「ファースト・アルバムはそのミュージシャンの本質を表している」という言葉を聞いたことがあります。このアルバムを聴くと、それはまさに真理だという気がしてなりません。
今や、ジャズ・ピアニストの最高峰を極めた感のあるキース・ジャレット。
彼のトリオは「スタンダーズ」と呼ばれ、数多くの作品を発表していますが、そのファースト・アルバムである『Vol.1』を聴くと、やはりこのトリオの本質が色濃く出ているように思うのです。
スタンダード・ナンバーをキースならではの解釈で再構築するのがこのトリオのコンセプトのひとつですが、こうして聴いてみると、キースの音楽性の深さ、大きさには改めて圧倒されるばかりです。
また、共演者のゲイリー・ピーコック(bass)、ジャック・ディジョネット(drums)とも当代きっての名手として鳴らしているだけに、キースのピアノと対等に渡り合っているのがよく分かりますね。
それぞれが超一流である三人が、おそらくはとても楽しみながら、そして信じがたい集中力で演奏を繰り広げているのでしょう。彼らは一緒に音を出してみて、すぐに「何かが生み出せる」確信を得たに違いありません。集まるべくして集まったトリオ、と言えると思います。
この三人の相性の良さは、例えば1+1+1が5にも6にもなるようなものだと言っていいでしょうね。
それぞれに自由な音楽的背景や着想を持ちながら、それを放出する時にはひとつの方向に向いているところに、このトリオから得られる大きな感動があると思うんです。
また言うまでもないことではありますが、三人ともがタイム感覚やグルーブ感を内包していることで、リズムの流れ、グルーブの波がより厚くより強力なものとなって聴いているぼくを包んでくれることも、このトリオの魅力のひとつだと思います。
演奏中に「何かが降りてくる」ようなことを感じることがありますが、とくにぼくの好きな5曲目の『ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド』においては、まさにそういう深みへ下りて行くような雰囲気を感じます。ごくリラックスしていながら、一方では静かに、そして激しく燃え盛っているさまはスピリチュアルでさえあり、この曲をゴスペルのように荘厳で魅力的なヴァージョンに仕立て上げているのです。
この曲におけるゴスペル・ロックのような演奏は、ぼくのフェイヴァリットでもあります。心が震えるんです。
聴き始めた最初の頃は、あまりの素晴らしさに何度も何度も繰り返し、そのたんびに全身を耳にして聴いていました。
ついつい堅苦しい文章になってしまいがちですが、平たく言うとぼくは、「これは文句のない名盤である」と言いたいだけなのです。
◆スタンダーズVOL.1/Standards VOL.1
■演奏
キース・ジャレット・トリオ
キース・ジャレット/Keith Jarrett (piano)
ゲイリー・ピーコック/Gary Peacock (bass)
ジャック・ディジョネット/Jack Dejohnett (drums)
■リリース
1983年
■録音
1983年1月11~12日 ニューヨーク市、パワー・ステーション
■プロデュース
マンフレート・アイヒャー/Manfred Eicher
■レーベル
ECM
■収録曲
A① ミーニング・オブ・ザ・ブルース/Meaning of the Blues (Bobby Troup, Leah Worth)
② オール・ザ・シングス・ユー・アー/All the Things You Are (Oscar Hammerstein Ⅱ, Jerome Kern)
③ イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド/It Never Entered My Mind (Lorenz Hart, Richard Rodgers)
B④ ザ・マスカレード・イズ・オーヴァー/The Masquerade Is Over (Herb Magidson, Allie Wrubel)
⑤ ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド/God Bless the Child (Arthur Herzog Jr., Billie Holiday)
ケイコ・リーや綾戸智絵などの出現がきっかけとなって、日本のジャズ・ヴォーカルの分野が活気づいてます。
テレビで見る機会は少ないですが、ライヴ・ハウスで地道な活動を続けている歌い手さん、多いです。
実際にお店に聴きに行ってみると、歌はステキだし、雰囲気は楽しいし、熱のこもった演奏で盛り上がるしで、何度行っても飽きません。
ひとりで行くもよし、友達どうしで会話や食事を楽しみながら聴くもよし。
音楽っていいなぁ、ジャズっていいなぁ、としみじみ感じること請け合いですよ。
ジャズ・ヴォーカリストにもいろんなタイプがいます。
流行の先端を取り入れたり、最新の曲をレパートリーにしている人から、伝統的なものを味わい深く歌い続ける人まで、多岐にわたっています。
ロックやポップスなど、他のジャンルの曲を積極的に取り上げている歌い手さんも多いですね。
ビリー・ジョエルという人の書く曲は、ジャズの作風を意識的に取り入れているため、ジャズの題材として取り上げられることも多いです。
彼の代表作のひとつでもある「ニューヨークの想い」もそんなジャズっぽい曲のひとつで、この曲をレパートリーに入れているジャズ・シンガー、珍しくありません。
これをゴキゲンなアレンジで歌っているのが、アン・バートンなんです。
「ニューヨークの想い」は名曲だけあって、実にたくさんの人が持ち歌にしていますが、これだけカッコよく歌っているもの、ほかにあまり知りません。個人的な好みを言わせてもらうと、本家本元のビリーの歌より好きなくらいです。
ミディアム・スローの3連でしっとり始まるかと思えば、テンポを倍にして軽快にスイングします。アンの歌は、ふたつのグルーブを自在に行き来しています。
中間部の、ベースとハイハットだけをバックに歌うアン、とってもジャジーで小粋です。
可愛らしさとしっとりした女らしさが同居している彼女の歌を聴いていると、自然とリラックスしてくるんです。
バラードもうまいけれど、小気味よいスイングも心地よいですね。
アンの歌う「ニューヨークの想い」は同名タイトルのアルバムに収められています。
プロデューサーは、なんと”ニューヨークのため息”と謳われた名ジャズ・シンガーのヘレン・メリル。
冬の夜長に、アン・バートンの歌でニューヨークの夜の気分にひたってみるのもいいかもしれませんね。
左から マイケル・レンジ(piano)、バスター・ウィリアムス(bass)、グラディ・テイト(drums)
[歌 詞]
◆ニューヨークの想い/New York State Of Mind
■歌
アン・バートン (Ann Burton)
■収録アルバム
ニューヨークの想い/New York State Of Mind (1979年)
■プロデュース
ヘレン・メリル/Helen Merrill
■録音メンバー
アン・バートン/Ann Burton (vocal)
マイケル・レンジ/Michael Renzi (piano)
バスター・ウィリアムス/Buster Williams (bass)
グラディ・テイト/Grady Tate (drums)
ぼくの部屋には、数十冊と、何百枚かの楽譜がありますが、ビートルズの楽譜は一冊だけです。
でもこの一冊さえあればいいのです。
かつてビートルズが公式にレコーディングした212曲が全1136ページに収められていて、しかも全パートが完全コピーされている、というスグレモノなんです。
タイトルは「ザ・コンプリート・スコアズ ビートルズ」。ハル・レオナード社というところから出版されています。日本の輸入代理店がおそらくシンコー・ミュージックだと思います。
好きな曲とか、演奏するかもしれない曲は、構成とコードだけをコピーするようにしていました。勉強になるし、耳の訓練にもなるからです。
でも、ビートルズのこの本を見つけた時は欲しくて欲しくて、すぐ買ってしまいました。
もう15年以上も前になるでしょうか、とあるデパートで行われていたビートルズ・フェアに行った時に見つけたんです。ビニールで包装されていたんですが、ムリを言って中を見させてもらい、どうやら完全コピー譜らしいことを確認してから即手に入れました。たしか6000円くらいだったと思います。文字通りその時の財布の中身をはたいて買ったんです。本の外箱にはU.S.$59.95とあります。
ヴォーカル・パート、コーラス・パート、歌詞はもちろん、1stギター、2ndギター、ベース、ピアノ、キーボード類、ドラム、ホーン・セクション、各々のソロ・パートなどがすべて書き込まれているんです。アレンジの勉強にもなりますよね。でもこれは仕事用というより、完全に自分の趣味の世界なんです。
それまでは耳コピーだけでレット・イット・ビーやヘイ・ジュード、レディ・マドンナなどのピアノ・パートを弾いて遊んでいたんですが、これさえあればカンペキです~(^^)
いつもはコード譜だけを見てヘッド・アレンジで弾いたりしてますが、そのやり方では即興には強くなっても、読譜力はつきません。だからこのビートルズ全曲集を見て遊びながら少しでも譜面を読もうとしているわけです。
今、「アビイ・ロード」の中の「ヒア・カムズ・ザ・サン」と、「ホワイト・アルバム」の中の「ブラックバード」のアコースティック・ギター・パートをちゃんと弾けるようになりたいな、なんて思っているんです。
こうやって楽器に遊んでもらっていると、時間の経つのがあっという間です。年末のこのクソ忙しい時にぼくはいったいナニをやっているのでしょうか~(^^;)
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今日は欲しい本があったので、少し街まで出てみました。商店街やモールなどはクリスマス一色の賑やかさです。歩いているこちらもちょっとばかりウキウキしてきました。あちこちでサンタ・クロースの格好をした店員さんも見られて、雰囲気に花を添えていました。
サンタ・クロースといえば、4世紀頃の東ローマ帝国の司祭、聖ニコラウスの伝説に由来するんだそうです。
ある真夜中、ニコラウスは貧乏なため三人の娘を嫁がせることができない家の煙突から金貨を投げ込みます。ちょうどその時、暖炉には靴下が下げられていて、金貨はその中に入りました。その金貨のおかげで娘たちは身売りをせずに済んだといいます。靴下の中にプレゼントを入れる習慣も、この故事に倣ったものです。
