【Live Information】
西梅田のジャズクラブ「ミスター・ケリーズ」が7月いっぱいで閉店するんだそうです。
思わず「ええっ」です。
1990年9月1日に開店して以来、今年が33年目。
大阪駅から歩いて10分ほど、曽根崎新地の「ホテル・マイステイズプレミア堂島」の1階にあります。
ちなみに、さらに徒歩で5分ほど南へ向かって渡辺橋を渡ると左手に建っているのが、大阪フェスティバルホールです。
シカゴにあったジャズ・クラブ「ミスター・ケリーズ」が店名の由来だそうです。
今は亡きトランペッターの奥田章三さんに「大阪に来ることがあったら寄ってよ」と声をかけていただいたのがきっかけで、時々行くようになりました。
当時はその奥田さんがお店のプロデュースされていました。
落ち着いた雰囲気の店内、関西のトップ・ミュージシャンはもちろん、国内外のミュージシャンの素晴らしい演奏を間近で見聞きできるぜいたくさ。
出演者はもちろん、スタッフの方々もみな感じ良いし、料理も美味しくて、音楽を楽しむだけでなく、音楽を楽しみに外出したその夜そのものが思い出になるような、素敵なお店です。
閉店するのを惜しむ方は、きっとたくさんいらっしゃることでしょう。
当時は、よく「グレイビー・エイト」の出演日に大阪へ行ったものです。
奥田さんや北野タダオ(piano)さん、宗清洋(trombone)さん、津田清(tenor sax)さん、古谷充(alto sax)さん、石田浩正(baritone sax)さん、村松泰治(bass)さん、中嶋俊夫(drums)さん。。。これら8人の錚々たる顔ぶれがそろっていた「グレイビー・エイト」が出演する夜は、いつも満席でした。
たいていひとりでブラリとケリーズへ行ったものでしたが、そんな時は顔なじみの奥田さん、宗清さん、津田さんらが入れ替わり立ち替わり話の相手に来てくださって、いろんな話を聞かせてくださいました。
とくに津田さんは、音楽をするうえで気をつけねばならないこと、ステージに対する気構えなど、たくさんの大事なことを、いつも厳しく、そして温かく教えてくださいました。閉店時間がきたら、そのまま近くあった梅田のドンショップへ行って始発まで付き合ってくださったり。
ケリーズの入口に、オブジェのように置かれているコントラバスには忘れられない思い出があります。
じつはぼくは、一度だけケリーズのステージに立ったことがありまして。
時はまだ20世紀じゃなかったかな。
当時はライブのあと、23時からだったか0時からだったか、ミッドナイトのステージがありました。
ある夜、グレイビー・エイトの出演日だったと思うんですが、演奏が終わったあと津田さんと話をしていました。
すると、そろそろミッドナイトが始まろうかという頃になって、突然津田さんが「どや、弾いてみるか?」と言い出したんです。
え?いきなり?
アウェイだしあんないい演奏のあとで自分みたいなヤツが・・・いいんだろうか
思わず固まって「え?え?」と聴き返すと
「弾いてみたいか、言うとんねん」
「でででもがが楽器がありま
「楽器なら店の入口にあるがな」
「ぼぼぼぼくなんかがいいんで
ここで津田さんがコワい顔で
「弾きたいんかどうか聞いとんねん」
津田さん気が短い・・・
ここで腹をくくって「ありがとうございます行ってきます」
「おぉ、勉強させてもろてこい」
入口に置いてあるコントラバスを、スタッフの方が急遽お店の中に入れてくださいました。
遅い時間だけど結構お客さんもおられたし、コントラバスの弦高も自分にはとても高くて、いろんな緊張の結果、手のひらといい脇の下といい冷や汗だらけになりながら、必死で弾いたものでした
その時のピアニストさんは、今も活躍中の吉尾敬彦さんでした。
演奏が終わって津田さんに「どうでした?」とおずおず尋ねると、ニヤッと笑って一言。
「まだまだやな」
ケリーズといえば、真っ先にこのことが思い出されます。
20年以上前のスケジュール表、まだ取ってあります。
自分が出演したわけでもないのに、なんだか捨てられないんですよね。
やっぱりなくなるのは寂しいなあ。
