ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

阪神優勝!

2005年09月29日 | Weblog~雑記

      祝
      !
      
      阪
      神
      優
      勝
      !


今日は御目出度いから
文字は全部黒と黄色にします。
申し訳ありませんが、今夜だけ音楽の話はお休みします。
今からお祝いいたします。

都合よく、明日は大阪でリハーサルがありますので、
優勝ムードをたっぷり味わってきます。


ワハハハハ~~


人気blogランキングへ←クリックして下さいね
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビリー・ジョエル (Billy Joel)

2005年09月28日 | ミュージシャン


 秋の気配が感じられるようになった今日この頃です。
 日本に住んでいて良かった、と思うことのひとつが、「四季」のあるところ。
 秋の夜更けに楽しむ音楽や本、体の中にまでしみわたるような気がします。


 夜中に似合う音楽のひとつが、ビリー・ジョエル。
 彼の書く曲は、ジャズの香りがします。
 そして、ニューヨークの夜を連想させてくれます。


     


 とくに、「ストレンジャー」と「ニューヨーク52番街」は、ほんとうによく聴きました。
 この2枚はビリーの代表作でもあって、極上のポピュラー・ミュージックが詰まっています。
 ジャズのスタンダード・ナンバーのコード進行をうまく使って曲を作っているからでしょう、かすかなほろ苦さと大都会の孤独感が滲み出ています。
 レコーディング・メンバーにも著名なジャズ・ミュージシャンが参加しているので、よけいにジャズ色が感じられるのかもしれません。
 なかでも、「ストレンジャー」に収録されている「素顔のままで」は、実際にジャズのスタンダードと化しているくらいです。


      
      「ストレンジャー」   1977年
        ☆ビリー・ジョエル(vocal, piano)
        ☆ダグ・ステグマイヤー(bass) 
        ☆リバティ・デヴィットー(drums)
        ☆リッチー・キャナタ(sax, clarinet, flute, keyboard)
        ☆スティーヴ・カーン(guitar)
      -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-   
        ★フィル・ウッズ(sax)    
        ★ハイラム・ブロック(guitar)   etc・・・

      

 そのほかにも「ストレンジャー」には「ストレンジャー」「シーズ・オールウェイズ・ウーマン」、「ニューヨーク52番街」には「オネスティ」「マイ・ライフ」「ザンジバル」「アンティル・ザ・ナイト」など、名曲の数々が収められています。


 全編にビリーのピアノが散りばめられていますが、曲調はバラードからロックンロールまで幅広く、魅力的でみずみずしい歌を聴くことができます。


      
      「ニューヨーク52番街」  1978年
        ☆ビリー・ジョエル(vocal, piano)
        ☆ダグ・ステグマイヤー(bass)
        ☆リバティ・デヴィットー(drums)
        ☆リッチー・キャナタ(sax, clarinet, keyboard)
        ☆スティーヴ・カーン(guitar)
      -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
        ★エリック・ゲイル(guitar⑦)
        ★ヒュー・マクラッケン(guitar⑥⑧)
        ★デヴィッド・スピノザ(guitar②)
        ★フレディ・ハバード(trumpet④)
        ★マイク・マイニエリ(vibraphone, marimba④⑥)
        ★ラルフ・マクドナルド(percussion⑥⑦)
        ★ドニー・デイカス(chorus③)
        ★ピーター・セテラ(chorus③)    etc・・・
 


 当時ラジオの深夜放送でもしょっちゅうビリーの曲がかかっていたので、なおさら「ビリーの音楽は夜に似合う」というイメージが植え付けられたのかもしれません。


 それまでは地味なシンガー・ソング・ライターという印象しかなかったビリーですが、この二枚のアルバムで、押しも押されぬスーパー・スターとなりました。そして、今に至るまで素晴らしい作品を発表し続けているというわけです。


     


 ビリーと言えば、シルヴェスター・スタローンによく似ていることでも知られていますね。
 ぼくも初めて写真を見た時、「えっ」と思ったのを覚えています。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山中 千尋

2005年09月26日 | ミュージシャン


ぼくって、結構「ミーハー」なところもありまして
「あっカワイイ~
なーんて、まるで中学生・高校生みたいな感覚で
誰かのファンになること、あるんですよ。


でも、さすがに、「カワイイだけ」だと
熱はすぐさめますけれどね。


スリムで丸顔、クリッとした目の美人ピアニスト、
山中千尋(やまなか ちひろ)の存在も、
TBSのテレビ番組「情熱大陸」で知りました。
そして、そのカワイラシサゆえに
「一度じっくり聴いてみなくては」と思いました。
そういうわけで買ったのが、
彼女のデビュー・アルバム、「Living Without Friday」です。


      
      「Living Without Friday」 2001年
        ☆山中 千尋(pf)
        ☆レイ・パーカー(b)
        ☆オリヴィエ・スーシー(drs)


      
      「When October Goes」 2002年
        ☆山中 千尋(pf)
        ☆ラリー・グレナディア(b)
        ☆ジェフ・バラード(drs)


      
      「Leaning Forward」【DVD】 2003年
        ☆山中 千尋(pf)
        ☆ベン・ストリート(b)
        ☆ベン・ペロウスキー(drs)



エレガントで知的なピアノだと思いました。
そして、彼女のピアノが見せるいろんな表情のステキなこと。
ソフトで軽やかであり、大胆で豪快でもあります。
時にはブルージーに、時にはエキゾチックに、
華やかでもあり、また静謐感のある内省的な音楽でもあります。


なにより魅力的なのは、
既存の枠にとらわれない独創的な彼女自身の世界、
そしてその自身の世界を大切にしているところ、
ではないでしょうか。


     


山中千尋の音楽に対するぼくの熱は、
すぐにさめることはないでしょう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨夜思ったこと

2005年09月25日 | 随想録

♪賑わいのあとの静けさ。ちょっと寂しいね。


昨夜は「自分のグループ」名義で、
とあるライブハウスで演奏させて頂きました。
連休中日ということもあり、
おそらくお客さんも少ないだろう、と予想していたんです。


ところが。


時間が経つにつれ、お店の中がどんどん賑わってくる。
お客さんの入り具合を図で説明すると、
う~ん、音楽用語をご存知の方なら、
「クレシェンド(だんだん大きく)」の記号を思い浮かべてください。
< ←こやつのもうちょっと横に細長いやつです。
こんな感じで混んできて、最後は満席!
ぼくのMCも絶好調で、ウケまくり!
バンドの演奏もさらにヒート・アップ! 
最後は大盛り上がりで、しかもアンコール付き!!


