【Live Information】
10月26日は、およそ2ヵ月半ぶりの西宮。
関西のあちこちで活躍中の藤井那穂子(sax)さん、関西の大御所ドラマー田中ヒロシさんとのトリオでライブです。
場所は「スリーコーズ」。
廣田神社はここから徒歩約15分。
今回もお参りしてきました。
いわば「今夜は西宮にお邪魔します」という挨拶のつもりです。
こんな空です。ピンクの雲がたなびいています。
鳥居の前に着きました。なんて美しい空でしょう。
10月下旬ともなると、17時半には薄暗くなります。
静かで、広い境内。
だれもいません。
参拝し終えると、いれちがいに子どもをふたり連れた30代くらいのご夫婦がお参りに来ました。
心なしか幸せそうに見えます。
18時すぎはもう暗くなっています。
真ん丸な月がきれいでした。満月は3日後の29日のようです。
参拝の正しい方法をちゃんと覚えておかないといけないな~
店に戻りました。1時間後くらいには本番です。
前回、8月に来たときはびっくりするような偶然がありました。
今回も何か起きるかな、とちょっと期待してたんですが、とくに何もなかったですね
と思っていたんですが、
廣田神社に向かう途中に見たピンクとオレンジの鮮やかな雲、あれは彩雲というんだそうです。
彩雲は吉兆で、神社に歓迎されているしるしなんだそうです。
うれし
ありがたいことです。
いろいろ頑張れてしまうな~
【Live Information】
牛窓海岸は、うちから車で1時間少々。
平日、あまりひと気がない時にあっちやこっちに行ってみよう。
やや薄曇り。
海辺にいる人は、数人。
きょうはここを自分ちの庭だと思おう
続いて牛窓神社への石段を上る。その数364段
牛窓神社が創建されたのは、平安時代の長和年間(1012年~1016年)だということです。
「牛窓八幡宮」とも称されています。
海へ向かって下りて行きます。
駐車場沿いに歩いて行くと、招魂社があります。戦争で亡くなった方々が祀られているようです。
手を合わせます。
岩場を通り抜けると、ほんとうにだれもいない海辺でのんびり過ごせました。
ぜいたくな時間でした。
【牛 窓 海 岸】
2023年4月21日(金)
【Live Information】
少しばかり早く起きた土曜の朝。
天気もいいし、空気も澄んでいるし、なんだか少しばかり散歩したくなりました。
向かった先が、曹源寺です。
うちから徒歩約20分、距離にして1.5kmくらいです。
曹源寺は、備前国第一と言われる禅寺で、岡山市中区円山にあります。
備前岡山藩主池田家の菩提寺で、津田永忠によって1698年に造営されました。
津田永忠と初代住持職の絶外和尚によって造られた庭園。
「池泉回遊式庭園」です。
名物の枝垂れ桜につぼみが付き始めていました。
参道
曹源寺山門(三門)
梅は満開です。
2023年3月11日(土)
【Live Information】
4月1日の土曜日は、昨日退職したはずの職場で残務処理。
4月2日の日曜日は、お世話になったところへ顔を出したり、用事を済ませたりですぐ一日が終わり。
4月3日は月曜日。
本格的に新年度が始まります。
となると、のんびりしてはいられない。
神さまのところに今までのお礼と挨拶をしに行こうと決めました。
操山(みさおやま)ではときどき山歩きをしていたのですが、その山の中にあるのが、岡辛木(おかからき)神社です。
普段は神主さんもおられない、こじんまりとした神社です。
3日朝は6時すぎに起きました。
朝日の眩しい、気持ちの良い天気です。
神社に着いたのは、6時40分ごろ。
まったくひと気はありません。
そこには朝日のエネルギーと静寂のコンビネーションがあるのみです。
自分の足音以外何も聞こえません。
神さまには無事退職できたことにお礼を申し上げ、またこれからの新しい生活を迎えるにあたり、改めて挨拶を申し上げました。