たくさんいい演奏を聴かせていただいて、今はもう「ありがとうございました」しかありませんね。
子どもの頃に怒って家から飛び出したものの帰りたくてたまらなくなって、でも家に帰ってドアを開ける勇気もなくて、暗い外をあてもなく歩いたことを、今でも夜道をひとり歩く時に思い出します。
抽斗がたくさんあって赤い椅子もついている、いかにも勉強したくなるような机でした。
それまでぼくたちきょうだいが使っていた机は、抽斗がふたつの、正座して使うものでした。
姉の新品の机を見たぼくの目は、きっとキラキラと輝いていたことでしょう。
ところがぼくの机はなかった。
父はいつだったか、「机を買う時は姉弟一緒に買ってやる」と言ったことがあったんです。
その言葉を覚えていたぼくは怒り心頭に達し(^^;)、即座に家出を決行!(←ちなみにこの短気なとこも父譲りです)。
でも玄関に入る勇気がないもんだから、裏口の壁にもたれて所在なさげにしていたら、ガラッ!と戸が開いて、父が出てきたんです。
すごい剣幕でした。
父は裏の物置きにぼくを引っ張って行き、柱にロープで縛りつけました。
頭ごなしに怒られたぼくはふてくされて返事もしません。
父は父で激怒しています。
強情なぼくは意地でも口をきいてやるもんか、と膨れっ面をしていましたが、悔しくてとうとう
「お姉ちゃんに机を買う時はぼくも一緒に、と約束したのに」と言い返したんです。
そうしたらなぜか涙が次から次から溢れて、止まらなくなりました。
そして何も言わず家に入っていきました。
姉の机と同じ型で、椅子は青色でした。
【Live Information】
明日からは3連休、気分は上々
でも空模様は予報どおり不安定で、そのせいで蒸し暑い。でも真夏の陽射しは強くて、眩しい〜
そんな週末の午前中に、唐辛子の精に会ったんです:(;゙゚'ω゚'):
本当の話です。。。
ぼくの勤務先が管理している「社宅」は築50年以上、今は住む人はいませんが、この時期草は伸び放題、ヤブ蚊の発生もすごいので、手入れが必要なんです。
時間は10時前、すでにかなり暑い
いや、女性というより、まだ「女の子」といった方がよさそうな雰囲気の人でした。
その女性は向こうを指差しながら、遠慮がちな小さな声で、でもなにかを訴えるようにぼくに「あれ、見て、あれ・・・」って言うんです。
「ここはぼくの仕事場が管理していて、ぼくは今日草刈りに来たんですよ」
それから炎天下に2時間近く、ヤブ蚊に噛まれながらも草刈りをしていると、不意に背後から人の気配が。。。
はっ
この話を信じるも信じないもあなた次第です。
唐辛子の精ありがとう
【Live Information】
ピアノを買ったのは、もう20年ほど前になります。
子どもたちにピアノを弾けるようになって欲しかったんです。
でもそれ以上に、ぼくにはずっとピアノに対する憧れがあったんですね。
いま思うと、自分も弾きたい、うまくなりたい、という気持ちの方が強かったかもしれません。
たまたま木目でいい感じの中古ピアノに巡り合って、部屋に合いそうだったので、それに決めました。
そしてこのピアノ、ついに我が家での役割を終えて旅に出ることになりました。
製造されたのはかれこれ50年以上前らしく、おそらく専門のリペアー業者のところへ行くのでしょう。
思わず言いたくなっちゃうんですね。
20数年前はクレーンで吊って2階に入れたんですが、いまはその時にトラックが乗り入れた道には車両が入れなくなっているので搬出の手段に苦労しましたが、業者さんは最善の搬出手順を考えてくださって、本当に助かりました。
作業ぶりもスマートで、思わず見入ってしまったくらい。
部屋にはピアノ椅子が残りました。
だれか使ってくださる方に譲りたいなあと思っていたら、さっそくフルーティストのトンちゃんが名乗りをあげてくださいました。
【Live Information】
年末に突発性難聴に見舞われました。
音がこもったように聴こえる症状を自覚したんですが、年末年始の慌ただしさの中で病院にも行けず、ダッシュで買いに行ったビタミン剤でどうにか持ち直しております。