お客さんは、
東京から、山口から、埼玉から、愛媛から、
もちろん地元の方も大勢。
そして、誇張ではなくて、全組のお客さんが帰り際に笑顔で
「来て良かったよ」とか「ありがとう」とか
声をかけてくださるのです。


以前にも書いたことがありますが、
わざわざ遠くから、
それも限られた時間を
音楽を聴くことのために費やそうと決めて
お店においで下さった人ばかりです。
その方たちがこういうふうに喜んでくださることで、
逆にぼくは感動してしまいました。


そして、
そういうお客さんたちの前で演奏できる境遇にあること、
今の自分が
お客さんの温かいまなざしやお礼の言葉に
素直に感謝できる人間に成長しつつあること、
そしてそれは、実はお客さんに成長させて貰っていること、
さらに全力を尽くしてくれたバンドのみんな、
お店のみんな、
快進撃のわが阪神タイガース、
それらすべてに
感謝せずにはいられない夜でした。


さらに精進します!  


人気blogランキングへ←クリックして下さいね

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビル・エヴァンス・パリ・コンサート (Bill Evans The Paris Concert)

2005年09月24日 | 名盤

 
 今夜はなにも予定がなかったので、夜は家にこもるつもりで、午後は買い物に行き、早めに夕食をとった。
 食後に、暇な時に見るつもりだった映画をゆっくりと楽しんだ。その後、借りていたCDを録音しつつ、たまっていたMDを整理。それから、マジメに練習する。汗ばむくらいベースを弾いたところで、のんびりコーヒーを飲む。ジャズを聴きながら。
 

 もう夜中といっていい時間から聴き始めたのが、このビル・エヴァンスの「パリ・コンサート」だ。"エディション2"は持っていたが、ついこの間、ようやく"エディション1"を買ったので、2枚続けて聴いている。


 あたりは虫の鳴き声がするばかり。
 もうみんな寝静まっている時刻だ。
 ぼくの部屋からは
 エヴァンスの弾くピアノがただ聴こえるのみ。
 ジャズと、一杯のコーヒーがぼくを寛がせてくれる。
 至福のひととき、ってこういう時間のことなんだろう。

      
      
      「Bill Evans The Paris Concert Edition 1」


      
      「Bill Evans The Paris Concert Edition 2」



 この2枚のCDには、1979年11月26日にパリのエスパース・カルダンで行われたライヴの模様が収められている。
 エヴァンスの弾くピアノは、まさに「語っている」。
 ピアノは流麗だが、語っていることはどこか訥々としたところも伺えるのが面白い。
 脇を固めるマーク・ジョンソンのベースと、ジョー・ラバーベラのドラムスは、エヴァンスのピアノに触発されて自由度を増しているような感じだ。
 ふたりの演奏に触発されたエヴァンスは、彼らとの楽器を通じての会話を、さらに発展させようとしているようだ。反面、自分の語りたいことを懸命に語ろうとしているようにも感じられる。


 例えば、見事な絵を見た時や、素晴らしい文章に接した時に湧いてくるさまざまな情景や感情、こういうものを感じられるのが、ジャズの楽しいところでもあるのだ。


 言葉にすると難しくなるけれど、ほんとうは、三人の奏でる音にただ身を委ねるだけで良いのかもしれない。
 彼らもただ一心に音楽を生み出しているだけなのだから。


     
     ビル・エヴァンス(piano 上)、マーク・ジョンソン(bass 右下)、ジョー・ラバーベラ(drums 左下)



◆ザ・パリ・コンサート/The Paris Concert
  ■録音
    1979年11月26日(パリ、エスパース・カルダン)
  ■レーベル
    Elektra/Musician
  ■演奏
    [ビル・エヴァンス・トリオ/Bill Evans Trio]
     ビル・エヴァンス/Bill Evans (piano)
     マーク・ジョンソン/Marc Johnson (bass)
     ジョー・ラバーベラ/Joe LaBarbera (drums)
-----------------------------------------------
◇エディション1/Edition One
  ■リリース
    1983年
  ■プロデュース
    ヘレン・キーン/Helen Keane
  ■収録曲
    ① I Do It for Your Love (Paul Simon)
    ② Quiet Now (Denny Zeitlin)
    ③ Noelle's Theme (Michel Legrand)
    ④ My Romance (Lorenz Hart, Richard Rodgers)
    ⑤ I Loves You Porgy (Ira Gershwin, DuBose Heyward, George Gershwin)
    ⑥ Up With the Lark (Jerome Kern, Leo Robin)
    ⑦ All Mine(Minha) (Francis Hime, Ruy Guerra)
    ⑧ Beautiful Love (Victor Young, Wayne King, Haven Gillespie, Egbert Van Alstyne)
-----------------------------------------------
◇エディション2/Edition Two   
  ■リリース
    1984年
  ■プロデュース
    ヘレン・キーン/Helen Keane & Yves Abiteboul
   ■収録曲
    ① Re: Person I Knew (Bill Evans)
    ② Gary's Theme (Gary McFarland)
    ③ Letter to Evan (Bill Evans)
    ④ 34 Skido (Bill Evans)
    ⑤ Laurie (Bill Evans)
    ⑥ Nardis (Miles Davis)
    ⑦ Interview



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋とファースト・キス

2005年09月22日 | 随想録

                    懐かしの響子さん&五代くん(『めぞん一刻』)。ファースト・キスは、こんなのだったらいいなぁ、と思ってました


 「スポーツの秋」とか「文化の秋」などと言いますが、
 運動会や文化祭、これからが真っ盛りですね。
 学生の頃のぼくたちにとって、そういうイベントは盛り上がるための格好の口実でした。
 そして運動会や文化祭の前後には、必ずといっていいほど恋バナが咲きほこっていたもんです。


 ぼくの通っていた中学校には、それまで文化祭というものがありませんでしたが、ぼくが中3のときに、「文化祭をやろう!」という雰囲気が高まったんですね。
 ぼくは生徒会の役員だったので、中学生活の最後を飾るべく、いろいろと動き回りました。そのかいあって文化祭は無事開催されることに決まったんです。


 秋になると校内はもう異様に盛り上がっています。
 企画する者、製作に励む者、皆の世話をする者、世話される者、ワケもなく舞い上がる者、とにかく騒ぐ者、もうハチの巣とスズメの巣とシロアリの巣を同時につついたような、たいへんな騒ぎです。(そのエネルギーを勉強に向けていれば…


 ぼくのクラスもある企画を立てていたので、みんな忙しく働いてました。そしてぼくは、一緒に作業する機会が多かったケイコちゃんと自然に仲良くなっていきました。
 そのうち一緒に帰るようになり、電話するようになり。