さて、昨日は比較的新らしめのクリスマス・ソングを羅列していったので、今日は少し伝統的なクリスマス・ポピュラー・ソングを挙げてみたいと思います。
きよしこの夜
(Silent Night)
■作詞…ヨゼフ・モール ■作曲…フランツ・グルーバー ■1818年
1818年12月25日に、オーストリアの聖ニコラウス教会で初演されて以来、不朽の賛美歌として世界中で歌われています。これまでに300以上の言語に翻訳されているそうです。
聖ニコラウス教会ではちょうどこの時期にオルガンが壊れていたために、作詞したモールはこの曲をギターで伴奏しようと思い立ち、その案をグルーバーに相談しました。グルーバーは、最初は「教会に来る人がギター伴奏を気に入るとは思えない」と断りましたが、モールの熱心な説得に折れ、12月24日の一晩中かかって作曲したのがこの曲だということです。
ホワイト・クリスマス
(White Christmas)
■作詞・作曲…アーヴィング・バーリン ■1942年
現代のクリスマス・ソングの中で最も人気のある曲といえば、真っ先に名があがるであろう名曲です。白い雪のクリスマスへの憧れをロマンティックに描いたこの曲は、「アメリカのシューベルト」とも言われるアーヴィング・バーリンが、1942年の映画「ホリデイ・イン」のために書いたもので、同年度のアカデミー賞映画主題歌賞を受賞しました。映画はビング・クロスビーとフレッド・アステアの二大スターが共演したロマンス・コメディです。歌は映画の中でビング・クロスビーが歌い、ミリオン・セラーとなりましたが、さらに毎年のようにクリスマス時期になるとチャートに入り、1968年にはセールス累計が3000万枚を突破するという記録を作っています。
【大意】私は雪のクリスマスを夢見る クリスマス・ツリーは光り輝き 子供達はソリの鈴に耳をすます 私は雪のクリスマスを思い、クリスマス・カードを書く
サンタ・クロースがやって来る
(Here Comes Santa Claus)
■作詞・作曲…ジーン・オートリー&オークリー・ハードマン ■1947年
ジーン・オートリーは「歌うカウボーイ」として人気のあったカントリー&ウエスタンの歌手です。彼自身のレコードが1947年12月にミリオン・セラーとなる大ヒットを記録しました。童謡風の楽しい魅力があり、子供たちが特に喜んで歌うクリスマス・ソングです。
【大意】サンタ・クロースがやって来るよ トナカイのソリでまっしぐら ソリの鈴は鳴り、子供達は歌い、すべてが楽しく明るい
ママがサンタにキッスした
(I Saw Mammy Kissing Santa Claus)
■作詞・作曲…トミー・コナー ■1952年
小さな子供たちにとってクリスマスの最大の楽しみはサンタさんが持ってきてくれる素敵なプレゼントでしょう。そのサンタさんの存在をとても大切に信じているのがその子供たちでもあります。この曲はある意味その子供の夢を壊すものですが、歌詞がとてもユーモラス。クリスマス・ソングの中でぼくが一番好きな歌詞です。当時11歳の少年ジミー・ボイドのレコードが1952年11月から大ヒット、ミリオン・セラーを記録しました。
【大意】僕はママがサンタさんにキスしているのを見ちゃった ママは僕が早く寝てしまったと思ったんだ サンタさんの笑い声はパパに似ていたよ 僕はママがサンタをくすぐるのを見たんだ 昨夜のことさ
ジングル・ベル
(Jingle Bells)
■作詞・作曲…J.S.ピアポント ■1857年
ボストンの音楽家、ピアポントが、日曜学校の生徒のために作った歌です。作曲の2年後にこの題がつけられたそうです。当時のボストンでは、冬になるとスポーツとして一頭立ての馬ソリ競走が盛んに行われていました。この曲はそうした情景がヒントになって生まれたもので、もともとはクリスマスとは関係なかったようです。1943年にビング・クロスビーとアンドリュー・シスターズの共演盤がミリオン・セラーになり、クリスマス・ソングとして定着しました。
【大意】鈴が鳴る、鈴が鳴る 馬ソリに乗るのはなんて楽しいんだろう 鈴が鳴れば心もはずむ ソリに乗って歌う今宵はなんて楽しいんだろう
赤鼻のトナカイ
(Rudolph, The Red-Nosed Reindeer)
■作詞・作曲…ジョニー・マークス ■1949年
この曲もたいへん面白い童話風の内容を持っていて、今ではすっかりクリスマスのホーム・ソング、童謡のようなかたちで広く愛好されています。1949年11月からジーン・オートリーのレコードがヒット、これもミリオン・セラーになりました。
【大意】ルドルフは赤鼻のトナカイだ 彼の鼻はとてもよく光る 他のトナカイは彼の鼻を笑い、仲間に入れてやらなかった ある霧の深いクリスマス・イヴにサンタがやってきて、『ルドルフよ、今夜お前の光る鼻で私の道案内をしておくれ』と言った ルドルフは大喜び 彼は歴史にその名を残した
サンタが街にやってくる
(Santa Claus Is Comin' To Town)
■作詞…ヘイヴン・ガレスピー ■作曲…フレッド・クーツ ■1934年
ドイツではサンタ・クロースは双子で、ひとりは良い子にプレゼントを持ってきますが、もうひとりは悪い子にお仕置きをするんだそうです。この曲はそんな内容を盛り込んだ童謡風の楽しい曲です。
【大意】外を見てごらん 泣いたりふくれっ面をしてはいけないよ そのわけはサンタが街にやって来るからだ サンタはどの子が悪くてどの子が良い子かちゃんとリストを作っている サンタはお前が眠っている時に来てくれるけれど、起きていると来てくれないよ
リトル・ドラマー・ボーイ
(The Little Drummer Boy)
■作詞・作曲…ハリー・シメオン、キャスリーン・デイヴィス&ヘンリー・オノレイティ ■1958年
ハリー・シメオンは編曲者兼合唱団指揮者です。彼の合唱団のレコードが、1958年から62年までの毎年12月にヒット・チャートに入り、ミリオン・セラーになっています。
【大意】新しい王キリストの誕生をお祝いしてみんなが贈り物をさしあげました でもぼくは貧しい少年、何もさしあげるものがありません そこでぼくはドラムを叩いてあげました すると王様はたいへん喜んで、ぼくとぼくのドラムをご覧になり、ニッコリ笑ってくださいました
メリー・リトル・クリスマス
(Have Yourself A Merry Little Christmas)
■作詞・作曲…ヒュー・マーティン&ラルフ・ブレイン ■1943年
1944年、映画「セントルイスで逢いましょう」で、主演のジュディ・ガーランドが歌いましたが、これがいつの間にかクリスマスの愛唱歌になりました。1963年にはフランク・シナトラが歌って話題になっています。美しいバラードです。
【大意】あなたも楽しいクリスマスを 心を明るく持ちなさい 今こそ悩みは消え去ります クリスマスの季節を朗らかに あの幸せだった日々 私たちの誠実な友が再び私たちと一緒なのです 一番高い枝に輝く星を飾って あなたも素敵なクリスマスを
クリスマス・ソング
(The Christmas Song)
■作詞・作曲…メル・トーメ&ロバート・ウェルス ■1946年
「ホワイト・クリスマス」と並んでぼくが最も好きなクリスマス・ソングです。リリカルで美しいメロディーを持っていて、バラード風に歌われることが多いようですね。ナット・キング・コールが1946年に歌って以来、クリスマス・シーズンの定番曲となりました。
【大意】暖炉にはぜる栗 鼻を凍らせる霜 クリスマス・キャロルのコーラスが歌われる 子供達はなかなか眠ることができない サンタ・クロースがソリにおもちゃを載せているのを知っているから 私は『メリー・クリスマス』という素朴な言葉を子供からお年寄りまで申し上げたいのです
皆さんにとって良きクリスマスがやって来ますように。どうぞ楽しい時をお過ごしください。
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あと一週間でクリスマスです。みんなそれぞれに楽しい計画を立てているのではないでしょうか。
この時期にいろんなところから流れてくるのがクリスマス・ソングですね。聴いているだけで雰囲気が盛り上がってくるような名曲ぞろいです。
今日は1970年代以降のポップなクリスマス・ソングを10曲集めてみました。
恋人がサンタクロース (松任谷由実)
1980年のアルバム「SURF & SNOW」に収録されています。シングルにはなっていませんが、今やJ-POPを代表するクリスマス・ソングとして知られています。姉に「恋人はサンタクロース」だと教えられた主人公がおとなになってサンタクロースを待つ、というロマンチックな内容です。映画「私をスキーに連れてって」の劇中歌としても使われました。1982年松田聖子、1999年奥居香、2002年島谷ひとみらによってカヴァーされていますね。
恋人たちのクリスマス (マライア・キャリー)
1960年代のポップスを彷彿とさせる、楽しい曲です。マライア自身がピアノを弾きながら書きました。日本ではドラマ「29歳のクリスマス」の主題歌に起用され、実に130万枚を売り上げました。マライアのライヴでもお馴染みの曲です。
白い恋人達 (桑田佳祐)
2001年10月にリリースされた桑田佳祐のソロ・シングルです。150万枚のセールスを記録し、オリコン・チャートで1位になりました。映画「白い恋人たち」にインスパイアされてできた曲だそうです。コカ・コーラのクリスマス・キャンペーン・ソングにも起用されました。2005年にはBOYZ Ⅱ MENによってカヴァーされています。
君にMerry Xmas (小田和正)
1989年12月に発表された、小田和正の4枚目のソロ・シングルです。オリコン・チャートでは最高6位でした。ちょっとした仲違い、謝りたいのに意地を張っている男性が女性に気持ちを届けようとするラヴ・ソングです。第一生命のコマーシャル・ソングとして、クリスマスの2日間限定でオン・エアされました。
ワンダフル・クリスマス・タイム (ポール・マッカートニー)
ウィングス時代のポールが全ての楽器をひとりで担当し、ソロ・シングルとして発表しました。メッセージ性に満ちたジョン・レノンの曲と好一対で、楽しさに満ちたクリスマスを明るく歌っています。1979年11月リリース、全英6位にまで昇りました。
クリスマス・キャロルの頃には (稲垣潤一)
想いを寄せている女性とクリスマスまで離れている男性が主人公のラヴ・ソングです。1992年10月、ドラマ「ホームワーク」の主題歌として発表され、オリコン・チャート1位となりました。翌93年11月にも再発され、累計売り上げ140万枚を記録しました。
ラスト・クリスマス (ワム!)
