♪佐賀北高・副島選手の劇的な逆転満塁本塁打。
今日は夏の高校野球の決勝戦。広陵高と佐賀北高の一戦でした。下馬評では試合巧者で勝負強い広陵高のほうにやや分があるようでしたが、甲子園で一戦勝ち上がるごとにたくましく成長していった佐賀北高の勢いも捨てがたいものがありました。
近県の広陵にも勝ってほしいし、県立高の星・佐賀北にも負けないでほしい。どちらも応援したい気持ちでテレビ観戦していました。
試合は広陵が2回に2点を先制。3回からは佐賀北高の先発馬場投手を救援した久保投手と、広陵の野村投手の投げ合いが続きました。久保投手の粘りのある投球に追加点の取れない広陵打線。膠着状態になりかけた矢先の7回に、広陵が野村投手自身よる2点タイムリー二塁打で4対0と差を広げたところで正直言って「勝負あった」かと思いました。
両チームの堅実な守備、テンポのよい投げ合いは試合を引き締まったものにしていたように思えました。しかし、毎回のように得点圏内に走者を送る広陵高に対し、佐賀はわずか1安打。緊張感のある中にも広陵の攻撃に対する佐賀の防戦一方の戦いぶりという流れになっていたような気がします。早いテンポでポンポン投げ込んでくる野村投手に翻弄されて、次第に大振りになってくる佐賀打線。そして迎えた8回裏の佐賀北高の攻撃でした。
満塁本塁打を放った副島選手⑤を迎える佐賀北ナイン
ワンアウト後、まず久保君がヒットで出ます。佐賀の百崎監督は勝負どころと見たのでしょう。代打・代走を送り、野村投手にプレッシャーをかけます。佐賀打線は7回までの淡白な攻めとはうってかわって、みんなが粘りに粘って繋げ、満塁とします。そして、まず押し出しの四球で1点返し、3番の副島選手を打席に迎えます。満塁で四球を与えて、これ以上ボールを出すことを嫌い、ストライクを取りにいった野村投手の球がやや真ん中に入ったところを副島選手が痛打、劇的な逆転満塁本塁打を放ちました。このあたりの攻防はまさに手に汗握るもので、画面から一瞬たりとも目を離すことができませんでした。球場全体を揺るがすかのような大歓声も佐賀に味方したように思えました。しかし好投を続けていた野村投手の心境はいかばかりだったでしょうか。
9回表の広陵は先頭打者がヒットで出ましたが、そこまで。最後は野村投手対久保投手のエース対決となりましたが、久保君が野村君から三振を奪ってゲーム・セット。佐賀北高は初優勝。広陵高は40年ごとに準優勝するというジンクス通り、この大会も準優勝(3度目)に終わりました。決勝戦にふさわしいナイス・ゲーム、どちらに転んでもおかしくなかった白熱の大熱戦でした。優勝まであと一歩に迫った広陵ナインの無念さは、汲んでもあまりありますね。
佐賀新聞号外
どちらのチームも守備がよく鍛えられていて、それだけに引き締まった好ゲームになったと思いました。久保・野村両投手の粘りのある投げ合いも見応えがありました。そして土壇場での逆転満塁本塁打は、そうそう見ることのできないとてもドラマティックな幕切れですね。おそらく今日のスポーツニュースは、この副島君の一発で埋め尽くされるでしょうね。
夏の甲子園が終わると、同時に夏が終わるような気がして、一抹の寂しさを感じるんですが、これからはヒート・アップしているセ・リーグの、中日・巨人・阪神による首位攻防を楽しもうと思います。
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暑い日が続きますね~
体中の水分が煮立って蒸発してしまいそうです。
そんな時はビールでもグイッとあおりながら、暑気払いになるような音楽を聴くのが一番です。
といってもぼくはアルコールを嗜まないので、氷をいっぱいいれた冷た~いお茶を飲みながら、今日はボサノヴァを聴いています。
言わずと知れたアントニオ・カルロス・ジョビンのCDです。
今年はなんでもジョビン生誕80周年らしいですね。また、ブラジルでボサノヴァのレコーディングが初めて行われてから50年目になります。こうしたことを受けて、今「This Is Bossa Nova」という、ボサノヴァの歴史を振り返る映画が上映されています。また、ジョビン関連のCDなどもぞくぞくリリースされているようですね。
それはともかく、この「イパネマの娘」というCDには、表題曲を始め、「おいしい水」「お馬鹿さん」「コルコヴァード」「ワン・ノート・サンバ」「メディテーション」「ジャズ・サンバ」「ノー・モア・ブルース」「ディサフィナード」などなど、ボサノヴァの名曲が数多く網羅されています。軽やかなメロディーもあれば、日本人好みのマイナーなメロディーもあったり、ひとくちにボサノヴァと言っても、さまざまなタイプの曲があるのが分かります。
また「イパネマの娘」は、ビートルズ・ナンバーに次いでカヴァーされることの多い曲だと言われています。
リオの町が一望できる「コルコヴァードの丘」
全曲、ジョビンの作です。作詞にはネウトン・メンドンサとヴィニシウス・ジ・モライスのふたりが協力しています。このふたりはジョビンと組んで、数多くの名作を発表しています。
