1960年代のディープ・パープルは、「イギリスのヴァニラ・ファッジ」と例えられていたように、アート・ロックとかニュー・ロックなどと呼ばれた一群にカテゴライズされていました。このオルガン主体のサウンドを押し進め、クラシックとの融合をさらなるものにしてゆきたい、と考えていたのがジョン・ロードです。しかしリッチー・ブラックモアは「サウンドをハードなロックにシフトしたい」と強く主張し、「アルバム1枚だけ自分の好きなようにやってみて、ファンの反応を見たい」と提案しました。その提案が受け入れられて制作されたのが「ディープ・パープル・イン・ロック」です。
リッチーとジョンの2本の柱が音楽的に対立したわけですが、よくこの時にバンドが分裂しなかったなあ、というのが正直な感想です。「音楽観の違い」という理由だけで解散に追い込まれるバンドはたいへん多いのですから。
結果から言うと、リッチーの志向はロック・ファンに大いに受け入れられました。この「イン・ロック」は全英チャート最高4位、同トップ10に26週もランクされるという大ヒットを記録したのです。
バンドの勢いといい、テクニックといい、文句のつけようがないと思います。それに加えて注目されるのが曲の良さです。
「安定」とか「成熟」などの言葉の対極にある、若々しくて尖がった激しさがアルバム全体を貫いています。
荒削りながら全編通して感じられるテンションの高さや、ハードでギラギラしたリッチーのギターがとりわけ目立つ、ハード・ロック史上に残る名作のひとつではないでしょうか。
このアルバムから新加入したイアン・ギランの、パワフルなヴォーカルもリッチーの志向にぴったりとマッチしていて、リッチーのハード・ロック志向をより押し進める役割を果たしているようです。
イントロからパワー全開の衝撃的ナンバー「スピード・キング」は、いわばハード・ロックに進路を変更したパープルからのアツい挨拶、とも言えるでしょう。曲途中で聴かれるギター・ソロ、オルガン・ソロのバトルと、その後のリッチーのギター・ソロは聴き物です。イアン・ギランのハイ・トーンでのシャウトもカッコいいですね。この曲は、パープルのライヴでの重要なレパートリーのひとつです。
リッチーのリフがぐいぐい曲を引っ張る「ブラッドサッカー」では、交互に入れ替わるギターとオルガンのソロ交換にも耳を奪われます。
「チャイルド・イン・タイム」はレッド・ツェッペリンの「天国への階段」にも匹敵する名曲だと思います。10分以上の大作で、曲の展開がとてもドラマティック。イアン・ギランの真っ向から聴かせてくれるメタリックなシャウトと、リッチーの鬼気迫るギター・ソロも圧巻です。
ギターとオルガンの重なったヘヴィーなリフを持つ「イントゥ・ザ・ファイア」もライヴでよく取り上げられるナンバーです。
リッチー・ブラックモアは、自分の進みたい方向にバンドを導き、それがさらには各メンバーの最良の状態を引き出すことに繋がっているようです。
どのアルバムよりもアグレッシヴなリッチーのギター、パワフルでエモーショナルなイアン・ギランのヴォーカル、ツボを心得たイアン・ペイスのドラム、クラシカルな響きでハードなプレイから堅実なバッキングまでこなすジョンのオルガン、安定してボトムを支えるロジャーのベース、そしてまるでライヴを思わせるようなパワフルで荒々しいサウンド、これぞまさしくハード・ロックだと言えるでしょう。
◆ディープ・パープル・イン・ロック/Deep Purple In Rock
■歌・演奏
ディープ・パープル/Deep Purple
■リリース
1970年6月3日
■プロデュース
ディープ・パープル/Deep Purple
■収録曲
【Side-A】
① スピード・キング/Speed King
② ブラッドサッカー/Bloodsucker
③ チャイルド・イン・タイム/Child in Time
【Side-B】
④ フライト・オブ・ザ・ラット/Flight of the Rat
⑤ イントゥ・ザ・ファイア/Into the Fire
⑥ リヴィング・レック/Living Wreck
⑦ ハード・ラヴィン・マン/Hard Lovin' Man
*All Tracks Written By Blackmore-Gillan-Glover-Lord-Paice
■録音メンバー
☆ディープ・パープル/Deep Purple
イアン・ギラン/Ian Gillan (vocal)
リッチー・ブラックモア/Ritchie Blackmore (guitar)
ジョン・ロード/Jon Lord (keyboards)
ロジャー・グローヴァー/Roger Glover (bass)
イアン・ペイス/Ian Paice (drums)
■チャート最高位
1970年週間チャート アメリカ(ビルボード)143位、イギリス4位、日本(オリコン)68位
「サッチモ」ことルイ・アームストロングが1964年に歌った「ハロー・ドーリー」のヒットに気を良くしたか、再びサッチモによるポピュラー・ヒットを狙ったプロデューサーのボブ・シールが1967年に作曲(作曲者のジョージ・ダグラスはシールのペンネーム)したのが、サッチモの数あるレパートリーの中でもたいへん有名な「この素晴らしき世界」です。
「ハロー・ドーリー」のように、全米No.1とはいきませんでしたが、ビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートで最高12位、全英チャートには29週ランク・インし、4週連続1位となりました。
1987年には、ロビン・ウィリアムス主演の映画「グッド・モーニング・ヴェトナム」で使われて火がつき、ビルボードで32位まで上がったのを始めとしてオーストラリアとベルギーのウルトラトップ30で1位、オランダのメディアマーケットで2位、ニュージーランドで8位となるなど、サッチモの死後16年目にして、彼最大のヒット曲となりました。
また、日本ではホンダをはじめ、再三に渡っていろんなCMに使われているので、この曲をご存知の方も多いと思います。
サッチモ独特のダミ声と、優しい温もりのある歌詞が胸に響く名曲です。8分の12拍子の、いわゆる3連ノリの曲ですが、リズム&ブルーズのように重く粘っこいリズムではなく、サラリとした3連です。
歌も、力コブを入れて歌っているのではなくて、ふと今までの人生を振り返ったサッチモが、「良い人生だったよ」と呟いているかのような雰囲気です。
静かなアレンジのストリングスがサッチモの声と対照的ですね。
語りかけるようなサッチモの歌は慈愛に満ちていて、英語が分からないぼくの胸も、感動の波に洗われます。
1970年、サッチモの70歳を祝って、彼のこれまでの業績の集大成として1枚のアルバムが収録されることになりました。その時に集まった大勢の後輩たちを前にして、サッチモは「この素晴らしき世界」のイントロでスピーチを始めました。
「君達若い連中の中にはオレにこう言ってくる者もいる
『オヤジさん、"素晴らしき世界"ってどういう意味なんですか?
世界中で起こっている戦争も素晴らしいのですか?