 文化祭は大成功でした
 ケイコちゃんともめでたくクラス公認のカップルとなりましたし。
 さあエネルギーの有り余っている小僧としては、当然デートを企むわけです。
 


 生まれて初めてのデートは映画でした。
 そして企み通り、夕暮れの中で初めてのキス…。
 自分がドラマの主人公になったようでしたねぇ。

 
 ところがです。ケイコちゃんがその日を境に、徐々にヨソヨソしくなっていくのです。
 他に好きなヤツができたのか。もしや、ぼくのキスがヘタだったのか。あるいは、世界的恐慌の前兆か・・・。ま、たぶん気のせいだろう、と軽く考えていたある日の午後、担任のハラダ先生に、「ちょっと話がある、放課後職員室においで」と言われました。


 「たぶん進学についてだろうな」と軽く考えながら職員室へゆくと、「相談室で話をしよう」。。。
 「MINAGIくん、この前の日曜日、どこ行ってたの」
  ん? (?_?) なんか意外な話題…
「そう、ケイコちゃんと映画に行ったの…、それで?」
 「マッスグ帰りました!(キッパリ)」
ホントのこと言いなさい
  ビクリ…
 「あ、えーと、散歩しました」
「そう、それで?」
 「マッスグ帰りました!(再びキッパリ)」
ホントのこと言いなさい!
  ギクリ・・・、まさか・・・
 「か、帰る途中に、通ってた小学校の校庭で話を少ししたかな・・・(オドオド)」
「そう、それで?」
 「マッスグ帰りました!(またもやキッパリ)」
ホントのこと言いなさい!!
  ああ・・・、こ、これは…(´Д`;)


 「あのー  ケイコちゃんに  キスしました…


 どうも付き合いの進展の早さに不安を覚えたケイコちゃんが、先生に相談したらしい。
ゼッタイだれにも秘密にしておいてあげるから、ケイコちゃんをこれ以上不安にさせちゃダメよ」と先生は約束してくれました。


 その夜、「お前がキスしたっていうオンナのコ、今度連れてこい」とあっさり親父に言われて、さらにビックリしたぞ。。。

 なんで知ってんねん・・・


     
      「ローマの休日」より。ロマンティック~

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州旅行記

2005年09月21日 | 随想録

    ♪長崎平和公園の有名な像です。


どうも根が気ままにできているらしく、
ふとした時にとんでもない行動にでることがあります。
突飛な行動に走る頻度は、
年を重ねるごとにさすがに減ってはいるんですが。
しかしやっぱり未だに妙なエネルギーが湧き出してる。


でもね、内心では
「こういうことができるってことは、
 ヘンに保守的になってないってことなんだ~」と、
ちょっと&、いや違った、安堵してたりするんです。


この、「妙なエネルギー」が湧いた時、
いきなりブラリと旅に出たことが何度かありました。
寅さんみたいでしょ。
楽しかったな~。


最後に「風まかせの旅」に出たのは、
もう7年も前の夏だったんだ…
その日の夕方まではなんともなかったんですよ。
ところが、晩ご飯食べてる時(7時半頃だった)に、ふと

 「ちょっと行ってみよ~かな」

思い立ったら矢も盾もたまらなくなり、
慌しく身の回りの物をバッグに詰め、
CDを手当たり次第に20枚くらい車に積み、
出発してから決めた行き先が、九州。
気ままな九州への旅は二度目です。
九州、好きなんです。


出発は夜9時。
山陽自動車道をひたすら西へ。
途中、山口県の下松SAで仮眠を取りました。
朝日とともに関門橋を渡り、そのまま九州へ。



気の向くまま宮崎県で高速道路から降り、
えびの高原、霧島神宮へ。
神秘的な空気がとても清々しかった。


     
      霧島神宮


三日目は国道10号線で鹿児島へ向かい、桜島を一周。
鳥島展望所や湯之平展望台では飽きることなく
ボーッと景色を眺めていました。
ひたすら気分良かった。


     
      桜島 湯之平展望台


四日目は北へ上がって、熊本へ。これも気分で決めました。
国道3号線から国道266号線を通って天草半島へ。
朝日を気持ち良く浴びて、まず大江天主堂を訪ねます。


     
      大江天主堂


景色のよい道を走って、次は崎津天主堂です。
ここの天主堂裏の山頂にある「チャペルの鐘」へ登り、
そこからまたもボーッと天草灘を見下ろしつつ、命の洗濯。


     
      「チャペルの鐘」から見下ろす崎津天主堂と天草灘


そのあとふらりと立ち寄ったのが、
「サンタ・マリア館」という隠れキリシタンの資料館で、
隠れキリシタンについての面白い話を
館主の方からたくさん伺いました。
◎今でも天草地方ではキリシタンについて語りたがらない。これもかつてはキリシタンが迫害されていたことの名残り。
◎あまり厳しく隠れキリシタンを取り締まると、天草の農民の大半を罰しなければならなくなって年貢が徴収できなくなるので、代官所は、ある程度の信仰は大目に見ていた。ただし度が過ぎると、目に余る人を見せしめとして取り締まった。
◎隠れキリシタンのお墓の見分け方。
◎信仰の隠し方のいろいろな方法。
などなど。
一番印象に残っているのは、館主の方の
「私は『城』は大嫌いです」の言葉。
「一握りの特権階級のための築城が
 多くの農民たちを苦しめたから」なのだそうです。


     


ここには館主が収集した珍しい資料が数多くあります。
「2億円で譲って欲しい」という町からの要望を断わり、
自身のライフワークとして資料館を運営、
「隠れキリシタン」に関する研究を続けているそうです。


     


この日の午後、宇土半島からフェリーで島原へ。
天草四郎時貞の本拠地となった原城跡へ向かいます。
城跡もなく、ところどころに石垣が残っているだけ。
まさに「つわもの共が夢の跡」です。
そして350年経った今、
ぼくがここに立っているのが不思議な気持ちです。
そんなことを思いながら、
本丸跡地から島原湾をまたまたボーッと眺めていました。


     
      原城本丸跡にある十字架。
      ここには天草四郎の墓石と像もありました。


天草の乱での、幕府軍の反乱軍に対する攻撃は
残虐を極めた、といいます。


五日目は長崎。
朝一番で長崎の平和公園、そして浦上天主堂へ。


     
      浦上天主堂


そこから平戸市に向かい、平戸城に着きました。


     
      平戸城天守閣からの眺め。


そのあと平戸カトリック教会へ。
ここで見つけたロザリオは一目で好きになり、
今でもお気に入りとしてよく身につけています。



その後、平戸の町が舞台になった
「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」
(中村雅俊、大竹しのぶが出演していた)を見て、
なぜだかとても嬉しくなり、
懐かしくこの旅を思い出したんです。