横に気だるげに揺れるギターのカッティング、シングル・ノートでコロコロと転がるように弾かれるピアノ、クールに締まったストリングスのアンサンブル、やさしい風を思わせるようなフルートの音色など、どれをとっても涼しげです。
きらめく陽光を感じさせながらも、どこか哀愁の漂うサウンドが心に沁みます。
あえてクーラーをかけずに、冷たい飲み物を片手に、自然の風を受けながら聴くのが良いかも。
いやそれよりも、人影もまばらな海に行って、日陰に寝そべりながらボサノヴァを聴くのが一番心地良いかもしれませんね。
あるいは、気持ちのよい午睡のBGMなんかにどうでしょうか。
◆イパネマの娘/The Composer of Desafinado, Plays
■演奏
アントニオ・カルロス・ジョビン/Antonio Carlos Jobim
■録音
1963年5月9~10日 (ニューヨーク)
■リリース
1963年8月
■プロデュース
クリード・テイラー/Creed Taylor
■レコーディング・エンジニア
フィル・ラモーン/Phil Ramone
■収録曲
01 イパネマの娘/The Girl From Ipanema (Jobin - DeMoraes)
02 平和な愛/O Morro (Jobin - DeMoraes)
03 おいしい水/Agua De Beber (Jobin - DeMoraes)
04 夢見る人/Dreamer (Jobim)
05 ファヴェラ/Favela (Jobin - DeMoraes)
06 お馬鹿さん/Insensatez (Jobin - DeMoraes)
07 コルコヴァード/Corcovado (Jobim)
08 ワン・ノート・サンバ/One Note Samba (Jobin - DeMoraes)
09 メディテーション/Meditation (Jobin - DeMoraes)
10 ジャズ・サンバ/Jazz Samba (So Danco Samba) (Jobin - DeMoraes)
11 ノー・モア・ブルース/No More Blues (Chega De Saudade) (Jobin - DeMoraes)
12 ディサフィナード/Disafinado (Jobim - Mendonca)
■録音メンバー
アントニオ・カルロス・ジョビン/Antonio Carlos Jobim (piano, guitar)
ジミー・クリーヴランド/Jimmy Cleveland (trombone)
レオ・ライト/Leo Wright (flute)
ジョージ・デュヴィヴィエ/Georgr Duvivier (bass)
エディソン・マチャド/Edison Machado (drums)
△ブロードウェイ・オリジナル・キャスト盤『ポーギーとベス』△
■サマータイム (Summertime)
■1935年
■作詞…デュボース・ヘイワード
■作曲…ジョージ・ガーシュウィン
「サマータイム」は、1935年10月10日からブロードウェイで124回続演されたフォーク・オペラ「ポーギーとベス」の中で歌われています。このオペラの中で、「サマータイム」が最もポピュラーであり、また、ガーシュウィンの全作品の中で、最も広く一般的に知られている歌でもあります。もちろん、スタンダード中のスタンダードといっても差し支えない曲です。
ジョージ・ガーシュウィン
「ポーギーとベス」は、デュボース・ヘイワードが書いた小説「ポーギー」をオペラ化したものです。サウスカロライナ州チャールストンの黒人居住区を舞台に、黒人の生活や、足の不自由な青年ポーギーと乱暴者クラウンの情婦ベスとの恋を描いた、異色の傑作です。
ガーシュウィンはチャールストンに長期滞在して黒人の生活と音楽を知り、理解するために努力したといいます。そして彼は、「ポーギーとベス」を、ミュージカルではなく、オペラの手法で作曲したのですが、題材も音楽もアメリカの黒人文化に根ざしているとの理由から、「フォーク・オペラ(民俗オペラ)」と呼んだのです。
「サマータイム」は古い黒人霊歌「時には母のない子のように」のメロディーにインスパイアされて作曲されたものです。オペラの第1幕の第1場で、若い漁師の妻クララが赤ん坊をあやしながら歌う子守唄です。初演ではアビー・ミッチェルによって歌われました。
名曲ではありますが、初演当時、オペラの評価がまちまちだったためか、当初のレコードは、上演中に録音されたヘレン・ジェプソン盤以外はなかったようです。しかし、ビリー・ホリデイがこの曲に着目し、1936年秋にヒットさせたのはさすがだと言えるでしょう。1959年に映画化された際にはローリー・ジーン・ノーマン(ダイアン・キャロル吹き替え)が歌っています。
ジャニス・ジョプリン『チープ・スリル』