飢餓や汚染はどこが素晴らしいのですか?』
だけど、このオヤジの言うことも聞いてみないかい
オレには、世界はそんなに悪くない、と思えるんだ
オレが言いたいのはね
世界は素晴らしくなる、そう思って行動すればってこと
愛だよ、愛。それが秘訣さ
もっともっとオレ達が愛し合えば問題も減るし
世界はとびきりいいところになるんだ
それがこのオヤジのずっと言っていることなんだ」
これが、この曲に込められたサッチモの思いなんですね。
ぼくが尊敬している名テナー・サックス奏者の故・津田清さんは、好んで「この素晴らしき世界」をステージで演奏していました。津田さんの吹くサックスもとても優しくて、まさしく「この世界はなんて素晴らしいんや、なあ、分かるか」と語りかけられているような音色だったのを覚えています。
Louis Armstrong 『What a Wonderful World』
この曲を取り上げるミュージシャンもたいへん多いです。ジャズメンに限らず、ロック、ポップス、R&Bなど、ジャンルを越えて愛されています。有名なところでは、トニー・ベネット、B.B.キング、ロッド・スチュアート、サラ・ブライトマン、トゥーツ・シールマンスなどの名が挙げられます。日本でも本田美奈子、渡辺美里、中島美嘉、槙原敬之らが自分のCDの中でこの曲を歌っています。
レコーディングはしていないけれどもステージでは歌っている、という人も少なからずいますね。
[歌 詞]
[大 意]
木々は緑に輝き赤いバラは美しく どれも私たちの為に 咲いている
そしてふと思う なんて世界は素晴らしいんだ
どこまでも青い空と真っ白な雲 光りあふれる日と聖なる夜
そしてふと思う なんて世界は素晴らしいんだ
七色の虹は美しく輝き 行きかう人々の顔も輝いている
友だちが手を取り合い 挨拶をかわし 「愛してる」と言っている
赤ん坊は泣き やがて育っていく きっとたくさんの事を学びながら
そしてふと思う なんて世界は素晴らしいんだ
◆この素晴らしき世界/What A Wonderful World
■歌
ルイ・アームストロング/Louis Armstrong
■シングル・リリース
1967年
■収録アルバム
What a Wonderful World (1968年)
■作詞
ジョージ・デヴィッド・ワイス/George David Weiss
■作曲
ジョージ・ダグラス(=ボブ・シール)/George Douglas (Bob Thiele)
■プロデュース
ボブ・シール/Bob Thiele
■チャート最高位
1967年週間チャート アメリカ(ビルボード)116位、アメリカ(ビルボード・アダルト・コンテンポラリー・チャート)12位、イギリス1位
1988年週間チャート アメリカ(ビルボード)32位、アメリカ(ビルボード・アダルト・コンテンポラリー・チャート)7位
ルイ・アームストロング『この素晴らしき世界』
♪お気に入り映画25
■ブルース・ブラザーズ2000 (Blues Brothers 2000)
■1998年 アメリカ映画
■監督…ジョン・ランディス
■音楽…ポール・シェイファー
☆ダン・エイクロイド(エルウッド・ブルース)
☆ジョン・グッドマン(マイティ・マック)
☆ジョー・モートン(ケイベル・チェンバレン)
☆J・エヴァン・ボニファント(バスター)
☆アレサ・フランクリン(ミセス・マーフィー)
☆ジェームズ・ブラウン(クリオファス牧師)
☆B.B.キング(マルバーン・ガスペロン)
☆サム・ムーア
☆ニア・ピープルズ
☆エディ・フロイド
etc・・・
【ネタバレあります】
前作から18年、主役のジョン・ベルーシほか、キャブ・キャロウェイとジョン・キャンディが鬼籍に入った今、続編をどういった形で作ってくれるのか心配と楽しみが半々でした。
ストーリーは前作とほぼ同じ。バンド再編を目論むエルウッドがメンバーを集めつつもあちこちで騒動を巻き起こし、警察とロシアン・マフィアに追われながら、伝説のバンド・コンテストを目指して旅に出る、というもの。お約束のカー・チェイスや、ちょっぴりおバカなギャグも相変わらずです。
でもこれは、ネタが尽きたというより、前作のパロディー、いや、パロディーでもないな、むしろ前作へのオマージュ、といった方がいいのかもしれません。
実際のところ、前作と似通ったストーリーであるというのは、二番煎じと受け取られかねないとも思います。また、ブルース・ブラザーズ・バンドの面々も前作に比べて18歳年を取っているわけで、そのためこれらを映像で見ると、映画そのもののパワー・ダウンに繋がっているのは否めないところでしょう。
でも、ぼくは「ブルース・ブラザーズ」は偉大なるマンネリでも構わないんじゃないか、と思います。なぜなら、映画の中でエルウッドが語っている通り、アメリカの偉大な音楽であるブルーズ、ジャズ、ソウルなどの楽しさを伝えようとしているのがこの映画の大きなテーマだと思うからなのです。そしてその通り、今回の演奏シーンも楽しいものばかりでした。また、どんな困難に見舞われても平気の平左、つねに前を見て進み続けるエルウッドの生き様も能天気でいいんですよね。
今回も大物ミュージシャンがズラリと勢ぞろいしています。
とくにクライマックス・シーンで登場する「ルイジアナ・ゲイター・ボーイズ」のメンバーの豪華なこと!
B.B.キングを筆頭に、エリック・クラプトン、ジミー・ヴォーン、ジェフ・バクスター、ドクター・ジョン、ボ・ディドリー、ジョシュア・レッドマン、ジョン・ファディス、アイザック・ヘイズ、ジャック・ディジョネット、スティーヴィー・ウィンウッド、ビリー・プレストン、ウィリー・ウィークスなどなど、総勢21名からなるスーパー・バンドです。彼らの演奏する「ハウ・ブルー・キャン・ユー・ゲット」からはブルーズの持つ魅力・迫力が存分に伝わってきます。
ブルース・ブラザーズの演奏する「ターン・オン・ユア・ラヴ・ライト」も断然楽しい!新たにフロントに加わったマイティ・マック(ジョン・グッドマン)、ケイベル・チェンバレン(ジョー・モートン)、バスター(J・エヴァン・ボニファント)の熱演ぶりがとてもカッコいいのです。とくにバスターの活躍ぶりが可愛らしい。エルウッドとブルース・ハープのバトルを繰り広げるところや、ボーイ・ソプラノを駆使しての堂々たる歌いっぷりなんて、見ているだけで血が騒ぎます。
また、前作ではブルース・ブラザーズの親代わりとしてカーティス(キャブ・キャロウェイ)が出ていましたが、今作ではカーティスの息子が登場します。それがジョー・モートン演ずるケイベルなんですが、ケイベルの愛称が「キャブ」というところなんて、今は亡きキャブ・キャロウェイに敬意を払っているのが想像できて、ちょっぴりシミジミしました。
どうしても前作と比較してしまうところなのでしょうが、「2000」は「2000」として観ればいいのではないかな、と思います。
気がつけば、「ブルース・ブラザース」のキャストからは、さらにレイ・チャールズ、ジェームズ・ブラウン、ビリー・プレストンらが亡くなっています。とくに「パート1」に出ていた人の名がこうして次々と消えていくのも、また寂しいことですね。
しかし、できれば「パート3」も製作して、もっともっとR&Bの楽しさを広めてほしいとも思うのです。
人気blogランキングへ←クリックよろしくお願いします<(_ _)>
♪お気に入りミュージシャン63
■ヴァニラ・ファッジ(Vanilla Fudge)
☆ヴィンス・マーテル(g,vo)
☆マーク・スタイン(keyb,vo)
☆ティム・ボガート(b,vo)
☆カーマイン・アピス(drs,vo)
■「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」動画
■「ショットガン」動画
「ヴァニラ・ファッジ」、今ではピンとこない人の方が多いかもしれません。
ぼくが「ヴァニラ・ファッジ」の名を知ったのは、ジェフ・ベックが組んだトリオ、「ベック・ボガート&アピス」を通じてでした。このトリオのベースのティム・ボガートとドラムスのカーマイン・アピスが1966年から70年まで組んでいたバンドが「ヴァニラ・ファッジ」です。
その当時の、「ニュー・ロック」とか「アート・ロック」と言われた一派の中にカテゴライズされるようですが、なるほど、今聴いても独創的な音作りが成されていると思います。
1960年代後半のロック・シーンを見渡した時、同じオルガン主体のサウンドを持つバンドとして「イギリスのディープ・パープルに対するのがアメリカのヴァニラ・ファッジ」と位置づけることもできるかもしれません。
サウンドの中心は、マーク・スタインの弾く個性的なオルガンと、カーマイン・アピスの重厚でパワフルなドラムにあると言えるでしょう。そのほか、リード・ギター以上に弾きまくるティム・ボガートのベースも存在感があります。また、4人ともリード・ヴォーカルを取れるのが強みで、それを生かしたゴスペルっぽいコーラス・ワークもバンドのサウンドに大きな効果を与えていると思います。
ヴァニラ・ファッジには、サイケデリック色やクラシック色、そしてハード・ロックにも通じるヘヴィーなサウンドが混然と溶け合っています。