そして、ここでふと「帰ろう」と思い立ったのでした。


この旅はすべてその時の気分で方向を決めたのですが、
不思議に行く先はお城と教会ばかりでした。


自分の中では「生きていること」を再確認できた旅でした。
いろいろ悩みもあった時だったのですが、
家にたどり着いた時は
とてもおおらかな気分になっていたのを覚えています。


そして今、また「気ままな旅の虫」がうずいているんですよ。
どうしましょ(笑)



人気blogランキングへ←クリックして下さいね

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪で生まれた女

2005年09月20日 | 名曲

    
 都会というところには時代の最先端があり、成功があり、華やかさがあります。でも、華やかな街のはずれには薄汚れた裏町があり、「スマートさ」の裏には「猥雑さ」があり、「成功」の裏には「挫折」が、影のように寄り添っているものです。
 ぼくが魅力を感じるのは、どちらかというと、人間臭さのある都会の陰の部分です。そして、何度も挫折しながら、それでも希望を持ち続けている人が好きなんです。


 「大阪で生まれた女」は、その都会、というより、文字通り「大阪の歌」です。
 大阪の持つ雑多な魅力を、BOROが、「成功者」としてではなく、必死で生きているひとりの人間の視線で表現しています。そしてその視線は、あくまで温かい。
 大阪の人たちにとっては、思い入れのある曲のひとつでしょう。


 「スマートさ」からはほど遠い歌です。つまずき、転んで、泥にまみれたような歌です。
 でも、だからこそ、この曲の歌詞に心を揺さぶられる人、とても多いのでしょう。
 この歌が初めて披露されたのは、開店時間前の、クラブのステージでした。
 ホステスやバーテンたちが準備の手を休めて聴いていました。
 BOROが歌い終わると、ホステスたちが泣き出したそうです。


     


 オリジナル・バージョンの歌詞は18番まであり、一曲を通して歌うと30分以上もかかる大作です。
 そのなかでも情景の描写が優れている4番と6番がシングル・バージョンの歌詞の中心です。
 歌詞を読むだけでもいろんなものが心の中に甦ってきて、自然に目が潤んできます。
 

 「BORO」は、少年時代に「オンボロ」自転車を乗り回していたことからつけられたニックネームです。
 まだ20歳を超えたばかりのBOROは、大阪の盛り場をギター一本で弾き語りをしていました。その頃、酔客の「大阪の歌がないなあ・・・若い人が歌える大阪の歌が・・・」という声を聞いて作った曲が、「大阪で生まれた女」です。
 その後、BOROの評判を聞きつけた内田裕也さんが、BOROの歌っているお店に現れました。そして、BOROの歌う「大阪で生まれた女」を聴き、この曲と歌に強く魅かれ、即座にプロデュースすることを決めたんだそうです。
 「ストリートミュージックだよ! あるいは関西人にしか作れないブルースだね!」(内田裕也)


 内田裕也さんは、この曲を世に出そうと考えました。売り出すにあたって内田さんが採った方法は、当時大スターだった歌手・俳優の萩原健一さんと競作させる、というものでした。
 そして1979年5月に萩原健一バージョンを、同年7月にBOROバージョンをリリース、これが相乗効果を生んでヒットしたのです。それ以後「大阪で生まれた女」は「大阪のソウルを表した曲」として長年にわたって愛され続けています。


     


 胸に沁み込んでくるようなこの曲こそ、オリジナリティにあふれた「BORO」の、いや「日本のブルース」と言えるのかもしれません。



[歌 詞]


大阪で生まれた女
  ■歌
    BORO      
  ■シングル・リリース
    1979年8月1日
  ■作 詞
    BORO
  ■作 曲
    BORO、岡山準三
  ■編 曲
    BORO
  ■セールス
    17.9万枚


 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アナザー・マインド (Another Mind)

2005年09月19日 | 名盤

 一昨年(2003年)の秋だったと思う。
 TBS系のテレビ番組「情熱大陸」に、「上原ひろみ」という見慣れない名前のミュージシャンが取り上げられることを、新聞のテレビ欄で知った。ジャズ・ピアニストだという肩書きに興味をそそられてテレビをTBSに合わせたのだが、その夜、その番組が終わるのがなんと早く感じられたことか。

     すごい!


 とにかく、尽きることを知らない泉のような、とてつもない勢いのある、感動的な演奏だったなぁ~。





 翌日、すぐに何軒かのCD店をまわってみたのだが、


 ・・・ない!


 品切れ状態は何日も続いた。


 ようやくCDを手に入れた日、大急ぎで家に帰り、大急ぎで着替え、大急ぎで風呂に入り、大急ぎでコーヒーを入れ(期待しているCDは落ち着いた状態でゆっくり聴きたいんだもーん)、ほんとにドキドキしながらトレイにディスクをのせた。




     
 いや、満足いたしました。素晴らしかったです。


 1曲目から猛烈にエネルギッシュな演奏が押し寄せて来た。
 それも、単にテクニカルに弾きまくる冷たいものではない。彼女の体全体がピアノを弾く喜び、自身の音楽を表現できる喜びで満たされているような、エモーショナルな演奏だった。
 収められている「曲」は、すべて彼女が書いたものだ。いや、クレジットには「All songs written by ~」とある。そう、彼女の書いたものは、「歌」なのだ。彼女の弾くピアノは歌っているのだ。
 このアルバムは、彼女の脳裏に湧き出てきたものをピアノによって具現しようとした、独創性のかたまり、つまり「上原ワールド」だと思う。


 このCDの中では、個人的には7曲目の「ダンサンド・ノ・パライーゾ(Dancando No Paraiso)」が一番好きです。





 上原ひろみの音楽は、「ジャズ」だとか「ジャズではない」だとかいう論争もあるようだが、ぼくには、それはあまり彼女の音楽には関係がないことのように思える。
 確かに曲によってはファンク調のものや、ロック調のものもあるが、あくまで「~調」というだけで、それらの垣根にとらわれない、上原独自の世界を聴くことができるのは楽しい。