1984年に全英2位、オリコン・チャート12位(洋楽チャートでは1位)となった、ワム!のヒット曲です。以後クリスマス・ソングの定番のひとつになりました。この曲、雰囲気はポップなのですが、実は失恋ソングなのです。なお、タイトルは「最後のクリスマス」ではなく、「去年の」という意味です。
クリスマス・ラヴ (サザン・オール・スターズ)
1993年11月に発表されたサザン34枚目のシングル。これもクリスマスを舞台としたラヴ・ソングで、後半に繰り返して歌われる「涙のあとには白い雪が降る」というリフレインがとても印象的です。サザンはこの後1995年まで活動を休止します。なおこの曲は、1998年、2005年にも再発されました。
ハッピー・クリスマス (ジョン・レノン&ヨーコ・オノ)
1971年に発表されました。単なるクリスマス・ソングではなくて、「争いをやめよう」「望めば戦争は終わる」というメッセージが込められている、一種の反戦歌です。リリース当初はチャート・インしませんでしたが、翌年再発されて全英4位となっています。ジョンの死後、再び大ヒットし、全英2位を記録しました。年々耳にする回数が増えている気がする名曲です。
クリスマス・イヴ (山下達郎)
1983年に発表。クリスマス・ソングではありますが、失恋の歌です。アルバム「メロディーズ」に収録されています。1986年にシングルとして再発され、以後毎年のようにクリスマス時期のチャートに浮上するようになりました。1989年と2000年にJR東海のコマーシャルに起用され、曲の知名度が一躍アップしました。発表されて以来25年間で実に8度も再発されています。今の時期、スズキ「シボレーMW」のCMに英語版が使われていますね。
明日はスタンダードとなっているクリスマス・ソングを10曲選んでみたいと思います。(^^)
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我が家にハムスターがやってきて半年近くになります。
生まれて2~3週間ほどの子を貰ってきたんですが、生後2ヶ月くらいともなると、人間で言うと立派な成人なんだそうです。
ハムスターの寿命って3~4年くらいだそうですから、うちの子は人間でいうと20歳前後~30歳前後の青年、といったところでしょうか。
ハムハム君は寒さに弱いです。気温が10度以下になると動きが鈍ってきます。5度を切ると、丸く冷たく固まって動かなくなるらしい。死ぬこともあるみたい。
ヤツの棲家(ケージ)はリビングに置いているのですが、さすがに近頃では夜中~明け方の室温も下がっているので、ハム君もあまり夜中の運動をしなくなっているようです。だからハムスターのケージ用ヒーターを入れてやりました。
もちろんケージの中にも木製の巣箱は必要。巣材もたっぷり入れて越冬対策を整えます。
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1930年、シリアでハムスターの母親とその子供12匹が発見されました。今、世界中で飼われているハムスターは、すべてその母子の子孫なんだそうです。つまり、わずか数十年でハムスターは爆発的に繁殖したのです。
その繁殖力はものすごく、例えばつがいのハスムターを飼い始めると、2ヶ月ほどで約10匹の子供を産みます。この調子で繁殖させ続けると、2匹のハムスターは約半年で数百匹に増えることになります~
ハムスターは生後2ヶ月にもなると完全に成熟するので、同性でも別々に飼わなくてはなりません。ひとりぼっちで寂しそう、とも思ったのですが、調べてみるとハムスターは社会を持たない生き物なんだそうです。成熟すれば、独立してたった1匹で生きていくわけですね。
社会を持たないハム君にとって、自分以外のハムスターは敵でしかないのです。だから複数のハムスターを飼う時は、別々のケージで飼わねばならないそうです。
ハム君は手(前足)をとても器用に使います。エサも手で持って食べるのですが、こういう動物は案外少ないんだそうです。
エサはヒマワリの種とか、穀類の混合飼料をやっています。でもチーズとか煮干し、鶏肉なんかも食べるみたい。野生のハムスターなら、バッタやクモ、ミミズ、トカゲ、鳥のヒナまで食べてしまうそうですよ。
反対にやってはいけないもの。チョコレートや香辛料などの刺激物なんかはマズイみたいですね。ほかには豆類や、ネギ、タマネギ、ニラ、レンコン、ゴボウなどの類いの野菜です。内臓が痛んでしまうらしいです。
水は一日にほんの少ししか飲まないみたいです。
本来、ハムスターは乾燥した土地に住む動物なので、普通の食べ物を与えていれば水を飲むなんてことはしないらしい。でもいわゆるハムスター・フードをやる場合には気をつけねばなりません。これはとても乾燥した食べ物なので、体内の水分まで奪われてしまうんだそうです。だから新鮮で水分の豊富な野菜(白菜やキャベツ、ニンジンなど)をあげたりしています。
さて、ハム君は芸を覚えるでしょうか。今のところ、うちの子は無芸大食です。
そもそも人には慣れても、懐いたりはしないみたい。でも手の上にのせてなでてやると目を薄く閉じてじっと気持ちよさそうにしていますし、ぼくの手から直接エサも食べるようになりました。
ヤツが我が家の住人になってからぼくもいろいろと調べてみたので、今では少しはハムスターのことが分かるようになりました。
なんとか元気に過ごしてもらっていますが、取りあえずは、この冬を快適に過ごしてもらうことを心がけねばなりませんね。
そういえば来年はネズミ年なんですね~ うちのハム君、福を招いてくれないでしょうか。
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一昨年、レオン・ラッセルの来日公演がありましたね。9年ぶりの来日だったそうです。レオンも、今ではもう65歳・・・。そういえば、1970年代に活躍したロック・ミュージシャン、次々と「60の大台」を越しているんですね。時の流れの早さを感じてしまいます。
レオンと言えば、スワンプ・ロックの、いえいえアメリカン・ロック界の大立者として有名です。出身地はオクラホマ州ロートンか~、ふむふむ・・・。そういえば、元タイガースのバース選手の故郷も同じくロートンじゃなかったっけ?