初期の頃はカヴァー曲がとても多いのですが、原曲を見てみると、ビートルズやドノヴァンなどの英国勢のもの、スプリームスやジュニア・ウォーカーなどのソウル・ナンバーなどが目立ちます。これらを、サイケ色をイメージさせるオルガン主体のサウンドでリメイクしているのが特徴でしょう。変わったところでは、ベートーヴェンの「エリーゼのために」にトライしています。
彼らのレパートリーを見てみると、5分以上のわりあい長尺の曲が目立ちます。これは、1曲3分前後のヒット曲を積極的に流す当時のラジオ局の方針に逆らうものですが、演奏時間にとらわれずに自分たちの表現したいように演奏するその姿勢は、のちのプログレッシヴ・ロックにも通ずるものがある、と言えるでしょう。
「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」
ヴァニラ・ファッジの曲の中で有名なのは、何といっても「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」でしょう。1967年7月に全米67位まで上がります。いったんチャート外に去りましたが、再発された翌68年には8月に全米6位まで上がる大ヒットを記録しました。元はスプリームスが66年に放ったNo.1ヒットです。ヴァニラ・ファッジはテンポを落とし、重く粘るヘヴィ・ロックに仕立て直しています。
ぼくの好きなのは「ショットガン」です。この曲も非常にヘヴィでカッコいいハード・ロックです。これはのちのベック・ボガート&アピスのライヴにも取り上げられていますね。
カーマイン・アピスとティム・ボガートのリズム・セクションはジェフ・ベックに大いに気に入られます。しかし、このふたりにロッド・スチュアートを加えてバンドを組むことになった矢先にジェフは交通事故で重傷を負い、バンドの話が流れてしまったのはよく知られたエピソードですね。この4人で組んだバンドの音を聴いてみたい、と思うのはぼくだけではないでしょう。でも、個性の強い4人ですから、バンドとしては長続きしなかっただろう、と思いますけれどね。
ヴァニラ・ファッジは解散と再結成を繰り返していますが、現在では何度目かの再結成を果たし、ティム・ボガートとカーマイン・アピスを中心に活動を続けているようです。
人気blogランキングへ←クリックよろしくお願いします<(_ _)>
カルメン・マキが、アンダーグラウンド・フォークからロックに転じて、初めて発表したのがこのアルバムです。
ブルース・クリエイションは、人気グループ・サウンズ、ジャガーズの弟分的バンドだったビッキーズを母体として生まれました。そのサウンドは、当初はブルース・ロックでしたが、次第にハードなものへとシフトしてゆきます。このアルバムあたりは、まだハード・ロックへの過渡期にあるようです。
カルメン・マキ
ヴォーカルも演奏も若々しい! とくにブルース・クリエイションの演奏、荒削りながら若さいっぱいで、とてもみずみずしいです。この時、看板ギタリスト・竹田和夫の年齢が弱冠18歳。すでに「天才ギタリスト」と評されていました。
マキのヴォーカルは、のちのOZ時代に比べておとなしめ、というか、やや抑え気味ですが、伸びやかでメタリックなハイ・トーン・ヴォイスはこの頃から健在です。一語一語に感情をこめて大切に歌っていて、ハードというより美しさを感じる歌声です。
全8曲中、カヴァーが3曲、竹田和夫のペンによるものが5曲。しかも全曲英語詞です。当時は『日本語はロックにのるかどうか』という論争の真っ只中で、このアルバムはその討論に対するブルース・クリエイション側からのひとつの回答と見ていいでしょう。ブルース・クリエイションは「英語派」の内田裕也と近かったことを考えると、全編英詞だというのはある意味当然だと思われます。事実、のちのクリエイションも積極的に英語で歌い、ある時期には海外進出まで目論んでいました。しかしマキは、このアルバムでは英語で歌っていますが、対照的にOZでは日本語詞でロックし続けることに成功、「ロックは日本語で歌えるか」という命題にマキなりの答えを出しています。
カルメン・マキ
1曲目の「Understand」、いきなりスピーディーでゴツゴツしたギター・リフが飛び出してきます。この曲は「ファンタジー」というアメリカのハード・ロック・バンドのカヴァーです。挨拶がわりにいきなりハード・パンチをお見舞いされた、という感じでしょうか。
3曲目の「Lord, I Can't Be Going No More」は、レッド・ツェッペリンの「貴方を愛し続けて」を彷彿とさせるマイナー・ブルースです。
5曲目はトラッド・フォークの名曲、「Motherless Child」です。ディストーションのかかったベースにハードなギターが被り、曲は一転ブレイクしてマキのアカペラに引き継がれます。元はフォーク・ナンバーですが、見事にブリティッシュ・ハード・ロック風味を出していると思います。
「Mean Old Boogie」はブギーとハードなエイト・ビートをメドレーっぽく繋いでいます。
「St. James Infirmary」は古いスタンダードで、マイナー・ブルース。この曲も、クリエイション風ブリティッシュ・ブルース・ロックに生まれ変っています。
バックの演奏は、レッド・ツェッペリンを始めとするブリティッシュ・ロックの影響を色濃く受けているように思えます。サウンドの鍵はやはり竹田和夫が握っていますね。ブリティッシュ・ロックを彼らなりにうまく消化しているので、ブルース・ロック好きにはこたえられないアルバムに仕上がっているのではないでしょうか。また、のちのクリエイションへ繋がるサウンドも、既にこのアルバムから聴くことができます。
マキのヴォーカルは、よく「和製ジャニス・ジョプリン」などと言われますが、このアルバムではグレイス・スリック(ジェファーソン・エアプレイン)からも影響されている部分があるのが窺えます。
ブルース・クリエイション
このアルバムを出したのち、ブルース・クリエイションは解散。その後竹田和夫はクリエイションを結成し、日本のロック界の屋台骨を支えることになります。
マキは、春日博文らとカルメン・マキ&OZを結成、ハード・ロックバンドとしてロック界の一方の旗手となりました。とくにマキの女性ロッカーとしての存在は広く支持され、多くのフォロワーを生みました。
このアルバムは、日本のハード・ロック界の黎明期に、これだけ質の高いサウンドを出せるミュージシャンが存在したことの証明になるでしょう。
◆カルメン・マキ/ブルース・クリエイション Carmen Maki/Blues Creation
■リリ-ス
1971年8月25日
■録音メンバー
カルメン・マキ(vo)
-----------------
ブルース・クリエイション
竹田和夫(g)
佐伯正志(b)
樋口晶之(drs)
■収録曲
① アンダースタンド/Understand (Lydia J. Miller)
② アンド・ユー/And You (竹田和夫)
③ ロード、アイ・キャント・ビー・ゴーイング・ノー・モア/Lord, I Can't Be Going No More (竹田和夫)
④ 空しい心/Empty Heart (竹田和夫)
⑤ 母のない子/Motherless Child (traditional)
⑥ 今日を生きられない/I Can't Live For Today (竹田和夫)
⑦ ミーン・オールド・ブギー/Mean Old Boogie (竹田和夫)
⑧ セント・ジェイムス病院/ST. James Infirmary (J. Primrose)
◆我が心のジョージア/Georgia On My Mind
■リリース
1930年
■作 詞
スチュアート・ゴーレル/Stuart Gorrell
■作 曲
ホーギー・カーマイケル/Hoagy Carmichael
ジョージア州は、1776年に米国独立宣言をした13州のうちのひとつで、アメリカの中では古都と言っていいでしょう。名作「風とともに去りぬ」の舞台になっていることでも知られています。
そのジョージア州の州都アトランタで第26回オリンピックが開催されたのは1996年でした。開会式が行われたのが7月19日です。この一大イベントをきっかけにあちこちで演奏され、歌われたのが、「ジョージア・オン・マイ・マインド(我が心のジョージア)」でした。
この曲はレイ・チャールズの歌でたいへんよく知られていますね。そのせいで、作者もレイ・チャールズであると思っていた人も大勢おられたのではないでしょうか。ぼくも曲の成り立ちを知らなかった頃は、漠然と「レイの作」だと思っていました。
レイ・チャールズ
「ジョージア」の曲を書いたのはホーギー・カーマイケル。あの名曲「スターダスト」の作者です。歌詞を書いたスチュアート・ゴーレルは、その「スターダスト」の名付け親でもあります。
曲が書かれた翌年の1931年にはミルドレッド・ベイリーが歌ってヒットさせています。カーマイケル自身が弾き語りで飄々と歌っているヴァージョンもあります。