自分から神社にお参りしてお礼を申し上げるなんて殊勝なことを、まさか自分がするようになるなんてねえ。。。
20年前、いや10年前の自分には考えられなかったことですよ。
それにしても、ここはこんなに桜の木が多かったんだなあ。
ご利益を期待して来たわけではないけれど、予想だにしなかったこの満開の桜と青空の美しいコラボレーションを思う存分見ることができたのがご利益、とも言えるんじゃないかな。
これからは、自分のやりたいことだけやっていきます。
その自分のやりたいことで、少しでも世の中に恩返ししていきたいです。
【Live Information】
いろいろ事情があって、今年の2月に引っ越しました。
この曹源寺周辺はワンコとのお気に入り散歩コース、いやそれ以上に風情のある景色や佇まいが大好きなところだったんですが、
引っ越ししてからここに来るのは初めてです。
とは言え、以前の住まいからは南西に1.5キロほど移っただけなので、このあたりが遠くになったわけではありません。
単純にタイミングの問題かな。
曹源寺庭園 曹源池
秋から冬への季節のはざまと、建立以来300年以上の時の流れが溶け合っている様の、なんとも言えない空気。
ありのままなのが一番美しい、ということをしみじみ感じます。
久々の曹源寺をあとにしてからは、これまた久しぶりの芥子山(けしごやま)へ。
馬鹿は高いところが好き、などと言いますが、高いところが好きな人が馬鹿なのかと言うと、必ずしもそうではないのです
山頂から見る秋と冬の狭間の夕日。
こんな色に染まるのはこの時期にしか見られないと思うと、今日のこの一日の有難みが5割増しです
【Live Information】
毎年3月下旬から5月上旬にかけての、いわゆる「年度末、年度始め」は、ぼくが一年間で最も忙しい時期です。
夜遅く家に帰って、ハチくんを散歩に連れて行って、ご飯を食べて(作る時間もないのでほぼスーパーの弁当と総菜)、風呂へ入って、1分でも多く疲れを取ろうとヨタヨタふとんに潜り込む。
そうしないと翌日は眠くてもたないのです。
楽器の練習の時間なんてありません。
気づけばベースもどんどんヘタになっている気がします。
仕事中も、トイレと事務連絡で席を離れる以外は、ずっとデスクにへばりつき。
ものの例えではなくて、メールや電話する時間すらないくらい切羽詰まっているのです。
土日も仕事へ行って、できることから片付けていかないと、まわりまわって自分のクビが締まってしまう。
それでもさすがに土日のどちらかは、昼過ぎか夕方前には切り上げますけれども。
本当にクタクタなっちゃいますから。
でも、クタクタになっても休んで寝込むわけにはいかないのです。
それでも今年は、休み前日の4月28日にようやく仕事の進み具合がひと段落しました。
やっと休める❣
連休の天気は、予報だと雨マークや雲マーク続きだったし、押し寄せて来た仕事の数々の締め切りのプレッシャーのせいで気分的にとても疲れていたので、今年のゴールデンウィークは引きこもって楽しく過ごそう、と決めていました。
ところが、案に相違して天気のいい日が続くではないですか。
春爛漫の明るい陽射しを感じていると、やっぱりどこかに行きたくなってしまうんですね。
なるほど、「日光を浴びることでセロトニンが分泌され、鬱状態が改善される」という日光と精神状態の関係はこういうことなんだなあ。
というわけで、一日はひとりでどこかに行こう、と決めました。
さて、どこへ行こう。
ひとがいなくて、
明るくて、
静かで、
景色がよくて、
清々しいところ、ないかなあ。。。
この人出の多い連休中に、そんなところあるだろうか。うーん。。。
と考えていた時にひらめいたのが、熊山遺跡です。
岡山県赤磐市にある熊山は、標高508m。
県南で一番高い山です。
その山頂には石を積み重ねて作られた、「熊山遺跡」があるのです。
同じ県南に住みながら、まだ熊山方面には行ったことがありませんし。
そうと決めたらさっそく出発です!
