【Live Information】
「ニュー・ミュージック」という言葉、あるいは音楽シーンにおけるカテゴリーが定着したのは1970年代半ば頃だと記憶しています。
従来のフォークやロックから政治色・生活臭・メッセージ性・アンダーグラウンド感が薄まったものが「ニュー・ミュージックですが、歌詞やファッションなどの面では歌謡曲へ少し近づいた感もありました。
それでも、自作(あるいはフォーク、ロック畑のコンポーザーへの依頼)曲を自分で演奏するスタイルが中心だったり、発言が比較的自己主張の強いものだったりと、歌謡曲畑のミュージシャンよりもオリジナリティやキャラクターがはっきりしていたので、「歌謡曲」と「ニュー・ミュージック」の間にはぼくなりの境界線がありました。
そんな時期に、ニュー・ミュージック界の新星として現れたのが松原みきでした。
1970年代中盤以降、ニュー・ミュージック系ミュージシャンが雨後の筍のように現れます。
当時は、ざっと思い返すと、1976年に尾崎亜美、1977年に渡辺真知子、石黒ケイ、1978年に八神純子、竹内まりや、水越けいこ、越美晴、上田知華、杏里、1979年に門あさ美、須藤薫、石川優子、久保田早紀、1980年にEPOなど、きらびやかで多彩な面々がデビューし、日本のポピュラー音楽ッシーンを活気づけていました。
松原みきのデビューは1979年。「日本を代表するジャズ・ピアニスト世良譲氏に見出された期待のシンガー」というコメントがメディアのあちこちで見られていました。
「真夜中のドア」は、松原みきのデビュー曲です。洗練された都会的なサウンド作りが指向されています。
おりしもロックとジャズの融合から生まれた「クロスオーヴァー」あるいは「フュージョン」、「ソフト&メロウ」「AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)」などの、いわゆる「オトナ」なロックなどが当時のポピュラー音楽シーンに広まっていて、その影響を大きく受けているように思います。
松原みき『POCKET PARK』
リチャード・ティーを思わせるエレクトリック・ピアノ。
間奏の、なんとも都会的なサックス・ソロ。
小気味のよい16ビートを刻むドラムやギターのカッティング。
その16ビートにメリハリを付けてグルーヴしまくるベース。とくにエンディング前のギター・ソロを支えるエキサイティングなフレーズの数々には脱帽するしかない感じです。
これらが当時の先端をゆくサウンドを創りあげています。いわゆる「シティ・ポップ」の王道ですね。
「大人」というより、「大人になりかけている」感じがする松原みきの歌声は、その都会的サウンドによくマッチしています。
明るさのあるボーカルなんですが、ぼくとしては、太陽の陽射しの明るさというよりも、夜の都会の街の明るさ、というイメージを抱いています。
発音が明瞭で、よく歌詞が伝わってくるし、臆さず伸び伸び歌っているところも好きでしたね。
エンディングのギター・ソロは、当時渡辺香津美と並んで新世代若手ギタリストの筆頭と目されていた松原正樹です。今剛(guitar)、斎藤ノブ(percussion)、そしてこの曲にも参加している林立夫らと「パラシュート」を組んでいたことでも知られている名手です。
この松原氏のギターが、実に新鮮。伸びやかなトーン、流麗でドライヴするフレーズ、エキサイティングな流れ、ロックな豪快さとジャジーなフィーリング。どこを取ってもカッコよく、カセット・テープに録音したこの曲のエンディングだけを何度も繰り返し聴いたものです。
「真夜中のドア」は、1980年にスマッシュ・ヒット。その年秋の学園祭には、早慶戦前夜祭も含め、早稲田大学学園祭など9つの学園祭に出演するなど、ちょっとした「学園祭の女王」でした。
キュートな前歯と、シャープな視線がとってもチャーミングでしたね。
1990年代以降はすっかり「松原みき」の名を聞くことがなくなり、時々「真夜中のドア」を聴いては懐かしく思っていました。
あとで知ったのですが、当時は歌手活動を休止し、コンポーザーとして活動していたそうです。
久しぶりに松原みきの名を目にしたのは、新聞の訃報欄でした。
記事を目にして、寂しさのまじった残念な気持ちでいっぱいになったのを覚えています。
2004年10月7日、松原みきさんはガンのため44歳の若さで亡くなりました。
[歌 詞]
◆真夜中のドア~Stay With Me
■歌
松原みき
■シングル・リリース
1979年11月5日
■作詞
三浦徳子
■作曲・編曲
林哲司
■録音メンバー