夏になると往々にしてリクエストが増えたり、セット・リストに加えられたりする曲です。これを持ち歌にしているシンガーはとても多いし、インストゥルメンタル奏者もよく演奏しますね。素材としてはたいへん面白いので、奏者の音楽魂をくすぐるらしく、4ビート、8ビート、8分の12拍子、3拍子、サンバなど、いろんな形のアレンジで演奏されます。
ブルース進行に近い、マイナーの曲で、ジャズ・ミュージシャンばかりでなく、ロックやR&B系のシンガーにも取り上げられています。ロック系シンガーなら、ジャニス・ジョプリンの熱唱が有名ですね。
ぼくもご他聞にもれずジャニスのヴァージョンに大きなショックを受けたひとりです。ブルージーで、パワフルな彼女の歌いっぷりは、ぼくが今まで聴いたいろんな「サマータイム」の中で最も印象に残っているものです。
マイルス・デイヴィス『ポーギーとベス』
その他、ヘレン・メリルや、エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングの共演が名唱と言われています。その他、モダン・ジャズ・クィンテット、カーメン・マクレエ、レイ・チャールズとクレオ・レーンの共演、マイルス・デイヴィスなどが知られているところでしょう。
【サマータイム】
夏は暮らしが楽だよ 魚は跳ねるし綿はよく育つ
おまえの父さんは金持ちで母さんは器量よし
かわいい子 泣くんじゃないよ
ある朝おまえは立ち上がって歌い
翼を広げ 大空に飛び出すだろう
だがそれまでは何も心配いらないよ
おまえの父さんと母さんがついているからね
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TOTOはボズ・スキャッグスの「シルク・ディグリーズ」レコーディングに集まったジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ペイチ、デヴィッド・ハンゲイトを中心として、1978年にロサンゼルスで結成されました。
超A級と言ってもいいほどの、西海岸の腕利きスタジオ・ミュージシャンが集まったバンドであるというほかに、メンバー同士がハイスクール時代からつながりがあったり、ペイチの父とポーカロの父がいずれもミュージシャンで親友だという関係があったりして、お互いの強い結びつきが感じられるバンドでした。
TOTOのデビュー・シングル「ホールド・ザ・ライン」がラジオでオンエアされるや、ぼくはたちまち気に入って、すぐにシングル・レコードを買いに行きました。(LPがすぐ買えるほど小遣いは潤沢ではありませんでした)
「プロフェショナル集団」の呼び名がぴったりくるTOTOはとてもグレードの高いグループで、曲作り、アレンジ、テクニックとも申し分のないものでした。
ロックやポップスにソウル、フュージョン、プログレッシヴ・ロックなどのエッセンスを抽入した、スケールの大きなサウンドが作られていたんです。
当時のロック・シーンは、TOTOのような近未来的な雰囲気とスペーシーな感覚を持ったバンドが、次第にいくつも頭角を現し始めたころだったと記憶しています。
全員アメリカ人なのに、アメリカン・ロック特有の土臭さを感じさせないサウンドにまず耳を奪われます。カンサスとかボストンに通じるものがあるでしょうか。デヴィッド・ペイチによると、「子供の頃からイギリスのプログレッシヴ・ロックに影響を受け、キング・クリムゾンやピンク・フロイドなどを好んで聴いていたからだ」ということだそうです。
プログレ風でもあり、AOR的な雰囲気もあり、また土着のアメリカ音楽の要素がほぼ表面に出てこないTOTOのサウンドは、ボーダーレスで現代的なロックだと言えるでしょう。
スティーヴ・ルカサー
アルバム1曲目のファンファーレ風の劇的なインストゥルメンタル、「子供の凱歌」で度肝を抜かれます。デビュー・アルバムの1曲目にインストゥルメンタルを持ってくるということは、TOTOの面々がどれほど演奏技術、音楽性に自信を持っていたかの証明になるのではないでしょうか。
続く「愛する君に」はボビー・キンボールのヴォーカルが冴え渡る明るいナンバーです。「ジョージー・ポーギー」ではスティーヴ・ルカサーがリード・ヴォーカルを取っています。ソウルフルで、渋く柔らかくまとめられています。
「ガール・グッドバイ」はTOTO流ハード・ロックの極めつけ。ルカサーのギターが縦横無尽に活躍しています。ジェフ・ポーカロのドラムがこれまた切れ味鋭く、ハード・ドライヴィンなグルーヴを叩き出しています。
9曲目、デビュー・シングル「ホールド・ザ・ライン」のギター・リフとテクニカルなソロは、ロック好きのツボを突くこと必至です。分厚いコーラスもきれいです。
強力なグルーヴを出しているジェフ・ポーカロのドラムス、構成をしっかり把握してメリハリの利いたプレイを繰り広げるスティーヴ・ルカサーのギター、サウンドの味付けやカラーリングを担当するキーボード群などがTOTOサウンドの要でしょう。
腕利きぞろいなのに決してテクニックには溺れず、歌心あふれるプレイを繰り広げているあたり、彼らが数々のスタジオ・ワークで自らの音楽性や個性を育んできたことが窺われます。
