ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

ポール・マッカートニー死亡説

2006年04月30日 | ネタをたずねて三千里
 
 この間、ある若い(20代前半)知り合いと話をしていました。彼も音楽好き・ビートルズ好きなので、話は自然そっちの方へ流れていきました。
 そのうち、「ビートルズは音楽以外にもいろんな話題をふりまいた」という話題になったので、ぼくは「そういえば『ポール死亡説』なんてのもあったよな~」と話をふったのです。すると彼は目丸くして、「え? ポール死亡説!? なんなんですかそれは(゜Д゜;) 」という思わぬ反応を見せたんですよ。
 ビートルズ・マニアにとっては有名な「ポール死亡説」を知らない世代もいるのは、ぼくにとっては「ポール死亡説」よりもオドロキだったりするんですが、ぼくも年を取ったってことなんでしょうね。(^^;)


 「ポール死亡説」、あるいは「ポール替え玉説」は、1969年にアルバム「アビイ・ロード」が発表された直後から流れました。これは、「ポールは1967年1月に自動車事故で死んでおり、今のポールは替え玉である」というものです。
 根拠とされたのは、4枚のアルバムの以下のような例です。


■「アビイ・ロード」に関して
☆ジャケット写真に写っているフォルクスワーゲンのプレート・ナンバー「28IF」は、「もし(If)ポールが生きていれば28歳だ」という意味。(実際は27歳)
☆ジャケット写真の、横断歩道を渡るビートルズの4人は葬式の行列を意味し、ジョンは牧師、ジョージは墓堀り人夫、リンゴは葬儀屋、ポールは死者(服装がそれを物語っている)。その証拠に、ポールだけ素足で目をつぶっている。またポールは左ききなのに、右手でタバコを持っているのも不可解。
☆裏ジャケットの「BEATLES」の文字の最後の「S」がひび割れている。
☆収録曲「カム・トゥゲザー」で、ビートルズは4人なのに、ジョンが「1足す1足す1は3」と歌っている。


■「ザ・ビートルズ」に関して
☆収録曲「アイム・ソー・タイアード」のエンディング部分のつぶやき声をテープで逆回転させて聞いてみると「ポールは死んだ。悲しいことだ」と聞こえる。
☆収録曲「レヴォリューション♯9」をテープで逆回転させて聞くと、「助けてくれ、助けてくれ」と言っているのが聞こえる。マッカートニーのつづりが9文字だから、この曲はポールのことを歌ったもの。


■「マジカル・ミステリー・ツアー」に関して
☆ジャケット写真でポールが黒のコスチュームを着ているのは「死」を意味する。
☆見開きジャケット内部に、ポールが黒バラを胸につけている写真があるが、これも「死」を意味する。
☆同じくジャケット内部で、ポールが警官に扮して座っているが、机の名札立ては「I WAS」と過去形になっている。
☆収録曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」のエンディング部分をテープで逆回転させると、ジョンの「ポールを埋葬した」という声が聞こえる。


■「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に関して
☆ジャケット写真でポールの頭上には手がかざされているが、これは東洋では「死」を表す。
☆ジャケット写真に、花で形づくられたベース・ギターがまつられている。
☆裏のジャケット写真ではポールだけが背中を向けている。(実際、この撮影にはポールは参加できなかったので、スタッフが衣装を着けて後ろ向きに立った)
☆収録曲「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」は、交通事故で死んだポールが題材。
☆見開きジャケット内側のポールの写真の左腕に「OPD」という刺繍入りのバッジがあるが、これは「公式宣告死(Officially Pronounced Dead)の略。

*     *     *     *     *     *     *

 さて、「死亡説」を知ったポールの反応は、というと、
 アップル・オフィスから「ポール、たいへんだ、君は死んでいるぞ!」という電話に、「それには同意できないな」と答えたそうです。
 この時同じ内容の連絡を受けたリンゴ・スターの答えは、「まだ葬式の案内状が来てないんだけど」というスッとぼけたものでした。リンゴらしい答えですね。
 ポールはこのあと、連日連夜にわたって世界中のマスコミから取材攻勢を受けたのですが、しまいには閉口して、「ぼくは死んでいない。死んだはずの本人が言っているのだから間違いない」という声明を発表しています。


     


 「ポール死亡説」は、デトロイトのFM局に「ポールは何年か前に死んでいる。だからここ数年ビートルズはコンサートを行っていないのだ」という電話があったのが発端だそうです。電話の主は「はっきりした証拠は、『アビー・ロード』のアルバム写真を見れば分かる。また、『ストロベリー・フィールズ』のエンディングをテープに録って逆回転させて聞けばわかる」ともつけ加えたそうです。
 そのほか、ウィリアム・キャンベルという俳優は、ポールそっくりに整形手術までしてきました。目的は、ポールの代役を務め、ビートルズの解散を防ぐため、ということだったそうです。
 実際はレコーディングなどがひと段落ついて、ポールがメディアの前に姿を見せなくなったことから、噂が一人歩きしてしまっただけのことなんですけどね。


 ・・・以上、今読んでみると、はなはだしいこじつけばかりで、笑えます。
 そういえば日本でも、「ドラえもん」の最終回についてまことしやかな噂が広まったり、「大黒摩季3人説」が流れたりしましたね。
 風説流布や都市伝説って一度火がつくと一気に広がるものだ、というのは洋の東西を問わず、同じなのでしょう。


 実は、現在も依然として「ポール死亡説は事実だ」と主張する人がいます。
 このサイトによると、「ポールは66年9月にフランス北部で死亡し、それ以降はビリー・シアーズ(スタッフだったニール・アスピノールのこと)という人物が、彼の人生のすべてを費やして替え玉を演じている」「67年は、66年に比べて5cmほど身長が高くなり、目の色もダークへーゼルからグリーンに変わっている」「66年までのポールの目と目の間隔は今よりもっと開いていた」そうです。
 うーん、この話、まず「ポールの死」ありきで、その前提に執着しすぎのような気がするな~。いくらなんでもしつこすぎない?(;^ω^)


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漢字バトン

2006年04月29日 | Weblog~雑記
 
 hippocampiさんから「漢字バトン」の御指名を頂きました。


 hippocampiさんのぼくに対するイメージ(「雄」)、恥ずかしくもありましたが、とても嬉しいものでもありました。
 実際の自分って、けっこう短気だし、あれこれ思い悩むたちなので、自分としては「雄」からはほど遠いかな、とも思うんですが、だからこそ逆に「雄」でありたい、という願望は日頃から持ってたんです、実は。
 ちなみに、hippocampiさんに対するぼくのイメージは、【知】と【愛】です。


 この「漢字バトン」、いろいろと自分を振り返る必要があったので、結構あれこれ考えました。難しかったけど、面白かったです。
 自分について考えることは大切なことですからね。そういう機会を与えてくれたhippocampiさんにはお礼を言わなくては。どうもありがとう!(^^)
 


①自分を漢字1文字で表すと?

 【感】 

 いろんな意味で感じることを忘れてはいけないと思っているし、そうでありたいと思っているから、かな。感じる心はいつも豊かなままでいたいですよね。



②あなたの好きな漢字1文字は?