松原正樹 (electric-guitar)
ジェイク・H・コンセプション (sax)
渋井博 (Keyboard)
後藤次利 (bass)
林立夫 (drums)
穴井忠臣 (percussion)
■週間チャート最高位
オリコン28位
■収録アルバム
POCKET PARK (1980年)
【Live Information】
8月2日(金)
岡山 ピアノバー
岡山市北区野田屋町1-11-10 清水ビル3F (tel 086-222-8162)
【出 演】 美淋つゆ子(piano)、皆木秀樹(bass)
【料 金】 1000円(飲食代別途)
【演 奏】 21:00~、22:00~ (2回ステージ)
※シットイン可
8月8日(木)
岡山 ピアノバー
岡山市北区野田屋町1-11-10 清水ビル3F (tel 086-222-8162)
【出 演】 MISA(piano)、皆木秀樹(bass)
【料 金】 1000円(飲食代別途)
【演 奏】 21:00~、22:00~ (2回ステージ)
※セッション可
8月11日(日)
倉敷 木庵
倉敷市川西町18-23 (tel 086-421-9933)
【出 演】 MISA(piano)、皆木秀樹(bass)
【料 金】 飲食代のみ
【演 奏】 19:00~ (2回ステージ)
8月16日(金)
岡山 インタリュード
岡山市北区中山下1-5-43 (tel 086-222-3715)
【出 演】 入江修(sax)、MISA(piano)、皆木秀樹(bass)
【料 金】 3000円(1プレート付 ※ドリンク代別途)
【演 奏】 20:15~ (3回ステージ)
8月20日(火)
岡山 ピアノバー
岡山市北区野田屋町1-11-10 清水ビル3F (tel 086-222-8162)
Live & Session
【出 演】 古山修(guitar)、皆木秀樹(bass)
【料 金】 1000円(飲食代別途)
【演 奏】 21:00~、22:00~ (2回ステージ)
8月23日(金)
倉敷 木庵
倉敷市川西町18-23 (tel 086-421-9933)
【出 演】 鈴村紀子(piano)、皆木秀樹(bass)
【料 金】 飲食代のみ
【演 奏】 18:30~ (2回ステージ)
8月24日(土)
岡山 GROOVY
岡山市北区田町2-5-23 (tel 086-221-7721)
【出 演】 山本博之(piano)、皆木秀樹(bass)
【料 金】 2000円(飲食代別途)
【演 奏】 20:00~ (2回ステージ)
※シットイン可
8月25日(日)
岡山 ピアノバー
岡山市北区野田屋町1-11-10 清水ビル3F (tel 086-222-8162)
Jazz With Kids!!
【出 演】 美淋つゆ子(piano)、まいける冨岡(drums)、皆木秀樹(bass)
【料 金】 大人1000円、中高生600円、小学生400円、未就学児無料(いずれも飲食代別途)
【演 奏】 15:00~
8月28日(水)
倉敷 アヴェニュウ
倉敷市本町11-30 (tel 086-424-8043)
【出 演】 古山修(guitar)、新田佳三(drums)、皆木秀樹(bass)
【料 金】 1000円(飲食代別途)
【演 奏】 20:00~、21:00~、22:00~ (3回ステージ)
※シットイン可
【Live Information】
先月下旬のことです。
なんとなく降り出しそうな、薄曇りの土曜日でした。
その日の夜は演奏の予定が入っていたので、それなら早めに家を出て、午後を町なかで過ごそうと思ったんです。お茶したり、CDショップや本屋さんに寄ったり、ぶらぶら散歩したり。そんな、予定を立てずに思いつきでフラリとどこかに行ってみるのって楽しいものですからね。
そうだな、まずはたいてい土曜には行っている喫茶店でお茶しようか。
と思っていたんですが、SNSに「諸事情で急遽15時には閉店しましたすんません」とのお知らせが・・・。
アバウトにうっすら立てていた予定をすぐに変更し、今自分はどこに行きたいかしばし自問。すると、頭の中に豆電球が灯ったんです。 「そうだ!美術館に行ってみる、という手があるじゃないか」
これぞ神?守護霊?からの指令ではないでしょうか。
「なんといいアイデア」
さっそく県立美術館のある天神町へ向かい、暖簾、ではなくて自動ドアをくぐりました。
くぐったんですが、、、なんと、そこには「本日休館日だからここから入ったらイケナイよ(意訳)」の表示。
行く先々が閉まってるて!