全体的に、耳ざわりのよいサウンドと親しみやすいメロディーを持つポップな曲が多いですね。音作りが実に緻密で、高度で安定したテクニックを駆使したハイ・クォリティの音楽を繰り広げていて、今聴いても、とても新人のデビュー作とは思えない快作だと思います。
ジェフ・ポーカロ
そういえば8月5日はジェフ・ポーカロが急逝してから15年目に当たるんですね。月日の経つのは早いものです・・・。
◆宇宙の騎士~TOTO/TOTO
■リリース
1978年10月15日
■歌・演奏
TOTO
■プロデュース
TOTO
■収録曲
A① 子供の凱歌/Child's Anthem (D. Paich)
② 愛する君に/I'll Supply the Love (D. Paich) ☆
③ ジョージー・ポーギー/Georgy Porgy (D. Paich) ☆
④ マヌエラ・ラン/Manuela Run (D. Paich)
⑤ ユー・アー・ザ・フラワー/You Are The Flower (B. Kimball)
B⑥ ガール・グッドバイ/Girl Goodbye (D. Paich)
⑦ ふりだしの恋/Takin' It Back (S. Porcaro)
⑧ ロックメイカー/Rockmaker (D. Paich)
⑨ ホールド・ザ・ライン/Hold The Line (D. Paich) ☆
⑩ アンジェラ/Angela (D. Paich)
※ ☆=アメリカでのシングル・カット
■録音メンバー
【TOTO】
ボビー・キンボール/Bobby Kimball (vocal)
スティーヴ・ルカサー/Steve Lukather (guitar, vocal)
デヴィッド・ハンゲイト/David Hungate (bass)
デヴィッド・ペイチ/David Paich (keyboard, vocal)
スティーヴ・ポーカロ/Steve Porcaro (keyboard, vocal)
ジェフ・ポーカロ/Jeff Porcaro (drums, percussion)
【guests】
シェリル・リン/Cheryl Lynn (vocal ③)
ロジャー・リン/Roger Linn (synthesizer)
レニー・カストロ/Lenny Castro (percussion)
ジム・ホーン/Jim Horn (sax)
チャック・フィンドリー/Chuck Findley (horn)
■チャート最高位
1978年週間チャート アメリカ(ビルボード)9位、イギリス37位、日本39位
1979年年間チャート アメリカ(ビルボード)19位
☆夏の星空☆
■スターダスト(Stardust)
■作詞…ミッチェル・パリッシュ(1929年)
■作曲…ホーギー・カーマイケル(1927年)
☆スターダスト(ナット・キング・コール)
アメリカのポピュラー・ソングを代表する傑作です。こんなに美しい曲はめったにない、と言っていいでしょう。1965年にリーダース・ダイジェスト誌が読者の最も好きな歌を調査したところ、アメリカの歌のトップがこの「スターダスト」だったということです。
弁護士になってマイアミに法律事務所を持ったホーギー・カーマイケルは、1927年のある夏の夜、母校であるインディアナ大学の構内で、星空を仰ぎながら学生時代に「大学の女王」と呼ばれたドロシー・ケイトの想い出に浸っていました。美しいドロシーは、ホーギーの恋人だったのですが、ホーギーが故郷を離れてフロリダやニューヨークなどで数年を過ごしているうちに、待ちきれなくなった彼女は他の男性と結婚してしまったのです。
ホーギー・カーマイケル
星空の下でそのドロシーの面影を追っているうちに、ホーギーはこの曲のメロディーを思い浮かべたといいます。彼は近くのカフェ「ピートの店」に駆け込み、そこにあった古びたピアノを使ってメロディーをまとめました。
ホーギーの学友だった作詞家のスチュアート・ゴーレルはこの曲を聴き、「夜空に星屑の降るような感じがする」と言って、曲を「スターダスト」と名づけました。
1927年10月、ホーギー自身はエミール・サイドル・オーケストラとともにこの曲を録音しましたが、当初は全く注目されなかったといいます。
またホーギーは、この曲の譜面を知人のバンド・リーダーに渡していましたが、その譜面はのちアイシャム・ジョーンズ・オーケストラのヴァイオリニスト、ヴィクター・ヤング(後の映画音楽の巨匠)の手に渡ります。ヴィクターはこの曲のメロディーの美しさに惚れ込み、これをオーケストラ用に編曲、1930年に録音すると、これが大いに注目されることになりました。
エラ・フィッツジェラルド
1931年にはビング・クロスビーが歌ったレコードや、ルイ・アームストロングのレコードがヒットし、ようやく一般的な人気曲になりました。