 【優】

 考えれば考えるだけいろいろあって迷いました。でもとりあえずここに落ち着きました。優しさの優。あと、「やわらか」とか「ゆたか」とか「すぐれた」などという字義があるみたいです。優しさがなければ、ね。



③今年1年を漢字1文字で表すと?

 【伸】

 いつも成長し続けていたいのです。少しずつでいいから。



④来年はどんな1年にしたい?

 【幸】

 ここはhippocampiさんと同じです。苦労なく、というのではなくて、苦労や努力が分相応に実ればいいな、と思います。
 みんなで幸せになろう~(*´∀`*)



⑤バトンをまわす人2人とその人を漢字1文字で表すと?

 これは、興味のある方、どなたでもお持ちください。
 もしどなたかおられましたら、結果を見てみたいので教えて下さいね(^^)


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G線上のアリア (Air On The G-String)

2006年04月28日 | 名曲

△ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)
 
 
 
 
 無性にクラシックが聴きたくなる時があります。
 同じアコースティックな音なのに、なぜかジャズでさえ耳障りな時だってあるのです。いつもだと心地よく感じるはずのグルーヴ感が、逆に疲れを増加させるものにしかならないのです。
 喉が渇いた時は水を飲みたくなるように、どこかが疲れている自分の気持ちが、クラシック音楽を求めているんでしょうか。
 そういう時に聴きたくなる曲のひとつが、「G線上のアリア」です。ぼくの大好きな曲です。


■G線上のアリア
 [Air From Overture No.3 BWV.1068/Air On The G-String]
■ヨハン・セバスティアン・バッハ
■1722年頃


     
     『G線上のアリア100%』


 「G線上のアリア」の作曲者は、ヨハン・セバスティアン・バッハ。原曲は、「管弦楽組曲第3番二長調 BWV.1068」の第2曲で、弦楽器だけで演奏されます。バッハがケーテンで宮廷楽長を務めていた1722年頃に書かれました。
 今でこそこの曲は、バッハの作品の中では、「トッカータとフーガ」と並んで最も知られていますが、バッハの生前にはさして評判とはならかったそうです。
 バッハの没後約100年後の19世紀半ばに再発掘され、それからはしばしば演奏されるようになりました。


 1871年、ヴァイオリンの名手として名高いドイツのアウグスト・ヴィルヘルミ(1845~1908)が、この曲をヴァイオリンの一番低い弦(G弦)だけで弾けるように編曲しました。これがきっかけとなって、この曲は「G線上のアリア」というタイトルで広く知られるようになったということです。
 ヴィルヘルミは多くの名曲を再発掘し、ヴァイオリン演奏用に編曲し直していますが、その中で最も有名なのが、この「アリア」というわけです。
 現在では、弦楽器以外の楽器で演奏される時も、「G線上のアリア」として紹介されています。


 ちなみに、「アリア」とは、本来は『オペラなどの、大規模で多くの曲を組み合わせて作られている楽曲における、叙情的でメロディックな独唱曲』という意味です。日本語では「詠唱」と訳されています。
 ただし、「G線上のアリア」は独唱ではありませんから、本来の意味からは外れていると言えるかもしれません。


     


 「アリア」は、おごそかで崇高な雰囲気の曲ですね。祈りのような美しいメロディーは、ドラマティックでさえあります。聴いているだけで気持ちが和らぐ清らかさがあるような気がします。
 あまりにも美しいメロディーは、編曲者や演奏者の意欲をかきたててやまないらしく、さまざまな楽器によるさまざまな編曲があります。
 ヴァイオリンはもちろん、チェロ、コントラバス、ピアノ、オルガン、二胡、ハンドベル、オカリナ、シンセサイザー、尺八、リコーダー、パンフルート、ハープ、琴、アカペラによるコーラス、などなど・・・。


 クラシック畑の演奏ばかりでなく、ハード・ロック(イングヴェイ・マルムスティーン)、ラップとのコラボレーション(スウィートボックス)、ジャズ(ロン・カーター、ジャック・ルーシェ、マンハッタン・ジャズ・クィンテットなど)など、さまざまなジャンルのミュージシャンがこの曲を取り上げています。
 また歌詞をつけて、歌曲として取り上げているヴォーカリストもいます。白鳥英美子(タイトル:Quiet Ways)や、サリナ・ジョーンズ(タイトル:Don't Speak Of Me)などです。


 ぼくは、ヴァイオリンやチェロによって演奏されるものも好きですが、ほかには、オルガンや、コントラバスによる演奏も好きです。
 とくに、ゲイリー・カーの弾くコントラバスの、ふくよかで温かみのある音で奏でられる「アリア」は、何度も何度も繰り返して聴いています。


     
     ゲイリー・カー (コントラバス)


 かつて、競走馬綜合研究所常磐支所で、音楽を聴かせた時の馬の反応を調べたことがあったそうです。
 すると、ロック調の曲だと馬は興奮し、心拍数も平常の倍以上にはね上がりましたが、クラシック音楽を聞かせた場合は落ち着いた様子になるという結果が出ました。
 最も沈静効果があった曲は、モーツァルトなどのゆるやかなテンポの曲で、その中にはこの「G線上のアリア」も含まれていたということです。馬は、半ば目を閉じてうっとりと聴き入っていたそうです。いい曲は馬をも惹きつけるんですね。
 さしずめ、「馬の耳にアリア」といったところでしょうか。




 

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CDとCDの袋とCDショップ

2006年04月27日 | 随想録

 
 最近のCDは紙ジャケットのものが増えてきた。
 LPレコード時代を知っているぼくとしては懐かしさがないこともないが、とくに「紙ジャケ」であることにこだわりがあるわけでもない。でも、紙の手触りがもたらしてくれるどこか自然でアナログな感覚は、わりと気に入っている。


 この「紙ジャケ」のタイプに、三つ折の見開き(と言っていいのかな)タイプのものが結構ある。
 見開きの部分はミュージシャンの写真になっていたりして、そのデザインを見るのが楽しいものも多いのだが、ひとつ困ることがあった。
 それは、見開きタイプのジャケットのCDを持つと、何かの拍子にジャケットに畳み込まれているライナー・ノートが滑り落ちることだ。
 まあ、「困る」というのは大げさかな。実はそれほどのことでもなく、「気になるなあ」と感じる程度のことなのだけれどね。


     


 この間からちょいちょい行っているCDショップがある。その近所にある「新星堂」などの大手に比べると、店舗面積も商品数も少ない、ごく小さなお店なのだが、気に入っている点がいくつかある。
 まず、流行のJ-POPなどは置いていないかわり、60~80年代のロック、それも売れ筋のばかりではなくて、いわゆる隠れた名盤などもよく見かけること。
 次に、そのお店は新品と中古品の両方を置いているのだが、陳列棚のCD部分はジャズとロックに大別され、その中でABC順に分かれているだけ。つまり、例えば「ビートルズ」の部分は新品も中古品も同じ棚に並んでいるわけだ。これは探しやすいし見やすい。
 そして、かつてのLPレコードがレコードと同じサイズの袋に入っていたように、CDにはビニールの保護袋をつけてくれること。この袋がありがたい。そうなのだ、これさえあれば、もうライナー・ノートが滑り落ちるかもしれないという小さな心配をしなくてもよいのだ。