レイ・チャールズはこの曲ができた1930年に生まれています。彼は、幼い頃から「ジョージア」を歌っていたそうですが、その時はどのように歌っていたのでしょうか。非常に興味のあるところです。
曲が生まれてちょうど30年後の1960年、レイはABCレコードに移籍、その年の末に発表した「ジョージア」が大ヒットし、30歳にして初めてビルボードのチャートで1位を獲得しました。同年度のグラミーでも「最優秀男性歌唱賞」を受賞しています。
ホーギー・カーマイケル
この「ジョージア」ほど、ジャンルの枠を超えて愛されている曲もなかなかないでしょう。シンプルゆえにいじりやすく、コード進行が魅力的なために、ジャズ、ロック、ブルーズなど、さまざまなジャンルのさまざまなミュージシャンに取り上げられています。もともとはジャズのフィールドで歌われていたスタンダード・ナンバーだったのですが、レイ・チャールズの歌ったスタイルがあまりにも強烈な印象を残したため、R&Bの曲だというイメージが出来上がってしまった感があります。
レイの歌った「ジョージア」のスタイルは、8分の12拍子の、いわゆるリズム&ブルーズ色の濃いものでした。以後このスタイルが定着し、マイケル・ボルトンもデヴィッド・サンボーンも熱くブルージーに歌い上げています。
この歌の中に繰り返し出てくる「ジョージア」とは、地名のことだと容易に察しがつくでしょう。しかし「ジョージア、ジョージア、私はあなただけを慕う、懐かしく甘い歌は私にジョージアを思い出させる」という部分を聴いてみると、ジョージアは「故郷のジョージア」とも「ジョージア」という名の女性とも考えられます。どっちともとれる内容にしたのは作者の意図なんでしょうか。
マイケル・ボルトン
のちライチャス・ブラザーズ、ウィリー・ネルソン、ザ・バンドなどによってリヴァイヴァル・ヒットしました。近年では、レイのスタイルを踏襲したマイケル・ボルトンの熱唱ぶりが知られていますね。
日本人が歌った例としては上田正樹や、つのだひろの名が挙げられます。
「ジョージア・オン・マイ・マインド」は1979年にはジョージア州の州歌になりました。
[歌 詞]
[大 意]
ジョージア、ジョージア いつも思う
懐かしく甘い歌 ジョージアを心に抱き続ける
ジョージア あなたの歌
やさしく清らかな 松の葉から漏れる月光のようにそれは訪れる
私を求める腕 私に微笑む瞳はあるが
安らかな夢に見るのは あなたのもとに戻る道
ジョージアよ、私はあなただけを慕う 他に幸せは見いだせない
この懐かしく甘い歌が 我が心のジョージアを思い出させる
【レイ・チャールズ/Ray Charles】
■シングル・リリース
1960年9月
■収録アルバム
The Genius Hits the Road (1960年9月)
■プロデュース
シド・フェラー/Sid Feller
■チャート最高位
1960年週間チャート アメリカ(ビルボード)1位
1960年年間チャート アメリカ(ビルボード)78位
【マイケル・ボルトン/Michael Bolton】
■シングル・リリース
1990年
■収録アルバム
ソウル・プロヴァイダー/Soul Provider(1989年6月)
■プロデュース
マイケル・ボルトン、スーザン・ハミルトン/Michael Bolton, Susan Hamilton
■チャート最高位
1990年週間チャート アメリカ(ビルボード)36位、イギリス94位
■録音メンバー
Michael Bolton (lead-vocal)
Richard Tee (keyboards)
Eric Rehl (additional-synthesizer)
Schuyler Deale (bass)
Chris Parker (drums)
Michael Brecker (tenor-sax)
Terry Brock (backing-vocal)
Jocelyn Brown (backing-vocal)
Robin Clark (backing-vocal)
Milt Grayson (backing-vocal)
Vicki Sue Robinson (backing-vocal)
Fonzi Thornton (backing-vocal)
1977年7月17日。当時人気絶頂だったキャンディーズが日比谷野外音楽堂でのライヴで突然の解散宣言を行った日です。この時ランが口にした「普通の女の子に戻りたい」というセリフは、本人の真意をよそに一人歩きし、流行語になってしまいましたね。この解散宣言は世間に衝撃を与え、一種の社会現象にまでなりました。
といっても、今キャンディーズを知っている世代といえば、30代以上になるのでしょうか。
その頃にヒットしていたのが、この「やさしい悪魔」です。これはキャンディーズ13枚目のシングルで、作詞は「神田川」などで有名な喜多条忠氏、作曲はあの吉田拓郎氏です。この曲は拓郎氏が初めてキャンディーズに提供したもので、最終的にはチャート4位にまで昇り、約70万枚のセールスを記録しました。
以前のキャンディーズといえば、明るくてキュートで、「清楚なお姉さん」といったイメージでしたが、「やさしい悪魔」では、曲もシャッフルのフォーク・ロック調という少し大人びたものになり、衣装もアン・ルイスがデザインした、レオタードに網タイツというとてもセクシーなものに変わりました。
イントロの、ヒールが床を打つ「コツン、コツン」という音からして、今までと違った雰囲気を醸し出しています。
また、親指と小指を突き上げる「デビルサイン」もファンの間で浸透したみたいです。
大人っぽくなったキャンディーズの、ちょっとホロ苦いこの曲、ぼくはとても気に入っていて、今でもよく聴いています。
吉田拓郎氏は熱烈なキャンディーズ・ファンだったようです。「やさしい悪魔」はとても音域が広く、歌うには少し難しい曲なのですが、それも拓郎氏がキャンディーズにレッスンをつけたいためにわざと難しく作曲した、という話がありますが、本当のところはどうなんでしょうね。
この曲、拓郎氏も、アルバム「ぷらいべえと」でセルフ・カヴァーしています。
当初は可愛いだけのアイドル・グループと見られていて、歌唱力なんて話題にもならなかったキャンディーズですが、きちんとしたレッスンを積み、キャリアを重ねるごとにコーラス・グループとしての力もつけていったようです。
全盛期には、しっかりした音楽教育に裏打ちされた実力を持つミキがアルト、サウンドを包み込む音色と安定した歌唱力を持つスーがメゾソプラノ、リズム感がよくアルトからソプラノまでをカヴァーする広い声域を持つランがソプラノを取っていました。
キャンディーズは1978年4月4日、超満員の55000人の観衆を集めた後楽園球場でのファイナル・コンサートを最後に解散しました。レコード・デビューからわずか4年半(もうちょっと長く活動しているのかと思ってました)、当時まだラン23歳、ミキ22歳、スー21歳という若さでした。以来キャンディーズとしての活動は一切行っていません。
ちなみに、彼女たちは「解散宣言」はしましたが、「引退宣言」はしてなかったんですね。
のちミキはシンガーとしていったん復帰しましたが、今では完全に引退、ラン、スーは現在でも女優として活動を続けています。(追記:「スー」こと田中好子さんは、2011年4月21日、がんのため55歳で亡くなりました)
[歌 詞]
■やさしい悪魔
■リリース
1977年3月1日
■作 詞
喜多条忠
■作 曲
吉田拓郎
■編 曲
馬飼野康二
■歌
キャンディーズ
・伊藤 蘭(ラン)
・田中好子(スー)
・藤村美樹(ミキ)
■収録アルバム
キャンディーズ1½~やさしい悪魔
■チャート最高位
1977年度オリコン週間チャート 4位
1977年度オリコン年間チャート27位
キャンディーズ「やさしい悪魔」
♪お気に入りアーティスト62
■T.レックス (T.REX)
☆マーク・ボラン(vo,g)
☆ミッキー・フィン(per,vo)
☆スティーヴ・カーリー(b)
☆ビル・レジェンド(drs)
■試聴はこちら
布袋寅泰、反町隆史、浅野忠信の3人が登場する、トヨタ「VOXY」のCMに使われている曲がT.レックスの「20センチュリー・ボーイ」です。世界卓球選手権2007のCMにも使われていましたね。
シンプルながら荒々しいギター・リフで始まる「20センチュリー・ボーイ」、全編に流れるハイ・トーンのコーラスとハードなギターが印象的です。
T.レックスのリーダーであるマーク・ボランがデビューしたのは1965年です。67年からはスティーヴ・トゥック(per)とデュオを組み、「ティラノザウルス・レックス」の名で活動を開始します(のちミッキー・フィン(per)とデュオを組む)。バンドの形態になったのは70年。この時バンド名も「T.レックス」と変えました。ちなみにティラノサウルスの「ティラノ」は「支配的な」、「サウルス」は「トカゲ」、「レックス」はラテン語で「国王」の意味を持っています。