時は5月5日、出発は午前10時過ぎ。
陽射しは明るく、暑くもなく、爽やかなこどもの日です。
県道96号線から熊山橋を渡ります。
そのまま県道395線を吉井川沿いに東へ進み、右方向へ土手を降ります。
そのまま奥吉原の集落の中を走ると、熊山へ向かって上り坂になります。
山中の道は、舗装しているとはいえ、道幅はほぼ車幅。
木漏れ日が眩しくて、路肩がよく見えなかったりします。
こういう道を運転するのは好きなんですが、さすがにヒヤヒヤです。
途中、車を停めて少し歩いて上ってみました。
静かです。
ときおり山歩きの人に出会うくらい。
山頂には駐車場がありました。
みたところ20~30台は停められそうです。
着いた時に停まっていたのは10台くらいだったでしょうか。
思ったより少なくて、ちょっと安心しました。
静かな山の中では静かに過ごしたいなあ、という願いがあったものですから。
熊山遺跡に向かう途中には熊山神社がありました。
さっそく、きょうはこの地にお邪魔してます、と神さまに挨拶しました。
境内の中には、1336年(建武3年)に南朝の忠臣と讃えられている児島高徳が挙兵した時の、腰掛岩と旗立岩がありました。
山歩きの人もちらほら。
山の中では、自然な感じで「こんにちは」と声をかけてくださる方が多くて、さらに気持ちが潤った気がしました。
もちろんぼくからも「こんにちは」しましたよ
熊山神社から熊山遺跡に向けて歩いている途中に、天然記念物の「熊山天然杉二本」がありました。
樹高38メートル、幹の直径1.5メートル、幹の周囲4.5メートル、樹齢は約1000年だそうです。
熊山遺跡。
石積みの遺構で、全国にも例を見ないものだそうです。
構築されたのは奈良時代前期で、三段の石積の仏塔と考えられているそうです。
1200年以上もこの静かな山の中にひっそり佇んでいるんですね。
とてもミステリアスな遺跡です。
熊山展望台から南(吉井川、長船町方面)が眺められます。
帰路は、上ってきた道ではなく、南方面へ下ることにしました。
すると「大滝山郷土自然保護地域」(備前市大内)に行き当たりました。
車を停めてあたりを歩いてみました。
この福生寺は8世紀半ばに開山されたものです。
少し離れた上の方に見える三重塔は、足利義政の再興によるものだそうです。
山を下り終えると、備前市の香登駅の少し東へ出ました。
すぐに国道2号線に乗ることができたので、あとは慣れた道をのんびり帰りました。
帰宅したのが15時前。
ハチくんはお昼寝しながら留守番してくれてました。
【Live Information】
毎年10月下旬は、吉備中央町への出張があります。
今年は11月1日でした。
出張自体は半日で終わります。
そのあと、必ずこの鳴滝ダムへ寄って、のんびり景色を見るのが恒例です。
ひと気のない静かな場所で、気の向くまま鳴滝湖の周りを歩きます。
楽しくてしかたありません。
【鳴滝 (2020.11.14)】
いつ来ても、人っ子ひとりいません。(平日昼間ですからね)
ここへ来る日は、不思議と必ず晴れるのです。
ダムを見下ろしてみます。なんだろう、この別世界への入り口のような不思議な雰囲気は。
向こうには吉備高原の山々がみえます。
もう少ししたら、きれいに紅葉した景色が見られるんだろうなあ。出張が11月半ばくらいにならないものか。
静かに水を湛えている鳴滝湖の水面が好きです。
鳴滝ダムから遊歩道の方へ入ってみました。
奥へ分け入ってみると、せせらぎが聞こえてきます。
その音を頼りに、急勾配の、道とは言えないような細い道をどんどん深く入ってみます。
すると、川の最上流らしきせせらぎに出合いました。
ここを下って行くと、鳴滝に出るのでしょう。
「川のはじまり」を見るのは、生まれたはじめてかもしれません。
気分がかなり高まりました。
なんにせよ、スーツ着たまま行くところじゃなかった。
スーツ着たままこんな山の中を歩く人って、警察かなにかに追われているようにしか見えないでしょうね。
【Live Information】
2月12日は高梁~成羽町吹屋の空気をたくさん味わいました。
気持ちが穏やかになるような、どこか懐かしさのある景色でした。