長髪に長いヒゲ、テンガロン・ハットがトレード・マークのレオンは、多くの名曲を生み出していることでも知られています。なかでも、カーペンターズやジョージ・ベンソンが大ヒットさせた「マスカレード」、あまりにも有名ですね。
「マスカレード」と並ぶレオンの名曲が、この「ソング・フォー・ユー」です。この曲もカーペンターズがカヴァーしていることで有名です。
印象的なピアノのルバートで始まるこの曲、絞り出すようなレオンの歌声が哀愁を漂わせるバラードです。ピアノとフレンチ・ホルンのみのシンプルな伴奏は、より切なく、そしてホロ苦い。
「今までいろんな所を歩き、歌も歌ってきたけれど、今はこの歌をあなたに捧げたい」という歌詞がまた泣かせますね。
「あなたに捧げる歌」、歌ってもらったこと、ありますか。
ぼくは、歌ったことがあっただろうか・・・。
【ソング・フォー・ユー】
今までいろんな所を歩いてきた
歌も歌ったが リズムが狂っていたこともあった
1万人が見守る中、ステージで愛を演じてきたけれど
今はふたりきり この歌をあなたに捧げたい
あなたの目には 私がどう映るのだろう
辛くあたったこともあるけれど わかってほしい
あなたより大切な人は ほかにはいない
今はふたりきり この歌をあなたに捧げたい
あなたは真実の意味を教えてくれた 何も犠牲にすることなく
あなたが現れた時 最初は隠れてしまった私だけれど
今はもう大丈夫
私の言うことがよくわからなかったら メロディに耳を傾けて
そこに愛を隠しておいたから
あなたへの愛に 場所も時間もない
生涯の友として あなたを愛する
私の一生が終わった時 思い出してほしい
あなたと私ふたりきり この歌をあなたに捧げたこと
◆ソング・フォー・ユー/A Song for You
■発表
1970年5月
■収録アルバム
レオン・ラッセル/Leon Russell
■作詞・作曲・歌
レオン・ラッセル/Leon Russell
■プロデュース
レオン・ラッセル、デニー・コーデル/Leon Russell, Denny Cordell
我が家は朝日新聞を購読しているのですが、昨日は朝刊の社会面を見てビックリしました。
あのレッド・ツェッペリンが一夜限りの再結成ライヴを行う、という記事が掲載されていたのです。
朝日に勤務している知人が、「これを掲載せずしてどうするか」とばかりに上層部とかけあって記事にしたそうなんですが、スポーツ紙の芸能面ならともかく、一般紙の社会面にロック・バンドの記事が載るなんて、ひと昔前までは考えられなかった快挙ですよね。
朝日新聞 レッド・ツェッペリン再結成コンサートの記事
などという感慨にひたりながら思い出したのが、少し前に、ろ~ずさんや、黒マニキュアのママさん、オンデン1970さんなどが紹介して下さっていた「わが青春のロック黄金狂時代」という本の存在です。いずれは買おうとは思っていたのですが、ツェッペリンの記事で勢いのついた昨日、さっそく買いに行ってまいりました。
この本は角川SSC新書から発行されています。173ページで756円。著者は東郷かおる子さん。10代~20代の頃に「ミュージック・ライフ(以下ML)」誌を愛読していたぼくにとっては、馴染みのある懐かしい名前です。そう、彼女は1979年から90年までML誌の編集長を務めていたんですね。
編集者としての始まりがロック黄金期の始まりと重なっていたという東郷さんが、ML誌編集部に配属されてから関わってきたさまざまなロック・ミュージシャンとの邂逅を編年体方式で綴っています。
出てくるのは、グランド・ファンク・レイルロード、レッド・ツェッペリン、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、サンタナ、エリック・クラプトン、クイーン、レインボウ、キッス、チープ・トリック、ロッド・スチュアート、エアロスミス、ヴァン・ヘイレン、デヴィッド・ボウイ、ジョン・レノン、マイケル・シェンカー、エリック・カルメン、ミック・ジャガー、ボン・ジョヴィなどなど、1970~80年代にロックにどっぷり浸かっていた人たちならばヨダレの出そうなミュージシャンばかりです。彼らのバック・ステージでのエピソードが存分に語られています。
東郷かおる子さん(左) 右はリッチー・ブラックモア
東郷さんが体当たりでインタビューしたこれらミュージシャンの数々ですが、一貫して言えるのは、東郷さん自身がロックに浸る喜びを知っていて、彼らに対しても根底には愛情と敬意を持っている、ということです。ミュージシャンたちに注ぐ眼差しも、ちょっとミーハーがかかっているところが微笑ましいですね。
しかし奇人変人の集まりとも言えるロック・ミュージシャンたちからは、その奇行で悩まされもします。でも、困りはしても批判がましい言葉は出てこなくて、それらをも含めてロックに関わっていられた喜びがにじみ出ていると思います。
ロックが生まれ育った60年代、それがさらに発展した70年代、熟成してゆく80年代、それらを東郷さんは「面白かった時代」、「そりゃあスリル満点だった」などと書いています。バラエティに富んだバンドの数々が雨後の筍のように出現していた当時は、まさに目が離せなかった時代だったのでしょうね。そして、「今、人生の折り返し点に立ち、あの時代を素直に『面白かった、楽しかった』と笑顔で言える、かつてのロック少年は多分、幸せな人だ」とも述べています。東郷さんと同じく60~80年代(後追いではありますが)のロックに馴染んだぼくにとっては、おおいに頷ける言葉です。
難しい音楽論とは対極にある、楽しい本です。まるで以前のML誌の囲み記事が満載、といった風情で、1時間ほどで気軽に読み終えることができますよ。
◆わが青春のロック黄金狂時代
ビートルズからボン・ジョヴイまで
■著者
東郷かおる子
■発行所
角川SSコミュニケーションズ (角川SSC新書)
■第1刷発行
2007年10月30日
オリヴィア・ニュートン・ジョンと
リンダ・ロンシュタットが
なにかにつけ比べられていた時期がありました。
オリヴィア派とリンダ派に分かれていたような感じでしたね。
ぼくは、清楚な美人タイプのオリヴィアが好きでした。
だって、カワイイんですもん。
歌だってカワイかったですよ。
ところが、ちょっと小悪魔タイプのリンダも好きでした。
だって、カワイイんですもん。
ぼくって、どちらもいける口だったんですね。(笑)
リンダは、もともとは
カントリー&ウエスタン色の強い歌を歌っていたようです。
あのイーグルスを
バック・バンドに従えていた時期もありました。
ローリング・ストーンズやバディ・ホリーなどの曲をカヴァーして、
ロックしている曲もあります。
80年代以降は、
素敵なジャズのスタンダード集を出しています。
カントリーからジャズまで、
あるいはバラードからロックンロールまで幅広く歌え、
しかもそれぞれが「リンダの歌」なんです。
そして彼女の歌声には「熱い何か」が宿ってる。
ぼくがよく聴くのは
「グレイテスト・ヒッツ Vol.1&Vol.2」です。
「Vol.1」の中では
「悪いあなた」(You're No Good)、
「ひとすじの涙」(Tracks Of My Tears)などがとくに好きです。
あの「デスペラード」も聴くことができます。
「Vol.2」の中では
「イッツ・ソー・イージー」(It's So Easy)、
「ダイスをころがせ」(Tumbling Dice)、
「ウー・ベイビー・ベイビー」(Ooh Baby Baby)
などが好きなんです。
イーグルスのグレン・フライとか、
いっときはミック・ジャガーなどとも
噂になったんじゃないかな。
とにかく恋に積極的な、奔放なイメージがあったりします。
そういうところも彼女の魅力なんですよね。
ぼくには、
リンダの黒髪、パッチリした目、そしてあのタヌキ顔が
とっても愛らしく見えたりするんですね。
リンダ・ロンシュタット『イッツ・ソー・イージー』
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体の中にじんわり染み渡ってゆくようなジャズも好きですが、思わず体を揺さぶられるような、ハードなジャズもまたいいものです。
この「マイルス・イン・ベルリン」には、1964年9月25日にベルリン・フィルハーモニック・ホールで行われたベルリン・ジャズ祭におけるマイルス・デイヴィス・クィンテットの演奏が収録されています。
ジャケットに写っている銜え煙草のマイルス、これがなんともカッコいいんです。
このアルバムからサックスがジョージ・コールマンからウェイン・ショーターに替わり、マイルスのバンドは「黄金のクィンテット」と呼ばれるようになります。
モーダルなジャズの完成を目指すマイルスには、ウェイン・ショーターの存在が必要だったのでしょうね。
ぼくはつねづね「メンバーの人選も音楽性のうち」だと思っているのですが、このクィンテットも、マイルスがいつも言っていた「常に新しい方法で表現しろ」という言葉を具現化できるメンバーが集まっています。
そして、これだけのメンバーを束ねることのできるマイルスの求心力も非常に強いということが言えると思います。
1曲目の「マイルストーンズ」からいきなりトップ・ギア。
なんといってもトニー・ウィリアムスのシンバル・ワークです。このエネルギーに導かれるように、緊張感のみなぎるパフォーマンスが繰り広げられています。
2曲目は「枯葉」。原曲の雰囲気を残しつつ、非常に自由に、そしてクールな雰囲気で曲を再構築しています。断片的にメロディは出てきますが、ちょっと聴いただけでは「枯葉」だとは分からないかもしれません。しかしぼくはこういうモーダルな処理も好きだし、面白いと思います。
3曲目「ソー・ホワット」、4曲目「ウォーキン」と、モーダルでスピード感たっぷりな曲が続きます。言うことなしの快演です。
嵐のような聴衆の拍手が演奏の素晴らしさを表しています。
この頃のマイルスは積極的に音を出していて、このアルバムでも火花が散るようなソロを繰り広げていますが、その演奏はどこまでもクール。
ウェインの演奏はマイルスの期待に充分応えられるものだと言っていいでしょう。どこか初々しいプレイですが、とても饒舌にソロを展開しています。
ハービーのピアノも、彼ならではのボイシングと自由な発想がとても面白く、ある意味バンドのサウンドを導いているようでもあります。同じベクトルを共有しているウェインとは、お互いに触発し合っているようにも聴こえますね。
ロンのベースとトニーのドラムスとはまさに一体。ふたりで発する強力なグルーブの塊は、バンドを勢いづけ、鼓舞し、サウンドを演出しています。
ぼくがこのアルバムを聴いて一番耳につくのはトニー・ウィリアムスのドラムでしょうか。
トニーは当時なんと弱冠18歳。
18歳にしてすでにこれだけの存在感があるんですねぇ。なんて切れ味の鋭いビートを生み出しているのでしょう。そのうえ周りのちょっとした雰囲気の変化にすぐ反応、変幻自在のリズムを叩き出しています。
この5人が織り成すインプロヴィゼーションは、完璧と言っていいほど全員がひとつにまとまって疾走しています。
まさに「黄金のクィンテット」と呼ばれるにふさわしい演奏です。
そしてマイルスだからこそ、このバンドのリーダーが務まったのでしょうね。
今日の午後はこのアルバムを少し音量をあげて聴いていました。天気のよい冬の一日を気持ち良く過ごすことができました。
◆マイルス・イン・ベルリン/Miles In Berlin
■演奏
マイルス・デイヴィス・クインテット/Miles Davis Quintet
■リリース
1965年2月1日(ドイツ)
■録音
1964年9月25日、ベルリン・フィルハーモニック・ホール
■レーベル
CBS
■プロデュース
ルディ・ウォルパート/Rudy Wolpert
■収録曲
[side A]
① マイルストーンズ/Milestones (Miles Davis)
② 枯葉/Autumn Leaves (Joseph Kosma, Jacques Prévert, Johnny Mercer)
[side B]
③ ソー・ホワット/So What (Miles Davis)
④ ウォーキン/Walkin' (Richard H. Carpenter)
⑤ テーマ/Theme (Miles Davis)
■録音メンバー
マイルス・デイヴィス/Miles Davis (trumpet)
ウェイン・ショーター/Wayne Shorter (tenor-sax)
ハービー・ハンコック/Herbie Hancock (piano)
ロン・カーター/Ron Carter (bass)
トニー・ウィリアムス/Tony Williams (drums)
1970年代の日本ロック界を代表するバンドのひとつ、四人囃子のセカンド・アルバムが「ゴールデン・ピクニックス」です。ファースト・アルバムの「一触即発」と並ぶ四人囃子の傑作にして、70年代J-ロックの名作アルバムでもあります。
プログレッシヴ・ロックの持つ非日常的な雰囲気を保ちながらも、ジャズ・ロック、あるいはクロスオーヴァーといった趣きのあるサウンドがより前面に出てきています。
また、シュールな歌詞も健在で、独特の四人囃子の世界が広がっています。
「一触即発」と比べると、こちらの方が全体的に明るめに仕上がっている感じがします。
①「フライング」…ビートルズのカヴァーです。この曲はビートルズ唯一のインストゥルメンタルです。四人囃子は、オリジナルよりさらにゆったりと演奏し、よりサイケデリックな雰囲気を醸し出しています。
②「カーニヴァルがやってくるぞ(パリ野郎ジャマイカへ飛ぶ)」…底抜けに明るいアップテンポのロックンロールです。ハードなサウンドですが、ユーモラスな空気が形作られているのが楽しい。
③「なすのちゃわんやき」…軽やかでひょうひょうとしていて、これもユーモラスな雰囲気を湛えています。しかしサウンドはスピード感あふれる変拍子とハイ・テクニックの渦で、それらが聴き手に突き刺さってくるようです。
④「空と海の間」…軽快なポップ・ロックといった風情で始まるこの曲は、非常にゆったりとしたギター・ソロへと移行してゆきます。このあたりはタイトルをも含めてウェスト・コースト・サウンドを想起させるものがあります。しかし、後半のハードなギターのアプローチを聴いていると、まるでハード・ロックを思い起こさせます。
⑤「泳ぐなネッシー」…ユニークなタイトルの曲が多い四人囃子の作品ですが、このタイトルもユーモラス。サウンドからはジャズ・ロックのニュアンスも感じ取ることができます。
ゆるやかなフォーク・バラード風のテーマで始まる曲は、幻想的なサックス・ソロ→シンセサイザーとギターの無機質なソロ→サウンド・エフェクトを交えたシュールなパート→3拍子のサックス・ソロ→牧歌的なコーラス・パート→テーマ→ギターとサックスのソロ・バトル、というように場面転換が豊富です。16分55秒にも及ぶ大曲で、ピンク・フロイド的な夢幻サウンドが繰り広げられています。
⑥「レディ・ヴァイオレッタ」…ギタリスト、あるいはコンポーザーとしての森園勝敏が本領を発揮した、メロウなギター・インストゥルメンタル・サウンド。当時勃興期にあったフュージョン・テイストにあふれた名曲です。一時、FM大阪の某音楽番組のオープニングに起用されていました。
プログレッシヴなサウンドを持ちながら、リラックス感があり、メロディーの良さが際立っているからか、難解感は少ないです。
テクニカルなフレーズや変拍子を駆使するところなど、イエスやキング・クリムゾンなどの影響も見られる四人囃子サウンドですが、プログレとはいっても、英国の暗い空ではなく、遊び心たっぷりの、明るくて楽しい空気感が特徴です。もっとも彼らは、「自分たちはプログレを意識してサウンドを作っているわけではない」という意味の発言をしていますが。
いずれにせよ彼らは、時代を超えて新鮮に響く、世界に通用するサウンドを発しているのではないでしょうか。
森園勝敏
この頃の四人囃子の面々はまだ20歳そこそこでした。その年齢でこれだけのサウンドを作り出すのは、この当時ならずとも驚異的なことだと思います。フォークやハード・ロックが主流だった当時のJ-POP界の中では、四人囃子の存在は異彩を放っていたのも分かるような気がします。
一時は解散していた四人囃子ですが、最近では再結成して活発に活動しているようです。
なお、アルバム・タイトルの「ゴールデン・ピクニックス」とは、レコーディングの最中に、彼らが食べたアイスクリームの名だということです。
◆ゴールデン・ピクニックス/Golden Picnics
■歌・演奏
四人囃子
■アルバム・リリース
1976年4月21日
■プロデュース
磯田秀人
■収録曲
[side-A]
① フライング/Flying (Lennon, McCartney, Harrison & Starkey)
② カーニバルがやってくるぞ(パリ野郎ジャマイカへ飛ぶ)/Carnival (茂木由多加, L. フェレ)
③ なすのちゃわんやき/Continental Laid-Back-Breakers (中村真一)
④ 空と海の間/Kool Sailer & Fools (末松康生、森園勝敏)
[side-B]
⑤ 泳ぐなネッシー/Bird's & Nessy's (末松康生、坂下秀実)
⑥ レディー・ヴァイオレッタ/A Song For Lady Violetta (森園勝敏)
■録音メンバー
[四人囃子]
森園勝敏(vocal, guitar, synthesizer)
佐久間正英(bass, recorder, synthesizer)
坂下秀実(piano, organ, clavinet, melotron, synthesizer)
岡井大二(drums, percussion, synthesizer)
[ゲスト・ミュージシャン]
ジョン山崎(piano, organ④)
中村 哲(sax⑤)
浜口茂外也(flute①, flute, percussion⑥)
トシ(percussion⑤)
最近では車のCMとか、携帯電話のCMに使われていた「ダンシング・シスター」。
この曲、1979年(日本では1980年)のヒット・チャートを席捲し、一時は「ノーランズ旋風」と言ってもいいくらいの人気があったように記憶しています。
レコード棚をかき回してみたら、あったあった、「ダンシング・シスター」のシングル・レコードが出てきました。
改めてノーランズについてちょっと調べてみました。
彼女らはイギリスの姉妹グループで、本国では1972年にデビューしています。この時は、両親とその息子たちも含めてファミリーによる10人編成で、「ザ・シンギング・ノーランズ」と名乗っていたようです。
日本では、「ダンシング・シスター」で、80年7月にデビュー。この時は、アン、リンダ、モーリーン、バーナデット、コリーンの5人組でした。のちアンが抜けて、4人組として活動を続けました。
一番注目を集めていたのは、末っ子でブルネットのコリーン。キュートでヤンチャな感じが人気を集めたのでしょう。ぼくは、コリーンがメイン・ボーカルだとばっかり思い込んでいました。実はメイン・ボーカルは、金髪に青い目のバーナデット(バーニー)だったんですね。
その後は、「セクシー・ミュージック」が大ヒットしたりしましたが、次第に人気も下降線をたどるようになります。しかし、1990年にアイドル・グループ「WINK」(これまた懐かしい!)が「セクシー・ミュージック」をカバーしたのがきっかけになり、再びノーランズが注目されるようになりました。
一昨年ノーランズは、山口百恵さんのカバー楽曲集を発売しています。これは先だってCDショップで見かけました。
ノーランズ、今も本国では、それぞれに芸能活動を続けているようです。メイン・ボーカルのバーニーは、ソロ・シンガーとしての活動に加え、俳優としてもがんばっているんだそうです。
さて、「ダンシング・シスター」です。
とってもポップで、ハツラツとしている曲です。
バーニーの明るい歌声がとっても印象的。
健康的かつキュートな雰囲気に満ちていて、思わずメロディを口ずさんでしまいたくなります。
聴いていると、理屈抜きで体を動かしたくなるような、そんなハッピーな気分になること請け合いですよ!
日本語バージョンで歌ったもあるみたいですね。
[歌 詞]
[大 意]
踊りたい気分なの ロマンスの気分なの
今夜はすべてを投げ出して チャンスに賭けたい気分
踊ってる気分なの だからさあ 私を抱きしめて
踊ってる気分よ ベイビー 音楽にまかせて
踊ってる 最高よ ベイビー だからのって 体を動かして
踊りたい気分なの ロマンスの気分なの 今夜は止まらない わかるでしょう
チャンスに賭けたい気分なの
踊ってる気分なの 頭からつま先までも わたしをもう一度つかまえて
だれも終わりを知らないの だから 踊って さあ 踊って
踊ってる ビートを感じて ベイビー あなたがすることはそれだけでいいの
わたしは踊りをやめられないの だから足を動かして ベイビー
だってハニー わたし あなたのそばにいるのよ
◆ダンシング・シスター[I'm In The Mood For Dancing]
■シングル・リリース
イギリス1979年12月3日、日本1980年7月31日
■作詞作曲
ベン・フィンドン、マイク・マイヤーズ & ボブ・プージー/Ben Findon, Mike Myers & Bob Puzey
■プロデュース
ベン・フィンドン/Ben Findon
■歌
ノーランズ/Nolans
モーリーン・ノーラン/Maureen Nolan
アン・ノーラン/Anne Nolan
バーニー・ノーラン/Bernadette "Bernie" Nolan
コリーン・ノーラン/Coleen Nolan
リンダ・ノーラン/Linda Nolan
■収録アルバム
ノーラン・シスターズ/Nolan Sisters(1979年)
■チャート最高位
1980年週間チャート イギリス3位 日本(オリコン)1位(1980.11.17~11.24)
1980年年間チャート イギリス27位
ノーランズ『ダンシング・シスター』
バンドを組んだ時にみんな頭をヒネるのがバンド名。
それはそうですよね。自分が所属する愛着のあるバンドなんだから、少しでもカッコいいバンド名を付けたいと思うのが人情ってもんです。
いつも思うんですけれど、人気のあるバンドって、たいていそれなりにカッコいいバンド名を持ってますよね。いや、人気があるからバンド名もカッコよく感じられるのかもしれないな~
というワケで、いろんなバンドの名前の由来を調べてみました。
ABBA (アバ)
グループを結成した1972年当初は、メンバーの名前を並べただけの「ビヨルン,ベニー&アグネッタ,フリード」という名前でした。しかし呼びにくかったため、彼らのマネージャーが四人の頭文字を取って、「ABBA」と名付けました。(フリーダの正式名はアンニフリード)
AC/DC
家電製品などに書いてある「AC/DC」、これは「交流/直流」という意味です。メンバーであるアンガスとマルコムのヤング兄弟がいつも大音量で演奏していたため、彼らの母・マーガレットがその喧しさを掃除機に例えた、とか、アンガスとマルコムは母のミシンの上部に書かれた文字を見てバンド名をAC/DCにした、などという話があります。また、バンドのメンバーが電気掃除機に書いてあった注意書きを見て思いついた、という説もあるようです。
AEROSMITH (エアロスミス)
メンバーのジョーイ・クレイマー(drums)がハイスクール時代に考えていたバンドの名前のひとつが、「エアロスミス」という造語だったそうです。
BAD COMPANY (バッド・カンパニー)
意味は「悪友」。メンバーのポール・ロジャース(先ごろクィーンの新ヴォーカリストとして来日)のお気に入りのカントリー・ソングにちなんだもの。ドイツのフランクフルトのクラブにたまたま貼られていた西部劇映画のポスターからヒントを得た、という説もあります。
BANGLES (バングルス)
最初のバンド名はスーパーソニック・バングス。後にバングスと改名しましたが、ニュージャージー州に同名のバンドが存在していたため、バングルスという名前に落ち着きました。バングルとはアクセサリーの腕輪のことです。
BAY CITY ROLLERS (ベイ・シティ・ローラーズ)
バンド名がなかなか決まらず、最後には、地図に適当にダーツを投げて命中した町の名前をバンド名としよう、ということになり、投げたダーツは「ベイ・シティ」に刺さった、ということです。
BEATLES (ビートルズ)
当時彼らが心酔していた「バディ・ホリー&クリケッツ(こおろぎ)」にちなみ、同じく昆虫の名前を付けようと考えました。そこでBEETLE(かぶと虫)と音楽の「BEAT」をかけて「BEATLES」とした、ということです。
BEE GEES (ビー・ジーズ)
最初のグループ名はラトルスネークス(Rattlesnakes)、その後、ウィー・ジョニー・へインズ&ザ・ブルーキャッツ(Wee Johnny Hayes & the Bluecats) に改名します。そしてバンドはビル・グード(Bill Goode)という人物によってラジオのDJ、ビル・ゲイツ(Bill Gates)に紹介されます。ゲイツは自分とグードのイニシャルから彼らをBee Geesと名付けました。
BLACK SABBATH (ブラック・サバス)
意味は「黒い安息日(Black Sabbath)」。この場合の「安息日」はユダヤ教のもので、土曜日にあたります。1964年公開の同名ホラー映画から付けられました。映画を観ようとする人の長い列を見たベーシストのギーザー・バトラーによって命名されたということです。バンドはデビュー・アルバム「黒い安息日」(Black Sabbath)を1970年2月13日の金曜日にリリース、ヨーロッパに残っている暗黒信仰・魔女崇拝のイメージを真正面から掲げてすぐに人気バンドにのし上がりました。
BLOOD SWEAT & TEARS (ブラッド・スウェット & ティアーズ)
ブラッド・スウェット & ティアーズは、1960年代後半から1970年代にかけて一世を風靡したブラス・ロック・バンドです。「血と汗と涙」というこのユニークで熱いバンド名は、ジョニー・キャッシュの曲名をそのまま付けたものですが、そのジョニー・キャッシュの曲は、第二次世界大戦中の1940年5月13日にイギリスの首相ウィンストン・チャーチルが下院で行なった演説『今の私に提供できるのは、自らの血、労苦、涙、そして汗以外には何もない』から引用したものです。当時のイギリス軍はヨーロッパ戦線において非常に不利な状況に陥っていました。
BON JOVI (ボン・ジョヴィ)
ボン・ジョヴィのリーダーは、ボーカリストのジョン・ボン・ジョヴィ。もともとは、ジョンを売り出すために作ったバック・バンドがボン・ジョヴィでしたが、ジョンの希望でバンドとしてデビューしました。ジョンの本名は「ジョン・フランシス・ボンジィオビ・ジュニア(John Francis Bongiovi Jr.)」ですが、発音が容易で、表記も見やすいことから芸名とバンド名を「Bon Jovi」にしました。
CHICAGO (シカゴ)
もともとは「ビッグ・シング」という名でしたが、プロデューサーのジェイムズ・ウィリアム・ガルシオと出会い、彼の発案でバンド名を「シカゴ・トランジット・オーソリティ(Chicago Transit Authority=シカゴ交通局)」に変えました。ところがファースト・アルバム発表後に当のシカゴ交通局からクレームがついたため、「シカゴ」に改名しました。
ちなみにアメリカの地名「シカゴ」の由来は、先住民アルゴンキンの言葉で「野生のニンニク(またはタマネギ)のある場所」という意味の「Chicagou'」である、という説が有力だそうです。
CREAM (クリーム)
「最上級のもの」という意味だそうです。バンド結成当時、すでにメンバーそれぞれが凄腕ミュージシャンとして知られており、英国の音楽業界では選りすぐり(Cream of Crop)と見なされていたことに由来します。スーパー・グループにふさわしいバンド名ですね。
DEEP PURPLE (ディープ・パープル)
リッチー・ブラックモアの祖母が好んでいたビング・クロスビーの同名の曲(作曲はピーター・デローズ)から名付けられたと言われています。
DEF LEPPARD (デフ・レパード)
最初は、メンバーのジョー・エリオットのアイデアで「DEAF LEOPARD(耳の聞こえない豹)」と名乗りましたが、名前のイメージからパンク・バンドと取られかねないので、スペルを「DEF LEPPARD」と変えました。スペルはレッド・ツェッペリンを意識したものだそうです。
DOOBIE BROTHERS (ドゥービー・ブラザーズ)
彼らがまだ売れない頃、仕事もなくマリファナを回しのみしていた時に、誰かが言った「俺たちはまるでドゥービー・ブラザーズだな」のセリフがそのままバンド名となりました。「ドゥービー」とは、カリフォルニアでドープと呼ばれるマリファナのことだそうです。
DOORS (ドアーズ)
小説家で思想家のオルダス・ハックスリーは、幻覚剤によるサイケデリック体験をまとめた「The Doors of Perception(知覚の扉)」を出版しました。このタイトルは、ウィリアム・ブレークの詩「忘れがたい幻想」の一節から取ったものですが、「Doors」というバンド名は、この「知覚の扉」というタイトルにインスパイアされたものです。
EAGLES (イーグルス)
ネイティヴ・アメリカンの神話を元に名づけられました。思いついたのは、バンドの創設メンバーのひとりであるバーニー・レドン。「鷲(Eagle)は鳥の中で最も霊性が豊か。そして他のどんな鳥よりも高く飛ぶことができる」というのがその理由だということです。
FACES (フェイセズ)
前身はスモール・フェイセズ(Small Faces)。結成当初のメンバー四人のうち、スティーヴ・マリオット、ロニー・レーン、ケニー・ジョーンズの三人が小柄(5フィート6インチ以下だったという説がある)であることから「Small」、それに「ロック・シーンの顔役」という意味をこめた「Face」という単語を付け加えたようです。のちにマリオットが脱退し、ロッド・スチュワートとロン・ウッドが加入して、「Small」の単語が取れました。
FOREIGNER (フォリナー)
イギリス人とアメリカ人が混在するという、当時では珍しいメンバー構成で、そうしたことから「フォリナー(=外国人)」と名付けられました。
GRAND FUNK RAILROAD (グランド・ファンク・レイルロード)
アメリカの鉄道会社「Grand Trunk Western Railroad」をもじって名付けられました。
GRATEFUL DEAD (グレイトフル・デッド)
このバンド名の意味は「安楽死」だ、とよく言われていますが、それは間違いで、正しくは「感謝する死者」という意味です。「負債を抱えたまま死んだため埋葬されない死者のためにお金を出してやった旅人が、それからはその死者から幸運をもたらされた」という民話に基づいているそうです。
KING CRIMSON (キング・クリムゾン)
バンド加入以前にイアン・マクドナルドとピート・シンフィールドが共作した楽曲「クリムゾン・キングの宮殿」からとったもの。ピート・シンフィールドがメンバーの反対を押し切って付けたということです。
KISS (キッス)
ジーン・シモンズとポール・スタンレーは「ウィキッド・レスター(Wicked Lester)」というロック・バンドに在籍していましたが、より個性的なサウンドを目指して脱退しました。新バンドのドラマーを探すうちに出会ったのが、ピーター・クリスです。クリスがかつて在籍していたバンド「リップス」にインスパイアされたスタンレーの発案によって、1973年にバンド名を「キッス」としました。ちなみにシモンズのほうは、より強いインパクトを求めて「Fuck」というバンド名を考えていたそうです。
LED ZEPPELIN (レッド・ツェッペリン)
ジェフ・ベックのソロ・シングルの録音のためジェフとジミー・ペイジ(ギター)、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、キース・ムーン(ドラムス、ザ・フー)の5人によるセッションが1966年に行われました。このセッションは大成功で、5人中4人はパーマネントなバンドとしての活動を希望しましたが、ジョーンズが乗り気でなかったことと、シンガーが見つからなかったことが理由で、その計画は無に帰しました。その時のムーンの発言「もしも俺たちが今いるバンドを辞めたら、きっと向こうは鉛の風船みたいに急降下だろうぜ、いや、鉛の飛行船(lead zeppelin)かな?」が、レッド・ツェッペリンのバンド名の由来です。ツェッペリン号とは、有名な飛行船の名前であることはよく知られていますね。
LITTLE FEAT (リトル・フィート)
メンバーのローウェル・ジョージ(g)の足が異様に小さかったからという説、「FEAT」には「業績」の意があることから、ささやかでよいから足跡を残せるバンドになろうという意気込みを込めたという説、「BEETLE」を「BEATLE」ともじったのを真似たという説などがあります。
LYNYRD SKYNYRD (レーナード・スキナード)
バンドのメンバーが通っていたハイスクールの体育教師「レオナルド・スキナー(Leonard Skinner)」の名をもじってバンド名としました。当時のメンバーたちは頭髪に関する規則を厳しく守らせることで知られていたスキナー先生に相当悩まされていたようです。のちに人気バンドになった彼らはスキナー先生を懐かしんで、自分たちのコンサートへ招待しています。
MOODY BLUES (ムーディー・ブルース)
前身のバンド名「M&Bファイヴ」に由来しています。さらにM&Bの由来はというと、彼らが愛飲していたビールの銘柄(Mitchel&Butler)の頭文字だということです。
MR. BIG (ミスター・ビッグ)
1968年から73年にかけて活躍したロック・グループ「FREE」の代表曲のタイトルをバンド名にしました。言葉の響きも良いし、曲もカッコいい、というのが理由のようです。
NIRVANA (ニルヴァーナ)
仏教用語で「涅槃」のことです。「涅槃」とは、「自我を久遠の仏性に没入した至福の状態」という意味だそうです。カート・コバーン(vocal, guitar)によると、「詩的で美しく、響きの良いバンド名にしたかった」とのこと。「Nirvana」という言葉の持つ意味に深い理由があったわけではないそうです。
PINK FLOYD (ピンク・フロイド)
オリジナル・メンバーのシド・バレットが好きだった「ピンク・アンダーソン」と「フロイド・カウンシル」というふたりのブルース・シンガーの名前を取りました。もともとはブルースに根ざしたバンドですからね。
POLICE (ポリス)
意味よりもできるだけインパクトのある名前を、ということでバンド名を「POLICE」にしました。スチュアート・コープランド(drums)によると、世界じゅうどこの国でも宣伝になるから、というのがその理由だそうです。
PROCOL HARUM (プロコル・ハルム)
「青い影」の大ヒットで永遠に名の残るグループです。このユニークなバンド名は、メンバーのキース・リード(作詞)の友人が飼っていたシャム猫の名前から取ったということです。
QUEEN (クイーン)
フレディ・マーキュリーのアイデア。「女王陛下の国のバンドであり、エリザベス女王に敬意を込めて」、そのうえ「目立つ、優雅で上品、響きも良い単語」というのがその理由だそうです。
ただし「クイーン」は「女装する男性、ゲイ」の隠語でもあり、それを知っていた他のメンバーが猛反対したそうですが、結局フレディが押し切ってしまいました。
R.E.O. SPEEDWAGON (R.E.O.スピードワゴン)
メンバーのニール・ドーティーが、輸送史の本の中から見つけた「R.E.O.スピードワゴン・トラック・カンパニー」という社名をバンド名にしました。R.E.O.とは、同社の創業者、ロンソン・E・オールズの略。
ROLLING STONES (ローリング・ストーンズ)
ブルースなどの黒人音楽に心酔していた彼らは、偉大なブルース・シンガー、マディ・ウォーターズの代表曲のタイトルをバンド名にしました。一説によると、バンド名を尋ねられたブライアン・ジョーンズが、ちょうどその部屋(楽屋、とも言われている)の床にあったマディ・ウォーターズのレコードに収められていた「Rollin' Stone」をバンド名にしたといいます。
TEN YEARS AFTER (テン・イヤーズ・アフター)
「このバンドが10年後も続いていますように」という願いがバンド名の由来です。デビュー9年目の1974年に解散しましたが、1988年に再結成してからの活動歴は30年以上になります。
THIN LIZZY (シン・リジィ)
結成当初のバンド名は「Orphanage(孤児院)」。ジョン・メイオール・ブルース・ブレイカーズのアルバム「Blues Breakers John Mayall with Eric Clapton」のジャケットに写っているエリック・クラプトンは、雑誌「Beano」を読んでいますが、これに興味を持ったメンバーが「Beano」を買って読んでみると、掲載されていた漫画のキャラクターに「Tin-Lizzie(ブリキのエリザベス)」という名のロボットがいました。この名が気に入ったメンバーたちは、綴りをアイルランド人が発音しやすいように変えて「シン・リジィ (Thin Lizzy)」とし、これをバンド名としました。
THREE DOG NIGHT (スリー・ドッグ・ナイト)
オーストラリアの原住民の「三匹の犬といっしょに眠れば寒さを感じないですむ」ということわざから取ったそうです。
もともとは「Five Dogs Night」が正しい表現のようです。開拓のためオーストラリアに来た白人が、あまりにも寒いため毛布がわりに犬を抱いて眠ったことに由来しているんだそうです。
T. REX (T.レックス)
デビュー当初はティラノザウルス・レックス(Tyrannosaurus Rex)と名乗っていました。その後、1970年に新メンバーを迎え、エレクトリック・ギターを導入しますが、この年12月にT.Rexとバンド名を短縮しました。
TOTO (トト)
来日した時、トイレに入るたびに「TOTO」の文字を目にしたのちのメンバーのひとりが、「日本で最もよく使われる単語だ」と思ってそのままバンド名とした、という話が広まったこともあったようですが、これは全くのデタラメ。(デタラメというより、彼ら流のジョークだった)
また、メンバーのボビー・キンボール(vo)の本名、ロバート・トトーズ(Toteaux)を簡略化したという説(本名は「Toteaux」ではなく、「Robert Troy Kimball」。これもメンバーによるジョークらしい。)や、「オズの魔法使い」に出てくる犬の呼び名をバンド名にしたという説もありますが、ラテン語の「toto」には「全て」とか「網羅的な」という意味があり、どんなジャンルにも対応できるバンドの幅広い音楽性に合うから、というのが本当のところだそうです。
U2 (U2)
バンド名の由来については、「アメリカの偵察機 U-2」「ドイツの潜水艦 UボートⅡ型」「『You too』という言葉(ファンもわれわれバンドの一員である、という意味)」など、いろいろな説があります。 メンバー自身によると、「バンド名を決める際にあげたいくつかの候補のうちで一番マシなものを選んだだけで、特に意味はない」とのことで、むしろ「『U2』という無意味な言葉をどう解釈するのか、という自由こそが魅力だ」」と語っています。彼らは「フィードバック(Feedback)」、「ハイプ(Hype)」というバンド名を経て、1978年から「U2」と名乗っています。
ちなみにU2のメンバーが通っていたマウント・テンプル高校のアート・ディレクター、スティーブ・アヴァリルが考えたバンド名のひとつが「U2」。「Yoo Too」とせず、「U2」としたのは、「強く印象に残り、覚えてもらいやすい」から。
またベースのアダム・クレイトンによると、地元バンド「ラジエーターズ」のスティーブ・ラビット(vocal)に「U2なんてどうだい」と勧められたことがあるそうです。
URIAH HEEP (ユーライア・ヒープ)
一時はディープ・パープルらと肩を並べるほどの人気を誇ったハード・ロック・バンドです。このバンド名もなかなかユニークですね。「ユーライア・ヒープ」とは、ディケンズの小説「デヴィッド・コパーフィールド」の中に出てくる人物の名です。これをバンド名にしようと提案したのは、ブロンズ・レコードの社長兼ユーライア・ヒープのマネージャーだったジェリー・ブロンでした。当時はちょうどディケンズの没後100周年で、イギリス国内がディケンズ・ブームに沸いていたことから、バンド名をディケンズにまつわるものにしたということです。
WHO (フー)
「The Detours」を名乗っていた時期がありましたが、1962年2月にテレビ番組で同名のバンドがあることを知り、改名しようとします。その時、メンバーのピート・タウンゼント(g)の友人が「The Who」を提案、ロジャー・ダルトリー(vo)の「“The Who”に決まりだろ?」の一声で決定しました。その後フォンタナ・レコードと契約した時に、当時のマネージャーであるピーター・ミーデンによってモッズ族として売り出されることになり、バンド名もHigh Numbers(「ナンバー」は「ストリートにたむろする者」という意味の、モッズのスラング。「ハイ」はナンバーズが常にドラッグでハイになっていたことにちなむもの)に改めましたが、1964年にマネージャーがキット・ランバートに代わると、バンドは再び“The Who”と改名して再デビューしました。
YES (イエス)
結成当時、長いバンド名を付けることが一部で流行っていました。イエスの前身も「メイベル・グリアーズ・トイショップ」という長いバンド名を持っていたのですが、今度は短くて印象に残る名前にしよう、ということから、バンドの初代ギタリストであるピーター・バンクスの案で「YES」となりました。バンクスは漫画の中にあった「YES」というセリフをヒントにしたんだそうです。
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そういえば海音(カノン)さんからもバトンを頂いておりました~
今日はバトン・デーにしよう(^^)
【ルール】
1 必ずバトンを回す3人の大切な方々に題名に書いて驚かせてください。
2 回ってきた質問には等身大の自分に答えましょう!(笑)
3 やらない子はお仕置きです。
4 ルールは必ず掲載して下さい。
5 紹介する人がいないときは無理やりコメントいれて「やれっ!」と、友達の輪を広げましょう!(笑)
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☆ お名前は?
MINAGIです。
★ おいくつですか?
19**年9月14日生まれです~
年齢は非公開ということで。若くはないです(寂)
☆ ご職業は?
地方在住の兼業音楽人です。
昼はカタい仕事に就いてます。
カタいといっても鉄鋼関係や石材関係じゃないよ~(^^)
夜は楽器を弾いて稼いでます。
★ 資格はもってる?
普通自動車免許、書道初段、なぜかフォークリフト運転士
☆ 悩みはありますか?
中年太り(T-T) でもまだ身長マイナス体重は100以上ありますよ。
★ あなたの性格を一言で言うと?
几帳面と大雑把が同居してます。
ちょっと神経質かな。群れるのがイヤ。
☆ 誰かに似てると言われた事はある?
今は言われないですね~
もっと若い頃は村野武範さんとか、甲斐よしひろさんとか。
でも当たってないと思います。
★ 動物占いの動物は?
動物占い、やったことないんです。。。
☆ 好きな食べ物
とくに、と言われると、う~ん、何かあったかな~
新鮮なお刺身とか、焼肉。ケーキも意外と好き。
基本的に、ご飯に合うものならなんでも好きです。
★ 好きな飲み物
ホット・コーヒー。でもアイス・コーヒーは飲みません。
☆ 嫌いな飲み物
アルコール類が苦手です。とくに日本酒がダメ。
★ 嫌いな食べ物
うーん、ネギと納豆かな。でも食べることはできま~す。
☆ 今までの経歴で面白い事や自慢できる事は?
車の免許を二度取りました(恥)。若気の至り、ってやつです~
★ この為なら一食抜ける!
朝はほとんど食べません。自然に一食抜いてるな。(汗)
☆ 趣味・特技
古本屋あさり、CDショップあさり。
阪神タイガース、スキー、テニス。
楽器と戯れること、コーヒーを飲みながら音楽を聴くこと。
以前は料理とかも好きでしたね。
★ 好きなブランドはある?
とくにありません。
身の回りのブランド品も、貰い物のルイ・ヴィトンの財布があるだけ。
☆ 恋人はいる?
フフフ♪
★ 人の話に耳を傾ける?
人と会話する上での前提ですよね。
☆ 将来の夢を語ってください
身近なところでは家のローンの完済かな。
あとはライヴハウスの経営。
★ その為に何かしてることはある?
地道に稼いでま~す。
☆ ペットは何を飼っている?
ハムスター一匹と金魚二匹です。
★ 今、行きたいところは?
シカゴでブルーズを聴いて、ニューヨークでジャズを聴きたいな。
またはシルクロードを西へ西へ旅してみたい。
国内ならば、気の向くままの、風まかせの放浪の旅ですね。九州か北海道。
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☆バトンを回す人
どなたでもご自由にお持ちになってくださいませ~
★バトンを回してくれた人の紹介
新婚♡の海音さん。スクーバダイビングが大好きな方です。
美容関係にも詳しいみたいですね。
ブログを読ませて頂いて思うことなんですが、
とても真面目に、そして正直に生きてる女性だという気がしています~。
こんなところでしょうか。
こういうことなどを考えながら答えてみるのも結構楽しいもんですね。
海音さん、どうもありがとう~(^^)/
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最近交流して下さる禰爾(ねじ)さんがバトンを回して下さいました。
こういうことで自分のアピールをすることは必ずしもキライではないので、
たまにバトンがくると結構真剣に考えてしまいます。
これにはタイトルがついてないのですが、何バトンになるんだろう?
「色バトン」かな。
さて、ちょっとやってみましょうか。
◇最近起きた喜怒哀楽をひとつずつ教えて♪
喜→1年間無事故無違反を達成できたので、
免許証の点が全て戻ってきました。
怒→最近あんまり怒ってないのです。。。
あ、そういえば昨日のお題の「ベスト・アルバム」じゃないけど、
先日、とあるベスト・アルバムを買ったら、
収録されてしかるべき定番曲が入ってなくて、
後からフツフツと怒りが沸いてきました・・・。
哀→ガソリン代が猛烈に値上がりしてること、かな。
「怒」と「哀」の内容を入れ替えてもいいみたいですね。
楽→もうすぐボーナスなのです。
貰うまでが楽しいな~ 貰ったらすぐに消えるんですけどね。
◇最近の好きな食べ物
「リスカ」というメーカーの「しっとりしみチョコ」。
◇最近の好きな音楽又は着信音は?
着信音はいたってノーマルにしています。
着メロにはまったく興味がないのです~
◇最近の口癖教えて
考えてみたら今は口癖ってないですね。
いや待てよ、「ありがとう」を口癖にするように気をつけてるな。
流行語に乗っかるのは年齢的にイタイような気がしてるので、
ほとんど使いません。
20代くらいまでの人が使っているのはカワイイけどね。
◇最近出掛けた場所は?
本屋さん。CD屋さん。病院。
◇好きな色は?
青、でしょうか。
色そのものより、組み合わせが好きな色と色はありますね。
それは何か?
もちろん黄と黒の組み合わせです。タイガース万歳!
◇嫌いな色は?
嫌いな色はとくにないですね。
特定の色というより、組み合わせがチグハグだと違和感を覚えます。
◇携帯の色は何色?
パールホワイト。
◇回してくれた人の心の色は?
やはり黄と黒のタテジマであってほしい!(^^)
◇次の色に合う人にバトンを回してください。
橙→
緑→
青→
黒→
紫→
以上です~
どうぞどなたでもご自由にお持ちくださいませ。(^^)
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