 きっと彼女は表現したいものを表現しているだけの、素晴らしいミュージシャンなのだ。
 そんな気がしてならない。




◆アナザー・マインド/Another Mind
  ■ピアノ
    上原ひろみ
  ■リリース
    2003年4月22日(アメリカ盤)、2003年6月25日(日本盤)
  ■録音
    2002年9月16日~18日 アバター・スタジオ(ニューヨーク)
  ■プロデュース
    リチャード・エヴァンス、アーマッド・ジャマル/Richard Evans, Ahmad Jamal
  ■エンジニア
    マイケル・ビショップ、アーマッド・ジャマル/Michael Bishop, Ahmad Jamal
  ■レーベル
    テラーク/TELARC
  ■収録曲
    ① XYZ/XYZ
    ② ダブル・パーソナリティ/Double Personality
    ③ サマー・レイン/Summer Rain
    ④ ジョイ/Joy
    ⑤ 010101(バイナリー・システム)/010101 (Binary System)
    ⑥ トゥルース・アンド・ライズ/Truth and Lies
    ⑦ アナザー・マインド/Another Mind
    ⑧ トムとジェリー/The Tom and Jerry Show
    ※all music composed by Hiromi Uehara
  ■録音メンバー
    上原ひろみ (piano, keyboard)
    ミッチ・コーン/Mitch Cohn (bass①②③⑥⑧)
    デイヴ・ディセンゾ/Dave DiCenso (drums)
   [guest musicians]
    アンソニー・ジャクソン/Anthony Jackson (bass④⑤⑦)
    ジム・アドグレン/Jim Odgren (alto-sax②③)
    デイヴ・フュージンスキー/Dave Fiuczynski (guitar②)



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛の休日 (Holidays)

2005年09月18日 | 名曲



 今ではすっかり名前を聞くことのなくなったミッシェル・ポルナレフ。
 でも名前は知らなくても、彼の歌声を知っている人は多いと思いますね。
 彼の代表作のひとつ「シェリーに口づけ」は、CFに使われてることが多いので、メロディーの断片を聴けば、「ああ、あれか!」と思う人、たくさんいるはずです。


 ♪トゥートゥー プ マ シェリー マ シェリー
    トゥートゥー プ マ シェリー マ シェリー … 


 この歌も軽快で楽しいので好きなんですが、「愛の休日」も大好きです。


 「愛の休日」は、ポルナレフの澄んだハイ・トーンが印象的な、とても美しい、ロマンティックなバラードです。
 マイナー調のメロディがとても甘くせつないです。
 クラシカルな雰囲気というか、フランスの民俗音楽的というか、アメリカやイギリスのロックにはあまり感じられないようなサウンドが新鮮に聴こえます。
 間奏の転調がなんとも効果的で、この曲をいっそうドラマティックなものにしていますね。


 「愛の休日」は、1972年春に、まず彼の地元・フランスで大ヒットしました。
 日本では同年11月の初来日に合わせて発表され、オリコン・チャートのトップ20に10週間入り、12月18日付では6位を記録して、「シェリーに口づけ」を上回る、ポルナレフの日本での最大のヒットとなりました。


 ポルナレフのトレード・マークといえば、カーリー・ヘアと大きなサングラスが有名です。
 ステージではピアノ、またはギターを弾きながら歌い、「フレンチ・ポップスの貴公子」などと言われていて、当時は日本でもたいへん人気がありました。
 ちなみに、彼の曲の日本語タイトルは、「愛の~」というものがとても多かったような気がします。「愛の休日」「愛の願い」「愛のコレクション」「愛の来訪者」などなど…


     


 ぼくがポルナレフを知ったのは、たしか年の離れた従兄にレコードを聴かせてもらったのがきっかけだったと思います。
 レコードもたくさん持っていて、マニアックな好みだった従兄がポルナレフを聴いていたというのも、今になって思えばちょっと意外なことなんですけどね。


 ポルナレフは、1970年代前半に数多くのヒット曲を出しています。
 現在は数種類のベスト・アルバムも出ているようですから、たまには彼のヒット曲をまとめて聴いてみるのも良いかな。



  [歌 詞]


  [大 意]
  ホリデーズ それは空から降りてくる飛行機
  その翼の影の下を街が通りすぎる
  なんて地上は低いのだろう ホリデーズ

  ホリデーズ 教会や近代的な建物
  空に住む、彼らが愛する神は何をしているのか
  なんて地上は低いのだろう ホリデーズ

  ホリデーズ 飛行機の影が海をとらえる
  砂漠の前ぶれのような海
  なんて海は低いのだろう ホリデーズ

  ホリデーズ あれほどの空、あれほどの雲を
  君はわからない 君の年齢では人生が君を疲れさせる
  なんて死は遠いのだろう ホリデーズ

  ホリデーズ それは空に住む飛行機
  忘れないで、美しい君 飛行機は弱っている
  地上は低い ホリデーズ

 
 
 
◆愛の休日/Holidays
  ■リリース
    アメリカ、イギリス 1972年10月21日  
    日本 1972年11月
  ■作詞・作曲
    ミッシェル・ポルナレフ、ジャン=ルー・ダバディー/Michel Polnareff, Jean-Loup Dabadie
  ■歌
    ミッシェル・ポルナレフ/Michel Polnareff
  ■チャート最高位
    1972年週間シングル・チャート 日本(オリコン)6位



 
 
 

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ローマの休日 (Roman Holiday)

2005年09月17日 | 映画


 映画の魅力のひとつは、観客を別世界に連れて行ってくれるところだと思うんですが、その意味では最高に魅力的な映画のひとつが「ローマの休日」です。
 公開から50年以上もたっているのに、ちっとも色あせていない、みずみずしい作品ですね。名作中の名作です。  


 とにかくオードリー・ヘップバーンが演じる「アーニャ」のなんて可憐で、愛らしいこと! 溌溂としていて、爽やかで、無邪気で。
 「アン王女」を演じている時は、わがままで、毅然としていて、高貴で、気品があって。
 もう、オードリーの魅力満載の作品ですね。
 とにかく、観ているうちに虜になってしまいました。
 

 

      
 新聞記者ジョー(G・ペック)、ジョーの友人アーヴィング、アーニャことアンの三人が巡る名所の数々も、映画の見どころと言えるでしょう。自分の部屋にいながら、ローマの雰囲気をたっぷりと味わうことができます。 
★サンタ・マリア・イン・コスメディン教会…有名な「真実の口」があります。ジョーのいたずらでびっくりするアーニャが、また愛らしい。 
★トレヴィの泉…アン王女が髪を切る美容室がこの泉の横にある、という設定です。映画では子供たちが噴水の中で遊んでいますが、現在は水の中に入ると罰金を取られるそうです。 
★セプティミウス凱旋門…ジョーが、道端で眠りこけているアン王女を見つけたところです。 
★スペイン広場…この映画で有名になった場所です。アイスクリームを食べるアンに、偶然の再会を装ったジョーが声をかける場面でしたね。 
★そのほか、コロッセオ、サン・ピエトロ寺院、サンタンジェロ城、ヴェネツィア広場、共和国広場、ブランカッチョ宮殿などを見ることができます。BRAVO!