どーゆーこっちゃこりゃあ!
・・・でも、たまにこういう時、ありませんか。
だれかとお茶しようご飯行こう、と思って電話するところするところことごとく「ごめん先約が・・・」とか『ただいま電話に出られません』のアナウンス。
まあこれもオオゲサに言えば運命というヤツなのかも、と気を取り直してしばし考える。
そうだそういえば!そうじゃそうじゃ美術館といえばここの手前にオリエント美術館があったわ!
ということで、すこ~しだけ後戻りしてオリエント美術館に入ってみると。
これが「当たり」だったのでした。
西アジアの歴史的な遺物の数々が展示されていましたが、2000年以上の時間の重みや、西洋と東洋が混ざり合ったようなエキゾチックな雰囲気が面白くて面白くて。いろんな展示物から視線を外せなかったくらいです。
おまけと言ってはなんですが、漫才の「笑い飯」のネタでおなじみの「鳥人」まで展示されている!
この正式名称は「有翼鷲頭聖霊像」なんだそうです。鳥人!出席番号はチキンなん番!www
閉館時間も近くなったので、オリエント美術館を後にします。
そして「ここまで来たならあの喫茶店に寄らねば」と、斜め向かいにある喫茶店「コーヒー亭」へ。
文字どおり、ぼくの好きな「珈琲店」とか「茶房」な感じがするお店です。何度かは寄ったことがあるのですが、客席から見て出口の上にビートルズの4人の写真が飾られてあるんです。それを見ながら飲むコーヒーの満足感、やっぱりちょっとアップしますね。
それだけでも気になるのに、お店にはギターやサックスまで置いてあったり。
まだお店の方には声をかけたことがないので、よけいに前から気になっていたお店なのです。
開け放たれていた入口から入ってみると、おりしもマスターがギターを弾いているところでした。
かき鳴らしているのは、マウンテンのレスリー・ウェストのトレード・マークでもある「レスポール・ジュニア」。 いや~~マニアック~♡
でもなかなか人に話しかけられないたちのぼくは、キャロル・キングの写真や、ジミヘンとかジョン・レノンのTシャツなどが飾られてある店内を見渡すだけで満足なのです。
その時かかっていたCDは、ビートルズのアルバム「ミート・ザ・ビートルズ」、そのあとは「フォー・セール」。
そうするうちに常連さんらしきお客さんが入ってきて、マスターと話し始めました。そのうちに、ぼくにも「蒸すねえ」とか声をかけてくれたんです。そこからマスターを交えて、ビートルズや昔のロックの話になりました。やっぱり世代的にもこういう話題は盛り上ります。楽しかったのはモチロンのこと、なんだか嬉しかったです。
「人間万事塞翁が馬」と言いますが、今日行きたいところがたまたま開いてなかったのは
「おまえは今日はオリエント美術館とコーヒー亭へ行きなさいね」
という神さまからのお知らせだったのかもしれません。
そして、そう思っていたほうが世の中が楽しく感じられますしね(^^)
ときどき行く喫茶店の店長。たまにお茶の相手をしてくれる。
【Live Information】
猫という生き物は、実は人語を解するのではなかろうか。
そんな気がしてならない今日このごろなのですが。
学生時代にアルバイトしていた喫茶店に「チョコセーキ」という名のネコがおりました。
呼びにくいので、いつもはみんなから「チョコ」と呼ばれていました。
そのチョコが仔猫を産んで何日かしてのことです。
マスターの奥さんがついつい
「こんなにたくさん産んでどうするの・・・?とてもうちじゃ世話できないわよ~ J´д`;し 」
と言ってしまったんです。もちろん悪気があったわけではなかったのですけれど。
チョコは、その日のうちに仔猫を全員を連れて家を出ていってしまいました。(数ヶ月後にひょっこり戻ってきたそうです)
数年前、岡山市の中心部近く、旭川の河川敷近くにあるライブハウスに出演した時のこと。