1940年に発表されたアーティ・ショウ・オーケストラのレコードは特に大ヒットしましたが、ショウ・オーケストラは初めてこの曲のテンポをゆるやかに設定、これがこの名曲の真価を発揮させたと言えるでしょう。それまではかなり速いテンポで演奏されていたんですね。発表されてから評価が決定的なものになるまで、実に10年以上の年月が費やされたわけです。
フランク・シナトラ
スタンダード曲のほとんどには「ヴァース」と呼ばれる、本編に入る前に語るように歌われるプロローグがあります。たいていは省略されるのですが、このスターダストのヴァースはまず省略されることがありません。ヴァースからしてこれほど有名なものも他に例を見ません。
本編では、ホーギー自身が体験した失恋、そしてその想いを星屑とダブらせて一般的な失恋の哀しさが歌われています。
ライオネル・ハンプトン・オール・スターズ『スターダスト』
「スターダスト」はのちにナット・キング・コール、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエ、フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、ライオネル・ハンプトンなど数多くのミュージシャンによって取り上げられ、「世界で最もよく聴かれる曲」にもなっています。
あまりにもよく知られたこの曲、全部で3曲の同名異曲があるそうです。一番知られたホーギー・カーマイケル版は、ワン・ワードで「Stardust」とするのが正しく、「Star Dust」とするのは誤りなんだそうです。
【スターダスト】
そして今、黄昏時のほの暗さが私の心の草地に広がる
小さな星が空高く昇れば いつも私たちが別れたせつなさが思い出される
君はどんなに遠くに行ってしまったのだろう 君は去り歌はいつまでも残る
恋は今 昨日の星屑 音楽は過ぎ去った昔のものとなってしまった
時々私はどうして寂しい夜を過ごすのかと思う
夢に聴く歌 そのメロディーは私の夢想にまとわりつき
そして再び君とともにいるような気持ちにさせる
私たちの恋のはじめの頃は キスのひとつひとつがインスピレーションだった
しかしそれは昔のこと 今の私の慰めは歌の星屑の中にある
園の壁に寄り添い 星のきらめく時に君を抱けば
ナイチンゲールがバラの花咲く楽園の物語を語っていた
むなしく夢見る私だが 君への想いはいつまでも残り
私の星屑のメロディーは 恋の想い出となって繰り返されることだろう
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ぼくが本格的にロックを聴きあさり始めた頃、周りで話題になったり、チャートを賑わしていたりしていたのは、クイーンやベイ・シティ・ローラーズを筆頭に、エアロスミス、キッス、バッド・カンパニー、イーグルス、そしてスージー・クアトロなどでした。
スージーは、その頃まだ珍しかった女性ロッカーの草分け的存在です。
スージーの全盛期だった1970年代中頃の女性ロッカーといえば、ジャニス・ジョプリンやグレース・スリックなどが思い浮かぶくらいです。ちたほら名前が挙がるのはいずれもヴォーカリストですが、楽器を演奏する女性ロッカーというのはスージーくらいしか思い浮かびません。
プロデューサーのミッキー・モストによる、売れるための演出なのでしょうが、体にピッタリの革のジャンプ・スーツを着て、バックにはいかつい男たちを従え、ベースを弾きながら絶唱するスージーの姿はとてもカッコよかったです。アルバムにつけられた『サディスティック・ロックの女王』などというサブタイトルが、大いにファン心理をあおっていたものです。
でも、一見「コワモテの姐さん」風ではありますが、実は日本大好きの親しみやすいお嬢さんだったりするんですよね。来日は1974年から5年連続、そのうえスージーの結婚式は日本で、和装で行われたはずです。
一連のイメージ戦略もあって、その頃は漠然とスージーの音楽をハード・ロックだと思っていました。でも今聴いてみると、キャッチーなメロディーを持つストレートなロックン・ロールだということが分かります。ブリティッシュ・ハード・ロックの持つ重厚なイメージではなく、ライトかつポップなアメリカン・ロックにグラム・ロックっぽさを加味したような魅力があった思うんです。とにかく、単純にノレるんですね。
誰にでも受け入れられる親しみやすいロックに加えて、コケティッシュなルックスもスージーの魅力のひとつだと思います。そして、その可愛らしさと対照的なのが彼女のハスキーな声なんですね。ドスの利いた中低音に、小柄な体を絞るようにして発する高音でのワイルドでハスキーなシャウトは、充分スージーがロック・クイーンであることの証明になりえたこと証明だと思いますね。
この「スージー・クアトロ・グレイテスト・ヒッツ」は中古CDショップで見つけました。
ぼくは一連のヒット曲は、当時日本だけで編集された「スージー・クアトロ・ストーリー」で聴いてましたが、高校以降はスージーから遠ざかっていたので、中古CDを見つけた時に久しぶりに聴いてみようという気になったんです。すぐ財布を取り出しながらCDを持ってレジに向かったんです。
「スージー・クアトロ・ストーリー」
主なヒット曲はマイク・チャップマン&ニッキー・チンのソング・ライティング・チームのペンによるものです。スージーのヴォーカルを大いに聴かせようという意図でもあったのでしょうか、楽器によるソロはあまりありません。デビュー当初はパワー・ポップ系の曲が多いのですが、アメリカへの逆進出(スージーは米国出身で、デビューは英国)を図る1975年以降になると、マーケットを意識してか、サウンドはよりポップさを増してゆきます。
このアルバムの中で印象に残るのは、やはり「キャン・ザ・キャン」「48クラッシュ」「デイトナ・デモン」「悪魔とドライヴ」「ワイルド・ワン」などの初期のヒット曲です。これらにはワイルドなスージーの魅力がいっぱいに詰まっています。
スージーは今では50台の半ばになりますが、ヨーロッパを中心に今でも現役で頑張っているそうです。こういう「健在」のニュースを聞くと、なんだか嬉しくなったりしますよね。
◆スージー・クアトロ・グレイテスト・ヒッツ/The Wild One Suzi Quatro Greatest Hits
■歌・演奏
スージー・クアトロ/Suzi Quatro
■リリース
1990年
■収録曲
① キャン・ザ・キャン/Can The Can (Nicky Chinn、Mike Chapman) イギリス1位、アメリカ56位
② 48クラッシュ/48 Crash (Nicky Chinn、Mike Chapman) イギリス3位
③ デイトナ・デモン/Daytona Demon (Nicky Chinn、Mike Chapman) イギリス14位
④ 悪魔とドライヴ/Devil Gate Drive (Nicky Chinn、Mike Chapman) イギリス1位
⑤ トゥ・ビッグ/Too Big (Nicky Chinn、Mike Chapman) イギリス14位
⑥ ワイルド・ワン/The Wild One (Nicky Chinn、Mike Chapman) イギリス7位
⑦ ママのファンキー・ロックン・ロール/Your Mama Won't Like Me (Nicky Chinn、Mike Chapman) イギリス31位
⑧ ビット・オフ/I Bit Off More Than I Could Chew (Nicky Chinn、Mike Chapman)
⑨ 恋するヤング・ガール/I May Be Too Young (Nicky Chinn、Mike Chapman)
⑩ 恋はドッキリ/Tear Me Apart (Nicky Chinn、Mike Chapman) イギリス27位
⑪ ロキシー・ローラー(サケ・ロック)/Roxy Roller (Nick Gilder, James McClloch)
⑫ 涙のヤング・ラヴ/If You Can't Give Me Love (Nicky Chinn、Mike Chapman) イギリス4位、アメリカ45位
⑬ レースに賭けよう/The Race Is On (Nicky Chinn、Mike Chapman) イギリス43位
⑭ 愛のゲーム/She's In Love With You (Nicky Chinn、Mike Chapman)イギリス11位、アメリカ41位
⑮ ママズ・ボーイ/Mama's Boy (Suzi Quatro、Len Tuckey) イギリス34位
⑯ ネヴァー・ラヴ/I've Never Been In Love (Melissa A. Connell) イギリス56位
⑰ ローリング・ストーン/Rolling Stone (Phil Dennys, Errol Brown, Suzi Quatro)
⑱ オール・シュック・アップ/All Shook Up (Otis Blackwell, Elvis Presley) アメリカ85位
⑲ キープ・ア・ノッキン/Keep A Knockin' (Richard Penniman)
⑳ 起きろよスージー/Wake Up Susie (Felice Bryant)
■録音メンバー
スージー・クアトロ/Suzi Quatro (lead-vocals, bass)
レン・タッキー/Len Tuckey (guitars, backing-vocals)
ジェイミー・クロンプトン/Jamie Crompton (guitars, backing-vocals)
アリステア・マッケンジー/Alistair McKenzie (piano, keyboards, backing-vocals)
マイク・ディーコン/Mike Deacon (piano, keyboards, backing-vocals)
ビル・ハード/Bill Hurd(piano, keyboards, backing-vocals)
デイヴ・ニール/Dave Neal (drums, backing-vocals)
etc...
ハムスターが我が家にやって来て5週間。
最初は体長5センチほどだったのが、今は10センチ足らずになってます。
大きくなるにつれて動きもチョコマカと早くなり、
少々の高さのある囲いも平気で乗り越えるようになりました。
「油断してたらヤバいな~」と思っていたら、
案の定、ハムは昨夜脱走してしまいました。
ケージの外に出して遊ばしていたのですが、
ちょっと目を離したスキに逃走に成功したのです。
あわてて部屋中の、ネズミが入れそうな隙間を覗いてみたんですが、
いない。
素早い奴め。
たった5~6秒ほど目を離しただけなのに。。。
さては脱走のチャンスを窺っていたのだろうか。
自分が、映画「大脱走」のドイツ兵看守になったような気分。
さしずめ奴がスティーヴ・マックィーンか。
なんてノンキなこと言ってる場合と違う~
隅っこで干からびられてもお互いに困るし、
配線とかカジられるのもなお困ります。
いや、配線だけでなくて、手当たりしだいに何でもカジるのはやめてほしい。
1時間ほどあちこちを探ってみたけれど、
100円玉を1枚とボールペン1本を見つけたのが全収穫。
しょーがない、ケージのフタを開けて、中にエサを置いておこう。
ヤツは夜行性だから、みんなが夜寝静まって明りが消えた頃に動き始めるはず。
エサと回り車(水車みたいなやつで、内側をハム君が走るとガラガラ回る輪車)には目のないヤツだから、というかなり頼りない根拠によってケージを床に置いたままにしてみました。
ケージと回り車の間に入って身動きがとれなくなったハム。
しかし今朝になってもハム君は見つかりません。
いや~、マイッタなあ。。。
いっそバルサンでも焚いていぶり出そうか、
でもやっぱり地道に探したほうがいいよな~、あーもーメンドクセ。
などと強硬手段も視野に入れながら次の手を考えてみますが、
妙案が思いつくはずもありません。
今日は通院日なので、しゃーない、帰ってからまた探そう、と
履きかけたブーツの中に妙な感触が。
慌てて脱いで、ブーツを逆さまにして中味を出してみたら、
ボテッとばかりに白い何かが落ちてきました。
あ、いた!ハム君が!
やれやれ~
ハム君が発見されたブーツ
ハム君にしてみれば、せっかく脱走に成功したのに…、というところでしょう。
ふっふっふ、また次のチャンスを狙ってください。
バツとして今日はみんなに遊ばれているハム君です。
やっぱりいたらいたでカワイイ奴なんですね。
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作詞家の阿久悠さんがお亡くなりになりました。まだ70歳だったとか。
生涯に作詞したのはなんと5000曲にも及ぶ、というんですから凄いです。
日本人であるからには、阿久さんが作詞した曲を、誰しも一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。強烈なインパクトのある言葉でリスナーの耳を引きつける技術は、他の誰にもマネのできないものだったと思います。
慎んで故人のご冥福をお祈りいたします。
さて、今日聴いているのは、ニルソンが1972年に歌って大ヒットした美しいバラード、「ウィズアウト・ユー」です。
この曲、ぼくは長いことニルソンの作だとばっかり思っていましたが、違ってました。「ビートルズの弟分バンド」と言われたバッドフィンガーのピート・ハムとトム・エヴァンスの共作だったんですね。でも逆に言えば、それだけニルソンの歌ったもののインパクトが強烈だった、ということでしょう。
この曲は、マライア・キャリーやホール&オーツを始め、たくさんのミュージシャンにカヴァーされていますが、往々にしてニルソン版を踏襲しているようです。
バッドフィンガー「ウィズアウト・ユー」
ハリー・ニルソンは、1960年代の初頭から銀行員をしながら作曲家として活動していました。勤務の合い間にスタジオに入ったり、曲を売り込んだりしていたそうですが、このあたり日本で言うと小椋佳氏を思わせる境遇ですね。
ニルソンの作品は、やがてプロデューサーとして名高いフィル・スペクターの目に留まります。そしてモンキーズやヤードバーズに曲を提供した後、1967年にシンガー・ソング・ライターとしてデビューしました。翌68年には銀行を辞め、本格的な音楽活動へ足を踏み入れることになります。
