ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

逃避行

2007年05月31日 | 名曲


  オムニバス・アルバム「青春歌年鑑」の各年度版を結構重宝して聴いています。オリジナル・アルバムがなかなか見つからないようなシンガーの、その年流行った曲がちゃんと収録されているからです。
 この間借りてきたのが、その「1974年版」です。山口百恵「ひと夏の経験」、フィンガー5「恋のダイヤル6700」、中村雅俊「ふれあい」、海援隊「母に捧げるバラード」などなど、懐かしい気分に浸りながら聴いてました。それらの中に、聴いているうちに突然思い出した曲があります。それが「逃避行」です。「逃避行」といっても、ジョニ・ミッチェルの曲ではありません。歌っているのは麻生よう子さんです。


    
 「逃避行」は、初期(1973年~75年頃)の山口百恵さんの曲を書いていた千家和也(作詞)-都倉俊一(作曲)の名コンビによって作られた曲です。麻生さんは、この曲で1974年2月にデビューしました。
 『知らない街へ二人で行って 一からやり直すため』、誰にも内緒で早朝の汽車に乗ろうと、駅で愛する男性を待ち続ける女性の思いが歌われています。でも、その愛する男性というのが、「逃避行」の前夜に酔いつぶれてたり、他の女性に引き止められていたりするかもしれないダメな男なんです。
 「汽車」というところに時代が現れていますね。


     


 千家氏は演歌からポップスまで幅広く歌詞を手掛ける作詞家です。この曲は歌詞だけ見ていくと、陰のある男女の仲を歌っているため、まるで演歌(怨歌)のような暗さがあります。しかし都倉氏がつけた曲は、洋楽の影響を受けたバラード風のポップスです。とってもいい曲だと思います。例えて言うなら、ちあきなおみの「喝采」、中尾ミエの「片想い」、ペドロ&カプリシャスの「ジョニイへの伝言」などの路線を連想させるでしょうか。


 この曲は、発売された当初はほとんど話題にならなかったのですが、曲の良さと、麻生さんの歌の上手さで、じわじわと人気が上がり、ついには1974年の第16回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞するまでに至りました。ちなみに、この年デビューした歌手には、城みちる、西川峰子、伊藤咲子、テレサ・テンらがいます。
 麻生さん本人は当時まだ18歳と若かったので、この歌詞の持つ大人の恋の苦味が分からないまま歌っていたそうですが、それがこの曲をドロドロとしたものにせず、却って好結果を生んだと言っていいかもしれません。


     
     ファースト・アルバム『逃避行』


     
     セカンド・アルバム『午前零時の鐘』
   

 麻生さんは、当時でも正統派で通るシンガーだったと思います。哀愁を帯びた、透明感のある歌声が素敵です。エレクトリック・ピアノを伴奏に使っているのが少しモダンな感じ。ミディアム・スローのバラードですが、途中16ビートにすることで緊迫感が生まれています。それに被ってくるホーン・セクションとストリングスの使い方がダイナミック。
 サビの部分、A♭に対する4度マイナーのD♭mへコードが進んで行くことで、斬新な転調感を生み出しています。このあたりが都倉氏の感覚の鋭いところでしょうね。


 セカンド・シングル「午前零時の鐘」も良い曲だったんですが、「逃避行」ほどは売れず、その後はグロリア・ゲイナーの「恋のサヴァイヴァル」をカヴァーしたりしましたが、再びヒット曲に恵まれることはありませんでした。
 キャンディーズや山口百恵、桜田淳子など、アイドル全盛期に正統派シンガーとしてデビューしたことも不運だったかもしれません。


     
     『Dream Price 1000/麻生よう子 逃避行』


 麻生よう子さんは、20枚のシングルと、2枚のオリジナル・アルバムを残しています。2002年には「Dream Price 1000/麻生よう子 逃避行」というベスト・アルバムがリリースされました。
 現在はヨーガのインストラクターとしてヨーガ教室を主宰したり、ヨーガの本を出版したりしているそうです。


[歌 詞]


逃避行
  ■歌
    麻生よう子
  ■シングル・リリース
    1974年2月21日
  ■作 詞
    千家和也
  ■作 曲
    都倉俊一
  ■編 曲
    馬飼野俊一
  ■チャート最高位
    1974年オリコン週間チャート 32位
    1974年オリコン年間チャート 88位
  ■セールス
    14.8万枚
  ■収録アルバム
    逃避行(1974年)
    午前零時の鐘(1974年)



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いびり

2007年05月30日 | ネタをたずねて三千里
♪ライヴ・ハウスの雰囲気。

 
 いびり。文字通り先輩が後輩に対して行うイジメです。バンドマン間の隠語では「ビリイ」などと言ったりします。でも、この記事の場合のいびりは、いわゆる「愛のムチ」的なものだと思って下さいませ。今、世間で問題になっている「イジメ」とはちょっとニュアンスが違うんです。


 現場での花形は、歌入りの曲をやる場合、やはり歌い手さんですね。華がありますし、ステージの正面に立つので、どうしても目立ちます。でもそのあたりをカン違いした、気位ばかりが高くて感じの悪い歌い手さんも時々いらっしゃるわけでございます(そんなのに限って美人だったりする)。そういう歌い手さんは、バンドに対しての挨拶もロクにしないで、ツーンとしていたりします。するとバンマス(バンド・マスター。早く言えばリーダーですね)のコメカミがピクリとするわけです。バンドがあってはじめて歌が引き立つわけですからね。


 リハーサルを滞りなく済ませた後も、その歌い手さんは「よろしくお願いします」の「よ」の字も言わない。
 ぼくが心から尊敬するある大ベテラン・ミュージシャンからこう教わったことがあります。「MINAGIなぁ、ヴォーカリストは可愛がられてナンボやで。可愛がられるようにまず挨拶からキチンとせなアカン」。事実その大ベテランさんは、ちゃんと挨拶のできなかった若手ヴォーカリストをリハーサルの段階で即座にクビにしたことがあるというキビしいお方です。


 さて、その可愛げのない歌い手に対して、わがバンマスはどういう行動に出たでしょう。呼びつけて説教? こちらも無視? いえいえ、本番にはわざとキーを1音あげて演奏するよう指示を出したりするのです。高い声を出す必要がある曲でそれをやられると、ニワトリが首を絞められたような歌になっちゃうワケです(^^;)。


 または、例えば歌詞が3番までしかない曲なのに、バンドだけ知らん顔で(あるはずのない)4番に突入したりするのです。3番を歌い終えてエンディングを待っていた歌い手さんは一瞬シドロモドロになりますね。
 その代わり、演奏はカンペキに演るのです。するとどうなるか。客席には歌い手さんだけボロが出たように見えるのです。コワイですね~(^^;)


     
     一番左がワタクシです


 あるジャズ・シンガーが、ピアノ(日本ではトップ・クラスの方です)に対して、「イントロ、フリーでお願いします」と言いました。ピアノさんは言われた通りゴギャングワンとフリー・ジャズでイントロをつけました。もちろんそんなイントロで歌を歌えるワケがありませんね。そうです、そのシンガーは「テンポ・フリー」をお願いしたかったんですね。
 この場合はイビリではなくて、たんなるピアノさんのカン違いなのですが、そのセット(1部2部を1セット2セットと言ったりします)が終わった休憩中に、控え室で歌い手さんは泣いてしまいました。それを見たバンド仲間はさすがにピアノさんに対して「あんなビリイはねえだろう」と諫めたそうです。ピアノさんはバツが悪くて頭をかきっぱなしだったようです。


 さて、ぼくも一度だけ、あからさまにイビられたことがあります。ぼくをイビったのはTさんという大阪のジャズ・シンガーでした(やっぱり美人でした^^;)。
 いや、挨拶はキチンとしたんですよ。かわいらしく。でも本番前の空き時間や、セットとセットの間の空き時間に、ぼくは打ち合わせに出ずに、ライヴ・ハウスの外で女の子としゃべったりしてたんです(汗)。ジャズのライヴって、打ち合わせしてても本番中にいきなり違う曲に変更されることなんてしょっちゅうだから、Cメロ譜(メロディーとコードだけが書かれた楽譜)だけ渡してもらえればいいや、と軽く考えていたのが間違いの元でした。


 本番が始まってもTさんは譜面をくれません。それどころかぼくの方さえ見てくれないので「譜面がないよ~」という合図もできません。しかもとどめに、曲を始める時に、誰にもきこえないように、ピアノさんの耳元でそっと曲名とキーを囁くのです。だから何が始まるのかも分からないし、自分の譜面帳を繰るヒマもありません。曲が始まったら冷や汗をかきながらついて行くだけです。ピアノの音を聴きながらキーを探り、コードを探りながら、ヨタヨタと演奏するばかりです。おかげでベース(ぼくです)だけがボロボロになって恥をかかされてしまいました。コワイですね~、イビリ(^^;)。この場合、自分に対して「何が起きても大丈夫なようにメモリー(暗記した曲)を増やせ」という教訓が生まれたわけです。


