようなアコースティック・ギターが聴こえてきた瞬間、どこか重苦しかった気分が暗雲が遠のくように一変したものでした。
 このコントラストがまた見事なんですね。


 歌詞の内容は、「長かった冬がようやく終わり、太陽がやって来た」というものです。タイトル、歌詞、曲調、これらがなんとも密接に親和しあっていますね。
 「長かった冬」は愛する女性との冷えた関係、「春の到来」はその女性に笑顔が戻って来たことを表しているのかもしれません。
 この曲はジョージ・ハリスンのペンによるものですが、作った時期は、1969年のまさに冬の終わりというか、早春だったそうです。気分転換しようと親友のエリック・クラプトンの家に遊びに行ったジョージが、その年初めての春らしい陽射しを感じているうちに自然に歌詞とメロディが浮かんできたのだそうです。



ビートルズ 『アビイ・ロード』


 イントロからの、アコースティック・ギターのアルペジオ。
 ジョージの柔らかいボーカル。
 リンゴの生み出す、軽やかなグルーブ。
 間奏部分のハンド・クラッピングが醸し出す明るさ。
 すべてが、「春」です。
 すべてが「新しい季節」の訪れを表しています。
 この曲で全編に流れるモーグ・シンセサイザーはジョージが弾いているのですが、「無機質な電子音楽」の側面を持つシンセサイザーの音色さえも、ナチュラルな陽射しをイメージさせてくれます。





 ビートルズ時代のジョージは「クワイエット・ビートル(物静かなビートル)」と言われていました。ジョン・レノンとポール・マッカートニーの存在の大きさや、バンド内で一番年下ということなどで、バンド内では目立たない存在とされていました。
 しかしソング・ライティング面では徐々に頭角を現し、いわゆる「後期」(1967年~)になると「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、「サムシング」、そして「ヒア・カムズ・ザ・サン」など数々の名曲を発表しています。
 「ヒア・カムズ・ザ・サン」は日本、ポルトガル、アンゴラでしかシングル・カット(しかもB面)されていませんが、「サムシング」はビルボードの週間チャートで見事1位を獲得しています。





 ジョージは2001年に58歳で亡くなりましたが、どこか素朴な味わいのする、ジョージならではの優しいメロディーはこれからも愛され続けるでしょう。



[歌 詞]

[大 意]
 陽が差し込んできた
 もう大丈夫だ

 可愛いひとよ
 長く、寒く、淋しい冬だった
 何年も太陽を忘れていたみたいだ
 陽が差し込んできた
 もう大丈夫だ

 可愛いひとよ
 みんなの顔に笑顔が戻ってきた
 何年も太陽を忘れていたような気がする
 陽が差し込んできた
 もう大丈夫だ

 太陽が、のぼってきた

 可愛いひとよ
 氷がゆっくり溶けているのを感じるよ
 何年も太陽を忘れていたような気がする
 もう大丈夫だ


◆ヒア・カムズ・ザ・サン/Here Comes The Sun
  ■歌・演奏
    ビートルズ/Beatles
  ■発表
    1969年
  ■作詞・作曲
    ジョージ・ハリスン/George Harrison
  ■プロデュース
    ジョージ・マーティン/George Martin
  ■収録アルバム
    アビイ・ロード/Abbey Road
  ■録音メンバー
    ジョージ・ハリスン/George Harrison (lead-vocal, backing-vocal, electric-acoustic-guitar, Harmonium, moog-synthesizer, handclap)
    ポール・マッカートニー/Paul McCartney (backing-vocal, bass, handclap)
    リンゴ・スター/Ringo Starr (drums, handclap) 



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ショットガン

2019年04月21日 | 名曲

【Live Information】


 「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(1954年)をロック・ミュージックの歴史の始まりとするなら、ロックの誕生からすでに60年以上経っていることになります。
 その中でも、1960年代後半から1970年代半ばくらいまでがより創造的でより革新的な空気に満ちていた時期だったのではないでしょうか。この頃がぼくの中でのロック界が燦然と煌めいていた黄金期なのです。
 多くのミュージシャンがさまざまな方向性やスタイルを模索、確立していったその当時、「ニュー・ロック」「アート・ロック」と呼ばれていたサブ・ジャンルがありました。代表的なミュージシャンとして、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、ディープ・パープル、ナイス、フランク・ザッパ、そしてヴァニラ・ファッジなどの名が挙げられます。


