【Live Information】
12月29日(金)は山口県下関市に行ってまいりました。
Band Wagonというライブ・ハウスで、大阪のミュージシャンで仲良しの永野貴子ちゃんがライブをするというので、覗きに行ったんです。
年末も押し迫ってきたので渋滞が心配でしたが、行きは全く問題なく、昼過ぎには下関に入りました。
時間の許すかぎり、市内を歩いてみたかったので、さっそく行動開始です。
下関は、源平合戦、幕末~明治維新、乃木希典など、「歴史を感じる街」というイメージがあります。
また金子みすゞ、田中絹代、藤原義江、古川薫などゆかりの深い芸術家たちを輩出した街でもあります。
港町は気性が荒っぽいけれど、海外からの文化の窓口にもなりえます。まさにその両方の特徴が溶け合ったかのような、独特の雰囲気があるように感じました。
海沿いを歩いていろんなものを見ましたが、歩くのがとても楽しかったです。
1 唐戸町周辺(カモンワーフ、唐戸町商店会、唐戸市場)
[下関土産品センター] 中国や朝鮮半島からのいわば窓口だけあって、表示はハングル・中国語・日本語の三ヵ国語です。
観光客が多いので、ふつうに日本語以外の言葉が聞こえてきます。
[唐戸市場]
[金子みすゞの詩碑] 有名な「みんなちがって、みんないい」(私と小鳥と鈴と)が刻まれていました。
[フランシスコ・ザビエル上陸の地] 1550年、ザビエルは天皇のいる京都へ向かうため、九州から下関へ上陸しました。
しかしこの記念碑があるところは埋め立て地なので、実際の上陸地点はもう少し内陸側(ここから道路を渡ったところにある亀山八幡宮の大鳥居の下あたり)ではないかと言われています。
[下関市あるかぽーと東防波堤灯台]
あるかぽーと東防波堤灯台から関門大橋を臨む
カモンワーフ周辺から夜の「あるかぽーと」を臨む
カモンワーフの灯りは、よく見ると下関名物の「ふく」(ここでは、ふぐ、とは言わない)を模した提灯でした。
カモンワーフでBand Wagonの今夜の出演者、永野貴子ちゃんや、大阪の「BAR蓄音機」マスター松井さんらと合流。
カモンワーフ2Fで。
2 唐戸町商店街
[ラーメン一寸法師] メニューの「コーヒーラーメン」にみんな反応。そして思わず写真を撮る。
[昭和れとろ館] 車やら電気製品やら、見てて飽きません。懐かしさ満点。
[Jazz & Coffee IZAKAYA] いったん唐戸の商店街方面へ戻って歩いていると、ソニー・ロリンズの名盤「サキソフォン・コロッサス」をデザインした看板が。これに惹かれて入ってみました。
店名は、いわば「喫茶・居酒屋」。ややこしい(^^;)
[Jazz & Coffee IZAKAYA] 店内に入ってお茶してみました。いわゆるジャズ喫茶ではなく、ジャズ好きが高じたマスターのいる喫茶店、って感じかな。
3 亀山八幡宮
亀山八幡宮の創建は859年。関門海峡を護る神社で、主祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。カモンワーフのすぐ北にあります。
ここは、開国を迫る欧米諸国の脅威から下関を守るため江戸末期に長州藩が砲台を設置した場所でもあります。1863年5月の馬関攘夷戦は、この亀山砲台から放たれた砲弾によって火ぶたが切られました。
下関名物はふぐ。当地では「ふく」と呼びますが、これは「福」とかけたもの。亀山八幡宮にはその「ふく」の像があります。
4 藤原義江記念館
「藤原義江記念館」は、関門海峡を臨む紅石山中腹にあります。
1936年に建てられた洋館です。別名「紅葉館」。
「吾等のテナー」の愛称で知られた藤原義江氏は、下関出身の世界的オペラ歌手です。藤原歌劇団の創設者でもあります。
この家は英国系商社ホーム・リンガー商会の社長令息のために建てられました。藤原氏自身はこの家に住んだことはありませんが、藤原氏の父ネール・B・リードがホーム・リンガー商会の支配人だっという縁で、1978年から記念館となりました。
ドアの横には文化庁の「登録有形文化財」というプレートがかかっています。
案内して下さった管理人さんに尋ねてみると、写真撮影はNGでした。玄関ホールのみ許可をいただきました。
以下の3枚は、ネットから拾ったものです。
藤原氏は、イギリス人の貿易商と日本人の母のあいだに生まれました。写真でもわかる通りたいへんなハンサムで、世界中で困るくらいにモテたそうです。
時間が戦前で止まったまま、という雰囲気でした。
5 本陣伊藤邸跡
伊藤邸跡は春帆楼・日清講和記念館のすぐ隣でした。伊藤家は下関屈指の名家で、幕末の当主・伊藤杢之助は吉田松陰と交際がありました。坂本竜馬は、慶応時代の2~3年頃は伊藤家を活動の拠点としていました。
6 日清講和記念館
日清講和条約(下関条約、馬関条約)会議場となった春帆楼。割烹旅館として現在でも営業しています。
日清講和記念館は、日清講和会議の歴史的意義を後世に伝えるため1937年に建てられました。春帆楼の敷地内にあります。
日清戦争で圧倒的優位に立った日本は、清国から講和条約締結の打診を受け、1895年4月17日に下関で日清講和会議を開き、条約に調印しました。
再現された講和会議場。会議の出席者は伊藤博文、陸奥宗光、李鴻章、李経方ら。
静かな館内。時の重みを感じます。
この会議で、清国は日本に朝鮮半島の独立・領土の割譲・賠償金の支払いなどを約束しました。
7 赤間神宮
赤間神宮の建立は859年。1185年の壇ノ浦の戦いで敗れて入水した安徳天皇を祀っています。
建立当時は「阿弥陀寺」でしたが、明治時代の廃仏毀釈によって神社になりました。
ここは「耳なし芳一」の舞台であることでも有名です。
正月を迎える準備に余念がありません。人影は、韓国人の団体以外はあまりありませんでした。
敷地内にある「芳一堂」。「耳なし芳一」は、琵琶法師の芳一が平家の亡霊に憑りつかれるという怪談で、安徳天皇や平家一門を祀っている赤間神宮(当時は阿弥陀寺)が舞台です。戦いに敗れた平家の悲哀が感じられる物語でもあります。
その芳一堂に隣接する「七盛塚」。平家一門を供養している墓所です。
七盛塚前列は平教盛、平知盛、平経盛、平教経、平資盛、平清経、平有盛。後列は平(伊賀)家長、平(上総)忠光、飛騨景経、飛騨景俊、平(越中)盛嗣、平忠房、平時子(二位尼)。かつて栄華をきわめた平家の墓所とは思えない質素な造りなのが哀れです。
道路から見上げる赤間神宮。
8 関門海峡・関門橋
下関市壇ノ浦と北九州市門司区を結ぶ吊り橋。全長1068m、海面上141m。1973年11月14日開通。開通時点では東洋最長の橋だったそうです。
橋脚付近で。
9 壇ノ浦古戦場跡・みもすそ川公園
左:源義経像。壇ノ浦で、平教経の攻撃を船から船へと飛び移ってかわした源義経の「八艘跳び」。
右:平知盛像。碇を担いだ姿。平知盛にまつわる謡曲「碇潜(いかりづき)」は有名です。壇ノ浦を訪れた旅僧に、渡し船の老船頭が壇ノ浦の戦いの様子を詳しく語り、弔いを願った。実はこの老船頭は、戦いに敗れ安徳天皇に続いて入水した平家の武将平知盛の亡霊であったという。
関門海峡に向けて設置されている長州砲(八十斤カノン砲)。攘夷戦や下関戦争で使用された大砲の、原寸大レプリカです。
大砲レプリカは5台あり、砲身3.56m、口径20.0cmです。中央3門は高さ3.52m、最大長6.68m、最大幅2.6m、両端2門は高さ2.92m、最大長5.98m、最大幅2.6mです。
壇ノ浦古戦場跡の石碑。壇ノ浦の戦いが行われたのは1185年4月25日。この戦いで栄華をきわめた平家は滅びました。海上での戦いの指揮を執ったのは、源義経と平知盛。この戦いで、わずか7歳の安徳天皇は二位尼(平清盛の妻で、安徳天皇の祖母)と共に入水した。
壇ノ浦。
10 立石稲荷
国道9号線沿い、関門橋のやや南にあります。
立石稲荷の赤鳥居。1184年に屋島で敗れた平家は、下関の彦島に逃げ延びますが、この稲荷神社前で軍船が沈み、ご神体はこの地にとどまって海峡の守護神になったといいます。
境内には平家の無縁の供養塔があります。
立石稲荷の正面にある烏帽子岩。これが立石稲荷のご神体です。
11 阿弥陀寺町妙見宮
阿弥陀寺町内を歩いていると、妙見宮へ上がる石段がありました。
古びた住宅地の石段を上がっていくと見えてくる鳥居には「海上安全」の文字が刻まれていました。
鳥居から少し先へ進むと古い燈籠があり、ここから先は草が生い茂っていて道が見えなかったので引き返しました。周囲の民家にもひと気はなく、あえてこの山の中腹に隠れるように住んでいるのでは、とも思わせられました。不思議な雰囲気に満ちていました。
12 床屋発祥の地
下関は床屋(という言葉の)発祥の地だそうです。鎌倉時代中期、京都の北面の武士だった藤原基晴が不祥事の責任を取って職を辞し、旅の途中で寄った下関で髪結いの技術を学んで髪結所を開きました。そこには床の間があったことから下関の人は基晴の髪結所をいつしか「床の間のある店」と呼ぶようになり、これが転じて「床場」「床屋」という屋号で呼ばれるようになったのだそうです。
13 Band Wagon
「Jazz inn Band Wagon」は下関市中之町にあるライブ・ハウスです。オーナーはベーシスト兼ギタリストの吉本信行さん。吉本さんは、後天性の病気のため両耳の聴力を全く失っても弾き続けている不屈の人です。偉大なベーシスト、チャーリー・ミンガスになんとなく風貌が似ています。
お店の扉を開け、階段を上がると、マイルス・デイヴィスの写真が。
この夜のライブは吉本信行(bass, guitar)&永野貴子(key-harmonica)。
急遽ゲストとしてステージに呼んでいただきました。
大阪の「BAR蓄音機」マスターの松井久さんが撮ってくださいました。
吉本さんは生きる喜びにあふれている方だと思いました。大きなエネルギーとバイタリティをお持ちですが、押しつけがましさや息苦しくなるような「力瘤」は微塵もありません。とても自然な感じの、フラットでステキな方でした。
聴力を失ってからの苦労話も伺いましたが、悲壮感のようなものはなく、不謹慎かもですがとても面白く話を聞かせていただきました。聴こえなくなってからも曲を書いているという話には心底驚きました。来年には東京でレコーディングするそうです。
吉本信行(bass)&金川英寿(piano)。金川くんは中国地方のホープ中のホープです。
たくさんお話できて感激でした。吉本さんの魅力はとても自然なもので、聴力の有無とは関係ないんだと思いました。いわば、凹んでいる時に吉本さんの近くにいれば自然に元気になれる感じ、とでも言ったらいいかな。
「これからはやりたいことだけやろうと思ってる」とおっしゃったお顔がとても明るく、楽しそうでした。
セッションに参加した方々も交えて打ち上げ。
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