T.レックスは、俗に「ボラン・ブギー」と呼ばれる、ブギーを基調としたシンプルなロックンロールを確立します。その独特のエレクトリック・ブギー・サウンドからは「ゲット・イット・オン」「テレグラム・サム」「メタル・グゥルー」などヒット曲が立て続けに生まれました。この頃の彼らのシングルは10曲連続で全英TOP5入り、うち4曲が全英No.1という驚異的なセールスを記録、その人気はたちまちイギリス中に広がりました。その数々のヒット曲から生まれる快感は「T.レクスタシー」などと言われていました。
レスポールを持ったマーク・ボランの姿、実にキマってます。彼は銀ラメのスーツに身を包み、派手なメーキャップを施し、「グラム・ロック」の象徴として一躍爆発的な人気を得ます。
この頃のT.レックスは日本でも非常に人気が高く、当時の「ミュージック・ライフ」誌を見てみると、毎号のようにカラー・グラビアに登場しています。
「グラム・ロック」は1970年代前半のロック界を席捲したムーヴメントです。いわゆる「ヴィジュアル系」の元祖、と言ってもいいのではないでしょうか。
メイクをしたマーク・ボランは、デヴィッド・ボウイーらとともに「グラム・ロック」の中心的存在として君臨しました。その人気の高さは、リンゴ・スターに「T.レックスは70年代のビートルズだ」と言わしめたことでも分かるでしょう。
T.レックスのサウンドは、中性的で、退廃的な雰囲気を持つマーク・ボランの容貌とあいまって、ミステリアスでどこかアンダーグラウンドな感じがします。やや一本調子ではありますが、単純なリフはノリがよく、メロディーもポップです。どちらかというと気だるいヴォーカルには妖しさと色気があり、女声コーラスや大胆なストリングスの使用はゴージャスで少々チープです。
「電気の武者」(1971年)「ザ・スライダー」(1972年)
T.レックスは、アメリカでは「ゲット・イット・オン」がヒットした程度でしたが、イギリスと日本では圧倒的な人気を誇りました。そんな彼らの人気も1974年を境に翳りが見え始め、バンドも一時は解散状態に陥ります。
77年、ボランは新生T.レックスを結成しますが、これからという時に自動車事故のため29歳で夭折しました。生前、ボランは「自分は30歳になる前に死ぬだろう」と口癖のように話していたといいます。
しかし、マーク・ボランの存在は、その死後もロック界に影響を及ぼし続け、今でも多くのフォロワーを生んでいます。
人気blogランキングへ←クリックよろしくお願いします<(_ _)>
■虹の彼方に (Over The Rainbow)
■1939年
■作詞…エドガー・イップ・ハーバーグ
■作曲…ハロルド・アーレン
ポピュラーなL.フランク・ボームの名作童話をミュージカル風に映画化した1939年のMGM映画『オズの魔法使い』のテーマ曲が「虹の彼方に」です。主演のジュディ・ガーランドによって歌われました。
「オズの魔法使い」
作曲家のハロルド・アーレンは、ある日劇場で映画を観るため、妻と車で出かけましたが、彼はその途中でひとつのメロディと、「虹の彼方のどこかに」という言葉を思いつきました。翌日アーレンは曲をまとめあげ、作詞家のハーバーグに聴かせましたが、ハーバーグは「カンサスの小娘(当時14歳のジュディ・ガーランド)には向かない」と言ったそうです。そこでアーレンとハーバーグは、この曲をアイラ・ガーシュウィン(作曲家ジョージ・ガーシュウィンの兄で作詞家)に聴いてもらうことにしました。ガーシュウィンはこの曲を大いに気に入ったため、ハーバーグは改めて作詞に取り掛かったということです。
こうして完成した「虹の彼方に」をガーランドが歌い、撮影も無事終了しましたが、今度はMGM映画サイドが「この歌は14歳の少女が歌うにはふさわしくない」と言ってカットを命じました。しかし、この歌に惚れ込んだ共同プロデューサーのアーサー・フリードが強硬に「虹の彼方に」の使用を主張し、ようやく映画に使われることが正式に決定しました。
「虹の彼方に」は何度もボツになりかけながら、結果は大成功。この曲はアカデミー賞主題歌賞を受賞、ガーランドは特別子役賞を受けました。また、この曲はガーランドのショウのテーマ曲にもなりました。
ちなみにガーランドは、ミュージカル女優ライザ・ミネリのお母さんなんですね。
ジュディ・ガーランド
起伏に富んだ極上のメロディーを持つ曲です。夢見る少女のファンタジックな気持ちが曲の中に溶け込んでいるかのようです。中間部のメロディーは変化に乏しいようにも思われますが、その単純なメロディーの繰り返しは、後半の転調感ともあいまって徐々に盛り上がり、そして再び素晴らしいメロディが姿を現します。
エリック・クラプトン「Ballads」
近年では三菱モータースのCMに、エリック・クラプトンの歌う8分の12拍子(いわゆる3連)の「虹の彼方」が使われたので、この曲を新たに知ったという方も大勢おられるだろうと思います。また、リッチー・ブラックモア率いるレインボーのライヴのオープニングにこの曲の一節が使われていることも知られていますね。
他にはグレン・ミラー・オーケストラ、ドリス・デイ、サラ・ヴォーン、ローズマリー・クルーニー、フランク・シナトラ、モダン・ジャズ・カルテットなどの歌・演奏が有名です。よくスロー・テンポで演奏されます。今ではすっかりスタンダード・ジャズと化していますね。
【虹の彼方に】
虹の彼方のどこかに高く いつか子守唄に聞いた国がある
虹の彼方のどこかの青い空で あなたの夢が真となる
いつか私は星に祈る 目覚めると雲の上にいるようにと
そこは悩みもレモン・ドロップのようになる所
あなたが私を見いだす所
虹の彼方に青い鳥が飛ぶ
鳥は虹を越えるのに どうして私にはできないの
人気blogランキングへ←クリックよろしくお願いします<(_ _)>
当代きってのドラマー、スティーヴ・ガッド率いる「ザ・ガッド・ギャング」は、あの伝説的なフュージョン・グループ「スタッフ」のメンバーだったリチャード・ティー(keyboards)、コーネル・デュプリー(guitar)を核に、ベースにはビル・エヴァンス・トリオやマンハッタン・ジャズ・クインテットで鳴らしたエディ・ゴメス(bass)を迎えた4人で結成されました(のちロニー・キューバ baritone-sax)が正式に加わります)。
とにかく全員が一国一城の主で、職人芸的な素晴らしいテクニックの持ち主ばかりです。
「ガッド・ギャング」は、とにかくファンキーでソウルフルです。メリハリの利いたノリの良い演奏がこのバンドの魅力だといえるでしょう。
メンバー同士の結束も固いようで、全員が実に楽しそうに演奏しているのが伝わってきます。
アルバムの冒頭を飾る『ウォッチング・ザ・リヴァー・フロウ』は、ボブ・ディランの作品です。ディランがフォーク・ギターをバックに泥臭く歌っているのに対して、「ガッド・ギャング」は正統派の4ビートにアレンジし、とてもブルージーなものに組み立て直しています。曲はデュプリーの弾くテレキャスターがテーマをとっています。独特の乾いた音が耳に残りますね。ソロはキューバ、デュプリー、ティー、ゴメスの順で回されますが、いずれもR&Bフィーリングいっぱいに、そしてリラックスした感じでキメています。
改めて思うのですが、ディランの曲って宝石の原石のようなものが多いですね。他の人が取り上げ、アレンジしてカヴァーすると、原曲とは違った輝きが増す、というケースが多いような気がします。
『ストレングス』では、ティーのフェンダー・ローズが優しく流れたかと思うとラテン・ビートになり、ガッドとゴメスがリードするリズムの切れ味が楽しめます。
『ウェイ・バック・ホーム』はクルセイダースのカヴァー。ファンキーなギターのカッティングがグルーヴィーですね。
『モーニング・ラヴ』と『エヴリシング・ユー・ドゥ』からは、洗練されたニューヨーク・サウンドの真髄が聴かれます。
『デュークス・ララバイ』はドラム・ソロ。ガッドのドラムって、けっして機械的なんかじゃありません。グルーヴしまくっているうえに、様々な手法で曲に色彩を施しています。
ラストは『ホンキー・トンク/アイ・キャント・ストップ・ラヴィング・ユー』です。ミディアムのうねるような4ビートの『ホンキー・トンク』は、ブルージーなギター・リフに始まります。ゴメスの強靭なウォーキング・ベースがボトムをしっかりと支えていて、キューバのバリトン・サックス・ソロでソウルフルな雰囲気が増幅されます。ティーのキーボードもデュプリーのギターも実にファンキー。それをガッドのアフター・ビートの利いた自在なドラミングが包み込みます。
曲はメドレー風に『アイ・キャント・ストップ・ラヴィング・ユー』に引き継がれます。ここでのリズムは重く粘るスローの3連です。ニューヨーク随一のホーン・セクションをオーヴァー・ダヴィングすることによって得られたダイナミックなビッグ・バンド・サウンドが存分に聴かれます。
ガッド・ギャングは2枚のスタジオ録音盤と1枚のライヴ・アルバムを残しましたが、1993年にバンドの要のリチャード・ティーが膵臓ガンのために亡くなってからは活動を停止しています。しかし残りのメンバーは着実に音楽活動を続けているようです。
◆ザ・ガッド・ギャング/The Gadd Gang
■演奏