元旦は無事に早起きして、近くの百間川の土手(実はここは日の出がよく見える穴場なのです)で初日を拝み、気分を一新。
一新すると行動的になったかというとそんなこともなく、じっと引き篭もり、シアワセな気分で静か~に元日を過ごしました。
いわば、コタツの中のネコ状態ですね。
音楽を聴きたいという欲求もありません。
そのかわり、ひたすら焚き火動画を流しておりました。
薪のパチパチはぜる音は最高です。
実は焚き火は趣味のひとつなのです
実はぼくは、毎年お盆に法事はしていること、なにかと忙しいことを言い訳に、長らく墓参をしていませんでした。
ほんまにバチ当たりなことです
ところがこの正月、急にお墓参りをしたくなったのです。
でもとりあえず行けるとこまで行ってみよう、分からなかったらドライブをしたつもりで帰ってこよう、と決めて、2日の朝9時半ころに出発しました。
かつて高梁川にあった渡し舟の舟着き場「水江の渡し」がありました。
渡し舟は、船頭さんが竹竿で漕いでくれるもので、時代劇でよく見かけるあれです。
ぼくも子どもの頃に乗ったことがあり、そのことを懐かしく思い出しました。
水江の渡し 船着き場
ふと道端を見ると、酒津八幡宮があるという表示があります。
「これはお墓参りがわりになるかもな、ついでに初詣がわりにも」と思って行ってみることにしました。
墓地があると思い込んでいたところから逆方向に、高梁川に沿って車を走らせると、小高い山の上の方にお宮が見えてきました。
正式には「川嶋ノ宮八幡神社」というんだそうです。
天暦元年(947年)に宇佐八幡宮から八幡大神を、天暦2年には宗像三神を勧請したという、古くからある神社です。
空には雲ひとつなく、数日前の冷え込みがうそのような日です。
お宮へ続く石段は、415段。
境内に着くころにはジャンパーを着ていると汗ばむくらいでした。
ひんやりとした空気がとても心地よい。
その道の先の景色は記憶にありませんでしたが、ふと「どうせここまで来たのなら」と思い、車をその道の方へ進めてみました。
すると、なんとほんの数分で墓地に着いたんです。
もうこれは八幡さまのお導きかもと心の中で手を合わせつつ、無事にお墓参りを済ませることができました。
線香もあげ、親父やご先祖さまに挨拶もし、「また来るね」とお墓に声をかけ、さあ帰ろうとばかり車に乗り込んだ時のことです。
「Memories of You」はジャズの名曲です。スピーカーから聞こえてきたのは、ジャズピアニスト渋谷毅さんの演奏によるものでした。
胸がいっぱいになった気がしました。
とても嬉しかったな。
倉敷市南東部が臨めます
山陽自動車道が見えます
【Live Information】
男同士で晩ご飯へ行ったわけですよ。
支払いの段になって、
「あ、ここはぼくが」
「いえいえなにをおっしゃいますか、ぼくが!」
なんてことになるのはよくあることです。
その夜もそんな感じでした。
小さな小料理屋をやっていた母は、「奢る」ということを「見栄。無駄遣い。」とバッサリでした。
「奢ったら気分いいし、相手からも有難がられるだろうけど、そんなのはその時だけ。本当に困っている時は、そんな人は誰も助けてくれない。」
25年もお店をやっていると、いろんなシビアな場面を見てきたのでしょう。
でもなんだろう、「この場は年長者としてカッコつけさせてよ(これを母は『見栄』というワケです。ま、たしかにw)」という気持ちもありますし、若い人たちが嬉しそうな顔で「ごちそうさまです~」と言っているのを見るのも好きだし、だからといって「今後なにかの時はウヘヘヘ」なんてのはありませんし、あんまり年下の人に負担をかけたくないし、といって全部奢られるのも社会人として気を遣うであろうことも分かりますので、最近は、なんつーか、「じゃ半分ほど出してねあとはぼくが」みたいなところで折り合いがつくことがほとんどです。
先々月、その前の月と続けて、ある素敵ミュージシャン女子とランチとかお茶する機会がありまして。
お会計の時にサッと伝票を手にしたら(そんなの女子がいない時に済ましておくのがスマート、との意見もありますが、結局気を遣わせるのが今か後かだけの違いなので、ぼくは基本やらなくなりました。フツーに「ごちそうになります」と言えばいいじゃねーか、ってことです)、素敵女子は「あ、そんなのダメですよ~」と。
「じゃ、こんだけくださいね」的なことを言っていただいた額が、何を計算間違いしたのか全然ゴチソウしたことになっておらず、つまり逆に自分が少しゴチソウになってしまっていまして、家へ帰ってその時の紳士ヅラした自分がこっ恥ずかしくなったわけです。
運のいいことに、翌月もその女性とお茶する機会があったんですね。
早めに着いてコーヒーを一杯飲み、彼女が着いてからあらためてあれこれ頼み。
そしてお会計の時に、
「あ、ここはぼくが!」「そんなのダメです~」「じゃ(あなたのぶんの半分くらいの)○○円だけください」
とのお決まりのやりとりのあと、お決まりの紳士的な顔つきで支払って、紳士的な雰囲気で「じゃ、またね~」と帰宅したんですが、ふと得体の知れない不安に襲われ、すこし焦りながら計算しなおしてみたところ・・・。
なんの計算間違いか、半額どころではなく、またしても彼女が注文した分より多くいただいてしまった(つまり、ぼくが少し奢ってもらった)ことに気づいてしまったんです。
あ~ホンマにもう~~。。。
もう、素直に別々に支払うか、そうでなければおとなしく奢られといてくださいまし。。。
あ~恥ずかしいw
△近所の倉安川
【Live Information】
週に一日は17:00には家に着きます。
駐車スペースに停めようとするぼくの車を、庭にいる愛犬ハチくんがシッポを振り振り出迎えてくれます。
車から降りて、
「ハチくんただいま!遊んどったん? (^^)」
と言いながら近寄ると、えらいイキオイでぼくの靴の先を2~3秒ほど「フンフンフンフン!」と嗅いで、納得してまたえらいイキオイであっちの方へ走り去ります。
なんでそんなイキオイなのかはよくわからんけど。。。
ついこの前、
「せっかく明るいうちに帰れたんだから散歩へ行こうや!」
というわけで、ハチくんと出かけたんです。
うちのすぐ北側に倉安川という、江戸時代に造られた川があるんですが、その日はそこからキャッキャキャピキャピにぎやかな声が聞こえる。
青春している女子学生の声ですよ。
いつもなら学校帰りの子供の声がすると構ってほしくてワンワン吠えるハチくんですが、そのにぎやかな声に圧倒されたのか無言でジッと見ているだけ。
たぶん高校生かな(中3くらいかも)、6~7人の女子が
「キャ~~ッハッハッ♪」
「イヤ~~♡」
と大騒ぎの真っ最中です。
見ると、ふたりほどまったくのはだしで川に入っている。
泥の中にふくらはぎが埋まるくらいw
その彼女たちが、様子を眺めながらブラブラ歩くぼくとハチくんに気づいて、川の向こう側から一斉に大きな声で
「こんにちわぁ~!」
と声をかけてきたんですね。
ちょっとビックリですよ。
顔を知っていても自分からは絶対あいさつしない人が珍しくないご時世なのに。。。
赤丸が女学生たちがはだしで入っていたところ
「どしたの?何か落とした?」と聞いてみると、口々に
「違うんで~す、これ罰ゲームなんです~www」
「最初は落とし※◎☆#◆キャーハハハ」
「アーッハッハッハ」
キャピキャピキャーキャー♡♬★
・・・(^^;)
「そしたらなにか落としたんと違うんだね、大丈夫ね」
すると明るい声で一斉に
「ハーイ大丈夫で~す!」
「ありがとうございま~す!」
とってもいい子たちじゃねーかよー(T▽T)
世間様の荒波にひねくれてしまっているオジサンの心は、ほんのり温まったのでした。
最後にひとりが、泥の中に埋まりながらw「ワンちゃんかわいいですね~!」って言ってくれて、嬉しさ50%増しですよ。
「どうもありがとうございます。じゃあね、気をつけて帰るんよ」って言って、思わず会釈しちゃいましたよ。
するとみんなそろって
「失礼しま~す」だって。
あ~、青春だなぁぁ。。。
オジサン胸がキュンキュンしちゃったよ!
めっちゃ感じのいい子たちだったよな、ハチくん!!
ハチくんは電柱の根元をクンクンすることの方が忙しいようでした
ハチくん
学校帰りに川で遊んでいた子たち!
なんかありがとう!!
(さすがに初対面のJKだかJCだかに向けて写真は撮れません。通報されても文句は言えないですからねwww)
山本博之(piano 左)、中務敦彦(sax 右)
【Live Information】
ステージを共にさせていただくこともある立場上、「身内のなあなあ感」とか「仲間内の褒め合いっこ」と受け取られかねないことは書きたくないんですが、、、
やっぱりこの先輩方おふたりの演奏を聴いていると、気持ちが引き締まります。
客席に人がいようがいまいが、拍手があろうがなかろうが、ただひたすらに「自分の音」を磨き続けるだけ。
その静かに燃え続ける「心意気」が、存在感のある音を出せる理由のひとつではなかろうか、と思うのです。
アフターでの音楽談義でも、「あ~そういうことか」という話を聞かせてもらえます。
そんな濃密な時間を過ごして、チャージがこの価格まさにサービス価格
(って言ったら話がイヤラしくなるなあw )
ライブ後半は、「ちょっと頼むわ」ということで、シットイン(飛び入り)させていただきました。
そう、いただいた、んですが、、、
セット・リストにはチャーリー・パーカーの超高速曲や、これまた超高速の「A Night in Tunisia」(チュニジアの夜。これはぼくがテンポを設定したのでだれのことも恨めないんですwww)があって、頑張りぬいたわが右手はヘロヘロになりましたので、今日は右手を甘やかそうと、、、いや右手も体の一部なので体全体を甘やかしてやろうと思いますwww
【Live Information】
週末夜のジャズ・バー。
生粋のジャズ好きであるママがひとりで切り盛りするこのお店には、
ディープなジャズ・ファンがどこからともなく現れ、集います。
持参した何枚ものLPレコードをカウンターに広げ、
夢中になってジャズ談義を繰り広げている人生の大先輩方おふたり。
ああだこうだと、話は尽きそうにありません。
カウンターの中では、これまた目を輝かせながらママがなにか作っています。
そんな雰囲気のそばにいるだけで、
こっちまでなぜか嬉しく楽しくなってしまいます。
【Live Information】
倉敷ジャズ・ストリート、今年も無事終わりました。
昨今の「コロナ騒ぎ」のためいったんは中止がアナウンスされたものの、主催者側の「リモート配信という手段を使おう」との決断でなんとか開催される運びになったのです。
いつもながら、いや、慣れないリモート配信ということで、いつも以上にスタッフの皆さんにはたいへんお世話になりました。感謝感謝です。
どうもありがとうございました。
さて、ぼくは倉敷ジャズの日は朝早めに倉敷に行きます。
「荷物(コントラバス)があるので駐車場を確保したいから」という理由もありますが、懐かしの鶴形山に上るのが慣わしのようになっているからなんです。
鶴形山中腹にある観龍寺の静かな境内から、倉敷の街と青空を眺めます。
清々しい気分になったあとはふもとの商店街にある喫茶ウエダ(高校時代、ウエダさんのお向かいにあった食料品店でこっそりアルバイトをしておりました。またぼくの姉がウエダのお嬢さんと同級生、そのお嬢さんの旦那さまがぼくの同級生だったという)でお茶しながら本番でのセット・リストのおさらいを。
今年のぼくの出番は11月1日の日曜日。
共演させていただくのは、福山市在住のシンガーソングライター、さいとういずみさんと、倉敷市在住のピアニスト、笹倉明子さん。
まあふたりともコロコロケラケラよく笑うこと。
そのふたりの穢れなき笑顔の写真をいくつかupしておきましょう。
彼女たちのこの笑顔が、皆さまの心の平安となりますように。
まあ、ぼくなんかには過ぎたおふたりでございました。
きっと思い出に残るであろういい一日でした。
左から さいとういずみ(vocal, piano)、皆木秀樹(bass)、笹倉明子(piano, key-harmonica)
この、さいとういずみ・笹倉明子・皆木秀樹のトリオは、また一緒に音を奏でることになりそうです。
この切り子提灯は、倉敷ジャズストリートのスタッフ須山恭安さんの奥様の手作りだそうです。風情あるなあ。。。
昼間見ても目を引きますが、日暮れ以降に見てみたかったです。
【Live Information】
最近、男同士で話し込むことが多いのです。
たまたまなんですが。
偶然会ったり、居酒屋に行ったり、焼肉に行ったり、BARに行ったりで、ずっと語り合う。
7割は人生論や音楽談義で、3割はバカな話。
アツく語って、大笑いして。
改めて思いました。男同士って、やっぱりいいもんだな、と。
最近連れて行ってもらったBAR。壁掛けにジョン・レノンの「Love」の歌詞。
そんなことをしみじみ感じた、先月のとある週末の夜。
19時半くらいだったか、約束があったので、暗くなった街をひとり歩いておりました。
雨が降りそうな感じだったので、商店街と並行して南北に走るひと気のない道をやや急いでいると、うっかりすると通り過ぎてしまいそうな小さな喫茶店があるのに気づきました。
通りに面した窓からは店内が見えるのですが、なんと!若くて可愛らしい女子がひとりカウンターの中にいるのが見えるではないですか!
ちょっと場違いな感じがしなくもなかったのですが、もしかして頑張って夢だった喫茶店を開いたのかもしれない、という妄想が頭に芽吹きまして、違和感は消し飛びました。(その時にはそう思えたんです。単なる妄想です)
まだ時間には少し早かったので、時間つぶしがてら思い切ってお店に入ってみました。(ドキドキ)
ガチャ
ぼく「・・・あの~、まだいいですか?(オズオズ)」
女子「!」「ちょ、ちょっと待ってくださいね」(なぜかダッシュで奥へ)
しばしの静寂。
そして待てども奥からは誰も出て来ない。
待つこと3分、いや5分?
どうしよう、やっぱり閉店時間なんだなんか気まずいな~、と思っていたら、ようやく奥から人の気配です。
すると、さっきの娘さんではなく、代わりにヨッコラショと高齢のご婦人が。
あら意外な展開。
せっかくなのでコーヒーを頼み、約束の時間まぎわに席を立ちましたが、店を出るまで先ほどの娘さんは二度と現れませんでした。
ぼくがヨコシマな考えに至った時なんて、得てしてこんなものなのです。
どこらへんが「男同士はいいもんだ」なのか。
神さまごめんなさい
でも、その高齢のご婦人がイヤだったわけではありませぬ。
品のある、感じのよいご婦人だったことはせめて最後に付け加えておきます。
お世話になっているジャズ・クラブで仲良しのピアニストと偶然。そこから始まる熱い会話と深夜のセッション。
ベース仲間と居酒屋で語らう。おでんをつつくぼくを撮ってくれました。
【Live Information】
10月は、来年の手帳が店頭にお目見えする時期です。
決まって欲しくなります。
そして毎年、必ず買う。
すぐにでも何か書きたくて、ペンも一緒に買う。
でも、書き込めるところは12月からしかないのです。
12月以降の予定ができると、やけに丁寧に書く。
でもなぜか、いつも3月半ばくらいから後は真っ白なんですね
そして手帳と一緒に買ったペン。
部屋にはペンの類いはいっぱいあるというのに。。。
こうして筆記用具が溜まっていくんです
ぼくが時代に逆らって譜面を手書きにするのは、できるだけペンを使い切りたい、という理由が潜んでいるからかもしれません♫♪♬
こんなことを思いつつも、きっとまた来年も手帳を買ってしまうのです。
【Live Information】
*8月中旬=「運転免許証更新のお知らせ」のハガキ届く。前回からもう3年」経ったのか。。。時の流れの速さを痛感する。
*お盆休みが来ては去り、その後は夏休み明けで仕事モードに切り替えざるを得なくなり、9月上旬には敬愛するベーシスト、ゲイリー・ピーコック死去のニュースに呆然とするなど慌ただしく暮らす。このあたりで8月の出来事はほぼ忘れる。
*9月14日=誕生日来る
*9月の4連休=何を狂ったか突如思い立って大掛かりな部屋の片づけを開始する。片付けのためいったん物が山積し、逆に散らかり放題に散らかって何がなんだかわからなくなる。
*10月2日=突然車が動かなくなる。(スターターモーターのご臨終でした) 泣く泣く予定の演奏をお休みするが、同時に慌てて車屋さん保険屋さんなどと連絡を取るなどネコの手どころか柴犬の前足も借りたいほどドタバタする。もちろん相変わらず8月の記憶は失せたまま。
*10月5日=部屋の片づけがだいぶ終わり、最後に自分の机の上を整理する。本、五線紙、文房具、手紙類、CDなどが積み重なった机上の片隅に、クシャクシャになった1枚のハガキを見つける。差出人は「岡山県公安委員会」。。。ぼくは極左でも極右でもない。すると公安からの用事と言えば、、、免許の更新・・・_:(´ཀ`」 ∠):
完全に忘れていたことに気づく。
誕生日1ヵ月後の10月14日までに休みが取れる日は、もう、ない、かも・・・
「しまった・・・」と思うと同時に上半身の血液がほとんど無くなり、体温が急激に低下する。
なんとかムリヤリ時間を作り、10月9日金曜日にどうにか免許センターへ行くことができました。(T▽T)
その日に着て行ったシャツは、なんと、前回の更新時と同じものでした。偶然だなあ
次の更新は5年後です。
送られて来るであろう「更新のお知らせ」は、今度は忘れんように机の目の高さに貼っておこう!ヒヤヒヤ!!
【Live Information】
クリちゃんこと栗本亮平くんは、岡山のミュージシャンを陰で支える名エンジニアです。
たくさんのミュージシャンがクリちゃんのお世話になっています。
先日、ひさしぶりにクリちゃんと一緒にお仕事をする機会をいただきました。
来年行われる予定のミュージカルのためのレコーディングです。
本番の伴奏にもベース奏者として参加することになっています。
しかし相変わらずの凄腕!
とにかく仕事が早い。助言も的確。
そしてミュージシャンをいい気分にさせるリアクション上手!
こちらとしては、いやがうえにもその気になっちゃいます。
今回はエレクトリック・ベースのみを使用しての録音でした。
この日は、キーボード奏者の入江美佐子さんとのスタジオ入りです。ミサちゃんはとっても頼りになるピアニストなのです。
そのクリちゃんのTシャツが!
なななななななななんと、あのマハヴィシュヌ・オーケストラのアルバム「内に秘めた炎」のジャケットのプリントですと!
「マハヴィシュヌ・オーケストラ」とは、1970年代前半に結成されたジョン・マクラフリン(guitar)率いるジャズ・ロック・バンドです。
フュージョン黎明期の、泣く子も黙るどころか、泣く子もハイテンションになる、伝説的バンドなのです。
これが食いつかずにおられましょうか!!
思えば高校時代、倉敷のレコード店「グリーン・ハウス」で店主の中村さんだったか店主の弟さん(ギタリストのフェリーペさん)だったかに教えてもらって一時期よく聴いていたものです。
いろんな意味で涙が夕陽に滲みます。
Tシャツは、ぼくはアンダーとしてしか着ないんだけど、こんなのなら欲しいわ~
注文を付けまくってクリちゃんを困らせているようにも見えますが、マハヴィシュヌ・オーケストラの話で盛り上がっているところです。
この日は、5曲を3時間半かけてなんとか録音。
しかし、録音してみると、いかに自分が普段いい加減なことを弾いているかがまる分かりです。
当たり前のことではありますが、こんな時は日ごろの自分の実力しか出ないことを改めて痛感しました。
左は、ミュージカル女優の清水ゆきちゃん。レコーディングにもつきっきりで世話を焼いてくれます。LOVE
プレイ・バックを聴くと、やっぱり「あそこを手直ししたい」「ここもやり直したい」という気持ちになります。
時間がかかっても、その気持ちにすべて応えてくれるクリちゃんは、やっぱりミュージシャンに寄り添ってくれるステキなエンジニアです。
それでも、終始緊張感に包まれての作業は実に楽しかったです。
緊張しすぎでとっても疲れましたが、その疲労感が心地よいのです。
左から入江美佐子さん、スタッフのゴローさん、クリちゃん、ワタクシ。
いつもこんな緊張感、疲労感、充足感を味わっていたいなあ。
★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト★
【10】 オスカー・ピーターソン・トリオ 「Night Train」
なんのかんのでいよいよ10枚目です。
なかなかに難しい選定作業でしたが、影響を受けたもののうちの「ベスト10」にしようとするからたいへんだったのかもしれないですね。「影響を受けたCDのうちの、とにかく10枚」だったら苦労しなかったと思います。
こうしてみると、やはり「好き」と「影響された」は微妙に異なるような気がしますね。
そして「影響された」という言葉にポイントを置くと、アルバム以外のもの、つまりミュージシャン(生き方も含めて)や曲、音楽映画がいっぱい出てきます。自分がまがりなりにも長年音楽と関わってきたうえで、これらも外せないものばかりです。