 不思議とほかのお店ではこのような袋はつけてくれない。
 もちろん、売り場に置かれている時に商品が入れられているビニール袋ごと包装してくれるのだけれど、たいていこれは袋の口にのりが付いていて、閉じたりはがしたりしなければならないタイプなのだ。そういうのって、取り出す時に少し面倒に感じる。


     


 先日そこへ行った時、CDを買うついでに思い切って「そのビニールの袋、実費で譲ってもらえませんか」と頼んでみた。
 するとHIP-HOP調のファッションに身を包んだ若い店員さんは、「いいですよ~、あ、袋代もけっこうです」と快く笑顔で応対してくれた。
 10枚ほどもらえたので、とりあえずライナーが滑り落ちそうなものから順に袋に入れていった。これだけのことでちょっとした満足感を味わえるなんて、ぼくも単純といえば単純だなあ。(;^ω^)


 このささやかな一件で、この小さなCDショップは、これからぼくの行きつけの店のひとつになることが決まった。
 あるお店の常連さんになるって、えてしてこのような、ふとしたことがきっかけなんじゃないかな。
 
 

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ローズ (The Rose)

2006年04月26日 | 映画
♪お気に入り映画(その21)


ローズ [The Rose]
■1979年 アメリカ映画
■監督…マーク・ライデル
■音楽…ポール・A・ロスチャイルド
■出演
  ☆ベット・ミドラー(ローズ)
  ☆アラン・ベイツ(ラッジ)
  ☆フレデリック・フォレスト(ダイアー)
  ☆ハリー・ディーン・スタントン(ビリー・レイ)
  ☆バリー・プリマス(デニス)
  ☆デヴィッド・キース(マル)
  ☆ドリス・ロバーツ(ローズの母)
  ☆ルディ・ボンド(モンティ)
  ☆サンドラ・マッケーブ(サラ)


  この映画の主人公「ローズ」は、は奔放で破滅的な人生を歩んだ、ロック界最高のシンガーのひとり、故ジャニス・ジョプリンをモデルとしています。
 主演のベット・ミドラーの強烈な個性が光ってます。


 冒頭、飛行機から降りてくる「ローズ」のファッションから顔つき、雰囲気までジャニスそのもの。ちょっとビックリです。でも単なるマネには終わってないんですよね。
 続いて見られるライブのシーンでの「ローズ」は、ド迫力! これは、「ローズ」というより、ベット・ミドラーのライブとして見てしまいました。
 ブロードウェイの「屋根の上のバイオリン弾き」にコーラスラインとして加わったのがショウ・ビジネス界のキャリアのスタートだというベットの歌唱力は、ホンモノです。声の張り、ツヤ、圧倒的な存在感、すべてがとても個性的。


 大スターとして華やかな生活を送っているかに見られる「ローズ」の裏側には、つねに孤独感がつきまとっています。
 自分らしく生きたいという願いは、ショウ・ビジネスの大きな渦にほんろうされています。大スターであるがゆえの苦悩と寂しさを紛らすためにドラッグとアルコールに溺れ、身も心もすり減らしてゆく「ローズ」。
 彼女が必要としている人は、そんな破滅的な人生を送っている彼女からは離れてゆき、彼女はさらに深く傷つくという悪循環。


     


 苦しみに満ちた世界から離れ、普通の暮らしを送ることは、彼女にはできなかったのでしょうか。
 そう、たぶん、できなかったのでしょう。
 派手な暮らしを捨てることができなかったのではなくて、彼女は、自分の人生の大きな部分を占めている「歌」を捨てることができなかったのだと思います。
 そして、彼女が苦しんでいる原因のひとつは、彼女が巨大なビジネスの歯車に組み込まれてしまったことにある、ということも言えるかもしれません。


 精神的にも肉体的にも極限の状態であるにもかかわらずステージに上がり、全身全霊を込めて歌おうとするラスト・シーンは、鬼気迫るものがあります。
 そして、力つきて倒れる「ローズ」。
 その姿に重なって、エンディング・テーマ曲のイントロが静かに流れてきます。
 破天荒な、しかし寂しい人生を送った「ローズ」を、いや、ジャニスをも優しく慰めるかのような、静かで、しかし力強い歌です。


     
     『ローズ』 オリジナル・サウンド・トラック

■ローズ [The Rose]
■作詞・作曲…アマンダ・マックブルーム
■1979年

人は言う 愛とは柔らかい葦を溺れさせる川
人は言う 愛とは傷ついた魂に血を流させる刃
人は言う 愛とは終わりのない痛みをともなう飢え
でも私は思う 愛とは一輪の花 そしてあなたはその種

打ちのめされるのが怖いなら 一生踊ることなんてできない
目覚めることを恐れる夢なら チャンスなんて手に入らない
何ひとつ失いたくないなら 誰かに何かを与えることなんてできない
死ぬことを恐れる魂では 生きることを学べない

けれど思い出して 
厳しい冬 雪の下に眠る種は
春になると太陽の恵みを受けて 
美しいバラの花になるのだということを



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「字を書く」ということ

2006年04月25日 | 随想録

 
 ぼくの父は、「塾なんぞ行かなくてもいい」という主義だった。
 「学校の勉強というものは、授業を真面目に聞いてさえいればできるはずである」、というわけだ。
 ただし、「習字だけは習いに行くべきだ」というのも父の主義だったので、小学校2年の時から週1回、ぼくは近所の書道塾に通っていた。
 なんとか段位が取れた頃、ちょうどわが家が引越ししたのが区切りになって書道塾をやめてしまったが、書道を習っていたことがのちのちどれほど役に立ったか。このことだけでも、父にいくら感謝してもしたりないくらいだ。


 書道を習って一番良かったと思うこと、それはやはり「書く」ことが好きになったことだろう。
 学生時代の授業すべてにそうしたわけではないが、とくに好きな教科(国語とか歴史など)では、ていねいにノートを取ることは苦でもなんでもなかった。むしろ、自分なりに分かりやすくノートをまとめることを楽しいと思っていたくらいだ。
 「書く」ことが好きだったことと関係があるのだろうけれど、ぼくは筆記用具を買うのが無意味に好きだったりする。書き味のよさそうな、細字(0.1~0.3mm)のサインペンを見ると、必要もないのに買いたい衝動にかられてしまう。


 しかし、ぼくもいつの間にかワープロを使いこなすようになった。ワープロを使う時間の量に反比例して、自分の手にペンを持つ時間が減ってくる。今もこうしてパソコンで文章を入力しているわけだが、こうしたツールの使用は便利な反面、(自分にとっての)あるデメリットがあるのが最近分かってきた。
 字が乱雑になってきたのだ。


 友人の中で、「ぼくは字がヘタだから」と言う人がいる。しかし、ぼくはヘタでも一生懸命に書かれた字にはむしろ好感が持てると思っている。実際、そういう字は確かに上手くはないかもしれないが、決して読みにくいとは感じないのだ。
 思うに、「字がヘタになる」ということは、自分が字を雑に書いても平気な状態になっていることだと思う。字がヘタになるより、ヘタな字を書いても平気な自分になっていることのほうがイヤだな、と思うのだ。
 (重ねて書いておくが、ぼくは字が上手くないことは悪いことだと言っているわけではない。念のため。)


 正確に言うと、今の自分は、字を書く時に腕が疲れるのが以前に比べてとても早くなっている。そのため字をかこうとしてもうまく腕に力が入らず、字が思うように書けないのだ。字を書くスピードもかなり落ちている。
 「字を書くこと」は、思ったよりエネルギーの必要な行為だったんだなあ、と今あらためて実感しているところだ。


 さいわい、というか、いい機会、というか、最近ようやく、「パソコンに音楽を取り込んでそれをCD-Rにコピーする」という技を覚えたので、せめてCD-Rのレーベルに曲目を書く時は、手書きにしようと思っている。
 CD-Rに編集できるのは約80分ぶん、ポップス系の曲なら20曲前後は収録できるだろう。その曲のタイトル、アーティスト名をすべて手書きにしてゆけば、けっこう習字の練習になりそうである。
 せっかくこういうことに気づいたのだから、これからは字を書く機会にはせいぜい丁寧に書くよう心がけようと思う。
 
 
 
 

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ブライアン・ブロンバーグ (Brian Bromberg)

2006年04月24日 | ミュージシャン
♪お気に入りアーティスト48(海外篇その35)


 ベースを弾いていると、時々「好きなベーシストは?」なんていう質問を受けます。
 実は、以前は「好きなベーシスト」ってなかなかいなかったので、この質問の返事には、わりと困っていたのです。
 とくにジャズをやっていると、ロック系ベーシストの名(ジャック・ブルースやピート・セテラ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ポール・マッカートニー、ティム・ボガートなんかは好きです)を挙げると意外そうな顔をされたり、「ポール・チェンバースとかレイ・ブラウンなんかは好きじゃないんですか?」なんて重ねて訊かれることも多かったのです。チェンバースにしろ、ブラウンにしろ、偉大なベーシストには違いありません。でも、お手本になるベーシストと、好きなベーシストは、微妙に違っていたりするんですね。
 今では、好きなベーシストというと、ジャコ・パストリアス、ゲイリー・ピーコック、ロン・カーター、ミロスラフ・ヴィトウス、金澤英明、北川潔、そして、ブライアン・ブロンバーグなどの名前を挙げることができます。

 
 ベース弾きのはしくれとしては、見聞を広めるために、バックで鳴っているベースの音に集中してCDを聴いたり、時々はベーシストのリーダー・アルバムを聴いたりしています。
 そういう時に一番興味を抱くのは、そのベーシストの作り出す音楽ぼくの好みかどうか、というところです。
 対象がどの楽器でも言えることだと思いますが、例えば、演奏者がいくらうまくても、その音楽が心に響かないことがあるし、逆にとつとつとした語り口だけれども、とても味のある良い演奏になっている場合があります。
 ブライアン・ブロンバーグは、テクニックも凄いし、作り出す音楽もカッコいい。つまり、「うまくて、良い」のです。


 ブライアンは、ウッド・ベース、ピッコロ・ベース(ウッド・ベースのチューニングを高く設定したもの)、エレクトリック・ベース、エレクトリック・フレットレス・ベースなど、あらゆるベースを流暢に弾きこなします。
 アコースティック・ジャズ、エレクトリック・ベースを使った8ビート・16ビート系音楽、ウッド・ベースを使った8ビート・16ビート系音楽と、さまざまな音楽に取り組んでいます。


      『ウッド』 (2000年)   

      『ポートレイト・オブ・ジャコ』 (2002年)


 ブライアンの弾くウッド・ベ-ス、凄いです。凄すぎます。
 ブライアンのリーダー作の帯にこんなコピーが書かれています。「私はこのアルバムを聴いて三日間、ひざを抱えてしまいました(某ベーシスト)」
 このコピー通りでした。
 スピード感充分に弾きまくるブライアンのウッド・ベースは、カミソリのような切れ味、とでも言ったらいいのでしょうか。音がグイグイとうねりながら押し寄せてくるようです。そのうえそのフレーズの歌いまくること。強引な速弾きだけで押し通しているわけではないんです。


 エレクトリック・ベースを弾かせると、これまた超人的。まるで右手の指だけで10本あるんじゃないか、左手は人の倍速く動くよう生まれついているんじゃないか、と思えるほどです。スラップ、タッピングなど、特殊奏法も自由自在。
 ベースだけを多重録音して曲に仕上げる、なんてこともやっています。「ポートレイト・オブ・ジャコ」の中に収められている「スラング」という曲がそれです。強烈なグルーヴに乗って、華麗かつ驚異的なテクニックで音を積み重ねています。でも、決して無機質ではないのです。とにかく凄くてカッコいい。


     
     『ダウンライト・アップライト』(2006年)


 ブライアン・ブロンバーグは、テクニックと音楽性のバランスが見事に取れているスーパー・ベーシストなのです。
 ベースを好きな人には、ブライアンの世界もぜひお薦めしたいです。
 そういえば、5月に大阪ブルー・ノート(10~11日)と名古屋ブルー・ノート(12~13日)、6月にはブルー・ノート東京(11~14日)でライブがあるんですね。メンバーは、ジェフ・ローバー(Keyb)、デイヴ・ウェックル(Drs)、ゲイリー・ミーク(sax)です。
 うーむ、これは食指の動くイベントだなぁ~


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昭和時代のカセット・テープ

2006年04月23日 | 随想録

 
 たまりまくっているMDやCD-Rなどを整理するついでに、カセット・テープをMDに落としておこうと思いたち、先日、物置きの奥深く眠っていたカセット・テープ収納ラックを引っ張り出してみました。
 すると、小学校時代から高校時代まで愛聴していたカセット・テープが数本混じっているのを発見。もちろん昭和時代のテープです。


 小・中学校時代のぼくのお小遣いの額は、当然限られていました。
 当時のLPレコードは1枚2500円。その頃のぼくにはとても気軽に買える金額ではありません。
 新品のLPレコードを買うなんてことは、年にわずか数回です。時々シングル・レコードを買うほかは、あとはもっぱら中古レコード店を利用していました。
 ほかにはFMが強い味方でした。FMからエア・チェックしたテープは、いわば貴重な「財産」だったんです。 
 あとは友人どうしで貸し借りしたレコードをこまめに録音して、「マイ・ライブラリー」を増やしていったわけです。


 そんな苦労をして増やしたテープも、レコードをCDに買い直したのをきっかけにたくさん処分したり、古くなって捨てたり、どこかへ紛れたりして、いつの間にか少なくなってしまいました。多い時は、おそらく少なくとも500本以上はテープがあったはずですが、今では数十本しか残っていません。
 今回見つけたテープは、ラジオから録音したものや、たいへんなロック通だったぼくの従兄のレコードから選りすぐって録音した「セルフ・オムニバス」テープなどでしたが、この中に、高校時代の文化祭での演奏を録音したテープが混じっていたんです。
 今日、久しぶりにそのテープをじっくりと聴いてみました。


 録音されていたのは高校2年の時の文化祭の様子です。
 同じクラスの同級生と作ったバンドでの演奏と、当時所属していた吹奏楽部での演奏の両方がテープに入っていました。
 聴いているうちに、懐かしさを通り越して、ちょっと感激してしまいました。


 吹奏楽部での演奏の時のぼくは、エレキ・ベースを弾いています。
 「インスタント・コンサート」(クラシックの名曲のメドレー)、「黒いジャガーのテーマ」、「愛のテーマ」、「宇宙のファンタジー」、「踊り明かそう」の5曲を演奏しています。
 聴いていると、いろんな先輩のことが思い出されました。3年生から1年生まで、部員みんなが仲良かったので、吹奏楽部に関しての思い出は楽しいものばかりなのです。もちろん辛いことや、部員間のトラブルもありましたが、それさえも良い思い出です。


 同級生と組んだバンドのメンバーは10人。男4人(フォーク・ギター&歌が2人、エレキ・ギター、ドラムス)、女6人(サックス&歌、フォーク・ギター&歌、ピアノ、キーボード2人、ベース)の大所帯です。ぼくは、このバンドではドラムを叩いていました。この頃はまだドラムもやってたんです。
 演奏を聴いて、しみじみ思いました。


    ・・・なんてヘタクソなんだろう。。。(^^;)


 演奏した曲は、アリスやサザン・オール・スターズ、イルカなどの、いわゆるニュー・ミュージックです。
 体育館に集まったのは全校生徒約1300人。2600本の手から起こる拍手、今聞いてもやっぱり気持ちいいですね。


 なぜかぼくがメンバー紹介の時だけMCをとっています。
 ドラムの位置は一番うしろだったのに、そこからノコノコ出てきて(^^;)喋ってるんです。思いっきりシロウトくさいしゃべりです。やっぱりこの頃から目立ちたがりだったんですね~。それにしても、われながら声が若い!
 メンバーの名前を言うごとに、下級生や同級生たちの「にわかファン」からメンバーそれぞれに、大きな歓声が飛んでいます。ぼくの時には(自分でしゃべっている手前、自己紹介みたいになってますが)、「ツバメ~~!!」というヤジの合唱が・・・。実はこの頃ぼくは、女子大生と付き合っていたんです。吹奏楽部の先輩だった人です。(*´▽`*)
 しかし、※※年前の自分の声を聴くって、なにかヘンな感じがしますね。


 曲間ではギター兼ボーカルのタカギ君がMCをとっています。野球部では内野手兼ピッチャーだった強気のタカギ君ですが、「リハーサルでみんなにボロカスに言われました」とか、「この曲は合うかどうか自信がありません」など、ヘタレな発言が目立ちますな~(^^)。
 

 このバンドは文化祭のための寄せ集めだったので、練習不足でした。練習でうまく行かないことからケンカになりかけたこともありました。でも日曜ごとに誰かの家に集まって練習したり、その合い間にはいろんな話をしたり、時にはメンバーみんなで遊びに行ったり、ちょっとした恋バナが咲いたり・・・。テープを聴きながら、そんなことも思い出すことができました。楽しい思い出です。
 みんなどうしてるんだろう・・・。家業を継いだ人、会社員、アナウンサー、テスト・ドライバー、公務員、薬剤師などなど、みんなさまざまな人生を歩んでいるはずです。
 この時のメンバーとは、もう10年、15年、いやもっと会っていないなあ。
 

 そのほかにも、別のテープを聴いていたら、テープの空いているところに、曲の断片の数十秒ほどですが、偶然この時のバンド練習の録音が残されているのを発見(゜Д゜*)。もうビックリです。


 そういうわけで、今日は思いがけず懐かしい気分を浸りました。
 「自分も年取ったんだな~」という気分をしみじみ味わってます。(*´∀`*) 




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ザ・ケルン・コンサート (The Koln Concert)

2006年04月22日 | 名盤


  ジャズ・ピアノが好きです。
 とくにピアノ・トリオが好きです。
 でも、同じジャズ・ピアノでも、ソロ・ピアノは好きではありませんでした。
 なぜでしょうか。
 ベース、ドラムスのリズム隊がいないので弱々しいような気がしていた。(というより、やはり、ベースもドラムスも聴きたい)
 ピアノだけだと単調なので、飽きるのではないか、と思っていた。
 ソロだとピアニストの独りよがりになるのではないだろうか、または、ただの音の垂れ流しに終わるのではないだろうか、と思っていた。
 へんにクラシック寄りの演奏になるのではないだろうか、と思っていた。


 今では、これらの理由は食わず嫌い(聴かず嫌い、かな)からきていたものだ、と言えます。
 その「食わず嫌い」が治ったのは、キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』を聴いたからです。『ザ・ケルン・コンサート』が、「ジャズのソロ・ピアノはつまらない」という思い込みを打ち破ってくれたのです。


     
 
 
 ベースやドラムスがいなくても、全然弱々しくなんかありません。キースのピアノは、波のように押し寄せる強力なグルーヴ感に満ちています。時にはハードに、時にはリリカルに。
 感情表現が豊かなので、聴いているぼくの感覚も刺激されっぱなしです。
 またキースの奏でるメロディーの素晴らしいこと。クラシックのようにも、ゴスペルのようにも聴こえるそのメロディーは、荘厳だけれども親しみやすい。
 そしてキースから紡ぎ出される音楽の1曲1曲の中では、物語が語られているようです。それが2部(4曲)にわたって続くさまは、まるで絵巻物を見ているかのよう。いや、絵巻物が描かれている様子を見ているよう、と言ったほうがいいのかも。

 
 これがなんと、完全なインプロヴィゼイション(即興)というんですから、驚くばかりです。
 これをジャズと呼ぶかどうかは異論のあるところでしょうが、この演奏が即興で行われたことは確かです。キースは即興でこの感動的な音楽を生んだのですね。
 まるで静かに瞑想しているかのような演奏です。しかし反面、静かに、しかし激しく炎が燃え盛っているかのような演奏でもあります。
 こういう演奏だから、ピアノ1台のみの演奏なのにもかかわらず、寂しくもないし、飽きないんですね。


     
 
 
 この日のキースは、前夜から一睡もしていなかったそうです。そればかりか、早朝からの長時間にわたる移動で、疲労困憊していたということです。
 しかも、ピアノの調子、音色とも決して良いとはいえない状態だったんですね。
 しかし、とてもそんなことを感じさせない演奏ぶりです。


 このアルバムのプロデューサーであるマンフレート・アイヒャー氏はこう言っています。
 「今回のツアーでも、演奏地が変わるたびに、キースがその土地で何を感じ、何を考え、それがどのような音楽となって現れてくるかを楽しめた」
 つまり、キースは、音楽のことだけを考えてピアノに向かっているのではなくて、キース自身の感性のアンテナに反応するさまざまなことをも音楽に反映させようとしているのですね。



◆ザ・ケルン・コンサート/The Köln Concert
  ■演奏
    キース・ジャレット/Keith Jarrett (piano)
  ■録音
    1975年1月24日 西ドイツ ケルン市、オペラ劇場
  ■リリース
    1975年11月30日
  ■プロデュース
    マンフレート・アイヒャー/Manfred Eicher
  ■収録曲 (All Composed by Keith Jarrett)
   ① ケルン、1975年1月24日 パートⅠ/Köln, January 24, 1975 PartⅠ
   ② ケルン、1975年1月24日 パートⅡa/Köln, January 24, 1975 PartⅡa
   ③ ケルン、1975年1月24日 パートⅡb/Köln, January 24, 1975 PartⅡb
   ④ ケルン、1975年1月24日 パートⅡc/Köln, January 24, 1975 PartⅡc