 


 


 


 アーニャとジョーの掛け合いも、楽しい。 
 アーニャの、気の強さと素直さが同居しているところが、また可愛いんです。 
 市井に通じていて抜け目のないところがいかにも新聞記者らしいジョーですが、アメリカ人らしく陽気で、紳士で、何よりスマートですね。
 このふたりのやりとりが、なんとも愉快で微笑ましい。


 

        
 物語りの筋立ては明瞭で、エピソードも面白い。
 髪をカットしてもらうアーニャ、ベスパの二人乗り、ダンスパーティでの大立ち回りなど、有名なシーンがたくさん出てきます。 
 いつの間にか恋におちる二人ですが、アーニャはある刻限までには帰らねばならない。これは「シンデレラ」のバリエーションであると見ることができるかも。


 
 
             
 そしてなんといっても、別れ際のキスシーンと、クライマックスの記者会見のシーン。
 何度見ても感動します。 
 アン王女として記者会見に現れたアーニャは、ジョーとアーヴィングの姿を見た瞬間、さすがに少し動揺します。
 ジョーのまっすぐな眼差しが印象的です。
 きっと、新聞記者としてではなく、ジョー自身として一緒に過ごした自分の気持ちに悔いがないからでしょう。 
 アンは、記者団の「一番心に残った都市は?」の質問に、型通り答えようとします。ところが不意に晴れやかな顔つきになり、きっぱり答えるのです。
 「ローマです」と。 
 アンが記者たちと挨拶を交わす場面の、ジョーの振る舞いも小粋で洒落ていますね。そして、ジョーとの握手を終えた瞬間のアンの表情、胸を打たれます。二度と顔を見ることがないであろう寂しさに耐えているんでしょう。 
 最後にアンは、全員を見渡して満面の笑みを浮かべますが、それは何かを強く自分に言い聞かせているような、何かに踏ん切りをつけているかのような、そんな笑顔です。
 近づけば触れられる距離にいる二人なんですが、その間には、目に見えず、破ることのできない厳然とした隔たりがあるのがもどかしいです。


 

      
 最後までじっと会見場にたたずんでいたジョーの胸のうちは、ほんとうは彼にしかわからないのかもしれません。


 この物語の後日譚、どんなふうなんでしょうか。今だったら、王族と一市民が結婚することも珍しくないんですがねぇ。 このまま、というのは話としては美しいんですけれど・・・。
 自立した考えを持つアン王女ならば、自分の意思を通して欲しいなあ。
 でもジョーは、高貴な世界に自ら喜んで入るような人物には見えませんよね。
 むしろアンが、王族を離れてジョーの元にゆく、と考えた方が自然かもしれませんね。 


 ジョーの友人の気のいいカメラマン、アービングを演じたエディー・アルバートは、今年5月26日に亡くなりました。ご冥福をお祈りします。


 
 左からエディー・アルバート、オードリー・ヘップバーン、グレゴリー・ペック



◆ローマの休日/Roman Holiday  1953年アメリカ映画
  ■公開
    アメリカ1953年 日本1954年
  ■配給
    パラマウント映画
  ■監督
    ウィリアム・ワイラー
  ■脚本
    ダルトン・トランボ、イアン・マクレラン・ハンター、ジョン・ダイトン
  ■原案
    ダルトン・トランボ
  ■音楽
    ジョルジュ・オーリック、ヴィクター・ヤング
  ■撮影
    アンリ・アルカン、フランツ・F・プラナー
  ■出演
    グレゴリー・ペック (ジョー・ブラッドレー)
    オードリー・ヘップバーン (アン王女=アーニャ・スミス)
    エディ・アルバート (アービング・ラドヴィッチ)
    ハーコート・ウィリアムズ (大使)
    マーガレット・ローリングス (ヴェアバーグ伯爵夫人)
    パオロ・カルリーニ (理髪師マリオ・デラーニ)
    トゥリオ・カルミナティ (プロヴノ将軍)
    ハートリー・パワー (ヘネシー支局長)
    クローディオ・エルメリ (ジョヴァンニ)
    アルフレッド・リゾ (タクシー運転手)
    パオラ・ボルボニ (アパートの家政婦)
    ローラ・ソラリ (ヘネシー支局長の秘書)
    ゲレラ・ゴリ (靴屋)
                     ほか
  ■上映時間
    118分


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

衝動買い

2005年09月16日 | 随想録

♪今日の動物。フラワー犬。偶然見つけた画像です。


 時々行く楽器店があって、今日そこに何気なく寄ってみたんです。
 すると、欲しかった小型のベース・アンプを2種類も見つけてしまった!しかもセール中!安い!
 衝動的に、発作的に、無意識に両方とも買ってしまった… うれしい…


     
     今日から我が家の住人となったアンプ君たち


 なんせ、大都会ならば大規模な楽器店はあるし、特定の種類の楽器を専門的に扱っている店もあるんだけど、そこはそれ、地方都市に暮らしている身のつらさで、店頭に「Hartke」とか「SWR」なんかのメーカーのアンプを目にすることがまず珍しい。
 店頭になければ試し弾きもできないワケで、試奏できなければ品質も解らない。質の解らないものに何万円もポンと払うのは、

     ロックフェラー家の者余程の馬鹿者

と相場は決まっている。(まあ、本当の金持ちほど無駄遣いはしないっていいますね)
 そういうわけで、今日それらのアンプを見た瞬間、ぼくの目は邪悪に輝き、思う存分試奏した末、いきなり交渉人に早変わりしたのであります。
 こうなったらもうミュージシャンなんだか商人なんだかわからない。時にはアワレっぽく、時には親しげに交渉した結果、ついに


「セールですから、これ以上の値引きはごカンベン下さいまし


という言葉しか引き出すことができずに終わってしまった。
 しかもひたすら低姿勢の店の人を見て逆に気の毒になり、定価+オマケで手を打ってしまう人の良さ(ワハハ~)まで見せてしまったのでありました。


 やはり、餅は餅屋、商売は商人、ベース弾きはベース弾き、と言うべきでしょうねぇ。
 

 専門的な単語がたくさん出ちゃいましたが、まあ、子供が面白そうなオモチャを手に入れたようなものだと思ってください。


 帰る途中でホームセンターに寄り、キャスターやら木ネジやらボルトやらナットやらあれやらこれやらを買い込み、家に着いてからは夏休みの工作に没頭する工作少年と化して、今の今まであれこれしていたんです。