 1960年代後半当時のディープ・パープルとヴァニラ・ファッジは、曲におけるオルガンの比重が大きいこと、積極的にクラシカルな要素も取り入れていること、やや陰のあるサウンドを持っていること、など共通点も多いです。そのため、アート・ロックの旗手と見なされている部分もあったようです。


 ヴァニラ・ファッジは、1967年にファースト・アルバム「ヴァニラ・ファッジ」とデビュー・シングル「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」をともに全米6位に送り込み、順風満帆なスタートを切りました。
 とくに豪快で重量感のあるティム・ボガート(bass)とカーマイン・アピス(drums)のリズム・セクションは一躍注目を集めるようになりました。
 アート・ロックの旗手として評判を高めていったヴァニラ・ファッジが翌1968年に第4弾シングルとしてリリースしたのが「ショットガン」です。





 「ショットガン」は、ジュニア・ウォーカー&オール・スターズが1965年に全米(ビルボード)3位に送り込んだ大ヒット曲です。
 「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」はシュープリームスのカヴァーですし、ヴァニラ・ファッジはR&Bからも多くの影響を受けていたのかもしれませんね。 
 

 イントロから重量感たっぷりのドラムが炸裂します。
 オルガンとギターがサイケデリックで緊迫した空気を醸し出しています。
 リード・ヴォーカルはオルガンのマーク・スタイン。ソウルフルな声質が曲によくマッチしています。
 ヴィンス・マーテル(ギター)とマーク・スタイン(オルガン)のソロが、ヘヴィーでやや陰鬱な曲調を高めてゆきます。


 そしてカーマイン・アピスのソロ。
 ずっしりしたグルーヴ、独特の音色、ワイルドで血がたぎるようなフレーズ、どこを取ってもカーマインそのものの豪快なドラミングです。
 この当時としては、存在感の大きさではジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)と双璧をなしていたのではないでしょうか。
 続くティム・ボガートのウェットでソウルフルなソロのシブいこと。
 エンディング前のコーラス・ワークは、「アート・ロックたるヴァニラ・ファッジの本領発揮」といったところでしょうか。





 ジュニア・ウォーカー・ヴァージョンの「熱さ」を受け継ぎながら、ブリティッシュ・ロックならではのダークな雰囲気と、ヘヴィーなサウンドを加味したヴァニラ・ファッジの「ショットガン」は、のちに全盛をきわめることになるハード・ロック・シーンに大きな影響を与えた、ロック界の重要なマイルストーンではないかと思うのです。


 ティム・ボガートとカーマイン・アピスのふたりは、ヴァニラ・ファッジ脱退後はともにカクタスやベック・ボガート&アピスに加わり、1970年代屈指の強力なリズム・セクションとしてブリティッシュ・ロック界に君臨しました。



[歌 詞]
[大 意]
ショットガンだ
ぶっ放せ
ターンしろ、ベイビー 今すぐに
X線を装備してダンスしに行くんだ
今すぐショットガンを買うんだ
壊せ、装填してぶっ放せ、ベイビー

翔べ、ベイビー
翔ぶんだ、ベイビー



ショットガン/Shotgun
  ■歌・演奏
    ヴァニラ・ファッジ/Vanilla Fudge
  ■シングル・リリース
    1968年
  ■作詞・作曲
    オートリー・デウォルト/Autry DeWalt
  ■プロデュース
    ヴァニラ・ファッジ/Vanilla Fudge
  ■録音メンバー
   ☆ヴァニラ・ファッジ/Vanilla Fudge
    ヴィンス・マーテル/Vince Martell (guitar, vocal)
    マーク・スタイン/Mark Stein (keyboards, vocal)
    ティム・ボガート/Tim Bogert (bass, vocal)
    カーマイン・アピス/Carmine Appice (drums, vocal) 
  ■チャート最高位
    1968年週間チャート  アメリカ(ビルボード)68位
  ■収録アルバム
    ニア・ザ・ビギニング/Near the Beginning (1969年)



ヴァニラ・ファッジ『ショットガン』

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サンキュー(Thank You)

2019年04月14日 | 名曲

【Live Information】

 レッド・ツェッペリン。
 言うまでもなくロック史上に残るバンドであり、語り継がれるであろう存在です。
 「ハード・ロックの雄」として有名ですが、単に大音量でハード・ロックを演奏するだけのバンドではありません。このことについては、いまでは大多数のロック・ファンの共通認識となっていると思います。
 彼らの音楽のベースになっているのがブルースであるのはもちろんですが、サイケデリックな一面を持っていたり、大胆に新たな要素を取り込んでみようとする進取性も見受けられます。そして、特筆されるのは、トラッド・フォークから強い影響を受けていることです。


 アコースティックな響きを持つツェッペリンの曲といえば、まず「天国への階段」があげられるでしょう。
 ぼくがそれ以上に好きなのが「サンキュー」です。





 アコースティック・ギターのカッティングと、グルーヴィーなファンク調のリズムが優しくも心地良いのです。
 ジョン・ポール・ジョーンズの奏でるオルガンは気品があり、どこか安らぎをもたらしてくれる感じがあります。
 ジョン・ボーナムのドラムは、こういうバラードでも変わりはないですね。
 ズシリと重量感がありながらも、リズムは決してもたることはありませんし、音色には「ボンゾ(=ジョン・ボーナム)そのもの」の独特なカラーがあるのです。





 もともとツェッペリンはシングル・レコードをほとんどリリースしないバンドで、この曲もシングル・カットはされていません。
 しかし、名盤「Ⅱ」の中にあって、淡いながらもしっかりとした輝きを放っているのです。
 派手ではありませんが、はっきりした個性を持っているので、アルバムの曲の配置が「引き締まって」いるように思えるんです。
 LPレコードではヘヴィなブルースの「レモン・ソング」の次に位置されていて、そのアコースティックな落ち着いた曲調でA面を締めくくるにこれ以上ない雰囲気を醸し出しています。また逆に、次にかかるB面1曲目のハード・ロック・ナンバー「ハートブレイカー」のメタリックな要素を際立たせている感じもしますね。



 

 この曲は、ロバート・プラントが本格的に作詞した初めての曲です。
 当時の夫人に捧げられた、情熱的なラヴ・ソングだということです。
 


[歌 詞]

[大 意]
もしも太陽が輝くのを拒んでも
私はまだあなたを愛しているだろう
山々が海へ崩れる時
あなたと私はそこにまだいるだろう

優しい女よ、私はあなたに私の全てを捧げよう
優しい女よ、それ以上何もない

雨の小さなしずくは痛みのささやき
愛の涙は失った過ぎ去りし日
私の愛は強く、あなたと共にいることは間違ってはいない
私たちは死ぬまで一緒に行こう
私のひらめきはあなたが私へ向けているもの
ひらめきを見ておくれ

そして今日、私の世界は微笑む
あなたの手は私の中にあり、私たちは何マイルも歩く
私にとってあなたが唯一のものであることを感謝している
ハピネス、もう悲しいことはない
ハピネス、私は嬉しい




サンキュー/Thank You
  ■歌・演奏
    レッド・ツェッペリン/Led Zeppelin
  ■発 表
    1969年10月
  ■収録アルバム
    レッド・ツェッペリン Ⅱ/Led Zeppelin Ⅱ (1969年)
  ■作詞・作曲
    ジミー・ペイジ、ロバート・プラント/Jimmy Page, Robert Plant
  ■プロデュース
    ジミー・ペイジ/Jimmy Page
  ■録音メンバー
   ☆レッド・ツェッペリン/Led Zeppelin
    ロバート・プラント/Robert Plant (lead-vocal)
    ジミー・ペイジ/Jimmy Page (12string-acoustic-guitar, electric-guitar, backing-vocal)
    ジョン・ポール・ジョーンズ/John Paul Jones (bass, organ, backing-vocal)
    ジョン・ボーナム/John Bonham (drums, backing-vocal)


レッド・ツェッペリン『サンキュー』


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ムーンライト・サーファー

2019年04月02日 | 名曲

【Live Information】


 なんとなく、なんとな~く「ムーンライト・サーファー」を聴いてみたくなりました。
 歌っているのは石川セリ。
 1979年にシングル・カットされています。


 石川セリといえば、あの井上陽水夫人にして、シンガーの依布サラサの母です。
 石川セリはポップス系のシンガーで、1970年代後半から人気を得るようになりました。
 1977年に発表した陽水作の「ダンスうまく踊れない」が知られていますが、これは1982年に高樹澪のカバー・ヴァージョンが大ヒット、オリコン・チャートの3位にまで上昇しました。
 そのほかにも荒井由実や南佳孝らから曲の提供を受けていますが、ぼくが一番好きな彼女の曲は、なんといっても「ムーンライト・サーファー」です。


     


 もともとは1977年に発表したサード・アルバム「気まぐれ」に収録されていたものですが、2年後にシングル・カットされました。
 作詞作曲は中村治雄。
 「中村治雄」といってもピンと来ないかもしれませんが、反骨のロッカーとして知られる「PANTA」の本名だと言えば、うなずいたり驚いたりと様々な反応があるのではないでしょうか。
 過激なパフォーマンスで知られた頭脳警察を率いていたPANTAとは思えないような作風ですが、どこか胸に染み入るようなセンチメンタリズムが漂っていて、そこを避けては聴けないような気がしていたんです。


 曲は三部構成になっています。
 キーボードによるアルペジオに導かれて曲が始まります。
 バックに流れる波の音のSE。
 ボサノバの雰囲気も感じられるシンプルなバラードで歌が始まります。
 ボリューム・コントロールを活かしたギターのオブリガードと、抑え気味のシンセサイザーによるバッキングにとてもそそられます。
 

 ミドルはレゲエ風。ベースの太い音色がたくましくうねっていますが、時おり遠吠えするかのような高音でのフィル・インに気持ちを高揚させられますね。
 そしてサビは軽快なロックン・ロール。サーフ・ロックそのものの明るいノリで、いわゆる「テケテケ・サウンド」的なギターは潮風と白い波を感じさせてくれるんです。
 だけどどこか哀愁が漂っているんです。


 歌詞を読むと、思い浮かぶのは海辺でデートを重ねているふたりの姿です。
 ボードから落ちた彼を見て、はしゃぎ、明るく笑う彼女。
 そんな彼女を笑顔で優しくこづく彼。
 歌詞の中の彼女は、失恋して、楽しかった日と海辺の記憶に浸っているのでしょうか。


 でも詞を読んでいるうちに、そうではないことが分かってきます。
 「星をさがすの あなたの星を」
 彼は、決して戻ってくることのできない遠くに行ってしまったんですね。
 わずか14字で詞の風景をガラリと変えてしまうこの表現が大好きです。
 そして彼女は、涙で彼を悼むかわりに、夜の海で波に乗るのです。
 きっと彼がそうしていたように、笑顔で。


 ポップで温もりのあるメロディですが、月の光が映える静かな海を思わせるようなアレンジからはなんともいえない哀愁が漂ってきます。
 彼女は砂浜に座り、暗い海を、いやそのもっと遠くを、かすかに微笑みながら見つめているのでしょう。


 どちらかといえばマイナーな存在の曲、知る人ぞ知る曲、と言った方がいいのかもしれません。
 でも石川セリの、感情を胸の奥にしまい込んだようなボーカルがこの曲の良さを引き出しているようにも思うのです。


     



[歌 詞]


ムーンライト・サーファー
  ■歌
    石川セリ
  ■発表
    1977年
  ■作詞・作曲
    中村治雄
  ■編曲・プロデュース
    矢野誠
  ■シングル・リリース
    1979年7月
  ■収録アルバム
    気まぐれ(1977年)


石川セリ『ムーンライト・サーファー』


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