ガッド・ギャング/The Gadd Gang
■リリース
1986年
■プロデュース
伊藤潔
■収録曲
① ウォッチング・ザ・リヴァー・フロウ/Watching The River Flow (Bob Dylan)
② ストレングス/Strength (S.Gadd, R.McDonald, W.Salter)
③ ウェイ・バック・ホーム/Way Back Home (Wilton Felder)
④ モーニング・ラヴ/Morning Love (Eddie Gomez)
⑤ デュークス・ララバイ/Duke's Lullaby (Steve Gadd)
⑥ エヴリシング・ユー・ドゥ/Everything You (Richard Tee)
⑦ ホンキー・トンク~愛さずにはいられない/Honky Tonk (B.Doggett, S.Shepard, C.Scott, B.Butler)~I Can't Stop Loving You (D.Gibson)
■録音メンバー
☆ザ・ガッド・ギャング/The Gadd Gang
スティーヴ・ガッド/Steve Gadd (drums,percussions,vocal)
コーネル・デュプリー/Cornell Dupree (guitar)
リチャード・ティー/Richard Tee (acoustic-piano,electric-piano,organ,keyboards,vocal)
エディ・ゴメス/Eddie Gomez (bass)
----------------------------------------
★ゲスト
ロニー・キューバ/Ronnie Cuber (baritone-sax ①③⑦)
ジョン・ファディス/Jon Faddis (trumpet ⑦)
ルー・ソロフ/Lew Soloff (trumpet ⑦)
バリー・ロジャース/Barry Rogers (trombone ⑦)
デヴィッド・テイラー/David Taylor (trombone ⑦)
マイケル・ブレッカー/Michael Brecker (tenor-sax)
ジョージ・ヤング/George Young (tenor-sax ⑦)
The Gadd Gang『Watching The River Flow』 (Live in Tokyo 1988)
The Gadd Gang『Way Back Home』) (Live at Bottom Line N.Y. 1988)
ボン・ジョヴィの最新作「ロスト・ハイウェイ」がヒットしていますね。彼らはデビューして24年目になりますが、健在ぶりを示してくれています。
現状に安住することなく、常に次のステップを目指して活動を続けるその姿勢があるからこそ、いつまでも若々しさを保つことができるのでしょうね。
そのボン・ジョヴィがデビュー10周年という区切りを機に発表したのが、このベスト・アルバム「クロス・ロード」です。
ボン・ジョヴィは、1984年に「夜明けのランナウェイ」でデビューしました。当時はアメリカでも一部にしか知られていなかったらしいのですが、日本では麻倉未稀のカヴァーがTBS系ドラマ「乳姉妹」の主題歌に取り上げられるなどしてヒットしました。耳の肥えた日本のロック・ファンから熱い支持を受けたボン・ジョヴィは、折りからのヘヴィ・メタル・ブームに後押しされて人気に火がつきます。
ジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラのソング・ライティング・コンビは、スピード感のある豪快なハード・ロックとポップなメロディーを見事に融合・昇華させ、世界中で支持される「ボン・ジョヴィ・ワールド」を創りあげました。
その内側には、ハード・ロックやポップスばかりではなく、ブルース、トラッド・フォークなど、幅広い音楽を消化したことが窺えます。そして生み出す曲の数々は、エネルギッシュで実にドラマティック。それがハード・ロック・ファンばかりでなく、それ以外の層からも広く愛されていることにつながっているのだと思います。
またボン・ジョヴィの歌詞は、若者たちが抱くであろう人生観についてジョンが等身大で語っているものが多く、そのことも彼らが熱い支持を受けている理由のひとつだろうと思います。
このベスト・アルバムにはそれまでのボン・ジョヴィの5枚のアルバムから13曲、新曲2曲の計15曲が収められています。
ハードなビートにキャッチーなメロディーを乗せた「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」や「夜明けのランナウェイ」、美しいバラードの「オールウェイズ」「ベッド・オブ・ローゼス」「ネヴァー・セイ・グッドバイ」、エキゾチックな響きのする「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」「ブレイズ・オブ・グローリー」、日本のファンのためにイントロに「さくらさくら」のメロディーを使った「TOKYOロード」、ヘヴィなロックンロール「バッド・メディシン」、疾走感あふれる「キープ・ザ・フェイス」など、種々多様なロックがぎっしり詰まっています。
ボン・ジョヴィは、頂点を極めた世界有数のロック・バンドであるにもかかわらず、彼らの視線はいつもロックを愛するファンの視線と同じ高さにあります。長い間熱い支持を受けているのはこうした彼らの姿勢にリスナーたちが共感を覚えているからなのでしょう。
近年、ジョンは俳優としても着実に活動しています。メンバーそれぞれもソロ・ワークをこなしているようです。
活動の幅を広げ、それを自分たちのプラスにし、さらに『ボン・ジョヴィ』としてスケール・アップして長く活動を続けて欲しいものですね。
◆クロス・ロード~ザ・ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ/Cross Road
■歌・演奏
ボン・ジョヴィ/Bon Jovi
■リリース
アメリカ1994年10月18日、イギリス1994年10月、日本1994年10月7日
■収録曲(日本盤)
① リヴィン・オン・ア・プレイヤー/Livin' On A Prayer (J. Bon Jovi, R. Sambora, D. Child)
② キープ・ザ・フェイス/Keep The Faith (J. Bon Jovi, R. Sambora, D. Child)
③ サムデイ・アイル・ビー・サタデイ・ナイト/Someday I'll Be Saturday Night (J. Bon Jovi, R. Sambora, D. Child) ☆全英7位
④ オールウェイズ/Always (J. Bon Jovi) ☆全米4位、全英2位
⑤ ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ/Wanted Dead Or Alive (J. Bon Jovi, R. Sambora)
⑥ レイ・ユア・ハンズ・オン・ミー/Lay Your Hands On Me (J. Bon Jovi, R. Sambora)
⑦ 禁じられた愛/You Give Love A Bad Name (J. Bon Jovi, R. Sambora, D. Child)
⑧ ベッド・オブ・ローゼズ/Bed Of Roses (J. Bon Jovi)
⑨ ブレイズ・オブ・グローリー/Blaze Of Glory (J. Bon Jovi)
⑩ TOKYO ロード/Tokyo Road (J. Bon Jovi, R. Sambora)
⑪ バッド・メディシン/Bad Medicine (J. Bon Jovi, R. Sambora, D. Child)
⑫ アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー/I'll Be There For You (J. Bon Jovi, R. Sambora)
⑬ 恋の切り札/In And Out Of Love (J. Bon Jovi)
⑭ 夜明けのランナウェイ/Runaway (J. Bon Jovi, G. Karak)
⑮ ネヴァー・セイ・グッドバイ/Never Say Goodbye (J. Bon Jovi, R. Sambora)
☆=シングル・カット
■プロデュース
ブルース・フェアバーン/Bruce Fairbairn ①⑤⑥⑦⑪⑫⑮
ピーター・コリンズ/Peter Collins ③④
ボブ・ロック/Bob Rock ②⑧
ダニー・コーチマー & ジョン・ボン・ジョヴィ/Danny Kortchmar & Jon Bon Jovi ⑨
ランス・クイン/Lance Quinn ⑩⑬
ランス・クイン & トニー・ボンジオヴィ/Lance Quinn & Tony Bongiovi
■録音メンバー
【ボン・ジョヴィ】
ジョン・ボン・ジョヴィ/Jon Bon Jovi (lead-vocals, guitars)
リッチー・サンボラ/Richie Sambora (guitars, backing-vocals)
デヴィッド・ブライアン/David Bryan (keyboards, backing-vocals)
アレック・ジョン・サッチ/Alec John Such (bass, backing-vocals)
ティコ・トーレス/Tico Torres (drums, percussion)
■チャート最高位
アメリカ(ビルボード)8位、イギリス1位、日本(オリコン)1位
先日、「もんた&ブラザーズ再結成」のニュースが流れてきましたね。オリジナル・メンバーで、実に23年ぶりの再結成だそうです。
もんた氏は、「このメンバーでもう一度やりたかった」「もう一度演奏する喜びを味わいたかった」「おれはどこまでいってもミュージシャン。そんな自分が好き」「バント遊びほど面白い遊びはない」などのコメントを発表しています。
もんたよしのり氏は、中学時代はビートルズのコピーに熱中、高校時代にR&Bやソウル・ミュージックに触れ、強く感化されてゆきます。
21歳の時に上京し、シングル「この足の鎖ひきちぎりたい」でソロ・シンガーとしてデビューしますが、以後鳴かず飛ばず。29歳の時に、ついに東京での活動に限界を感じて帰郷しましたが、音楽をあきらめきれずなおも作曲活動を続けました。
翌1980年、自分自身最後のチャンスとして「もんた&ブラザーズ」を結成、再デビューします。この時に発表したシングルが「ダンシング・オールナイト」でした。
80年4月のシングル発表当時は全く話題になりませんでしたが、まず有線放送で火がつきます。次いで、同年5月最終週のオリコン・チャートに19位で登場。翌6月第2週からはなんと10週連続チャート1位という大ヒットを記録、年間チャートでも160万枚を売り上げて1位となりました。
また、TBS系のチャート番組「ザ・ベストテン」の年間チャートでも2位にランクされたほか、1980年代でもっとも売れたシングルにもなりました(1980年代オリコンシングル売り上げランキング1位)。
年末の賞レースでも「日本歌謡大賞放送音楽特別賞」「全日本有線放送大賞」「レコード大賞金賞」などを受賞し、紅白歌合戦にも出場しました。
R&Bやソウル・ミュージックに裏打ちされたもんた氏のエネルギッシュなハスキー・ヴォイスは鮮烈な印象を残します。また、水谷啓二氏の書いた詞の世界には、憂いを含んだ適度な歌謡曲ぽさにロックがブレンドされたウェットな音がよく似合っています。ホーン・セクションがいい感じのソウル色を出していますし、ギター・ソロもカッコいいです。ボトムを支えるベースとドラムスのコンビネーションもキマっていますね。
もんた&ブラザーズはこの後も「赤いアンブレラ」「デザイアー」「ウインド&レイニー・デイ」などをスマッシュ・ヒットさせ、人気バンドに成長してゆきます。83年にはもんた氏が西城秀樹氏に提供した「ギャランドゥ」が大ヒット、レコード大賞を受賞しています。その他、大橋純子さんとのデュエット「夏女ソニア」のヒットが記憶に残っています。
しかし、ある時期から「ステージで歌うことがイヤになり、形だけで演奏するようになってしまった」と、84年にバンドは解散します。
その後、もんた氏はソロ・シンガーとして活動していたほか、俳優としても活動を続けていました。また他のメンバーも地道に音楽活動に携わっていたようです。
再結成した「もんた&ブラザーズ2007」
もんた氏は、いっときは「もう二度と『ダンシング・オールナイト』は歌いたくない」といった意味の発言をしていましたが、ようやくその頃の呪縛から解き放たれたからこそ再結成に至ったのでしょう。
「もんた&ブラザーズ2007」は9月26日に「SHIBUYA-AX」、10月8日には「なんばHatch」で復活ライヴを行う予定だそうです。
[歌 詞]
◆ダンシング・オールナイト
■歌・演奏
もんた&ブラザーズ
■シングル・リリース
1980年4月21日
■作詞
水谷啓二
■作曲
もんたよしのり
■収録アルバム
Act1(1980年)
■録音メンバー
もんたよしのり(vocal)
高橋誠(guitar)
豊島修一(guitar)
林政宏(keyboards)
渡辺茂(bass)
マーティー・ブレイシー(drums)
■チャート最高位
1980年週間シングル・チャート 1位(オリコン)
1980年年間シングル・チャート 1位(オリコン)
■ミスティ (Misty)
■作詞…ジョニー・バーク(1955年)
■作曲…エロール・ガーナー(1954年)
■ミスティ サラ・ヴォーン
■ミスティ エラ・フィッツジェラルド
「ミスティ」は、ユニークなピアノ・スタイルで高い人気のあった黒人ジャズ・ピアニスト、エロール・ガーナーが作曲した、バラード・タイプのとても美しい曲です。ガーナーの作ったものの中で最も広く愛されている名曲です。
1954年のある日、ニューヨークからシカゴへ向かう飛行機の中で、霧深い窓の外を眺めているうちに、ガーナーの脳裏にひとつのメロディーが浮かびました。ガーナーは、そのメロディーを忘れないように反芻し、空港へ到着後すぐにホテルに駆け込んで、そこにあったピアノで曲をまとめ上げました。記譜の苦手なガーナーは、うまい具合にこの曲をテープに収めることができたので、「ミスティ」は失われずに済んだのです。また一説には、霧だけでなく、飛行機の中から虹を見て感激しているうちに曲が浮かんできた、とも言われています。
エロール・ガーナーは3歳の頃からピアノに親しんでいました。彼は、ジャズやクラシックのレコードを聴きながら、ピアノで真似をし始めたといいます。7歳の頃には、近所の人々が彼のピアノを聴くために集まってきたそうです。
ガーナーの母は、彼に正式なレッスンを受けさせようとしましたが、2度のレッスンでピアノ教師は逃げ出してしまいました。それというのもガーナーが楽譜を読もうとせず、自分の思いついたコードや、メロディの創作だけに熱中するからだったんですね。というわけで、ガーナーは生涯、楽譜を読んだり書いたりすることは不得手のままだったのです。しかしその代わり、あふれ出るほどの感性でピアノを弾きこなし、偉大なエンターテイナーとして名を残しました。
1954年7月にエロール・ガーナー・トリオが録音したのが「ミスティ」の最初のレコードです。あとからジョニー・バークが歌詞をつけて、翌55年に出版されました。自分でも不確かながら恋をしているような気分、霧に包まれたような夢うつつ状態を歌詞にしています。
56年にはガーナーがミッチ・ミラー指揮のオーケストラと共演したレコードが大ヒット。59年にはジョニー・マティスのレコードがミリオン・セラーとなっています。以後も多くのミュージシャンが好んで取り上げています。
この曲も、ジャズ・ミュージシャンなら必ず一度や二度は演奏したことがあるでしょう。ガーナー一世一代の不朽の名作です。
ジャズ通で知られているクリント・イーストウッドの初監督作品「恐怖のメロディ」(1971年)に、重要な役割でこの曲が登場します。そのヴァージョンは、数ある「ミスティ」の中でも最も有名なガーナー本人の演奏です。
『恐怖のメロディ』
【ミスティ】
私を見て
私は木の上で降りられずにいる仔猫のよう
雲にすがりついているような気持ち
なぜだかあなたの腕に抱かれていると霧に包まれてしまう
道を歩けば何千というヴァイオリンが奏で始める
それともそれはあなたの「ハロー」という声なのだろうか
私には音楽が聴こえる
あなたが側にいると私は霧に包まれてしまう
「ついておいで」と言っておくれ
それは私の望むこと
あなたが告げてくれなければ私には希望はない
これがあなたについて行く理由なのだ
ひとりでこの不思議な国を歩いて行けば
右足と左足の出し方も分からない
帽子も手袋も分からない
私は霧に包まれすぎた
そしてあなたを愛しすぎている
オマケ~眠るハムスター
人気blogランキングへ←クリックよろしくお願いします<(_ _)>
クイーンのレコードをいちばん聴き込んだのは中学生の頃です。美しいメロディー、クラシカルなコーラス・ハーモニー、壮麗なギター・オーケストレイションなどに耳を奪われたものでした。
でも、財布の中味の乏しい中学生が片っ端からレコードを買えるはずもありません。ラジオで聴いたり、友達から借りたりして聴くうちに、「これはどうしても欲しい」と思うものだけを何とかやりくりして買っていました。
クイーンの5枚目のアルバム「華麗なるレース」は、シングル・カットされた「愛にすべてを」を聴いて、たまらなく欲しくなり、たしか中古レコード店で買ったんじゃなかったかな。
「華麗なるレース」は、分厚いコーラスやドラマティックな曲調など、前作「オペラ座の夜」の流れを汲むもので、クラシカルな部分とポップな部分がほどよく溶け合っている感じです。とくにそれが顕著な例が「愛にすべてを」「手をとりあって」だと思います。ピアノ中心の伴奏なので、普通ならば甘さに流されて線が細くなりがちなのですが、クイーンの場合、オーヴァー・ダヴィングを重ねた緻密なコーラスがバックのサウンドの中心となっているので、甘いというよりは、むしろ重厚・荘厳なサウンドとなっています。
レコードに針を落とすと、まずギターによるイントロダクションが現れます。それに続いて、ハード・ロック・ナンバーの「タイ・ユア・マザー・ダウン」で『レース』が始まります。この曲は、デビュー当時の荒々しさを彷彿とさせるものです。ほかに「ホワイト・マン」や「さまよい」でヘヴィなサウンドが聴かれます。
ピアノとコーラスだけで聴かせる「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」、ブライアン・メイ作のポップな佳曲「ロング・アウェイ」、ロックとワルツを見事に融合させた「ミリオネア・ワルツ」と続きます。
5曲目の「ユー・アンド・アイ」はジョン・ディーコンの作。ジョンらしい、とてもポップな曲で、このアルバムの中でもぼくの好きな曲のひとつです。シングル・カットされてもおかしくない出来栄えだと思います。
6曲目の「愛にすべてを」は最高全米13位、全英2位の大ヒットとなった美しい曲です。コーラスの見事さもさることながら、曲に色彩を施しているようなロジャー・テイラーのドラミング、シンバル・ワークが目立ちます。
「懐かしのラヴァー・ボーイ」は、ドラマティックで親しみやすいメロディーを持つフレディの曲です。『ラヴァー・ボーイ』とはもちろん男性の愛人(つまりゲイ)のことです。
ラストは「手をとりあって」。ほの暗い雰囲気で始まるバラードですが、クライマックスに近づくにつれて、明りが灯り、それが輝きを増していくような感じを受けるロマンティックな曲ですね。この曲は一部日本語の歌詞が出てきます。これは無名の頃からいち早くクイーンを受け入れ、熱心な声援を送ってきた日本のファンに対する感謝の表れだということです。
このアルバムは、フレディとブライアンの二本の柱がそれぞれ4曲ずつ書いています。とくにフレディのメロディー・ラインの良さは、アルバム全体の中でも際立っていると思います。
ハード・ロックの色合いを残しながらも、バリエーションに富んだ曲の数々は、クイーンのバンドとしての成長を証明するものにほかならないでしょう。
なおこのアルバムは、全米で5位、全英で1位を記録したほか、オランダ1位、日本1位、ノルウェー3位、カナダ4位、オーストリア、スウェーデン、オーストラリア8位、ドイツ10位、ニュージーランド11位、フランス16位など、各国で大いにチャートを賑わせました。
◆華麗なるレース (A Day At The Races)
■歌・演奏
クイーン/Queen
■リリース
アメリカ1976年12月18日、イギリス1976年12月10日、日本1977年1月9日
■プロデュース
クイーン、マイク・ストーン/Queen、Mike Stone
■収録曲
Side-A
①タイ・ユア・マザー・ダウン/Tie Your Mother Down (May) ☆全米49位, 全英31位
②テイク・マイ・ブレス・アウェイ/You Take My Breath Away (Mercury)
③ロング・アウェイ/Long Away (May) ☆
④ミリオネア・ワルツ/The Millionaire Waltz (Mercury)
⑤ユー・アンド・アイ/You And I (Deacon)
Side-B
⑥愛にすべてを/Somebody To Love (Mercury) ☆全米13位, 全英2位
⑦ホワイト・マン/White Man (May)
⑧懐かしのラヴァー・ボーイ/Good Old Fashioned Lover Boy (Mercury) ☆全英17位
⑨さまよい/Drowse (Taylor)
⑩手をとりあって/Teo Torriatte(Let Us Cling Together) (May) ☆
☆=シングル・カット
■録音メンバー
【Queen】
フレディ・マーキュリー/Freddie Mercury (lead-vocal①②④⑤⑥⑦⑧⑩, piano②④⑤⑥⑧, backing-vocals①②③④⑤⑥⑦⑧⑩, gospel-choir⑥)
ブライアン・メイ/Brian May (guitars, piano⑩, lead-vocals③, backing-vocal①③④⑤⑥⑦⑧⑩, gospel-choir⑥)
ジョン・ディーコン/John Deacon (bass, acoustic-guitar⑤)
ロジャー・テイラー/Roger Taylor (drums①③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩, percussion①②⑧⑨⑩, guitar⑨, lead-vocal⑨, backing-vocals①③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩, gospel-choir⑥)
【guest】
マイク・ストーン/Mike Stone (additional background vocals⑧)
■チャート最高位
1977年週間チャート アメリカ(ビルボード)5位、イギリス1位、日本(オリコン)1位
1977年年間チャート イギリス45位、日本24位
ヴィクター・ヤング
♪自分的名盤名曲175
■星影のステラ (Stella By Starlight)
■作詞…ネッド・ワシントン(1946年)
■作曲…ヴィクター・ヤング(1944年)
■ヴィクター・ヤング・オーケストラ、ハリー・ジェイムス・オーケストラ、サラ・ヴォーン、アニタ・オデイ、ナット・キング・コール、フランク・シナトラ、スタン・ゲッツ、マイルス・デイヴィス、キース・ジャレットetc・・・
「星影のステラ」は、1944年にパラマウント映画「呪いの家」の主題曲として、ヴィクター・ヤングが作曲しました。映画は、美女を死の世界へ誘い込もうとする悪霊と、彼女を護る善霊、そして彼女を愛する若い作曲家の戦いを描いたホラーものです。
映画のサウンド・トラックには「ステラ・バイ・スターライト」のクレジットはなく、このメロディの曲は「プレリュード」とタイトルされています。
広く知られるようになったのは、1946年のヴィクター・ヤング・オーケストラのレコードからです。同年、ネッド・ワシントンによって歌詞がつけられました。おそらく、映画の登場人物名である「ステラ・メレディス」にちなんだタイトルなのでしょう。
この曲にいち早く目をつけたのがフランク・シナトラで、翌47年にレコーディングしています。
映画「呪いの家」 1944年
ジャズマンが演奏するようになったのは1950年代に入ってからです。チャーリー・パーカー、スタン・ゲッツ、バド・パウエルなど、多くのミュージシャンがインストゥルメンタルの素材として取り上げるようになりました。
実に転調の多い曲ですが、これは意図的なものだと考えられます。メロディーはあくまでも自然で美しく、ジャズ・テイストにあふれた名曲だと言えるでしょう。
ぼくの好きな「星影のステラ」は、マイルス・デイヴィスの『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』に収められているものと、キース・ジャレットの『星影のステラ』に収められているものにつきます。ちなみに両方ともライヴ盤です。
マイルス・デイヴィス『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』
1964年
マイルスの「ステラ」は、クールに熱いマイルス的バラッドの名演だと思います。ハービー・ハンコック(pf)の、短いながらも印象的なイントロに始まり、緊張感みなぎるマイルスのテーマが現れます。テーマは緊張感を保ったままアドリブに入り、感極まった聴衆のひとりが叫び声をあげているのを聴きとることができます。
演奏は次第に熱気をはらんでゆきます。バックはマイルスの動きに合わせて瞬時に反応します。このあたりのコンビネーションはさすがですね。クールに始まり、熱い高音ヒット連発に至るストーリーは何度聴いてもいいものです。
キース・ジャレット・トリオ スタンダーズ
『星影のステラ』 1985年 試聴はこちら
キースの「ステラ」は、ルバートのフリー・ソロ・ピアノで始まります。2分40秒を過ぎたあたりから「ステラ」の骨格が現れます。3分20秒過ぎにベースが入ってきて、イン・テンポとなります。ミディアム・ファストの速さに乗って曲が進みますが、ベースもドラムスもテンポをキープしないで、スリリングにピアノに絡み続けます。そしてソロの2コーラス目から4ビートのベース・ランニングとシンバル・レガートのバッキングとなります。とくに斬新なアレンジでもないのですが、不思議に惹きつけられる典型的なスタンダーズのパターンだと言えるでしょう。
「星影のステラ」はぼくが好きなジャズ・スタンダードのひとつです。歌物を聴いてもよし、インストゥルメンタルで火花が散るようなアドリブ・ソロを聴くのもまたよし。幅広いアレンジが楽しめる名曲だと思います。
人気blogランキングへ←クリックよろしくお願いします<(_ _)>