 まず重いアンプの持ち運びを楽にするため、キャスターを取り付けました。
 次に、せっかくアンプを買ったんだから、明日の仕事には新しいアンプを使いたいな~、それには楽器をアンプと相性の良いものに替えた方がいいな~、と考えて、ここ数年使ってなかった楽器を出してきました。
 そして楽器の掃除、弦の張り替え。物はついで、とばかり、ウッド・ベースの微調整までし終えた、多忙な一日でした。


     
     久々に明日これを使います。ほっといてスマン。


 小学校の頃、プラモデルを作るのが好きでした。
 もともと凝り性の気があるぼくは、いったん製作を始めるととことんまでやってしまうクセがあるのですが、今日は久しぶりに、プラモデルを作っている気分になってました。あれこれ忙しかったけれども、なんだか楽しい一日でした。


人気blogランキングへ←クリックして下さいね

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日

2005年09月15日 | Weblog~雑記
                せめて今日くらいキリッとしてみよう


昨日(14日)が誕生日でした。
チラッとでも「オメデト~」と思って下さった方全員に、
感謝を込めて愛を贈ります。
     
 
何年か前までは、15日が「敬老の日」だったので、
誕生日は必ず夜更かししてました。
今年の9月15日は平日ですが、
やっぱり夜更かししています。ワッハッハ


ところで、友人のBaby-Luさんが
「New MINAGI 1歳の誕生日」という言葉を贈ってくれました。
なんて元気の出る表現なんだろう。
心機一転、やるぞおおおお、って思えちゃいます。



で、せっかく前向きに頑張ろう、と改めて思ったんだから、
これからの一年の目標とゆーか、指針とゆーか、
そういうものをここに書き残しておくのも一興かな、と。


もっと人間性を磨く。
もっともっと中身を充実させる。
もっともっともっと音楽的にレベルアップする。


これに尽きるねぇ、抽象的だけど。


でも、詳しくはまだ書けないけれど、
新しい生活パターンの確立を目論んでいるので、
そのための準備に時間をたっぷりかけたいな。
泣いても笑っても一度しかない人生ですからね。
死ぬ時には満足して死にたいのです。「ああ、濃い人生だったな」と。
死ぬ時に満足するためには、
毎晩寝る前に「濃い一日だったな~」と満足したい。


こういう風に思えること自体、
良い一年がうまくスタートできた気がします。
とにかく、これからの一年は、
文字通り、新しい人生を始めるつもりで、
中身の詰まった日を送っていく所存であります!



     

     

     
     最近好きなペンギン3連発。


人気blogランキングへ←クリックして下さいね
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穐吉 敏子

2005年09月14日 | ミュージシャン


 9月12日夜、穐吉敏子さんの朝日賞受賞記念コンサートが行われました。
 このコンサートでは、皇后陛下も聴衆のひとりとしてジャズを楽しんでいました。皇后陛下がジャズをライブで聴くのは初めてのことだそうですね。
 皇族がジャズを聴くことがジャズの権威づけになるとは全く思いませんが、ジャズが広く愛されるようになって欲しいという意味としては、とても嬉しいニュースです。


 穐吉さんが皇后陛下の前で初めてジャズを演奏したプレイヤーとなったのは、穐吉さん自身にとっても感慨深いものがあるのではないでしょうか。
 おそらく穐吉さんは、お金や名誉のためではなく、ただより良いジャズを追求し続けて来ただけだ、と言うでしょう。





 穐吉さんは、戦後満洲から引き揚げて以来、生活のためにピアノを演奏するようになり、やがてジャズの魅力に取り付かれます。縁あって渡米し、バークリー音楽院に学び、やがてアメリカでも高い評価を得ることになります。
 その穐吉さんの半生は、岩波新書「ジャズと生きる」で詳しく読むことができます。
 少し前のNHKでは、自身の語りによる穐吉さんの半生が放送されていましたね。


    
     岩波新書「ジャズと生きる」


 ぼくは野茂英雄投手が好きで、彼の生き様を尊敬しています。
 それは、野茂投手が、(多くの人の助けを借りたにしろ)自分自身で自分の道を切り拓き、信ずるところを進んでいったからなのです。
 穐吉敏子さんの生き方にも、同じものを感じます。
 だからこそぼくは、演奏も含めて穐吉さんを尊敬しているのです。


     

        
 穐吉さんの著書を読むと、幾度も挫折しそうになったことが書いてあります。
 慣れないアメリカで、性差別、人種差別、言葉での苦労、経済的困窮などにさらされたことでしょう。
 それらを乗り越えてきた穐吉さんは、強い人間だとも思います。
 しかし、穐吉さんが絶対的に強かったのではなく、「弱さ」というものを知っているからこそ強く成長してゆけたんだと思うのです。
 そしてそれが、人生の機微を織り込んだような、味のある演奏につながっていると思うのです。
 演奏中の表情も、とっても素敵です。
 穐吉さんの文章、語り口は、とても論理的で知性にあふれています。そういうところも穐吉さんの魅力だと思っています。


 穐吉さんの作品の中でここ最近よく聴くのが、「ライブ アット ブルーノート東京」です。
 名手・鈴木良雄さんの味のあるベース、今は亡き日野元彦さんの素晴らしいドラムも聴くことができます。


     
      ライヴ・アット・ブルーノート東京'97 (2001年)
       穐吉敏子トリオ ☆穐吉 敏子(piano)
               ☆鈴木 良雄(bass)
               ☆日野 元彦(drums)



 緊迫感に満ちていながら、どこかリラックスした、それぞれお互いが敬意を払っているかのような、珠玉のライブ録音だと思います。


 今も精力的に各地でソロ・ピアノを聴かせて下さる穐吉さん、まだまだ素晴らしいピアノを弾き続けて欲しいと思っています。


註:このブログでは「穐吉敏子」と表記しましたが、CDには「秋吉敏子」と表記されています

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウィ・アー・ザ・ワールド (We Are The World)

2005年09月13日 | 名曲

 
 今日のテーマは、「gumiiの重箱」というブログを書いている、演劇・映画に詳しいgumiiさんにリクエストを頂いたものです。


 8月29日、大型ハリケーン「カトリーナ」が米本土に上陸しました。
 ハリケーンは最大風速が毎秒60mを超えましたが、なんとかニューオーリンズ市への直撃は免れました。 
 しかし、ハリケーンの勢力が衰えた30日朝になって、最悪の事態が起きたのです。