リハーサルを終えてから、その河川敷まで散歩に行ったんです。
ぼくは、河原とか、お寺の境内とか、小高くて眺めのいいところでぼんやり過ごすのが好きなのです。
雨上りに見えた夕陽で少しオレンジ色に染まった水面や水鳥を眺めているうちに、けっこういい時間になりました。
お店へ戻ろうと歩いている時何かが目に留まりました。車の足元に隠れるように座っていた一匹の猫でした。
キジトラっていうんでしょうか、結構気の強そうな顔をしているのが気に入ったので写真を撮ろうと思いました。
その時のニャンコです。
ぼくがすこしあわてながらポケットから携帯を取り出そうとしていると、その猫は面倒臭そうに立ち上がり、180度向きを変えてスタスタ立ち去ろうとしたんです。
思わず「おねが~い。写真撮らせてください~ お願いします~」とネコナデ声(文字通りw)でお願いしたら、なんとピタッと立ち止まり、クルッと向きを変えて再びこちらへ歩いて来るではないですか。
そして、もといたところにしゃがんでくれました。そのうえ、カメラ目線までくれたんです。
あわててシャッターを切ったんですが、3枚ほど撮ったところで「もうええやろ」ってな感じでノッソリ立ち上がり、また向きを変えて歩いて行ってしまいました。
もう一回お願いしたんですが、今度は戻ってきてはくれませんでした。
それからは、猫を見かけて写真を撮りたくなったら、まずお願いをしてみることにしています。
ていねいに、にこやかに、手を合わせて「写真撮ってもいいですか~撮らせてください~お願いします~(^^)」と頼むんです。
「ていねいに」っていうところがコツというか、ポイントです。(こういうのをコツと言うのかどうか・・・w)
丁寧に優しく頼んでみた時は、おおよそ50%くらいの確率で立ち止まってくれます。そしてたいてい数枚撮ると「もうええんちゃうか。。。」と言わんばかりに、悠々と立ち去るのです。
逆に、エラソーに「ちょっとじっとしとけ」とか、ナレナレしく「まってまってまって~」とか、ちょっとぞんざいに声をかけた時は絶対立ち止まってはくれません。
写真は全部、お願いしたらその場にとどまって写真を撮らせてくれたニャンコ達です。
神社やお城をねぐらにしている奴らはけっこうキョウアクな面構えをしていたりするんですが、フレンドリーに頼むと「チッ、シカタネーナ」な感じで付き合ってくれるのです。
これはいったい偶然なんでしょうか。なんなんでしょうね~。
ちなみにうちのハチくんに声をかけた時はどうなのかと言うと、都合のいいことや楽しいこと(例:さんぽ行こう、おやつあげよう、ごはん食べる?、遊ぼうetc)はハッキリしっかり受けとめているようです。
ところが、ワルさをして叱られたときなんかは、
「なんのこと?ボクな~んもわからへん」という顔をして目を絶対合わそうとしません。何もなかったことにしようとしているようです。
これはゴキゲンなときのハチくん
・・・てことはわかっとるっちゅうことやないかいwww
【Live Information】
管理栄養士をしている先輩がいまして。
企業やイベントなどの依頼を受けて、出張しての料理教室を催すことも多々あるようです。
ときには学生時代の同級生からの依頼もあるそうです。
で、時々言われるのが、
「お友達価格でおねがい~」
なんだそうです。
思わず先輩には、「そんなこと言う人が友達? それタカリですよねwww」と言ってしまいましたが・・・(^^;)
あるいは、付き合いがもう20年くらいになる車関係の会社の方から
「お待たせしないようにオイル交換を手早くしたら、『そんなにすぐできるんなら、それくらいサービスしてよ』って文句言われるんですよ~」
という話も聞きました。
誰かに何かを依頼するとき、予算が無いのなら無いで相談してみることもできるんですが。。。