ニルソンの甘くてカラフルなポップ・センスは絶賛され、そのどこかで耳にしたような人懐っこさと優しさに満ちた作風は、ソング・ライターとして高い評価を受けます。当時ビートルズのアップル・レコードのスタッフが、ニルソンのデビュー・アルバムをビートルズの面々に聴かせたところ、とくにジョン・レノンがこれを大いに気に入り、ニルソンに国際電話をかけて「君のアルバムは素晴らしい。君は素晴らしい。ただそれを言いたかったんだ」と最大級の賛辞を贈ったそうです。
ニルソン
1968年にリリースした『空中バレー』から「ワン」がスリー・ドッグ・ナイトに取り上げられ、全米5位の大ヒットとなります。また、このアルバムに収録されていた「うわさの男」は、映画「真夜中のカウボーイ」の主題歌に起用され、全米6位の大ヒットとなりました。これによってニルソンの知名度はいっぺんに上がったわけです。
「ウィズアウト・ユー」はもともとバッドフィンガーの1970年のアルバム『ノー・ダイス(恋の嵐)』に収録されていたもので、これをニルソンは71年のアルバム『ニルソン・シュミルソン』でカヴァー、シングル・カットしたところ、72年にかけて大ヒット、ニルソン初の全米1位を記録しました。
マライア・キャリー「ウィズアウト・ユー」
非常にエモーショナルに歌い上げるニルソンの「ウィズアウト・ユー」はとてもロマンチックで、独特の優しさにあふれています。曲終盤の「アイキャントリ~~~~ヴ」の部分では、3オクターヴ半はあると言われる声域を駆使して、ダイナミックに、しかしセンチメンタルに歌っています。このサビ部分は伸びやかな高音を持つタイプの歌手にとっては腕の(喉の)見せどころで、マライア・キャリーなどもニルソンの作風を大事にしながら、サビでは驚異の高音を聴かせてくれていますね。
ニルソンは70年代には矢継ぎ早にレコードを生み出しましたが、84年以降は沈黙を続けました。また、彼はほとんどライヴを演らないことでも知られていますが、これは彼が、実際のライヴで起こるであろうミスをとても嫌い、スタジオ・ワークを完璧にこなすことを大事にしていたものと思われます。
ニルソンは、心臓病のため1994年に52歳の若さで亡くなりました。
[歌 詞]
[大 意]
忘れられないんだ今夜のことが
君がさようならを言った時のあの顔が
だけどこうなるより仕方がなかったのかもしれないね
君はいつも微笑んでいるけど
君の目には悲しみが映ってる
明日のことが頭から離れないんだ
明日また悲しみをみんな思い起こしてしまうだろう
かつてはそこにいた君を行かせてしまった
今はただ君に知らせるべきだろう
知ってほしいんだ
君なしでは生きられない 君なしでは与えることもできない
君なしでは生きられない 君なしでは与えることもできない
◆ウィズアウト・ユー/Without You
■作詞・作曲…ピート・ハム/Pete Ham & トム・エヴァンス/Tom Evans
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■歌・演奏
バッドフィンガー/Badfinger
■発 表
1970年11月9日
■プロデュース
ジェフ・エメリック/Jeff Emerick
■収録アルバム
ノー・ダイス/No Dice (1970年)
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■歌
ニルソン/Nilsson
■シングル・リリース
1971年12月
■プロデュース
リチャード・ペリー/Richard Perry
■収録アルバム
ニルソン・シュミルソン/Nilsson Schmilsson (1971年)
■チャート最高位
1972年週間チャート アメリカ(ビルボード)1位、イギリス1位
1972年年間チャート アメリカ(ビルボード)4位
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■歌
マライア・キャリー/Mariah Carey
■シングル・リリース
1994年1月24日
■プロデュース
ウォルター・アファナシエフ/Walter Afanasieff
■収録アルバム
ミュージック・ボックス/Music Box (1993年)
■チャート最高位
1994年週間チャート アメリカ(ビルボード)3位、イギリス1位
1994年年間チャート アメリカ(ビルボード)16位