そんな気持ちを反芻していると、帰り道にちょっと寄り道をすれば吉備路にも行けることを、ふと思い出したんです。
俗に言う吉備路とは、岡山市北西部から総社市~倉敷市にかけてのエリアで、かつては古代吉備国の中心地だったところです。
帰りに目指したのは、その吉備路のシンボルとも言える、備中国分寺の五重塔です。
この五重塔、もとは七重塔として奈良時代に建てられたのですが、南北朝時代に焼失しました。
数百年の時を経た1821年に再建が開始され、弘化年間(1844~1847)に完成しました。
高さ34.315メートルの、岡山県唯一の五重塔です。
沈みゆく夕日と五重塔の共演。素朴なんだけど、どこか厳かです。
素朴な田園風景は何百年も前からこのままだったのだと思うと、ちょっとした感動を覚えます。
夕日がちょうど山間に沈むところが見られました。暮れゆく冬のわずかなひとときと、これから姿を現すであろう夜のしじまとの交錯です。
今昔物語や宇治拾遺物語などの頃はこうだったのかも、と想像してしまいます。
駐車場へ戻りながら振り返ってみると。
【Live Information】
2月7日の日曜に高梁へ行ったばかりなのに、5日後の12日の金曜にまたもや高梁方面へ。
今度の行先は、高梁市成羽町吹屋です。
吹屋には「吹屋銅山」があり、江戸時代中頃から鉱山町としてたいへん賑わいました。
幕末から明治時代にかけては、日本唯一のベンガラ(酸化第二鉄)の産地として非常に栄えたそうです。
現在「吹屋ふるさと村」として保存されているのが、この吹屋集落なのです。
ベンガラは「弁柄」とも書きますが、もともとはオランダ語(Bengala)なんですね。
赤色顔料や研磨剤として重宝されました。
語源は「ベンガル」。インドのベンガル地方で生産されていたということです。
吹屋の街並み。
吹屋ふるさと村に入ると、通りの右側にあるのが「ギャラリーみのや」。
古いグランドピアノと、懐かしい足踏みオルガンがあります。
自由に弾くことができるというので、何を弾こうか考えたすえ、「アメイジング・グレース」を弾いてみました。
ベンガラを使ったコーヒーカップ。ベンガラ色は吹屋のイメージそのものです。
吹屋の町並みのはずれにある「本山山神社」。「もとやま さんじんじゃ」と読むんだそうです。
吹屋の氏神様で、1770年ころに銅山で働く人たちのために創建されたといいます。
神社の境内から見おろす吹屋の町並み。
大きな老木。なんの木なんでしょう。
ずっとこの神社と吹屋を見守ってきたんですね。
吹屋を出てからは、高梁のループ橋へ行ってみました。画面右の山に備中松山城が見えます。
天気が良く、しかも2月中旬なのにあまり寒くない、いい日でした。
【Live Information】
ぼくは、協調性はない方かもしれません。
そのうえ気分で動くたちです。
いや、学校で教わる「協調性があるのが良いことで、ないのは良くないこと」という価値観にどうしても馴染めないだけかもしれないです。(人に全く協力しないとか、和を乱すのが好き、ということではないです。
だから単独行動するのが楽チンだし、ひとりでいることが好きなのです。
そんなわけで、日曜日(2月7日)に目が覚めた時に思い立って、衝動的に高梁市へ向かったのです。
なんとなく日ごろの疲労感が残っている感じだったけれど、だらだらと夕方を迎えてしまったら後悔するような気がしたんですね。
【高梁市成羽美術館】
まずは成羽美術館へ。
"ユンちゃん"こと李侖京さんの個展「小舟によせる唄」が見たかったんです。なにしろ2月7日は最終日だったものですから。
行ってみると、成羽生まれの洋画家児島虎次郎氏の作品展も開かれていました。
この両氏の作品を観ただけでも高梁へ来た甲斐があったというものです。
ユンちゃんの作品といえば、赤色。
赤の素敵さがくっきりと浮き彫りにされているように感じました。そこだけいわば「別世界」でした。
児島虎次郎は、単純に画集が欲しくてたまりません。
【郷土資料館】
美術館を後にして、あらためて高梁の町に入ります。
最初に入ってみたのは、郷土資料館です。
ここは、もとは1904年に建てられた高梁尋常高等小学校です。