そういうことを「遠慮なく相談できるのが友達」だと思うんです。
「友達だからタダで(あるいは『安くして』」とか「知り合いなんだから、(or応援してあげてるんだから)タダで」というのは、いつの頃からかわかりませんが、時々耳にする話です。
タダで描け、タダで弾け、タダでやれ、タダで、タダで、タダで・・・
昨今、タダ働きをさせようと「ボランティアで」(!)という言い方をしてくるケースも増えていると聞きます。
ボランティアの意味、わかってんのかな。(ボランティア=タダ働きをさせる、では決してない)
ただし、交渉をしてはいけない、という意味ではありません。
交渉していくらかでも安くなるならやっぱり嬉しいものだし、ぼくも「もうちょっとどうにかならない?(^^;)」と訊くことはあります。
自分は「安くして」というのにこちらが「安くして」と頼んだときは受け付けてくれない、とか、自分で引き受けておいて「安くしろって言われてこんなに安いギャラでやらされている」とあとからグチる人の存在は全く別次元の話だと思います。
またプロの側が「ギャラはいらんからそれやらせてくれ!」って自分から言うのは、その人の生き方の問題であって、これとはまた別の話ですね。
例えばぼくが自分の結婚式での演奏を友人のプロ・ミュージシャンに依頼するとします。
演奏料の交渉の時に、友人から、「ギャラとして3万(注:例です)いただくことにしてるんだ」という返事をいただいたとします。
「お祝いごとだし、友だちだから5万包んでおこう」というのが「オトモダチ価格」だと思うんです。
だって友達なら栄えてほしいですもんね。
ただしこれはあくまで自発的な話です。他人にこの考えを強要する気はまったくありません。
通常相手が提示した額を了承するのは全く失礼ではありませんし、普段は多めに出す必要なんてないと思います。「せっかくならたまにはアイツの店で買おうか」で充分だと思います。
「友達だから」「知り合いだから」「前から応援してるから」といってくる方々は、自分のトク(依頼される側の負担)だけを押し付けてきているだけなので、まあ知り合いではあるかもですが、決して「友達」でも「応援している人」でもないですね。
そういう人は、畳が破れたとき、カギが壊れたとき、ガラスが割れたとき、あるいは知り合いの肉屋や花屋や本屋へ買い物に行く時などなどなど、業者さんが友達だったり知り合いだったり応援している(ことにしている)人だったりしたら、すべて安くしてもらえると本気で思っているのでしょうかwwwwwwwwwwww
プロ(いわゆるその道の専門家)が身に付けている特殊技能の会得には元手(=仕入れ。目に見える見えないは関係ない)がかかっています。
どの業界、業種でもです。
そしてひと一人の時間を拘束するんです。
その人の技術に助けていただくんです。
ただし、依頼された側が、理不尽な依頼や気乗りしない依頼に対してはっきりお断りすることも大事だと思うんですね。
ぼくはそういう話がきたら速攻で事務的に丁寧にお断りして、それで仲がギクシャクするようであれば以後お付き合いをしないようにしておりますw
そういう価値観の方や、そんなことで仲がわるくなる方とは遅かれ早かれ繋がりが切れるでしょうし、そうなった方が以後お互いにシアワセに暮らしていけるからな~w
でも、心配しなくても、そのうち「タダで依頼し、それを受ける」側と、「対価を支払い、それを受ける」側とで住み分けがなされるでしょう。あとは好きな方を自分で選べばいいだけだと思うんです。
【Live Information】
ぼくの家には八兵衛(通称ハチくん)という名の柴犬がおります。
一緒に暮らし始めてから9年が経とうとしています。
ハチくんと一緒に散歩するのが、まあ趣味とは言わないまでも、日々の楽しみのひとつなんですが、陽射しに柔らかみが感じられ、梅の木に蕾がつき、なんとなく春が近づいてくるのが実感できるようになる頃の晴れた日の散歩中に思わず口づさんでしまう曲が、「ヒア・カムズ・ザ・サン」です。
「ヒア・カムズ・ザ・サン」は、ビートルズの傑作アルバム「アビイ・ロード」B面の1曲目を飾っています。
この曲のひとつ前のトラック、つまりアナログでいうとA面の最後は、ジョンの作った「アイ・ウォント・ユー」です。ヨーコへの想いをストレートに吐露した、ブルージーでヘビーでダークな曲です。
アナログ時代は「アイ・ウォント・ユー」を聴き終えてからレコードをB面にひっくり返すのですが、その1曲目のイントロにまさに光を感じるようなアコースティック・ギターが聴こえてきた瞬間、どこか重苦しかった気分が暗雲が遠のくように一変したものでした。
このコントラストがまた見事なんですね。
歌詞の内容は、「長かった冬がようやく終わり、太陽がやって来た」というものです。タイトル、歌詞、曲調、これらがなんとも密接に親和しあっていますね。
「長かった冬」は愛する女性との冷えた関係、「春の到来」はその女性に笑顔が戻って来たことを表しているのかもしれません。
この曲はジョージ・ハリスンのペンによるものですが、作った時期は、1969年のまさに冬の終わりというか、早春だったそうです。気分転換しようと親友のエリック・クラプトンの家に遊びに行ったジョージが、その年初めての春らしい陽射しを感じているうちに自然に歌詞とメロディが浮かんできたのだそうです。
ビートルズ 『アビイ・ロード』
イントロからの、アコースティック・ギターのアルペジオ。
ジョージの柔らかいボーカル。
リンゴの生み出す、軽やかなグルーブ。
間奏部分のハンド・クラッピングが醸し出す明るさ。
すべてが、「春」です。
すべてが「新しい季節」の訪れを表しています。
この曲で全編に流れるモーグ・シンセサイザーはジョージが弾いているのですが、「無機質な電子音楽」の側面を持つシンセサイザーの音色さえも、ナチュラルな陽射しをイメージさせてくれます。
ビートルズ時代のジョージは「クワイエット・ビートル(物静かなビートル)」と言われていました。ジョン・レノンとポール・マッカートニーの存在の大きさや、バンド内で一番年下ということなどで、バンド内では目立たない存在とされていました。
しかしソング・ライティング面では徐々に頭角を現し、いわゆる「後期」(1967年~)になると「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、「サムシング」、そして「ヒア・カムズ・ザ・サン」など数々の名曲を発表しています。
「ヒア・カムズ・ザ・サン」は日本、ポルトガル、アンゴラでしかシングル・カット(しかもB面)されていませんが、「サムシング」はビルボードの週間チャートで見事1位を獲得しています。
ジョージは2001年に58歳で亡くなりましたが、どこか素朴な味わいのする、ジョージならではの優しいメロディーはこれからも愛され続けるでしょう。
[歌 詞]
[大 意]
陽が差し込んできた
もう大丈夫だ
可愛いひとよ
長く、寒く、淋しい冬だった
何年も太陽を忘れていたみたいだ
陽が差し込んできた
もう大丈夫だ
可愛いひとよ
みんなの顔に笑顔が戻ってきた
何年も太陽を忘れていたような気がする
陽が差し込んできた
もう大丈夫だ
太陽が、のぼってきた
可愛いひとよ
氷がゆっくり溶けているのを感じるよ
何年も太陽を忘れていたような気がする
もう大丈夫だ
◆ヒア・カムズ・ザ・サン/Here Comes The Sun
■歌・演奏
ビートルズ/Beatles
■発表
1969年
■作詞・作曲
ジョージ・ハリスン/George Harrison
■プロデュース
ジョージ・マーティン/George Martin
■収録アルバム