 ニューオーリンズは水に囲まれた都市で、市の約7割の土地は海面より低く、街を囲む堤防が命綱です。ところが30日朝、北側堤防の一部が決壊。まもなく東側の堤防も崩れ、あっという間に濁流が市街地に押し寄せたのです。 
 前日の28日にはレイ・ネイギン市長から48万人の市民に向けて避難命令が出されていました。しかも、最も低地である貧困層の住宅地は29日の時点ですでに冠水していました。しかし、車も現金もなく、市外に泊まる所もない貧しい人々は自宅に留まらざるを得なかったため、そうした人の多くが濁流に呑まれたのです。 
 また1965年以来この街にハリケーンの直撃はなかったこと、そのうえ今回のハリケーンの勢力がいったん峠を越していたことなどから、油断していた人も多くいたようです。 
 もともと治水構造がもろいままだったことも、はっきりと指摘されています。


      


 現在、ニューオーリンズ市の80%が浸水しており、ネイギン市長は死者は数千人にのぼると語っています。
 後片づけには数ヵ月かかるとみられており、二度と自宅に戻れない住民も多数出てくるものと思われます。


     


     


 ニューオーリンズは「ジャズ」の街としても知られていて、ぼくたち音楽ファン、ジャズファンにとっても馴染み深いところなのです。


     


     


 日本では昨年の新潟地震の記憶も新しいですね。今回の台風でも多くの被害者が出ました。
 世界規模で見ると、天災、人災(もちろん戦争を含みます)でたくさんの人々が辛い境遇に立たされています。


     


 今から20年前、1枚のレコードが発売されました。
 このレコードを製作するために、「USA for AFRICA」と名づけられたユニット(45人のスーパースターと6人のバック・ミュージシャン)が録音に参加。レコードの純益のすべては、アフリカの飢餓を救うために寄付されました。
 そのレコードのタイトルが、「We Are The World」です。


     
 

 名唱につぐ名唱をとらえている映像は、それだけでぼくを感動に導いてくれましたが、とくに印象に残っているのはスティーヴィー・ワンダーやレイ・チャールズらの表現力、シンディ・ローパーやブルース・スプリングスティーンの熱さ、ディオンヌ・ワーウィックやウィリー・ネルソンらの温かさです。 
 しかし何といっても、歌っている時の表情、全員が素敵です!  


 年月は過ぎましたが、この作品の持つ精神が古びることはないでしょう。 
 その精神とはなんでしょうか。
 色々な価値観があるため、さまざまな答えが考えられます。 
 そしてUSA for AFRICAは、「考えることではなく、行動すること」という答えを出したのです。


     


 さびしい話ですが、募金を標榜した詐欺もあると聞きますし、この記事は「善意を強制するもの」ではありませんので、記事を赤十字にリンクさせておくにとどめておきます。
 最後に、今日9月13日付の新聞に、約40人のミュージシャンが出演する予定の、「ニューオーリンズ支援ジャズライブ」の記事がありましたので、それを紹介しておきます。
 [日時]10月19日(水) 19時から
 [場所]大阪市中央区 りそな銀行大阪本店地下講堂
 [料金]参加費4000円で定員300人
      収益金は日本赤十字社を通じて寄付される
 [問い合わせ]大阪商工会議所地域振興部 (06-6944-6323)


 ぼくも、小さくてもいいから、「何らかの行動を起こせる人」でいたい、と思います。



◆We Are The World/ウィ・アー・ザ・ワールド
  ■リリース
    1985年3月28日
  ■作詞作曲
    マイケル・ジャクソン/Michael Jackson
    ライオネル・リッチー/Lionel Richie
  ■プロデュース
    クインシー・ジョーンズ/Quincy Jones
    マイケル・オマーティアン/Michael Omartian
  ■指揮
    クインシー・ジョーンズ/Quincy Jones
  ■参加ミュージシャン
    アル・ジャロウ      ウィリー・ネルソン    ウェイロン・ジェニングス
    キム・カーンズ      ケニー・ロギンス     ケニー・ロジャース
    ジェフリー・オズボーン  ジェームス・イングラム  ジャッキー・ジャクソン
    シンディ・ローパー    シーラ・E        スティーヴィー・ワンダー
    スティーヴ・ペリー    スモーキー・ロビンソン  ダイアナ・ロス
    ダン・エイクロイド    ディオンヌ・ワーウィック ダリル・ホール&ジョン・オーツ
    ティト・ジャクソン    ティナ・ターナー     ハリー・ベラフォンテ
    ビリー・ジョエル     ベット・ミドラー     ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
    ポインター・シスターズ  ボブ・ゲルドフ      ブルース・スプリングスティーン
    ボブ・ディラン      ポール・サイモン     マイケル・ジャクソン
    マーロン・ジャクソン   ライオネル・リッチー   ラトーヤ・ジャクソン
    ランディ・ジャクソン   リンジー・バッキンガム  レイ・チャールズ
  ■演奏ミュージシャン
    デヴィッド・ペイチ/David Paich (Synthesizers)
    ジョン・バーンズ/John Barnes (keyboards, arrangement)
    マイケル・ボーディッカー/Michael Boddicker (Synthesizers, programming)
    マイケル・オマーティアン/Michael Omartian (keyboards)
    グレッグ・フィリンゲインズ/Greg Phillinganes (keyboards)
    ルイス・ジョンソン/Louis Johnson (Synth-bass)
    ジョン・ロビンソン/John Robinson (drums)
    パウリーニョ・ダ・コスタ/Paulinho da Costa (percussion)
  ■チャート最高位
    1985年週間シングル・チャート  アメリカ(ビルボード)1位(1985.4.13より4週連続1位)、イギリス1位、日本(オリコン)1位
    1985年年間シングル・チャート  アメリカ(ビルボード)20位




  今こそあの声に耳を傾けるんだ 今こそ世界がひとつになる時だ
  人々が死んでゆく 命のために手を貸す時が来たのだ
  それはあらゆるものの中で 最大の贈り物 

  これ以上知らないふりを続ける訳にいかない
  誰かがどこかで変化を起こさなければ
  ぼくらは全て神の元、大きな家族の一員なんだ
  本当さ 全ての人に必要なのは愛なんだ

  ぼくらは仲間 ぼくらは神の子供たち 明日を作るのはぼくらさ
  さあ始めよう 選ぶのは君だ それは自らの命を救うことなのだ
  本当さ 住みよい世界を作ろう 君とぼくで

  心が届けば支えになる そうすれば彼らも力強さと自由を手にするはず
  神が石をパンに変えて示したように ぼくらも救いの手をさしのべよう
  
  見放されたら希望は失われる 負けないと信じることが大切なのだ
  変化は必ず起こる ぼくらが一つになりさえすればいいのさ






コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする