ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

マイ・バック・ペイジズ (My Back Pages)

2006年03月22日 | 名曲

  
 最近のぼくのヘヴィ・ローテーションの1枚が、前にも記事にしたことのある「コジカナツル3」。
 その中でも、アルバムの最後に収められている「マイ・バック・ペイジズ」(註:「コジカナツル3」では『マイ・バック・ページ』と表記されています)には、とことん惚れ込んでいます。


 この曲は、もともとはボブ・ディランの作品で、彼の4枚目のアルバム、「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」(1964年)に収録されています。
 「あの時のぼくはずっと年寄りだった。今のぼくははあの時よりずっと若い」と歌っている曲です。とても抽象的かつ難解な歌詞で、自己批判的なものも含まれているようです。
 ディランは、アコースティック・ギターだけをバックに、自分をさらけ出し、訴えかけるように歌っています。


     
     ボブ・ディラン 「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」


 原曲はトラッド・フォーク風の3拍子ですが、これを多少リハモナイズ(原曲のコード進行の再編)し、8ビートのゴスペル・ロック調にアレンジして演奏したのが、キース・ジャレットです。アルバム「サムホエア・ビフォー」(1968年)の1曲目に収められています。
 コジカナツルの「マイ・バック・ペイジズ」は、このキース・ジャレット・ヴァージョンを踏襲しているようですが、キースが内省的に、ロマンティックに演奏しているのに対し、コジカナツルは、よりブルージーに、よりロック色を強めていて、外に向けて膨大な力を発しているかのような、実にエネルギッシュな演奏を展開しています。


     
     キース・ジャレット・トリオ 「サムホエア・ビフォー」
     ■キース・ジャレット(pf)
     ■チャーリー・ヘイデン(b)
     ■ポール・モチアン(drs)


 「コジカナツル3」のライナーによると、この曲は、アルバム・レコーディング2日目の最後に録音されたそうです。それまでの録音作業でかなり疲れていた状態での演奏だったようですが、そんなことを微塵も感じさせない、異様な熱気をはらんでいます。三人それぞれが、自分の持てるものをとにかく楽器に注ぎ込むことだけに集中しているかのような、凄まじい演奏です。ほとんど無我の境地に近いものがあるんじゃないかな。そんな気さえするのです。


 イントロはベースの金澤英明によるルバートでのソロです。最初の一音から、ふくよかで、深みのある音色に心を揺さぶられます。テーマをモチーフにしたこのソロは、金澤氏の心象風景を見ているようでもあります。すでにもうこのへんで泣けそうになるもんなあ。素晴らしいです、金澤氏。


     
     金澤 英明


 インテンポになると、引き続きベースがテーマのメロディーを弾きます。そっと寄り添うように小島良喜のピアノがバックで鳴っている。そのままピアノがテーマを引き継ぐと、それを鶴谷智生のドラムが力強く盛り立てる。


 小島氏のピアノ・ソロが、これまた素晴らしい。ブルージーで、パワフルで、しかもとってもメロディック。そのうえ、えも言われぬ優しさにあふれている。とにかく「愛」が一杯に詰まっているような、そんなソロなんです。
 バックで支えるベースとドラムは、よりグルーヴィーに、より激しさを増してゆきます。揺るがぬビートで低音をしっかりと支えながらサウンド全体を包み込んでいる金澤氏のベース、燃え盛っている内面があふれ出して止まらないかのような鶴谷氏のドラム。
 この三人が一体となって頂点を目指し、突き進んで行くのです。興奮しないワケがない。やんちゃだけれど骨っぽい、そんな三者の息の合った様子は爽快感にあふれ、感動的でさえあります。
 「魂がこもっている」、というのは、こんな演奏のことを言うのでしょう。
 
 
 「名演」と言われているものは数多くありますが、近年では、コジカナツルのこの演奏も文句なしの名演だと言えるのではないでしょうか。
 ここ何ヶ月かのぼくの心は、この演奏を聴きたがってやまないのです。
 

 
◆マイ・バック・ペイジズ/My Back Pages
  ■発表
    1964年
  ■作詞・作曲
    ボブ・ディラン/Bob Dylan
   --------------------------------------
  ■演奏
    コジカナツル
      小島良喜 (piano)
      金澤英明 (bass)
      鶴谷智生 (drums)
  ■収録アルバム
    コジカナツル3 (2005年)
  ■プロデュース
    コジカナツル



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おぼろ月夜

2006年03月21日 | 随想録

♪おぼろ月夜。イメージです。


【おぼろ(朧)】=輪郭などがぼんやりと霞んでいる様子。
【おぼろ月夜】=春の月がぼんやり霞んで見える夜。


■おぼろ月夜
■1912年
■作詞…高野辰之
■作曲…岡野貞一


 春霞みがかかったような夜空です。こういう夜に出る月をおぼろ月夜、と言うんでしょうね。
 この「おぼろ月夜」という歌は、1912年に尋常小学校四年生唱歌に制定されました。小学校時代の音楽の時間に習った人も多いんじゃないかな。
 この高野-岡野のコンビは、「春の小川」、「故郷」、「春がきた」など、数々の名曲を生み出していることでも知られています。


     
     おぼろ月夜。風情があるなあ、やっぱり。(イメージです)
 

 日本情緒豊かでとても叙情的な歌詞と、しっとりとしていて心に沁みるようなメロディーが美しい曲ですよね。最初にお断りしておきますが、ほんとうに良い曲だと思います。
 「おぼろ月夜」の歌で思い出すことがあります。


 小学生、それも男子というのは、しょうがないもので、音楽や図工の時間になるとおかしな張り切り方をするヤツが必ずいるのです。おかしな張り切り方、というより、ブレーキがぶっ壊れたようにふざけ倒すんですよ。(身に覚え


菜の花畑に 入り日薄れ
見わたす山の端(は) 霞ふかし
春風そよ吹く 空を見れば
夕月かかりて 匂い淡し

里わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中の小径(こみち)を たどる人も
蛙(かわず)の鳴く音(ね)も 鐘の音も
さながら霞める
 おぼろ月夜


 忘れもしない小学校6年の音楽の時間。
 オオハシ先生(男)の弾くオルガンに合わせて、「おぼろ月夜」を合唱します。
 でも、小6のクソガキ(失礼)に、この名曲を味わおうなんて殊勝な心があろうはずがない。

 
 半ばイヤイヤ、半ばダルダルで歌ってたんですけどね。
 そのうち、あることがきっかけでクソガキ(失礼)共が急に声を張り上げて大合唱をはじめた、と思ってやってくださいまし。
 だいたい、すぐにしょーもない替え歌を思いつくヤツというのはどこにでもいるものです。(その頭を勉強に使え)(もう遅いっちゅーねん)


 ~♪さなが~ら かすめ~る オンボ~ロづきよ~


 これをチョーシに乗って大声で何度も歌うもんだから、しまいには先生がマジギレしてしまったんです。

 ダレじゃコラァ! 出てこいコラァァ!!

 日頃温厚な先生だっただけに、その見事なキレっぷりにぼくらはもうそりゃあビビりまくってしまった。たぶん、ムシの居所が悪かったんだと思うけど。とにかく先生、ホンマにあの時は済みませんでした。
 そしてぼくを含む7~8人が前に引っ張り出されて、頭のテッペンにグーを頂きました。


 強烈なゲンコツを食らったぼくの目に見えたのは、おぼろ月夜ではなくて、だったのよ。


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いかりや長介

2006年03月20日 | 見る聴く感じるその他
 何げなく見ていた今朝の新聞のTV欄で知りました。今夜はテレビ朝日系で「ドリフの長さん大爆笑 三回忌特別企画」が放送されます。
 そうか、今日はいかりや長介さんの三回忌なんだ。。。


 ドリフターズではリーダーとしてメンバーを見事にまとめ上げました。ドリフターズの代名詞にもなった「8時だョ!全員集合」は、テレビ史上有数の大人気番組として今や伝説となりつつありますね。
 「全員集合」終了後は、俳優として再出発。渋い演技の名脇役として活躍しました。「踊る大捜査線」の『和久平八郎』役などが有名ですね。
 1999年には、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞しています。


     


 ドリフターズのリーダーとしても、俳優としても、独特の存在感を持っていたいかりやさんですが、ぼくが一番好きだったのは、何といっても、いかりやさんがベースを弾いていたコマーシャルです。たしかビールのコマーシャルでした。
 いかりやさんが、バンドマンとしてはベーシストとして活動し、1966年にはドリフターズとしてビートルズ来日公演の前座を務めたことがある、というくらいのことは知っていました。
 しかし、そのCFのいかりやさんには、思わず見とれてしまいましたよ。
 タイトなエイト・ビートに合わせてエレクトリック・アップライト・ベースを弾くいかりやさんのなんてカッコいいこと!その顔つきのなんてシブいこと!
 味、あり過ぎですよ。
 そしていかりやさんの弾くベース・ラインが、これまたファンキーなんですよね。たいして難しいことは弾いてないのに、ホレボレするくらいカッコいいんです。
 もしあのCFのようなベースを実際にステージで弾かれたとしたら、共演者する人たちは皆きっと超ゴキゲンになると思うな。


 あのCF、「もう一度見たいな~」と、ずーっと思っていました。
 再度テレビ欄を凝視していたら、今日の「徹子の部屋」も、いかりやさんを偲んで放送されるらしいことが分かったので、昼過ぎにはテレビを見ることのできる状況を整えて待ってました。もしかしたらあのCFをもう一度見ることができるかも、と期待しながら・・・。
 

 ・・・「徹子の部屋」エライ! 
 見事に期待に応えてくれました。久しぶりに見ることができました、あのCF。
 う~ん、いかりやさん、カッコ良すぎです!


     


 番組出演していた、いかりやさんの長男である碇矢浩一さんが、こんな話をしていました。
 そのCF収録前に、碇矢家はグァムに家族旅行に行っていたのですが、いかりやさんはベースを持って行ったんだそうです。そして、家族旅行に来ているにもかかわらず、時間のある時はずーっとCF収録のためにベースの練習をしていたそうです。
 プロだから当たり前、と言えばそれまでですが、それでも芸に対して妥協することのないいかりやさんの姿が垣間見えたような、いい話でした。ちょっとジーンときたりして。


 いかりやさんは、日本で初めてフェンダー(註:エレクトリック・ベースのメーカー。フェンダー・ベースは、エレクトリック・ベースの名器として知られています)のベースを使用したベーシストだそうです。
 

 2004年3月20日、いかりやさんはガンのために亡くなりました。72歳でした。


     






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出会うということ

2006年03月19日 | 価値観
♪従姉妹がくれたプランターに花が咲いてなんだかウレシイ。ぼくは花の名前にとんと疎いんですが、これパンジーでいいんですか?


 久しぶりにな~~んにも予定のない日曜日。
 今日はとても良い天気。昨日はずっと降ったりやんだりの、なんか灰色のような日だっただけに、今朝の陽の光はよけいに眩しく感じた。
 午前中、いきなりPCがプロバイダーに接続できなくなって、PC無知のぼくはムチャクチャにビビりまくったのだが、あっちやこっちを開いてみて、なんとか自力で解決できた。やったぜ!(*^▽^*)


 昨夕、九州に住む友人Yさん(女性)と久しぶりに電話で話した。
 彼女はいつもこのブログを見てくれている。「楽しみにしてるのよ」とも言ってくれる。
 Yさんとの話は、途中からこのブログのことに移ったのだが、彼女いわく、「文章を読んでると、MINAGIさんの精神状態がなんとなく分かるよ」なんだって。記事の内容ではなくて、文章が醸し出す雰囲気で、落ち込んでるとか、ハイになってるとか、おおまかな想像がつくんだそうだ。
 う~んなるほど。またそれがだいたい当たってそうだから不思議だな。
 もちろん、「このブログの中身を気に入ってるから」こそいつも覗いてる、とも言ってくれている。ありがたやありがたや(-人-) こういう言葉って嬉しいもんです、ほんとに。


 考えてみると、それはぼくの場合でも同じだ。
 「ブログ同士の交流をなんとか増やそう」とリキむのではなくて、気に入ったブログに出会うことができているからこそ、それらをノンキに楽しませてもらえてるのだ。
 あっちを見て、こっちを覗き、いろんなブログにコッソリお邪魔させてもらった結果、立ち寄る頻度の高いものだけがPCの「お気に入り」に残っているわけだが、ぼくが音楽好きだから音楽専門ブログばかりがそこに残っているかというと、そうではない。むしろ、書き手の価値観や、垣間見える人間性に共感できるものしか残らない。もちろん、読んでみて単純に面白いと思えるものにも、必ずツバをつけてます(笑)。
 「書き手の文面と実際ではギャップがウンヌン」、って言う考え方はこの際関係ナシ。今のこの時点ではブログとブログとのお付き合いなんだから、「その範疇で仲良くできればそれでええやん」ってことだ。そもそも、感じの良い人だからこそ感じの良いブログが書けるんだろうしね。それに、言葉のやりとりからでも(いや、だからこそ)人柄が見えてくることって、結構あるもんだと思っている。


 どこの誰かも分からないぼくの言葉を尊重してくれたり、ちゃんと責任を持って言葉を使っているブログからは、人柄がにじみ出ているようで気持ち良いものだ。そういう人に対してはこちらも「ああ、ステキなブログ主さんだな」って素直に思える。そして、こちらこそ、相手の存在を大事にさせて貰わなきゃな、と思う。それよりなにより、そういう風にちゃんと接してくれることって、単純に嬉しいことなのだ。
 こういうことって、当たり前のことなんだけれど、ちゃんと意識していないとおざなりになりがちだったりする。(^^;)


 ぼくの好きなブログの書き手が全てぼくの想像しているような人柄ではないにしても、「言葉の書き手」に感情や人間性がある以上、言葉の使い方や文章には書き手の人柄が反映されていると思う(註:文章力の有無のことではありません。念のため。そして、数多くあるブログの中で、価値観や感情を共有できるものが、ぼくの「お気に入り」として残っていくわけだ。
 「お気に入り」にストックしているブログには当然お邪魔する回数も多くなるわけで、しょっちゅう同じ人の文章に接していると、なんとなく書き手の感情が行間から見えてくる気がする時があるのだ。


 でも、こういうことって、実生活でも同じこと。
 自分と釣り合った(釣り合う、って言い方、ほんとは好きじゃないんだけど)相手だから、仲良くもなれるし、信頼し合うこともできるのだ。この場合、「釣り合う」っていうのは、言わずもがなだけれど、人間性において、ってことです。
 器が小さい人の周りにはやっぱり器の小さな人が多い。自分が成長してゆきたいと思っている人の周りにはそれに似た考え方の人が多い。
 そして器の大きな人の周りには器が大きい人ばかり、かと思ったら、そういう人は器が大きいだけに、どんな人でも受け入れることができるのだった。(^^)
 『類は友を呼ぶ』って言うけれど、あれは真理だな、としみじみ思う。


 Yさんが以前言った言葉。「出会いって、偶然じゃなくて、必然だと思う」。
 似たようなことはぼくも思っている。相通じるものあるから、あるいはお互いを尊重することができるから、出会いが必然的に人間同士の付き合いに発展するんじゃないかな、と。
 出会いを発展させようと思うなら、それはある意味「自分次第」でもあると思うのだ。


 アナタもキミもオマエもオヌシも、み~~んなぼくにとっては必然的に出会った大事な人ばかりなのよ♪(*´∀`*)


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レッド・ツェッペリンⅡ (Led Zeppelin Ⅱ)

2006年03月18日 | 名盤


 昨日(17日)は、近所の小学校の卒業式でした。
 低学年の子供たちは休みになっているらしくて、近所では午前中から子供たちのニギヤカな声が響きわたっておりました。
 と、思っていると、何やら歌声が。
 子供たちが歌っているのです。
 「♪き~み~が~よ~は~」
    君が代・・・?   
 「♪ち~よ~に~い~~や~ち~よ~に~」
 ・・・これは、今の小学生が右傾化しているととらえるべきか、国を愛する心が育っているととらえるべきか。。。


 「♪さざえ~ いその~
     いくらと なみへえ~



  ・・・考えすぎでした。


                              


 天気の良かった昨日とはうって変わって、今日の空は朝から今にも泣き出しそう。
 といっても、曇りの朝ってあまり寒くないので、助かるんですけどね。
 灰色の空を見ているうちに、なんとなく聴きたくなったのが「レッド・ツェッペリンⅡ」。
 ブルースを基調としたハード・ロックが、どんよりとした空に似合う気がします。


     


 ぼくが初めてツェッペリンの曲を聴いたのは中学2年の時です。仲の良かったヨシダ君に教えてもらったんです。ヨシダ君は、ぼくが遊びに行くといつもぼくの知らないロックのレコードを聴かせてくれるのです。
 初めて聴いたレッド・ツェッペリンのレコードが、名盤と名高い「Ⅱ」でした。


 1曲目の「胸いっぱいの愛を」でたちまちノックアウトされました。
 イントロからいきなり飛び出してくる重苦しく強烈なギターのリフにすぐ惹かれてしまいました。
 そして中間部の不思議な浮遊感、ロバート・プラントのエキセントリックなシャウト、パーカッション。
 これらの、どこかサイケデリックで呪術的な響きが醸し出す異世界のこれまたなんとカッコいいこと!





 このアルバムの中でぼくが一番好きな曲は、「胸いっぱいの愛」と「サンキュー」でしょうか。中でも、アコースティック・ギターとオルガンが幻想的なフォーク調バラードの「サンキュー」にはとくに心惹かれますね。


 ブルース・ナンバーの「レモン・ソング」も好きな曲です。粘っこいミディアム・スローの曲なんですが、途中でテンポが倍に変わった時の疾走感がこれまたタマらない。
 8曲目の「モビー・ディック」は、ステージではドラム・ソロ用の曲としておなじみですよね。


 レッド・ツェッペリンの曲は、ブルースを下敷きにしているんですが、他のブルース・ロック・バンドやハード・ロック・バンドとは雰囲気が違うような気がします。ツェッペリンには、フォークやトラディショナル・ナンバーなどの香りがいつもどこかに漂っているような感じがするからなのです。そして、そのアコースティックな響きと、ヘヴィ・メタリックでハードなサウンドが同居しているところが、彼らの面白さのひとつではないでしょうか。





 ロバート・プラントのヴォーカルも、ビートルズやクイーンなどが好きだったぼくには異質に聴こえました。それまでは、ヴォーカルというのはあくまで曲(テーマ)の旋律を歌うものだと思っていたのですが、プラントの歌は、「喉という楽器」を使った「演奏」のように聴こえるのです。
 ジョン・ボーナムが叩き出すヘヴィなリズムの気持ち良さも、これまた格別なんですよね。


 デビュー当時、ツェッペリンはマスコミから「ブルースを改悪しただけだ」という批判を浴びていたそうです。でもこれ、逆に考えると、ツェッペリンというバンドが素晴らしい力を持っていたからこその批判ではなかろうか、と思ったりするのです。だって、話題性も音楽性も持っていないバンドは最初から批判の対象にすらならないでしょうからね。


 「レッド・ツェッペリンⅡ」。
 なんだか久しぶりに聴いたなあ。
 やっぱりこの頃のツェッペリンって勢いが感じられますね。演奏自体もとてもエネルギッシュ、破壊力抜群です。
 そして、今まで聴いたいろんなバンドと比べても、「貫禄」のようなものが際立って感じられるのです。 
 やっぱり凄いバンドだったんだな。






◆レッド・ツェッペリンⅡ/Led Zeppelin Ⅱ
  
■歌・演奏
    レッド・ツェッペリン/Led Zeppelin
  ■リリース
    1969年10月22日
  ■プロデューサー
    ジミー・ペイジ/Jimmy Page
  ■収録曲
   [side A]
    ① 胸いっぱいの愛を/Whole Lotta Love (Jimmy Page, Robert Plant, John Paul Jones, John Bonham, Willire Dixon) ☆アメリカ4位
    ② 強き二人の愛/What Is and What Should Never Be (Page, Plant)
    ③ レモン・ソング/The Lemon Song (Page, Plant, Jones, Bonham, Chester Burnett)
    ④ サンキュー/Thank You (Page, Plant)
   [side B]
    ⑤ ハートブレイカー/Heartbreaker (Page, Plant, Jones, Bonham)
    ⑥ リヴィング・ラヴィング・メイド/Living Loving Maid (She's Just a Woman)  (Page, Plant) ☆アメリカ65位
    ⑦ ランブル・オン/Ramble On (Page, Plant)
    ⑧ モビー・ディック/Moby Dick (Bonham, Page, Plant)
    ⑨ ブリング・イット・オン・ホーム/Bring It On Home (Willie Dixson)
    ☆=シングル・カット
  ■録音メンバー
   [ Led Zeppelin ]
    ロバート・プラント/Robert Plant (lead-vocals, harmonica)
    ジミー・ペイジ/Jimmy Page (guitars, theremin, backing-vocals)
    ジョン・ポール・ジョーンズ/John Paul Jones (bass, organ, backing-vocals)
    ジョン・ボーナム/John Bonham (drums, backing-vocals)
  ■チャート最高位
    1969年週間アルバム・チャート  アメリカ(ビルボード)1位 イギリス1位 日本(オリコン)8位
    1970年年間アルバム・チャート  アメリカ(ビルボード)2位



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バナナ指の男と200年ベースを弾いている男

2006年03月17日 | ネタをたずねて三千里
♪ぼくの左手。生命線は健在。


 「お前の手はベーシスト向きにできてるな~」と時々言われる。
 指が人より少し長いのだ。
 手そのもの、つまり「手のひらと手首の境」から「中指の先端」までだけを比べると、とくに大きいわけじゃない。といって小さいわけでもないが。つまり、まあ、手の大きさは人並みってところだ。
 手のひらだけを見てみると、はっきり言って小さめである。小さくて可愛いらしい(嘘)。小さいといっても、もちろん小学生なんかよりははるかに大きいのであるが。女性でも、ぼくと同じくらいか、ぼくより大きめの手のひらを持つ人は結構いる。
 しかし、指の長さで遅れを取ったことはそうそうはない。しかもよく広がる。人差し指と中指を平行に広げると、その間がラクに11cm以上にはなる。
 長くてよく広がる指を持つということは、神様から「お前、大人になったらベースを弾くんやで」と言われているようなもんである。


 ただし、ベースを弾く時以外に「指が長くてほんっっっっとに良かった」と思えることなんてほとんどない。あるとすれば、野球をする時にフォークボールを投げやすいとか、たまにピアニストに羨ましがられる(ピアノを弾く時も指が長い方が便利らしい)ことがあるくらいだ。
 しかしそもそも、フォークボールを投げられることが日常生活に何か役立つとでもいうのだろうか。それ以前に、自分の生涯でこの先フォークボールを投げる機会が何球あるというのだ。(笑)


 ずーっと前に、あるライヴを聴きに行った。黒人4人編成で、ファンクとかフュージョンなんかを演っているバンドだった。ベーシストは、ホィットニー・ヒューストンだか誰だかのバックを務めていたこともあるという人で、エレクトリック・ベースを使って、そりゃあもう凄まじいプレイを見せてくれた。
 ライヴのあとでそのベーシストと話す機会があった。もちろん向こうは英語しか喋れないし、ぼくが話せるのも日本語とカタコトの英語だけだ。
 「自分もベースを弾いている」と言うと、「オマエはベーシストでは誰が好きなのか」と訊ねてきた(それくらいの英語は分かるのだ)。ぼくがとりあえず、「え~と、ポール・マッカートニー、、、あ~んど・・・」と言いかけると、さも小バカにしたように「OH~ ┐(´ー`)┌」とかなんとか言いやがった(暴言シツレイ)(せめて オー、ナガシマ くらい言ってみやがれってんだ笑)。
 まあ、やっぱり黒人独特の好みみたいなのがあるってことなんだろう。
 

 ぼくは彼の手や指の大きさを見てみたかったので、「あい わな しー ゆあ はんど、ぷりーず」と頼んでみた。彼は「OK、OK」と言って、すぐ両手を広げて見せてくれた。手自体の長さ(手首と手のひらの境から中指の先端まで)は、やはり彼の方が多少大きかったのだが、それよりもビックリしたのが指の太さ。まるで手のひらにモンキーバナナが5本生えているみたいなのだ。
 あんなブッとい音が出る秘密はこの指の太さにもあったのか!
 思わず「ゆあ ふぃんがーず るっく らいく ばななず」と口走ったら、それがヤツのツボに入ったらしく、「HA~HA HA HA!」と豪快に大笑いしてくれた。「お前は黄門様か」っていうくらい。でもとにかく、雰囲気がほぐれて良かったよ
 それにしてもなんでヤツらはあんなにオーバー・アクションなんだろうね。


 ともかく、それがきっかけとなって彼もちょっと打ち解けたようで、「トコロデオマエハべーすヲナンネンヒイテルノダ?」と訊ねてきた。でも、英語の意味がすぐには全部分からなかったうえに、いいカッコして流暢に答えてやろうしたのでアワテてしまい、「About 20years」というところを、とっさに「あばうと つー はんどれっど いやーず!」と自信たっぷりに答えてしまったのよ・・・(恥)
 するとヤツはスキッ歯を見せながら満面の笑みで「グレイト! ヘ~イ マイ ブラザー!(註:オマエはオレのミシンだ、という意味ではない) WA~HAHAHA!」と大喜びしてくれた。


 200年・・・。ぼくは松平定信が寛政の改革を行っていた頃からベースを弾いてるのか・・・
 200年も弾いてたら、指先は楽器にピタリとフィットし、指は長く太く、しかも柔らかに動くように進化したことだろう。
 まるで2本足で歩くタコですね(笑)


 ま、一種の日米交流にはなったかな。ヤレヤレ。


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なごり雪

2006年03月16日 | 名曲

                                             ♪かぐや姫「三階建の詩」
 
 
 寒かった!
 いや~、おととい、さきおとといと、ふるえました。もう3月も半ばですよ?
 なんでも真冬並みの寒気団が来ていたそうですが、春の気配を感じていたあとだっただけに、よけいに寒さが身にしみました。
 北日本や日本海側ではかなりの積雪があったそうですね。そうとう広い範囲に雪が降ったようで、ぼくの住んでいる街でも雪がちらつきました。
 文字通り「なごり雪」ですね。
 
 
     
     かぐや姫


 時が経って、いつしか美しく成長して大人になったひとりの女が男のもとを去ってゆきます。「なごり雪」には、旅立つその女を見送る男の気持ちが歌われています。情景がありありと目に浮かんでくるような歌です。
 駅で誰かを見送ることって、どこか寂しさがつきまとうものですよね。この歌詞も、見送ることの寂しさと別れのせつなさとが重なり合っていて、それだけでジンワリとしてきます。
 そして「春」という新たな明るい季節の訪れとの対比が、いっそう寂しさをかきたてているようでもあり、その反面、新たな明日が始まることを暗示しているようにも思えます。


 冬のなごりを残す雪だから「なごり雪」なのかな。それとも「別れようとしているのだけれども別れるに忍びない、彼女へのなごり」を雪に投影させた「なごり雪」なのでしょうか。


     
     伊勢正三


 「なごり雪」は、「正やん」こと伊勢正三が初めて作曲した曲だそうです。フォーク・グループ「かぐや姫」の4枚目のアルバム『三階建の詩』に収められています。
 曲の完成直後から、かぐや姫の所属事務所内では、「『なごり雪』という曲は傑作だ」、としきりに言われていました。たしかに、歌詞はもちろん、曲も起伏に富んだ、しかも親しみやすくて温かいメロディーを持ってますもんね。
 この曲をカヴァーするミュージシャンも多く、2005年には平原綾香が自身のアルバムで歌っています。
 数多ある「なごり雪」の中でぼくが一番好きなのはやっぱりかぐや姫ヴァージョン、次いでイルカの歌っているものですね。


     
  
 
 この曲をイルカのシングルとして出したい、という事務所の意向に反して、イルカ自身は「歌いたくありません」と断わったそうです。理由はふたつ。
 この曲が気に入らないどころか、むしろ彼女は「とてもいい曲だ」と思っていたのですが、かぐや姫が醸し出している雰囲気を壊すことを恐れたのです。
 そしてもうひとつ。
 「なごり雪」はアルバムの発表当初から、「誰が歌ってもヒットするだろう」と言われていたほど評判が高かったのですが、イルカはそれに甘んじて「なごり雪」を利用することを潔しとしなかったのです。「私は曲をヒットさせることを目的に歌ってるんじゃない」、と。
 イルカの人柄が垣間見えるような、ちょっといい話だと思いませんか?


   
 
 
 1974年夏にラジオの深夜放送でDJを務めるようになってから人気者になったイルカですが、それまでは全く売れていませんでした。彼女が結婚式の日取りを5月1日(1972年)にしたのも、「メーデーでメがデますように」という願いからだったそうです。
 「なごり雪」は1975年11月にイルカの新曲として発表され、翌年にかけて55万枚、累計売上80万枚の大ヒットを記録しました。以後現在に至るまで多くの人に愛され続けています。
 2002年には、伊勢正三とイルカが、それぞれにセルフ・カヴァーしましたね。


 [追記]
 伊勢正三がこの曲の歌詞を書いた当時、「なごり雪」という言葉はなかったそうです。
 伊勢さんの造語だったことが一部からの批判を招きました。「こんな言葉を勝手に作るのは日本語の乱れにつながる」という声まで上がったといいます。
 しかし時は流れ、約40年後の2013年に日本気象協会が「季節のことば36選」を選定しましたが、この中で3月の言葉として「なごり雪」が選ばれました。
 伊勢さんの感慨も、ひときわ深いものがあったのではないでしょうか。



[歌 詞]
 

◆なごり雪
  ■歌・演奏
    かぐや姫
  ■発表
    1974年3月12日(アルバム) ※かぐや姫としてはシングル・カットはしていない
  ■作詞作曲
    伊勢正三
  ■収録アルバム
    三階建の詩(1974年)
  ■かぐや姫
    南こうせつ(vocal, guitar)
    伊勢正三(vocal, guitar)
    山田パンダ(vocal, bass) 
  ■チャート最高位(「三階建の詩」)
    1974年オリコン週間アルバムチャート1位
    1974年オリコン年間アルバムチャート5位
- - - - - - - - - - - - - - - - - -
- - - - - - -
  ■歌
    イルカ
  ■シングル・リリース
    1975年11月5日
  ■編曲
    松任谷正隆
  ■収録アルバム
    夢の人
  ■録音メンバー
    イルカ(vocal)
    吉川忠英(acoustic-guitar)
    鈴木茂(electric-guitar)
    宮下恵補(bass)
    村上秀一(drums)
  ■チャート最高位
    オリコン週間チャート4位
    1976年度オリコン年間チャート11位
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
  ■歌
    伊勢正三(セルフ・カヴァー)
  ■シングル・リリース
    2002年4月13日   




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憧れの楽器

2006年03月14日 | 随想録

                                       ♪わが家のピアノです。ヤマハのアップライト。



 「なぜベースという楽器を選んだのか?」と訊ねられることがままあります。
 ぼくの場合は、高校時代、吹奏楽部に所属したのが事の始まりです。当時ぼくはドラムをやりたくて、打楽器のパートを担当していました。しかし、ポップスの曲を演奏する場合は、先輩ドラマーがいたため、ぼくは割と手持ちぶさたでした。
 ところで、吹奏楽のポップス曲にはエレキ・ベースのパートが加えられている場合が多く、手持ちぶさたなおかげでそのオハチがぼくに回ってきた、というわけなのです。


 ベーシスト同士で「なぜベースという楽器を選んだか」を告白しあうことがありますが、ぼくの理由などマシな方でしょう。
 よくあるのが、「ほかに誰もいなかったから、仕方なく」という理由です。これに近いものとして「ジャンケンで負けたから」とか、「先輩に脅されて」というのがあります。ひどいのになると、「罰として」とか、「ダマされて」などというのがありました。スマンけどこれには笑った。
 いろんな奏法が開発されたりしたお陰でベースも目立つようになり、今でこそ「オレはベースをやりたいのだ!」と自発的に選ぶ輩も多いようですが、ぼくが高校の頃は、ベースにスポットが当たることなんてまずありませんでした。ほとんど日陰者に等しい存在だったのです。


 「でも今、一番好きな楽器はベースでしょ?」というのもよく訊ねられることです。う~ん、まあ、今はそうかな。ベースの大切さ、面白さも年々分かってきたしね。でもね、憧れの楽器はまた別なんですよ。
 ぼくが憧れる楽器、それはピアノです。
理由その1 ピアノを習ったことがありません。だからよけいに憧れます。
理由その2 エレガントなイメージがある。かつジャズなど弾いてるのを見ると、アーティスティックな感じがしてカッコいい。とってもウラヤマシい。
理由その3 ひとりで好きな曲を弾くことができるから。ピアノで弾いてみたい曲、たくさんあったんですよ。「レット・イット・ビー」とか、「いとしのレイラ」の後半部とか、ビリー・ジョエルやエルトン・ジョンなどの弾き語り系の曲とか。ひとりでベースを弾いてみてもボンボンいうだけで、何弾いてるんだか自分でも分からなくなるし、面白くもなんともないもんね。
理由その4 モテそう。バラードなんかを弾いてるピアニストに向けられた客席の美女の目が←こうなっているのを何度見たことか・・・。


 幼稚園の時、オルガン教室に通ってたことがあります。正確に言うと、「入れられた」んですが。でも、同じ町内のガキ共から「オンナみたい」(女の人ゴメンナサイ。でも男の子ってアホだからすぐそういうことを言うんですよ)と言われそうなのがイヤで、一日で脱走しました。今ではとても悔やんでいます。
 中学3年の時、どうしても「レット・イット・ビー」を弾いてみたくて、当時の音楽の先生に簡単にアレンジして貰いました。それからは、家にあったエレクトーン(姉が習っていた)をひんぱんに触るようになりました。少しでも弾けるようになると楽しくて面白くて。「青い影」なんかも大好きだったから、オルガンのパートを耳コピーして、自力で弾けるように頑張ったんですよ。
 高校時代はよく学校の音楽室でピアノをイタズラ弾きして遊んでました。
 そのおかげで、コードはひと通り弾けるまでにはなりました。
 そして、ひとり暮らしを始めてから、ようやく念願のピアノを買いました。「コルグ」のエレクトリック・ピアノです。


     
     わが家のエレクトリック・ピアノ。「コルグ」製。


 ライブ・ハウスで、本番中にいきなりピアノを弾かされたことがあります。兵庫県内のあるライブ・ハウスで演奏していた時のこと。当然ぼくはその時ウッド・ベースを弾いていたわけですが。
 突然ピアニストのAさんが、「次の曲、MINAGI君がピアノ・ソロで何か弾いてくれ」。
 なんですと!!!(◎д◎;)
 ピアノを習ったこともない、ろくに指も動かないこのぼくに、ライブ中にピアノを、しかもソロで弾け、と!? ソロッとなら弾けないこともないが・・・(寒)
 ヤバイ・・・(-_-;) というか、あまりにも無謀な命令ではないでしょうか、Aさん。
 しかしここでひるんではいられない。というか、弱気なとこは見せられないではないですか。一瞬のうちに決断し、ピアノに座ります。いや、ピアノに座っちゃいかんな。ピアノの前に座ったんだった。


 「テンポの速い曲は指が動かないからムリ」「スローなバラードにしよう。それならまだ余裕がある」などと頭を巡らせて選んだ曲が、ジャズのスタンダードで、ぼくの大好きな曲でもあり、自分の部屋でもよく弾いていた「イン・ア・センチメンタル・ムード」という曲です。
 テーマをなんとかこなし、アドリブに入ります。もう必死。というか、ヤバけりゃワン・コーラスで終わればいいものを、何を血迷ったか(ぼくには目立ちたがりの性質がある、というのも関係があります。ワハハ)指がそんなに動くわけでもないのに、調子に乗ってツー・コーラス目、スリー・コーラス目と、どんどん突入していったのです。


 もうヤケクソです。(ナゲヤリ、とは違うんですよ)
 しかしこの場合、お客に「なんやねんあれは!」と思われることだけは避けたい。しかしできないものはできない。どうするか。もう開き直りのキレまくりでムチャクチャをして見せるしかないではないですか。もう指さばきなんてもんじゃないです。グーチョキパー、ついでにヒジ撃ちで弾き倒してやりました。もう冷や汗とアブラ汗とコーフンで服はビショビショ。。。
 そのお店のマスターは、いい加減な演奏をすると、すぐに「もうオマエは帰れ!」と激怒することで有名な人なのですが、不思議なことにその時まったくクレームがつかなかったんですよ。


 あとでAさんに、「なんでろくに弾けもしないぼくにピアノを弾かせたんですか?」と訊ねると、「生徒たち(Aさんの生徒さんが数人聴きに来ていた)に、ピアノの腕がなくても、気合だけで何かができるということを見せてやって欲しかったんや」ということでした。「あのマスターに文句つけられずに1曲弾き通したのはスゴイ」とホメても貰いました。もっとも、「もっとブチ切れて欲しかったなァ」とも言われましたけれどね。


 3年ほど前に、中古ですが、アップライトのピアノをとうとう買いました。アコースティック・ピアノ、ずーっと欲しかったんです。今では好きな時に好きなだけピアノを弾いています。弾いていると、やっぱり、「もっとうまくなりたいな~」なんて欲が出るものなんですね。




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ローリング・ストーンズ (Rolling Stones)

2006年03月13日 | ミュージシャン
♪お気に入りアーティスト45(海外篇その32)


 1960年代の日本の洋楽ファンの中には、「ビートルズ派」と「ストーンズ派」の二大勢力があったようです。
 どちらも黒人音楽をルーツとしていることに変わりはないのですが、今聴き比べてみると、やっぱり全くカラーが違うんですね。当時の洋楽ファンが両派に分かれていたのも当然といえば当然なのかも。
 ぼくが洋楽を聴き始めた頃は、人気のあるバンドもたくさん存在していて、ファンが「ビートルズ派」と「ストーンズ派」に分かれる、なんてことはもうありませんでしたが、ぼくは言うなれば「ビートルズ派」でした。同じく黒人音楽をルーツにしていても、ビートルズの方がはるかにポップで洗練されていたように感じてたんです。
 ぼくがストーンズを聴くようになったのは、なんと20歳台も半ばを過ぎてからでした。われながらおかしいくらい異様に遅い「ストーンズ・デビュー」です。


     


 ロック・ミュージックを反体制の象徴のひとつとするなら、ストーンズなどはまさにその旗手と言えるでしょう。だからこそ怒れる若者たち、鬱積した心を抱える若者たちがストーンズを大きく支持した、とも言えるのかもしれませんね。
 「セックス、ドラッグ、ロックンロールがあればいい」、とはジャニス・ジョプリンが言ったとされている言葉ですが、まさしくこれはストーンズにも当てはまる言葉です。(歌詞にもキワドイものが多いですよね)
 ストーンズのことをよく「永遠の不良」なんて言いますが、ワルいことをするだけではただの「悪党」。「不良」はカッコよくなくちゃいけない。ストーンズからは見事な「不良の美学」みたいなものを感じます。だいたい60歳過ぎてもアツくロックし続けることって、ある意味最高に不良ですもんね。ぼくだって60歳過ぎてもベースをがむしゃらに引き続ける不良爺さんになりたいです。


 ローリング・ストーンズのデビューは1963年。バンド名は、彼らの尊敬するシカゴ・ブルースの大御所、マディ・ウォーターズの名曲、「Rolling Stone」に因んだものである、というのは有名な話ですね。ヴェンチャーズなどと並ぶ、世界でも有数の長命ロック・バンドでもあります。1989年には「ロックの殿堂入り」も果たしました。
 2003年には、あの「不良の中の不良」、ミック・ジャガーが「ナイト」の称号を受けました。時代は変わったんですね~。ロックやってる、というだけで不良扱いされた時代があった、というのがウソみたいです。


     


 1991年にベースのビル・ワイマンが脱退、今ではミック・ジャガー(vo)、キース・リチャーズ(g)、ロン・ウッド(g)、チャーリー・ワッツ(drs)の4人編成(ベースのサポートにダリル・ジョーンズ)となっています。
 チャーリーは、ジャズ・ドラマーとしても活動していますね。


     
     ビル・ワイマン在籍時のローリング・ストーンズ


 ストーンズはリズム&ブルースの影響を非常に強く受けていて、黒人音楽をリスペクトし、黒人になりきって演奏しようとさえしているのはよく知られていますよね。
 そして、ソウル、東洋音楽、サイケデリック、グラム・ロック、ディスコ、ニューウェイヴなどなど、その時々の流行をうまく取り込みながら、一貫してリズム&ブルースをベースにしたロックンロールを演奏し続けています。ストーンズの音楽って、耳だけで聴くものじゃない。体感するものなんですよね。
 ステージでのパフォーマンスもカッコいい! 単なるロック・バンドではなくて、ストーンズはすぐれたエンターテイナーなのです。
 昨年8月には、8年ぶりにアルバム「A Bigger Bang」を発表して、健在ぶりを示してくれました。


     
     Rolling Stones 「A Bigger Bang」


 ぼくの、ストーンズの愛聴曲は、
 「ホンキー・トンク・ウィメン」、「ブラウン・シュガー」、「ダイスをころがせ」、「悲しみのアンジー」、ほかには「アンダーカヴァー」だとか、「スタート・ミー・アップ」、「サティスファクション」、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、「愚か者の涙」などなど、ほんとにキリがありません。
 「アンジー」はよくフォーク・ギターで弾いて遊んでました。


 そのローリング・ストーンズがやって来ますね。
 3年ぶり5度目の来日公演です。麻薬常習の前歴などのために、彼らの来日は1990年まで日本政府から許可されなかったことを思うと、隔世の感があります。
 今回は、3月22日の東京ドームを皮切りに、4ヶ所・5公演。初登場の名古屋では、5万5千円のゴールデン・サークル席が発売当日に完売したそうです。
 このブログをご覧になっている方の中にもこのライヴに行かれる方が何人かいらっしゃるようです。ウラヤマシイ!ぜひぜひたっぷり「ローリング」してきてくださいね。
 ぼくも一度はストーンズのライヴに行ってみたいんですけどね。。。


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アジアの純真

2006年03月12日 | 名曲


 
 ぼくという人間には、よく言えば喜怒哀楽がはっきりしている、悪く言えば気分屋、という言葉が当てはまるでありましょう。
 そのうえ、われながら几帳面だと思うけれど、その反面、友人が思わずひるむくらいくらいイイカゲン、というか、テキトーなところもあるのです。
 なんと言うか、なにかにつけて極端みたい。几帳面とイイ加減が同居しているし、白黒はっきりしないと気が済まないほうだし、ぼくの話す内容っていったら、ムダにコムズカシイことか、思いっきりアホなことの両極端。中間部分の「世間話」みたいな話が苦手なんです。





 なんか、話がそれちゃいましたが、ナニが言いたかったのかな、、、そうそう、ぼくは喜怒哀楽がはっきりしていて気分屋である、っていう話でした。 
 気分屋っていっても、「さっき決めたばかりなのに次の瞬間にはいきなり気が変わる」という類いのものではありません。「その時の気分や直感で決めることが多い」ってことです(でもガンコだから、いったんこうと決めたらなかなか譲らんぞヘッヘッヘ)(でもそのガンコさも気分次第で急に素直になったりするのさヘッヘッヘ)
 ゆえに、その日によって気分もさまざまです。落ち込む日もあれば、安定した日もあり、マジメな日があれば、アホ丸出しな日もある。内省的な気分の日もあれば、開放的な日もある。というわけで、いろんな聴く曲もその時の気分に合わせて、ってことが多いでしょうか。
 前置きが長くなりましたが、脳内が春の陽気で満たされているような、ワケもなく楽しい気分の時は、この曲に合わせて歌いながらユラユラしていることが結構あります。



PUFFY 「amiyumi」


 言わずと知れた、パフィーのデビュー曲です。発表されたのは1996年5月。
 初めて聴いた時、「おおお、これはE.L.O.(エレクトリック・ライト・オーケストラ)のパロディか!?」と思わず感心してしまったくらい、カッコいい曲です。(奥田民生ってスゴイな~、と思ったのもこの時でした)
 それになんじゃ、このフィーリング一発で単語を羅列しただけのような、ナンセンスきわまりない歌詞は。それがまた、バカにできないインパクトの強さを持っているときた!ムムム・・・
 そのくせ、脱力感漂う歌い方がやけに斬新に聴こえたりして。でもこの曲、よく聴くと実は別にそんなに脱力しているわけではないんですね。それなのにダルそうに聴こえさせてしまうところがスゴイ、なんて、ヘンなとこに感心したり。
 やけにオオゲサなエンディングも、ユーモラスに聴こえます。
 まさにノーテンキさ丸出しの、ノホホンでハッピーな曲ですよね。



     

 一発屋になるかと思いきや(勝手に思ってたんですスイマセン)、その後もビートルズなどの1960年代ポップスのエッセンスを振り撒きながら、快進撃を続けて早や10年。日本を代表する女性ポップ・デュオとして相変わらずいろんな話題を提供してくれています。
 2004年には、彼女たちを主人公としてアニメ「ハイ!ハイ!パフィー・アミユミ」が制作され、アメリカ最大のアニメ専門局「カートゥーン・ネット」で放送されると、この番組がアメリカの視聴率アニメ部門でトップに立つ、という快挙を成し遂げて、大きな話題になりましたね。そのほか、ニューヨーク・タイムズの1面に、パフィーのインタヴュー記事が掲載されたのも記憶に新しい出来事です。





 朝っぱらから「アジアの純真」を聴いてしまった今日は、おかげで一日中ノホホンとして過ごせそうです。


[歌 詞]


◆アジアの純真
  ■歌
    PUFFY (大貫亜美&吉村由美)
  ■シングル・リリース
    1996年5月13日
  ■作 詞
    井上陽水
  ■作 曲
    奥田民生
  ■編 曲
    奥田民生
  ■プロデュース
    奥田民生
  ■チャート最高位
    1996年度オリコン週間チャート 3位
    1996年度オリコン年間チャート 15位
  ■収録アルバム
    amiyumi(1996年)

  ☆PUFFY 公式ホームページ


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「教える」ということ(2)

2006年03月11日 | 価値観
♪ぼくが尊敬し、理想とする先生のひとり、「ギターを弾く提督」こと、元海軍大将井上成美氏。井上氏の本質は軍人ではなく、教育者ではないでしょうか。


 ぼくの周りには、ジャズを教えている人が何人もいます。(この場合、自ら積極的に「生徒」を集めようとしているか、または単なる助言にとどまらずより積極的に「教えてやろう」としている人のことを指します)
 こういう先生たちには、「教えることがうまい人」と「教えることが好きな人」のふた通りのタイプがあるようです。
 そして「教えることがうまい人」が教え好きとは限りませんし、「教えることが好きな人」は必ずしも教えることが上手ではありません。
 前者には実害()はありませんね。先生自身の教え方が上手いのだから、「先生は教えることが好きかどうか」は、生徒にしてみれば問題ではないわけです。どちらであろうと、自分を伸ばしてくれる力を持っているのですから。


 ぼくの周りで多く見かけるのが、後者の「教えることが上手いとは言えないが、教えるのは好き」というタイプです。
 さらに言うと、「教えることが好き」なのではなくて、実は単に「中心的存在でいたい」とか、「『先生』でいたい」とか、「教えることで人を従えたい」だけな場合が多いようです。つまりこれらの人たちは、音楽を手段として、「お山の大将」になろうとしているだけなのです。
 こういう先生の存在、困ったものです。初心者は先生を信じるしかないのですから。


 「教えること自体が好きな困った先生」は、欠点の指摘が大好きです。自分の見解だけを延々と語るのが好きです。自分と同じ狭い枠にはめようとします。自分の見解とは違う他人の見解にはまず否定的です。あれ、こんなタイプの先生、学生時代にも何人かいたような・・・。しかし、実は、ぼく自身が、型にはめられるのがすごくイヤなワガママ者だったりするだけなのかも。
 例えば、「1+1=3」という命題は否定することができますね。しかし、「リンゴについて説明せよ」というように、答えがいく通りも考えられる問題に対しても、自分の持つ答え以外は間違いだとしてしまう、視野の狭いタイプの人もいます。
 これらのタイプに共通して言えること、それは生徒のやる気をそぐ、生徒の視野を狭くする、生徒を信頼していない、そして、「育てるという視点」に欠けているということです。


 ぼくは、自分がリーダーでライブをする場合、集めたメンバーに対して「して欲しいこと」は言いますが、あれこれ教えたりはしません。それよりも、自分で学び取ろうとする姿勢が見たいのです。
 また、原則として、「してはいけないこと」も言いません。言う必要がある時もありますが、その時は「何がダメなのか」「それはどうしてなのか」を明確にさせるようにしています。(「それはダメ」と言うより、「○○して」という方が、指示としては分かりやすい場合が多いように思います)
 ぼくは、「自分が集めたメンバーだから心配いらん!」、と開き直って(笑)いるのです。メンバーには自分の持つ力を出し尽くしてもらうだけです。自分が信頼して集まって貰ったメンバーだから、出た音が悪けりゃ自分の責任、良ければみんなのおかげ、ってわけです。


 一概に「先生」であることと、「リーダー」であることを同列に考えることはできません。しかし相手を信頼すること、相手に信頼されなければならないこと、自分の人間性・音楽性が相手に影響を及ぼすこと、など、共通項は多いと思います。
 メンバーの人選もリーダー次第、バンドというものは、リーダーの器と同じ程度のものにしかならない、と思うのです。
 そして、理論や知識を振りかざす前に、メンバーに音楽をもっと好きになってもらうこと、やる気を引き出してあげられるような人間に自分が成長してゆくことが重要だと思っています。この「メンバー」という言葉を、「生徒」に置き換えることもできるのではないでしょうか。


 良い先生になるには知識も必要ですが、まず「良き心理学者」であらねばならず、次に「信念」を持つべきではないのだろうか、と思う今日この頃です。
 良い先生といえる人のやり方は、教えることが育てることにつながっているように思います。そして、生徒を育てようとすることで、その先生自身も成長してゆこうとしているのではないでしょうか。
 そういう「先生としての器」の大きい人の元からは、やはり多くの素晴らしい生徒さん達が育っているように思うのです。
 これから音楽を習ってみたい人たちに、良い先生との出会いがありますように。


 なんだか堅苦しくて批判がましい「教育論」になっちゃいましたね。「まずは隗より始めよ」です。ぼくももっと成長しなければ。


「教える」ということ(1)

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「ヴォイセズ」と「イーストワード」 (「Voices」&「Eastward」)

2006年03月10日 | 名盤


  最近、ベーシストのリーダー・アルバムを気に入って聴くことが多いです。意識してベースを聴いてみようしているわけではないんです。ベーシストであるかどうかにかかわらず、たまたま聴いた金澤英明や北川潔、あるいは中村健吾らの世界が自分の気に入ったものだった、というだけなのです。


 昨夜はゲイリー・ピーコックのアルバム、「イーストワード」と「ヴォイセズ」を聴いていました。
 ゲイリー・ピーコックといえば、今やジャズ・ベーシストの最高峰のひとりとも言える存在で、キース・ジャレット・トリオのベーシストとして有名ですね。
 彼は1936年生まれ。今年の5月で70歳になりますが、相変わらず第一線で活躍しています。13歳でピアノを始め、高校時代にはドラムやヴィブラフォンなども演奏していたようです。軍隊に在籍していた1954年にベースを始めたそうですから、ベース歴もすでに50年を越えているんですね。


     
     ゲイリー・ピーコック


 ゲイリー・ピーコックには、東洋思想と自然食主義に深く傾倒していた時期があり、その実践のために1970年から約2年間、日本(京都、のち東京)に住んでいました。
 1960年代にはポール・ブレイやビル・エヴァンス、アルバート・アイラーなどと共演していたピーコックの名は、その頃にはすでにジャズ界に知れ渡っていました。
 以前、関西のあるミュージシャンからこんな話を聞いたことがあります。


 「京都のあるライヴ・ハウスでのこと。得体の知れないガイジンがたまにフラリとやって来ては、静かにジャズを聴いて静かに帰ってゆく、こういうことが何度もあった。いつしか店のスタッフや常連たちは、『あれはいったい何モンやろ』『坊さんの修業にでも来てるん違うか』などという疑問を持つようになり、ある日ついに思い切って話しかけてみた。
 『失礼ですが、あなたはいったいどういったお方なのでしょう』『お名前を教えて頂けませんか』。返ってきた答えは、
 『わてがゲイリー・ピーコックだす』(別に関西弁で答えたわけではなかったらしいが)だったという。
 これを契機として、関西のミュージシャンたちはピーコック氏に教えを乞うようになり、その結果として関西ジャズ界のレベルがアップした」


 ぼくにこの話をしてくれたのは冗談の好きな方ですので、どうも脚色されている部分があるような気もするのですが、とにかく、おおむねこんな内容でした。


 しかし、日本滞在中にピーコックが多くのミュージシャンと交流し、日本のジャズ界に多大な影響を与えたことは事実です。彼は滞日中に4枚のアルバムを残していますが、そのうちピーコック自身のリーダー作が、この「イーストワード」と「ヴォイセズ」の2枚である、というわけです。
 2枚ともピアニスト菊地雅章、ドラマー村上寛という布陣です。「ヴォイセズ」ではこの3人にパーカッショニストとして富樫雅彦が加わっています。


       
     ◆イーストワード/Eastward
       ■演奏
          ゲイリー・ピーコック/Gary Peacock         
       ■プロデュース
          伊藤潔         
       ■録音            
          1970年2月4日⑦、5日①~⑥  川口市民会館         
       ■録音メンバー            
          ゲイリー・ピーコック (bass)            
          菊地雅章 (piano)            
          村上 寛 (drums)
       ■収録曲
          A① レッソニング/Lessoning (Peacock)
           ② ナンシ/Nanshi (Peacock)
           ③ チェンジング/Changing (Peacock)
           ④ ワン・アップ/One Up (Peacock)
          B⑤ イーストワード/Eastward (Peacock)
           ⑥ リトル・アビ/Little Abi (菊地雅章)
           ⑦ ムーア/Moor (Peacock)
 
 
 それまでは主としてフリー・ジャズのフィールドで活動していたピーコックですが、「イーストワード」ではその片鱗は見られるものの、比較的ストレート・アヘッドなジャズを演奏しています。しかし、だからといってピーコックの強い個性が薄まったわけではありません。むしろ波長の合う菊地雅章というピアニストと出会ったことでピーコック自身の世界が広がり、ひいてはそれが、菊地雅章や村上寛らの音楽的可能性をも広げる結果となったのではないでしょうか。
 「ヴォイセズ」では、菊地と、より内省的になったピーコックとの結びつきが、さらに深まったような印象を受けました。まるで、水墨画や、ひと気のないお寺の庭、あるいは人里離れた自然の風景などを見ているよう気がする作品です。富樫を含めた4人の、音を通じての会話が、いっそう自在に行われているようです。


        
      ◆ヴォイセズ/Voices
       
■演奏
           ゲイリー・ピーコック/Gary Peacock
        ■プロデュース
           伊藤潔
        ■録音
           1971年4月5日  東京・毛利スタジオ
        ■録音メンバー
           ゲイリー・ピーコック (bass)
           菊地雅章 (piano)
           村上 寛 (drums)
           富樫雅彦 (percussion)
        ■収録曲・・・all tunes composed by Gary Peacock
           A1 イシ(意思)/Ishi
            2 梵鐘/Bonsho
            3 ホローズ/Hollows
           B4 ヴォイス・フロム・ザ・パースト/Voice From The Past
            5 鎮魂歌/Requiem
            6 AE. AY./AE. AY.
 
 
 ピーコックのベースは、テンポの速い曲ではたたみかけるようなビートを出すかと思えば、ソロ・パートでは深みのある音色で独特の空間を作っています。
 グルーヴ感と表現力を兼ね備えていて、やはり当代一流のベーシストなんだな、としみじみ思いました。
 ピーコックと菊地雅章の結びつきはその後も続いており、1980年代、90年代にもこのふたりが組んだ作品が発表されています。

     
     (左から)村上寛、菊地雅章、富樫雅彦


 2枚とも、とても個性の強い、創造的な作品だと思います。
 夜中に聴いていると、モノトーンの感覚に包まれたような気がしてきます。不思議な浮遊感を持った作品です。




 

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ジャニスの祈り (Move Over)

2006年03月06日 | 名盤

 1960~70年代の、ロックの名曲がCMソングとして使われることって多いですね。
 この間、テレビから流れてきた「午後の紅茶」のCMに思わず耳がピクリとしました。「おお、ジャニスの『ムーヴ・オーヴァー』じゃないか!」。しかし歌声がなんか違うような・・・。もしや、松浦亜弥嬢が? まさか、そんな、ね~。一介のアイドルにあの曲が歌いこなせるワケが。。。などと亜弥嬢にはたいへんシツレイなことをつい考えてしまいました。
 で、調べてみたんです(いや~、ネットって便利)。すると! なんと、というか、やっぱり、というか、とにかく亜弥嬢が歌ってるということが解りました。これにはちょっとビックリ、ちょっと感心。いろんなブログを見てみると、おおむね亜弥ファンからは好意的に「いいよね~」、ジャニス・ファンからは否定的に「松浦亜弥にはちょっと・・・」という感じに受け取とられているようです。
 ぼくは、「けっこう可愛く、一生懸命歌っているようだから、あれはあれでいいんじゃないかな~」なんて思ってます。


     
     松浦亜弥


 オリジナルは言わずとしれたジャニス・ジョプリン。あの名盤「パール」(Pearl)の1曲目に収録されています。ずるい男との恋のかけひきを歌った曲で、ハード・ロックの古典とも言われていると同時に、ロック史上に残る名曲のひとつでもあります。


     


 ジャニスのステージングは非常にエネルギッシュです。足を蹴り上げ、髪を振り乱し、思いのたけを訴えるように、全身全霊を込めて声を絞り出しているように見えます。
 あるテレビ番組に出演したジャニスがこの曲を歌っている映像を見たことがありますが、やっぱりカッコいいですね。貫禄さえ感じました。インタビューには飾ることなく、ユーモアをまじえながらも率直に答えていて、ジャニスの人柄を垣間見たような気がしました。


     


 1960年代のアメリカといえど、地方都市は、いや地方都市だからこそまだまだ保守的だったようです。そういう中で育ったジャニスは、つねに自分が周りから疎外され、両親からは枠にはめられているような窮屈さを感じていたようです。そのうえ、ジャニスには自分の容姿などに対するさまざまなコンプレックスがあり、それは死ぬまで消えなかったといいます。


 彼女の言動が型破りなのは持って生まれた個性なのか、一種の強がりなのか、それはぼくには分からないけれども、それまでの女性には見られない強烈なパーソナリティーを持っていたことは確かでしょう。だからこそ彼女は、孤独感や劣等感などと戦い続け、はっきりと自己主張し、デリケートな自分の心が感じるがままを歌い続けたのだと思います。
 そして自身の音楽を含めたその過激な言動は、「自分自身についての表現」なのではないでしょうか。
 「ムーヴ・オーヴァー」の歌詞には、そういったジャニスのパーソナルな部分がとてもよく出ているような気がします。


     


 「ムーヴ・オーヴァー」、ドラムが刻む歯切れのよいリズムに続き、ジャニスのヴォーカルとギターのユニゾンで始まります。印象的で、とてもゴキゲンなリフです。これにベースが加わり、オルガンとピアノがかぶってきます。
 さすがにヴォーカルには聴き手の心を揺さぶる迫力がありますね。それに加えてツヤみたいなものまで感じられます。


 松浦亜弥ヴァージョンは、今のところCD化される予定はないということですが、一度はフルコーラス聴いてみたい気がします。



[歌 詞]
[大 意]
もう終わったと言うのねベイビー そうよ終わりよ
だったら何をグズグズしているの さあ、早く消えてちょうだい
あたしは男が欲しいのよ それはあんたも分かってるじゃない
なのにあたしが誘ったら「さあね」ですって そんなのないわ

頼むからそんなことしないでよ、ベイブ
あたしの愛を受け入れるか、さもなきゃ放っといて
ひとり歩きはできないわ 心の準備ができてないの
でもあんたの嘘を放ってはおけないわ ああ、宙ぶらりんなあたし

心を決めて あたしをもて遊ばないで 決心してよ、ダーリン 
あたしをオモチャにしないで、さあ 
恋人になってくれるの? 抱かせてくれるの?
さもなきゃ放っといて

それともあたしの愛を受け入れるの? ハニー、あたしを自由にさせて
頼むから、お願いだから好きにさせてよ 意地悪な人ね
あたしの気持ちをもて遊んでるのね
きっとあたしの愛を オモチャにしてるんだわ
もうゴメンよ、ベイビー ましてその気はないわ
あたしの気を繫ぎ留めておく気なのね
まだついてくると思ってるんでしょ ニカワかなにかでくっつけたみたいに…




Janis Joplin 「Move Over」From THE DICK CAVETT SHOW. June 25, 1970.



ジャニスの祈り/Move Over
  ■収録アルバム
    パール/Pearl (1971年)
  ■シングル・リリース
    1971年(「Get it While You Can(全米78位)」のB面としてリリース)
  ■作詞・作曲
    ジャニス・ジョプリン/Janis Joplin
  ■プロデュース
    ポール・ロスチャイルド/Paul A. Rothchild
  ■演奏
   ☆ジャニス・ジョプリン&フル・ティルト・ブギー
    ジャニス・ジョプリン/Janis Joplin (vocal)
    ジョン・ティル/John Till (guitar)
    ブラッド・キャンベル/Brad Campbell(bass)
    ケン・ピアーソン/Ken Pearson (organ)
    リチャード・ベル/Richard Bell (piano)
    クラーク・ピアソン/Clark Pierson (drums)



コメント (12)
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黒船

2006年03月05日 | 名盤


 キリン・ラガー・ビールのCMで流れている「タイムマシンにおねがい」という曲、ご存知ですよね。
 この曲を世に送り出したバンドが、サディスティック・ミカ・バンドです。
 新しいヴォーカリストに木村カエラ嬢を迎え、CMのために期間限定で「Sadistic Mica Band Revisited」として今年(2006年)再々結成されました。その他のメンバーは加藤和彦(g)、高中正義(g)、小原礼(b)、高橋幸宏(drs)です。



左から 小原礼、高橋幸宏、木村カエラ、加藤和彦、高中正義


 「タイムマシンにおねがい」は、サディスティック・ミカ・バンドのセカンド・アルバム「黒船」に収録されています。コンセプト・アルバムの形をとっているこの「黒船」という作品は、日本のポピュラー音楽史上に燦然と輝く傑作である、とぼくは思っています。





 1971年、元フォーク・クルセイダース(「帰ってきたヨッパライ」の大ヒットで有名ですね)の加藤和彦、加藤夫人のミカ、角田ひろ(現つのだ☆ひろ)の3人によって、サディスティック・ミカ・バンドの原形は出来上がりました。デビューは1972年。この「黒船」制作に参加したメンバーが揃ったのは1973年です。元フライド・エッグの高中正義、元ガロの小原礼・高橋幸宏らの錚々たる顔ぶれです。「スーパー・グループ」のひとつだとも言えるかもしれません。


 バンド名は、あのジョン・レノンとオノ・ヨーコのバンド「プラスティック・オノ・バンド」をもじったものだと言われていますが、加藤夫人のミカの包丁さばきがあまりにも「サディスティック」だったから、という説もあるそうです。




 このアルバムのプロデューサーはクリス・トーマスです。ロック通の方ならよくご存知の名前ですね。そう、ビートルズやピンク・フロイドなどのアルバム制作にも携わった敏腕プロデューサーです。しかも、トーマス氏の方から「プロデュースさせて頂戴ね」というオファーがあった、というんですから、それだけでもこのバンドの持つ実力が伺えるというものです。


 エレクトリック・ピアノと、ギターのロング・トーンで始まる1曲目の「墨絵の国へ」。静かなオープニングですが、すでに何事かが起こりそうな予感をたたえています。
 2曲目「何かが海をやってくる」では、ファンキーなベースとタイトなドラムが生み出す、うねるようなビートの上を、高中正義のギターが自在に歌っています。そして、そのままジャパニーズ・ロックの名曲「タイムマシンにおねがい」へと続いてゆくのです。
 「タイムマシン~」はロックンロールと加藤和彦の持つポップな面がしっかりと結びついた、実にノリの良いハード・ロックですが、中間部の高中正義のギター・ソロは、ハード・ロックの枠からはみ出した、強烈なグルーヴに満ちてますね。ミカ嬢のヴォーカルも、とってもキュートです。
 続く組曲風の「黒船」の構成はとてもドラマチック。LPレコードではB面だった7曲目以降は加藤和彦テイストが満開、といった感じです。


 16ビートを積極的に取り入れた曲作りが目立ちますね。ファンキーでややフュージョン寄りな「サディスティックス」名義の曲と、独特のポップな感性に満ちた加藤和彦作の曲との対比も面白いと思います。
 また、ロック、ポップス、プログレ、ファンク、フュージョンなどの洋楽の要素が、端々に見られる日本情緒とうまく結びついているような気がします。
 日本のロックとしてのオリジナリティをしっかりと持っていることが、制作後30年以上を経ても古びない理由のひとつなのでしょうね。
 時が経てばロック風歌謡曲にしか聴こえなくなってゆくものが多い「J-POP」ですが、だからこそ逆にこのバンドのクォリティの高さが見えてくるのでしょう。


 のちに、サディスティック・ミカ・バンドは積極的にイギリスへ進出します。当時の日本には彼らの先進的なロックを受け入れる土壌がまだなかったから、というのが理由のひとつだと言われています。
 ともかくもロンドンに渡った彼らは、ロキシー・ミュージックのオープニング・アクトとしてツアーに同行、ロキシー・ミュージックを食ってしまうほどの人気を得ました。しかしバンドは加藤夫妻の離婚を機に、1975年11月に解散します。
 加藤夫妻以外の残った4人(当時のベースは後藤次利)はサディスティックスという名で活動を続けましたが、1978年頃に自然消滅したようです。



上段 左から加藤和彦、加藤ミカ、小原礼
下段 左から高橋幸宏、今井裕、高中正義


 その後、高中正義はフュージョン・ギタリストとして大活躍。高橋幸宏はYMOに参加。小原礼は渡米。後藤次利はベーシストとしての活動のほか、作・編曲家としても活躍していました。
 1985年には、国際青年年のイベントとして、一日だけ「サディスティック・ユーミン・バンド」が結成されました。この時のラインナップは、松任谷由実、坂本龍一らが加わった豪華なものでした。
 1989年にはヴォーカリストに桐島かれんを迎え、サディスティック・ミカ・バンド(表記をMIKAからMICAに変えた)を再結成。そして今年再々結成された、というわけです。


 メンバーそれぞれが日本のポピュラー・ミュージック・シーンを支え続けてきた素晴らしいグループです。加藤和彦はもう58歳になるそうですが、この勢いなら、まだまだ当分第一線で活躍してくれそうですね。






◆黒船
  ■歌・演奏
    サディスティック・ミカ・バンド
  ■リリース
    1974年11月5日
  ■プロデュース
    加藤和彦(①②③⑤) クリス・トーマス/Chris Thomas(④⑥⑦⑧⑨⑩⑪)
  ■収録曲
   [side A]
    ① 墨絵の国へ (詞:松山猛 曲:加藤和彦)
    ② 何かが海をやってくる(曲:サディスティックス)
    ③ タイムマシンにおねがい (詞:松山猛 曲:加藤和彦)
    ④ 黒船(嘉永六年六月二日)(曲:サディスティックス)
    ⑤ 黒船(嘉永六年六月三日)(曲:サディスティックス)
    ⑥ 黒船(嘉永六年六月四日)(曲:サディスティックス)
   [side B]
    ⑦ よろしくどうぞ (曲:サディスティックス)
    ⑧ どんたく (詞:松山猛 曲:加藤和彦)
    ⑨ 四季頌歌 (詞:林立夫 曲:小原礼)
    ⑩ 塀までひとっとび (詞:松山猛 曲:加藤和彦)
    ⑪ 颱風歌 (詞:松山猛、加藤和彦 曲:小原礼)
    ⑫ さようなら (詞:松山猛 曲:加藤和彦)
  ■録音メンバー
    加藤和彦 (vocals, guitars)
    加藤ミカ (vocals)
    高中正義 (guitars)
    小原礼 (bass, percussion, vocal)
    高橋幸宏 (drums, percussions)
    今井裕 (keyboards, sax)
  ■チャート最高位
    週間アルバム・チャート オリコン38位
  

コメント (4)
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懺悔します

2006年03月04日 | ネタをたずねて三千里
♪昨日は全国的に「ひな祭り」でしたね。「ひまな釣り」と違うよ


姪っ子よ。愛しい姪っ子よ。
おじさんは本当は君をカワイク思っているのだ。
でも、
ひな祭りだからといって
「おじさんは何かプレゼントしてくれるハズ
と期待されると、
ヘソの曲がったこのおじさんは突如イジワルになるのだ。
君はただ無邪気なだけなのに。


「今年からひな祭りは2月3日になったんや」
「ザンネンやな~、もう終わってるやん」
「そーりだいじんが決めたらしいぞ」


姪っ子よ。可愛い姪っ子よ。
おじさんの大ボラを聞いた瞬間の君の顔が忘れられない。
(゜д゜;)  (-_-;) (TдT)
まさかほんとにこの順番で顔が変化するとは思わなかったぞ・・・
スマンかった。
今日ちゃんとプレゼント届けておくから許しておくれ。


ついでに告白しておく。
クリスマスを祝ってもいいのは中学生になってから、だとか
オトシダマというのはボールに「お」と「し」の字を書いたものだとか、
おじさんには誕生日が1年に4回ある、などというのは
実は、ぜーーーーーんぶデタラメなのだ。


おじさんは貰えるモノは病気でも貰うのだが、
出すモノは舌を出すのもイヤなので、(皆様ここはウソですよ
あんな口から出まかせを言ったのだ。
もちろん君がボーゼンとするのを見るのが
一番面白かったからなのだが。
こんなワルいおじさんを許しておくれ。


まだ君には
平仮名の「あ」と「お」の区別さえつかないのをこれサイワイと(笑)
おじさんはここで君に謝っておく。


許せわがいとしの姪っ子よ!


もっとおもしろいホラを考えておくから
それでカンベンしてね。(違)
ワハハ~


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