農機具、古い看板、伯備線備中高梁駅の表示、古いおもちゃ、道具類、生活用品、戦争関連のものなどが所狭しと展示されていて、目移りして仕方なかったです。
見ているだけでワクワクです。
その中でもやはり音楽に関係のあるステレオ、ラジオ、楽器類からは目が離せませんでした。
そうそう、ぼくが小学校へあがったころは、各教室に足踏みオルガンがあったなあ。
郷土資料館
ステレオ、蓄音機。
左はレコードケース。真ん中は昭和初期のラジオスピーカー。右のラジオは東芝製。
戦時中に使われたもの。鉄兜、ゲートル、ガスマスク、消化弾、慰問袋などなど。
教室の机はこんなだったのですね。
授業の始まりや終わりを知らせる振鈴(上)、授業で使われていた地球儀と卓上オルガン(下)
昭和期のオルガン。
【山田方谷記念館】
続いて入ってみたのが、山田方谷記念館。
郷土資料館のとなりです。
備中松山藩の財政を再建したことで有名な山田方谷は、幕末の儒家、陽明学者です。
藩校「有終館」や家塾「牛麓舎」「長瀬塾」「小阪部塾」などで多くの人材を育てたことでも知られています。
「至誠惻怛」(しせいそくだつ=誠意を尽くし人を思いやる心)、「士民撫育」(しみんぶいく=すべては藩士と領民のために)の精神を貫き、「備中聖人」と謳われました。
受付をしてくださった方が「わたし、方谷の子孫なんです(^^)」と自己紹介してくださって、ちょっとビックリでした。
山田方谷画像
方谷直筆の漢詩(上)と遺訓(下)
方谷の揮毫
【基督教会堂】
1889年(明治22年)に建てられました。現存する岡山県下最古の教会堂です。
高梁でのキリスト教布教活動が始まったのは1879年(明治12年)。翌1880年(明治13年)に新島襄(同志社英学校創設者)が伝道のため高梁を訪れたのを機会に、キリスト教は急速に広まったといいます。
【頼久寺】
臨済宗永源寺派の寺院です。
創建年は不詳ですが、1339年に足利尊氏によって再興されました。
境内は、2代目備中国代官で備中松山城主の小堀遠州によって造られた蓬莱式枯山水庭園で、1974年に国の名勝に指定されました。
頼久寺を出て寺町の方へ行こうとすると、高校生らしきカップルが歩いていました。
日曜なのに制服です。
部活帰りなのかな。
楽しそうにおしゃべりしながら並んで歩いています。
手をつないで。
手を!
青春だなあ・・・。
あ~ぼくはもうおじさんなのに胸がキュンキュンしちゃったよ
寺町を南に歩いてゆくと、、、
夜、不意にこんなのを見かけたら腰を抜かすかも。
ちなみにマネキンの向かいは墓地です。
【薬師院】
高梁の町って、お寺が建ち並んでいるんですね。
こんなにたくさんあるなんて知らなかった。
そのなかでお目当ては、薬師院。
1983年に公開された「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」(第32作)のロケが行われたところです。
劇中での名称は「蓮台寺」です。
このお寺で、寅さんは竹下景子さん演じる朋子に出会うんですね。
この第32作は、倉敷市が誇る名優、長門勇さんが岡山弁丸出しで存在感を示していますし、寅さんが朋子に、家を飛び出してフーテンになったいきさつを聞かせる抱腹絶倒ものの名場面があったりして、好きな作品なのです。
薬師院庭園。寅さんがここを掃くシーンがあります。
薬師院から臨む高梁の町。
寅さんが、住職(松村達雄)とその娘朋子に出会うのがこの石段です。
薬師院のあとは、南隣にある松連寺に行ってみました。
ここも石段を上がった小高いところにあるお寺で、なんともほどよくいい眺めです。
高梁は、山と川に囲まれた小さな町です。
郷愁をさそう風景です。
そういう「閉じられた」地理条件は日本では珍しくなく、だからこそ良くもわるくも地域独自の風土が育ったと言えるのでしょう。
町なかにはきれいな建物がある一方、少し離れたところまで歩けば時間に取り残されたような、なんともいえず懐かしさを感じるところも多かったです。
線路はJR伯備線。
まだ単線なのがこれまたのどかでいいんだなあ。
【Live Information】
年に一度、10月の下旬に、用事で吉備中央町というところへ行きます。
吉備高原にある静かな町で、景色のとてもいいところです。