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ヴァイオリン協奏曲集『四季』より「春」

2006年04月21日 | 名曲

△アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678~1741)
 
 
 
 
 今日から数日は全国的にスッキリしない天気が続くようですが、4月も半ばを過ぎ、これからはまさに春爛漫といった風情を楽しむことができますね。
 4月は新年度、新学期ということもあり、やはり気分が変わるものです。
 ぼくは、中学1年の最初の音楽の授業で、ヴィヴァルディの『四季』より「春」を鑑賞しました。中学に進学したばかりの高揚感と、新しい教室にまだ馴染めずそわそわ落ち着かない気分と、春の陽気とが、この曲に重なり合って一種独特な雰囲気を醸し出していました。その雰囲気、よく覚えています。それ以降、今でも春の陽気を感じるとこの曲をすぐに連想するんです。


 アントニオ・ヴィヴァルディは「水の都」として有名な、ヴェネツィアが生んだ最大の作曲家です。彼の作品は現在までに約650曲が発見されています。このうち554曲が器楽曲、40曲以上がオペラ、50曲以上が宗教的作品となっています。さらに、この他にも未発表の曲があると考えられています。相当な多作家だったんですね。
 そして、器楽曲554のうち、454曲が各種の独奏楽器による協奏曲(コンチェルト)です。このことから、ヴィヴァルディは「協奏曲の王」とも呼ばれています。また、このうち弦楽器のために書かれた協奏曲が330曲もあるというのも、ヴァイオリンの名手だったヴィヴァルディらしい、と言えます。


      
   「水の都」 ベネツィア


 ハイドンやチャイコフスキーなども「四季」を題材にした音楽を作曲していますが、今ではやはりヴィヴァルディの作品が一番有名でしょう。
 ヴィヴァルディの『四季』は、1720年頃に作曲された全12曲からなる『協奏曲集作品8「和声と創意への試み」』の第1曲から第4曲までをひとまとめにしたものです。これは、ヴィヴァルディが教えていた学校「オスペダレ・デラ・ピエタ」のオーケストラの定期演奏会用に作曲されたものだそうです。
 「春」はCMなどで耳にすることも多いし、「冬」はハイ・ファイ・セットが日本語詞を付けて歌っていたりして、この両曲はとくに馴染みがあります。ぼくが好きなのも、「春」と「冬」です。


協奏曲集『四季』より「春」 
 [Le Quattro Stagioni ~ "La Primavera"]

■アントニオ・ヴィヴァルディ
■1720年頃
 

 4曲とも3つの楽章からなり、独奏ヴァイオリンと弦楽オーケストラのために書かれています。この4つの協奏曲には、それぞれ春、夏、秋、冬の情景をうたったソネット(短詩)が添えられていて、その詩の内容が音楽で描写されています。詩の作者は不明ですが、おそらくヴィヴァルディ自身ではないかと言われています。


 「春」のソネットの大意です。

■第1楽章「春が来た。小鳥たちは楽しそうに歌い、泉も優しく囁きながら流れ出す。そのとき天はにわかに曇り、雷鳴と稲妻が襲ってくる。やがて嵐は去り、再び小鳥たちの楽しい歌が始まる。」

■第2楽章「花の咲き乱れる牧場。羊飼いは番犬に見張りを命じ、暖かい春の陽射しを浴びて、安らかなまどろみに入る。のどかな風景だ。」

■第3楽章「そこへニンフ(水の精)が現れ、明るい陽光のもとで、羊飼いの吹く笛に合わせて、羊飼いたちとともに春を称えながら踊る」


 クラシックにあまり詳しいとは言えないぼくでさえ、聴いているうちに、まるで絵でも見ているかのようにありありと情景が浮かんできます。
 冒頭の「春が来た」というところはいかにも春を思わせるような明るい躍動的なメロディーですね。続く「小鳥たちは・・・」のところでは、華麗なヴァイオリンが穏やかにソロをとっています。「天はにわかにかき曇り・・・」の部分は、トゥッティ(総奏)によって見事に嵐の様子を描いています。
 ソネットを読みながらこの曲を聴くと、よりいっそう容易に場面を思い描くことができます。みずみずしい春の明るさ、暖かさに満ち溢れた曲だと言えるでしょう。


     
     イ・ムジチ合奏団
     協奏曲集 『四季』 (Le Quattro Stagioni)



 ヴィヴァルディの生涯に関しては不明な点が多いそうです。
 ヴィヴァルディの父もヴァイオリニストでした。父から手ほどきを受けたヴィヴァルディのヴァイオリンの腕前は、名手と言われるほどのものだったそうです。
 1693年、彼は15歳で修道院に入りました。1703年には司祭に昇進しましたが、持病(一種の喘息と言われる)のためミサを挙げることを許されませんでした。そのかわり、孤児救済の音楽学校で生徒の教育にあたるという仕事を任されることになりました。
 ヴィヴァルディが教えていたのは、生徒全員が孤児の女子ばかりの、「オスペダレ・デラ・ピエタ」という学校で、彼が一生のうちに作曲したおびただしい数の協奏曲の大部分は、このピエタのオーケストラのために書かれた、と言われています。


 晩年のヴィヴァルディはオーストリアのウィーンに出ていますが、理由も経緯も明らかになっていませんし、不遇のうちに過ごしたようです。偉大な作曲家の晩年にはいったい何があったのでしょうか。
 1741年7月、ヴィヴァルディは、ウィーンのある革細工師の家で息を引き取りました。その遺体は、7月28日にウィーンの共同墓地に葬られたことが分かっています。


 かつて日本ではブームと言ってよいほど『四季』のレコードが発売されていました。今でも、約40種類のCDが発売中だそうです。
 曲の構成やメロディーが、四季の移り変わりを生活の中で実感するわれわれ日本人の感性にぴったり合っているのでしょうね。


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パッチワーク・キルト

2006年04月20日 | 見る聴く感じるその他

                                     △福井美和さんの作品。圧倒的な存在感のある、美しい作品です。



 今日はぼくの友人のMIKIさんの親戚で、パッチワークキルト作家の福井美和さんの作品を見てきました。
 美和さんが主宰するキルト教室のキルト展が催されているのです。


 女性ならご存知の方も多いと思いますが、「パッチワーク」とは"つぎはぎ"、あるいは"継ぎ合わせ"のことで、いろいろな色や形の小さな布をつなぎ合わせたもののことです。また、「キルト」とは、表布と裏布の間に芯(中綿)を入れ、この三層を重ねて刺し縫いしたもののことです。
 そして「パッチワーク・キルト」とは、パッチワークをした上布(キルトトップ)に中綿と裏布を重ねて刺し縫い(キルティング)を施したもののことだそうです。
 アメリカン・キルトとは、一般にアメリカで作られたパッチワークのベッド掛けのことをさします。


 美和さんの作品(写真)には圧倒されました。縦、横とも2m以上の大作です。
 他にも素晴らしい作品がたくさんありました。中には、日本で縫ったあとそれを韓国に送り、韓国で縫っては日本に送り返すという、いわば、日韓の間を何度も往復するリレー方式で縫い上げたものもあり、その見事なできばえにはただ見とれるだけでした。 
 一心に仕上げたことが伺えるものばかりでした。聞くと、やはりキルトも針と糸を持つ人の性格が作品に表れるそうです。


 キルトを見たあとは、せっかく近くまで来たんだから、と理由をつけて、CDをひやかしに。
 1時間ほどあれこれ探した結果、今日はオリビア・ニュートン・ジョンの初期ベスト集『アーリー・オリビア』と、ジャズ・ベーシスト、クリスチャン・マクブライドのアルバム『ファースト・ベース』を買いました。
 1970年代のオリヴィアといったら、そりゃあもうキレイでカワイくて清楚でした。このベスト・アルバムには、「カントリー・ロード」、「レット・ミー・ビー・ゼア」、「そよ風の誘惑」、「イフ・ノット・フォー・ユー」などなど、ぼくのお目当ての曲がみな収録されているのです。


     


 ついでにお昼を外で済まそうと、時々行くラーメン屋さんに。醤油ベースのスープがあっさりしていてとてもおいしいお店です。チャーシューたっぷりのチャーシューメンとごはんで満腹しました。


     


 今日は風がたいへん強い日でしたが、寒さを感じることはありませんでした。キルトとCDとおいしいラーメンで小さな満足感に浸ることができた一日でした。




 

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ホィーリン・アヘッド! (Wheelin' Ahead!)

2006年04月19日 | 名盤


 先日、いつものごとくCDショップをひやかしていた時にふと手に取ったのが、塩谷哲(しおのや・さとる)氏の「ホィーリン・アヘッド」です。
 塩谷氏のプレイは、「オルケスタ・デ・ラ・ルス」で多少聞いたことはありましたが、そのほかではあまり聴いたことがありませんでした。
 でも、その活発な活動ぶりは雑誌などでよく目にしていました。
 最近では同じピアニストの小曽根真氏とのコラボレーションで評判になっているみたいですね。
 その塩谷氏のピアノ・トリオ、どのような音楽を聴かせてくれるのかな。
 興味を覚えたので、即、「買い」です。
 ベースは吉野弘志氏、ドラムスは山木秀夫氏と、ラインナップも超強力。 


 あまりじっくり彼のピアノを聴いたことがなかったので、先入観抜きで聴くことができました。「いわゆる『コンテンポラリー・ジャズ』と言われているものなんだろうな」とは漠然と予想していましたけれど。
 そしてやはり、「もしストレート・アヘッドなジャズを期待していたら肩透かしをくったような気になったかもしれない」と、聴いてみたあとで思いました。





 優しい雰囲気の「この素晴らしき世界」で始まりますが、2曲目の「ティーン・タウン」から4曲目の「ミングル・ジングル」までの流れは息つく間もないほどのテンションの高さ。とくにラテン系の曲では「お手のもの」といったゆとりさえ感じられるんです。へんにリキんでないのがいいんですよね。それにしても、山木氏のドラムって、なんてグルーヴィーなんだろう。


 5曲目と8曲目のややダークなバラードや、7曲目の「ナイトホーク」は、ジャズ・クラブなどで聴くのが似合っているかも。
 9曲目の「ヒート・オブ・マインド」はエキゾチックなジャズ・サンバ調。こういう曲調って、やっぱり塩谷氏の得意とするところなんでしょうか。
 最後はビートルズ・ナンバーの「ヒア、ゼア・アンド・エヴリホエア」で締めています。1曲目と呼応するように、バラード仕立てて演奏しているのがイキだなあ。


 塩谷氏のピアノって、ごくナチュラルな感じがします。「こう弾かなければ」とか、「こうでなければならない」などという、「余分な力瘤」みたいなものが感じられないんですね。
 ピアノ・トリオというフォーマットの上で「その時のありのままの塩谷哲」を出しているだけなんじゃないかな。だから聴いているぼくも、いつの間にか力が抜けて、楽に聴いていたんだと思うんです。
 塩谷氏のほかの作品も聴いてみたくなりました。


◆ホィーリン・アヘッド!/Wheelin' Ahead!
  ■演奏
    塩谷哲トリオ
  ■リリース
    2004年4月21日
  ■録音
    2003年9~10月 JVC青山スタジオ(東京)
  ■プロデュース
    塩谷哲
  ■レコーディング・エンジニア
    松本靖雄
  ■収録曲
    ① この素晴らしき世界/What a Wonderful World (Douglas-Thiele-Weiss)
    ② ティーン・タウン/Teen Town (Jaco Pastorius)
    ③ ファン・エクスプレス/Fun Express (塩谷哲)
    ④ ミングル・ジングル/Mingle Jingle (塩谷哲)
    ⑤ アナザー・テイル・オブ・ア・スター/Another Tale of a Star (塩谷哲)
    ⑥ ミスターD.F./Mr. D.F. (塩谷哲)
    ⑦ ナイトホーク/Nighthawk (塩谷哲)
    ⑧ ラ・プリュイ/la pluie (塩谷哲)
    ⑨ ヒート・オブ・マインド/Heat of Mind (塩谷哲)
    ⑩ ミスターD.F.(リフレイン)/Mr. D.F. (refrain) (塩谷哲)
    ⑪ ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア/Here, There and Everywhere (Lennon-McCartney)
  ■録音メンバー
    塩谷哲(piano)
    吉野弘志(bass)
    山木秀夫(drums)
  ■レーベル
    JVC
 

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タウンページのRockなCM

2006年04月16日 | ネタをたずねて三千里

(;´Д`)「ペーイチにいさん・・・」
(*`Д´*)「弟のページに指図は受けねぇよ」
 
なぎら健壱氏とピエール瀧氏が出ている
タウンページのCMを見るたびに、


どうせなら
デヴィッド・ペイチ(TOTO)と
ジミー・ペイジ(Led Zeppelin)に
出演を依頼すればよかったのに・・・


・・・と思わずにはいられない今日この頃。



    
   デヴィッド・"ペーイチ"・ペイチ (TOTO keyboards)


   
   ジミー・"ページ"・ペイジ (Led Zeppelin guitar)


     
いい配役だと思うんだけどな・・・。
NTTに投書してみようか。(やめとけアホ)


もしかしてこのCMの制作担当者、
実は相当のロック好きだったりして。(*´∀`*)


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ら・ら・ら

2006年04月15日 | 名曲

 
 大黒摩季がシングル「Stop Motion」でデビューしたのは1992年。もうデビュー15年目になるんですね。
 マスコミへほとんど露出しなかった彼女は、ひところは、ナゾに満ちた存在となっていました。ミュージシャンはツアーやライブを行ってこそ制作したCDが売れるわけで、ライブをしないミュージシャンなんて普通は考えられません。
 一時期は、「大黒摩季という歌手は実在せず、あの歌はコンピューターで合成されたものだ」とか「歌を歌う担当、写真へ顔を出す担当、作詞作曲担当の、3人の大黒摩季がいる」などといった噂が流れていたこともありましたね。


 「実物」の摩季嬢が、メジャーになってから初めてファンの前に姿を現したのは、1997年1月に行われた野外ライブでした。
 それ以降はマスコミへの露出も増え、さらに精力的に活動を続け、いつの間にか「15年選手」になりました。
 でも、いくつになっても摩季嬢には「ベテラン」なんて言葉は似合いません。今も変わりなくエネルギッシュに歌い続けています。 
 その摩季嬢の最大のヒット曲である「ら・ら・ら」は、ぼくが元気な時に口ずさみたくなる歌です。


           
 
 
 テレビ朝日のドラマ「味いちもんめ」の主題歌だった「ら・ら・ら」は、大黒摩季の11枚目のシングルとして1995年に発表されました。 
 ぼくは、部屋でこの曲をかけると、たいていギターを弾きながら一緒に歌いたくなります。勢いのある明るい曲ですもんね。
 伸びと張りのある、よく通る声が気持ちいいですね。
 メロディーはポップ、雰囲気はホット。理屈抜きでスカッとします。ライブ会場の熱い空気の中で聴いてみたい曲です。
 でも、歌詞を見ると、恋愛の悩みを抱える年頃の女性のため息が聞こえてきそうですよね。


 20代の女性の恋愛観を、摩季嬢自身の、等身大の言葉で代弁しているかのような歌詞です。だからこそ、同世代の女性たちが大きな共感を覚えたのでしょうね。そういう意味では、女性たちはこの歌を、むしろ恋愛中の「適齢期」の男性にこそ聴いてほしいと思うんじゃないかな、なんて思ったりします。
 そして摩季嬢も、きっと「男性諸君、ちゃんと女性の気持ちを分かってあげてね~」なんていう思いをこめながら歌ってるんじゃないでしょうか。この曲を聴いていると、そんな気がします。


     


 ある日、ボブ・ディランのライブ・ビデオを見ていた摩季嬢は、出演している大スターたちがフィナーレで大合唱しているのを見て、「自分にもこんな大合唱できるような曲が欲しい」と思いました。これが、「ら・ら・ら」が生まれることになったきっかけだそうです。
 プロデューサーは、「タイトルはちゃんとした言葉の方がいい」と考えていたらしいのですが、摩季嬢自身が「"ら・ら・ら"は、"ら・ら・ら"!!」と言い張ったんだそうです。
 今では彼女のライブで必ず大合唱が起こるこの曲、やっぱりタイトルは「ら・ら・ら」が大正解だったんですね。


     


[歌 詞]
 
 
◆ら・ら・ら
 ■シングル・リリース
   1995年2月20日
 ■作詞・作曲
   大黒摩季
 ■編曲
   葉山たけし
 ■歌
   大黒摩季
 ■プロデュース
   Being MUSIC FACTORY INC.
 ■収録アルバム
   LA.LA.LA (1995年)
 ■チャート最高位
   1995年オリコン週間チャート 1位(3月6日)
   1995年オリコン年間チャート 17位
 
 
 

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ザ・トリオ/オスカー・ピーターソンの真髄 (The Trio)

2006年04月14日 | 名盤


  「オスカー・ピーターソン」。
 言わずとしれたジャズ界の巨匠のひとりです。
 今年81歳。ハンク・ジョーンズ(piano)や、ロイ・ヘインズ(drums)らと並ぶ、「生きたジャズの伝説」と言っても差し支えないミュージシャンのひとりですね。
 オスカーの演奏はとても明快なので、いわゆるジャズ初心者からジャズ通に至るまで、幅広く愛されています。そういう意味では、ビル・エヴァンス(pf)と共通するスタンスにある、と言えるかもしれません。
 ぼくもジャズを聴き始めた頃に、やっぱりオスカー・ピーターソンのCDを買って聴きました。


 オスカー・ピーターソン・トリオといえば、レイ・ブラウン(bass)、エド・シグペン(drums)と組んだものが最も有名です。
 つくづく思うんですが、この3人のコンビネーションは絶妙ですね。
 このトリオの主役は、「オスカーのピアノから紡がれる音楽」ですが、それは決して「オスカーの独り舞台、オスカーのワンマン・バンド」という意味ではありません。3人がそれぞれのスタンスでひとつの方向に向かって「音楽」を作り上げていこうとしているのです。


     


 オスカー・ピーターソンは深いクラシック・ピアノの素養を身につけていて、驚異的なテクニックを持っていますが、そのためかえって「黒っぽさが薄い」といった評価を下されることもあるようです。しかしライヴ・アルバムを聴くと、オスカーの音楽って、あくまで陽気にスウィングするものじゃないかな、と思ったりします。

  
 このアルバムには、1961年7月28~29日にシカゴの「ロンドン・ハウス」で行われたライヴが収録されています。
 この頃は、オスカー・ピーターソン・トリオの絶頂期といってもよく、脂の乗り切った名盤を他にもいくつも残していますが、このアルバムでは、ライヴで発揮される、文字通り「オスカー・ピーターソンの真髄」が詰め込まれているような気がするのです。
 

     

 「サムタイム・アイム・ハッピー」(Sometime I'm Happy)、「恋したことはない」(I've Never Been In Love Before)、「シカゴ」(Chicago,That Todding Town)などで味わえる軽快なスウィング感は、思わず体が揺れてしまうほど。
 あくまで明るく、華麗にかつ豪快に弾きまくるオスカーのピアノが楽しいですね。レイ・ブラウンのベース・ランニングは、コードの色彩感が豊かで、ドライヴ感にあふれています。オスカーとは、水を得た魚のような自然な相性の良さを感じます。また、レイと一体となってスウィングするエドのメロディックなドラムにも心踊ります。
 「サムタイム・アイム・ハッピー」で聴かれるレイのベース・ソロは、いわゆる「ホーン・ライク」(管楽器を吹くような感覚の演奏)なもので、とても歌心にあふれていると言えるでしょう。レイ・ブラウンの本領発揮、といったところです。


 「ウィー・スモール・アワーズ」(Wee Small Hours)や「夜に生きる」(The Night We Called It A Day)などのバラードでは、オスカーのきらびやかなプレイに浸ることができます。一音一音の粒がそろった、コロコロと転がるようなオスカーのピアノは美しく、とてもロマンティックです。


     
 
     
 とてもリラックスして楽しめるアルバムだと思います。
 プレーヤーの間近で胸をときめかせながら聴いてみたいような演奏です。もちろん、エレガントな美女をエスコートしている時にも、こういう演奏が聴きたいですね。



◆ザ・トリオ/オスカー・ピーターソンの真髄/The Trio
  ■演奏
   【オスカー・ピーターソン・トリオ】
    オスカー・ピーターソン/Oscar Peterson (piano)
    レイ・ブラウン/Ray Brown (bass)
    エド・シグペン/Ed Thigpen (drums)
  ■プロデュース
    ノーマン・グランツ/Norman Granz
  ■録音
    1961年7月28~29日 イリノイ州シカゴ、ロンドン・ハウス
  ■リリース
    1961年
  ■収録曲
   A① 恋したことはない/I've Never Been in Love Before (Frank Loesser)
    ② ウィー・スモール・アワーズ/In the Wee Small Hours of the Morning (Bob Hilliard, David Mann)
    ③ シカゴ/Chicago (Fred Fisher)
   B④ 夜に生きる/The Night We Called It a Day (Tom Adair, Matt Dennis)
    ⑤ サムタイムズ・アイム・ハッピー/Sometimes I'm Happy (Irving Caesar, Clifford Grey, Vincent Youmans)
    ⑥ ウィスパー・ノット/Whisper Not (Benny Golson)
    ⑦ ビリー・ボーイ/Billy Boy (Traditional)
  ■レーベル
    ヴァーヴ/Verve




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