アビイ・ロード/Abbey Road
■録音メンバー
ジョージ・ハリスン/George Harrison (lead-vocal, backing-vocal, electric-acoustic-guitar, Harmonium, moog-synthesizer, handclap)
ポール・マッカートニー/Paul McCartney (backing-vocal, bass, handclap)
リンゴ・スター/Ringo Starr (drums, handclap)
舞踏家で俳優の小谷野哲郎さんに初めてお会いしたのは、4~5年くらい前の、北木島行のフェリーの上でした。
「ピース・フェスティバル」というイベントに出演させていただくために北木島に向かったのですが、お互いにただの観光では持っていかないような荷物を抱えていたものですから、なんとなく「素性」がわかったのだと思います。
みなぎった眼力がとても印象的でした。
船の中では、バリ島の不思議な話をはじめいろんな話を聞かせていただきました。
その時の北木島での小谷野さんの出演は、夜の10時ころだったでしょうか。
空一面に星がきらめき、打ち寄せる波の音だけが聞こえる瀬戸内海の小島。
明かりなしでは何も見えない闇の中、焚火の明かりに照らされ、バリ島のお面を付けてバリの踊りを踊る小谷野さんの姿は、例えば異世界を垣間見た時の畏れにも似た、とても神秘的なものだったのをはっきりと覚えています。
その小谷野さんが瀬戸内市の備前福岡にある古民家「仲崎邸」で公演を行いました。
題して「南洋神楽プロジェクト 『仙人になりたかった男』。
ちなみに備前福岡は、福岡県にある福岡城を築城した黒田長政の父で、軍師として名高い黒田官兵衛ゆかりの地です。
演目は、まずは喜羽美帆(箏)・松本泰子(唄・ガムラン)・和田啓(打楽器)の各氏による演奏。
次はその演奏にバリ舞踊の小谷野智恵さんが加わってのパフォーマンス。
そして小谷野哲郎さんがほぼひとりで演じる「仙人になりたかった男」。(劇伴奏に喜羽・松本・和田の三氏)
日本の箏、インドネシアのガムラン、イランの打楽器の合奏は思いのほか違和感がなく、アジア風味の無国籍音楽、といった趣きでした。新しい体験なのに遠い昔に体感した気がする不思議な感じ。
続く小谷野智恵さんの舞で部屋の空気が変わったような気がしました。
呪術的な雰囲気、エキゾチックな衣装、軽んじてはならないような艶めかしさ。
間近で見ると、表情をはじめ手先足先にまで神経を行き届かせているのが伝わってきます。 異国(ではあるけれど同じアジアの)文化をたっぷり味わえました。
小谷野哲郎さんの芝居「仙人になりたかった男」の原作は、芥川龍之介の「杜子春」です。これは、もとは唐代の中国の伝奇小説です。
いくつものバリのお面を付け替えて演じられますが、お面の表情が生きているように見えてきます。
張りと深みのある声、氣のこもった動きで、すぐに物語に引き込まれました。
もともと物語の中には示唆的なもの、教訓的なものが潜んでいるのですが、あまり説教臭くなっていないのも、すんなり劇が自分に入ってきたひとつの理由でしょう。
物語自体に面白さがあるし、それを氣合をこめて演じられるとやはり大きな迫力があって、目が演者から離れることがなかったです。
その夜の演目は、築100年を超す仲崎邸の、庭に面した障子を開け放した部屋で演じられました。
夜空に月が浮かんでいるのが居ながらにして見えます。
演者の声と楽器の音色、時おり鳴く虫の声以外には、聞こえてくるものはなにもありません。
自然と溶け合ったかのような舞台を見ているうちに、日ごろ荒れやすい自分の感情も穏やかに鎮まっていました。
ちなみに小谷野智恵さんは真庭市勝山でカフェ「かぴばらこーひー」を営んでおられるそうです。
県北へ行ったら覗いてみようと思います。