用事が済むと、帰り道にある鳴滝ダム、そして鳴滝森林公園に寄って、あたりをぶらぶら歩くのが楽しみなのです。
昨年は来ることができなかったから、今回は2年ぶりでした。
いつもならここで夕陽を眺めてから帰るのですが、今回は真昼に用事が終わったので、近くのお店で買ったお弁当がわりのサンドイッチを持って、鳴滝へ行きました。
まったくひと気のない、秋晴れの静かな午後。
昼の、明るい鳴滝も素敵です。
美しい景色を眺め、きれいな空気で呼吸していると、自然に気持ちが穏やかになるものですね。
👇鳴滝ダム
👇鳴滝森林公園
倉敷での演奏前にはあちこち散歩するのが習慣でもあり、楽しみでもあります。
美観地区に接している鶴形山は、こどものころよく遊んだ思い出深いところなのです。
観龍寺の鐘つき堂
三日月がひとあし先に夜の訪れを告げる
鶴形山から見おろす倉敷市内
鶴形山の上にある阿智神社
ひと気のない阿智神社で祈願する若いふたり。何を祈っているかを詮索するのは野暮ってもんです。(^^)
暮れなずむ阿智神社
鶴形山をおり、演奏の場所へ向かう。途中で買うこのたい焼がなんとも旨いのです。
8月4日は、「山下洋輔×福盛進也」のライブを聴きに大阪へ行ったのですが、午後は大阪市内をブラブラしてみるつもりだったので、午前中には家を出ました。
13時には大阪駅へ着き、そこからなんとなく西梅田へ向かいます。
快晴の真夏、気温は35℃はあったんじゃないかな。
熱中症にならないよう、コンビニで水を買い、なるべく日陰を歩きます。
まずは四つ橋筋を南へ下り、中之島を目指します。
渡辺橋を渡って右へ折れます。中之島のビル街を通り抜けます。
なんとなく見覚えがあるな~、と思ったら、何年前だったか京阪渡辺橋駅で演奏したことがあって、そのとき車をこの近くに停め、楽器や機材をたくさん抱えてこのあたりを歩いたんだった。
中之島のビル街
そしてお目当ての国立国際美術館へ。
「ジャコメッティとⅠ」と「抽象世界」のふたつのイベントがありました。
「抽象世界」展は、美術系の学生でしょうか、若者がけっこう来ていて、熱心にメモをとっていました。
「ジャコメッティとⅠ」展では、ジャコメッティのほか、思いがけず藤田嗣治、カンディンスキー、ピカソなども見ることができました。
とても広い美術館でした。涼をとると同時に、ゆっくり展示物を観てまわりました。
そしてまた渡辺橋方面へ戻ります。
土佐堀川の土手に上がってみると、暑さを避けて休んでいるハトが。
大阪フェスティバル・ホール。
8年前の9月に大阪フェスティバル・ホールに出演させていただいた時には、当日になっても譜面をこなしきれてなくて、早めに来て川辺で猛練習という名の「最後のワルあがき」をしたのを思い出しました。
そのころとは川辺の景色が変わっていました。
そして中之島フェスティバル・タワー・ウエストに上ってみました。
やっぱり見晴らしのいいところから景色を眺めてみたいですからね。
ひとしきり景色を眺めたあとは、いったん宿にチェック・イン。
そして夜は、西天満「いんたーぷれい8」で「山下洋輔×福盛進也」ライブを堪能したわけです。
夕方4時くらいから解放されるので、せっかくなら神戸方面へジャズ・ライブを聴きに行ってみようか、と思い立ちました。
少し迷ったすえに、西宮の「ピアノ・クラブ」へ行ってみることに。
この夜の出演者は、みね栄二郎(sax)さん、三原和子(piano)さん、三原脩(bass)さん、和田秀樹(drums)さん。
店主でピアニストの岩崎恵子さんは、今夜はほかのお店で演奏でしたが、21時くらいには戻ってきてくださったので、ひさしぶりにお顔を見ることができました。
2セット目に、サックスのみねさんとベースの三原さんが呼びこんでくださったので、ほぼ1セット弾かせていただきました。
ピアノの三原さんは初対面でした。硬派なバップ・ピアニストですが、ステージを下りるとホンワカとしたとても素敵な方です。
ドラムの和田くんとは8月以来。「Wヒデキ」でリズム・セクションを引っ張りましたよ(^^)
それにしても嬉しいやら、有り難いやら、楽しいやら。
ちなみにベースの三原さんは、どうやらカメラマン役をしたかったみたいです(^^;)