ジョン・レノン、ジャニス・ジョプリン、佐山雅弘、ハービー・ハンコック、青い影、アレサ・フランクリン、ブルース・ブラザーズ、津田清(もうじき16度目の命日です)、有末佳弘、五つの銅貨、福盛進也、ピンク・フロイド、陽のあたる教室、ビル・エヴァンス、天使にラブ・ソングを、スティーブ・ガッドetcetc。
ベーシストだと、レイ・ブラウン、ジョージ・ムラーツ、クリスチャン・マクブライド、スコット・ラファロ、ニールス・ペデルセン・・・(きりがありません汗)
佐山雅弘さんの遺した「自分という人間は出会った人でできている」という言葉がしみじみ思い出されます。
さて、10枚目のアルバムですが、「ナイト・トレイン」を挙げようと思います。
「ナイト・トレイン」は「プリーズ・リクエスト」と並ぶ、オスカー・ピーターソンの日本での超人気盤ではないでしょうか。
オスカーのピアノは瀟洒でスタイリッシュで、身も心も踊ってしまうようなグルーブ感にあふれていて、そして実によく歌っています。楽しむために聴いてもジャズのお手本のひとつとして聴いても満足感いっぱいです。レイ・ブラウン、エド・シグペンとのトリオは、ジャズの歴史に残る名ユニットのひとつだと思います。
タイトル曲の「ナイト・トレイン」は、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のダンス・パーティー会場の場面でバンドが演奏していた曲です。「我が心のジョージア」はレイ・チャールズの名唱で有名ですし、「バグズ・グルーブ」や「昔は良かったね」など、耳に馴染みやすい曲も多いので、いわゆる初心者のころから今に至るまで聴き続けています。
そして、なんといっても自分としては「自由への讃歌」ですね。
アルバムのクロージングでもあるこの曲は、アメリカで公民権運動が大きなムーブメントとなっていた1962年、この運動に賛同していたオスカーによって作られました。
公民権運動とは、アメリカの黒人が公民権の適用と人種差別解消を求めて、ある意味命がけで行った社会運動です。「ローザ・パークス事件」「ワシントン大行進」「血の日曜日」「マーティン・ルーサー・キング牧師」「リトルロック高校事件」などの言葉や人名は、多くの人がどこかで見たり聞いたりしていると思います。
「自由への讃歌」を聴いたヴァーヴ・レコードのノーマン・グランツ社長は、この曲に歌詞をつけることを思い立ちます。そして現在ではコーラス曲として、教会をはじめさまざまなところで歌われています。
ともすれば暗く攻撃的になりかねない重いテーマを持つこの曲ですが、オスカーの、暗闇からひとすじの光が射しこむような演奏はとても感動的なのです。まさに「ゴスペル」です。
ベースもドラムも、シンプルですが揺るぎない強さがあります。そのふたりに自分を委ね、自在に歌うオスカー。
圧巻は3:48からのトレモロ奏法。それに続くエンディングは、一転して静かでおだやかで温かです。明日への希望を感じさせてくれる、というと大袈裟でしょうか。
この曲を聴くと、とくに自分が少し落ち込んでいる時などは、生きていることの喜び有難みを教えらるような気がするのです。
音楽に込めるもの、何を音楽に委ねるのか、そんなことを考えるようになったきっかけにもなっていると思います。
佐山雅弘さんが、お亡くなりになる前にこの曲をソロで演奏しています。
うまく言葉にできませんが、涙がこぼれそうになるんですけど、それでいて聴き終えた時にこぼれるのは涙ではなく笑顔なんです。
素晴らしい演奏です。
大好きです。
というわけで10枚完走いたしました。
どれもこれも長い文章になってしまいましたが、読んでいただいて嬉しかったです!
ハチくんもガイド役ありがと!