 でも、そうやってシゴカれて、礼儀を教わったり、音楽を教わったりするわけですね。そこがイジメと違って「愛のムチ」たるゆえんなんです。みんな一度や二度はそういう経験を持っているのです。それが、時が経つと笑い話にもなるんですね。


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音楽を書き綴るということ

2007年05月29日 | 価値観
 
 こうやってほぼ毎日ブログのエントリーをUPしていると気づくんですが、好きなことについて書いているにもかかわらず、最近自分の文章が生き生きしてないかもしれないな、と思うんです。なんていうか、借り物の言葉で綴っている感じ。
 主に音楽について書いているため、データ的なこと(発表年とかメンバーとか)にミスがないよう、いろんなことをあらかた調べてから書くようにしているのです。ところが、いろいろ資料などを見ていると、その資料に使われている表現や言葉まで頭にインプットされてしまっているようで、いざエントリーを書く時に、自分の言葉にならないんです。


 できるだけ自分が感じたことだけを書きたいと思っています。だから、事実の羅列(つまりデータ的部分の丸写し)では終わりたくないし、聴いた音源が楽しかったのなら、どのように楽しく感じたかを書きたい、と思っています。
 でも最近自分の言葉が出てこない。出てこないというより、自分の語彙の乏しさに改めて気づかされた、と言っていいかもしれません。


 音楽を言葉や文章に変換する作業自体がとっても難しい、ということはあるかもしれません。それから、読んで下さる方みんなが音楽に詳しいわけでもないので、ひとりよがりな専門的単語はなるべく使わないようにしようとしているために、使う言葉が限られる、ということもあるかもしれない。でも、専門的な言葉を使わないで面白いエントリーを書いているブログはいくつもありますから、やっぱりそれは書けないことの理由にはなりませんね。


 ここでブログを書いている理由は大きく分けてみっつあります。ひとつは皆さんと同じで、好きなことを好きなように書き、発信すること。ふたつ、完全に音楽的趣味。好きな音楽は人それぞれだから、誰かに合わせて書くのではなく、自分の趣味(世界)を語ること。もうひとつは、ごく個人的なことなのですが、毎日何かを書くことによって、自分で自分の気持ちに張りを持たせたい(というか、張りを持たせる必要がある)、と思っている、ということです。
 でも、借り物の言葉で書くことに終わってしまったら、そこには「ブログを書かねばならない」というおかしな義務感だけが残ってしまいますよね。義務感だけで書かれた無味乾燥なエントリーなんて、書く方も読む方も楽しくはないでしょう。


 それに、記事を書くために音楽を聴く、というのも本末転倒ですよね。聴いて感じたこと、心に響いたことを書くからこそ、読み手側の方々も何かを感じながら読んで下さるはずですから。実際、エントリーに取り上げた音源は、その時聴きたいと思ったものばかりです。記事にするために適当に「今日はこれにしよう」と思ってCDを選ぼうとすると、絶対に文章になりません。借り物の言葉しか出てこないのです。借り物のフレーズしか出てこないなんて、もはやジャズでもロックでもないですもんね。
 ブログを書き続けることって、思ったよりたいへんなことなんですね。ネタは尽きることはないけれど(この世にあるCDの数だけエントリーを書いていったなら一生かかっても足りないでしょう)、「言葉のストックが尽きかけてるかな、マズイなー」と思っている今日この頃です。
 
 
 そう難しく考える必要のないことかもしれないのですが、このところ惰性(適当、とは違いますよ)でエントリーを書いていたかもしれない、と感じていたので、今日はちょっと自分の胸の内を書いてみました。


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ヘッド・ハンターズ (Head Hunters)

2007年05月28日 | 名盤


 これは、ハービー・ハンコックの「ファンク宣言」とでも言うべきアルバムです。
 マイルス・デイヴィスのバンドでエレクトリック・ピアノを弾くようになったハービーは、もともと「ウォーターメロン・マン」や「カンタロープ・アイランド」などの8ビート系の名曲を書くなどソウルやファンクのテイストも持っていました。しかし一説によると、ジャズ・マンとしてのプライドが邪魔をしていたので、なかなか自分の枠を打破する気になれなかったといいます。
 そして、試行錯誤のすえ、ファンクやR&Bなどの要素を取り入れるようになったハービーの、ひとつの到達点が、この「ヘッド・ハンターズ」です。


 シンプルなハーモニーではあるけれど、ファンキーな16ビートに乗って繰り広げられる各々のインプロヴィゼイションは手に汗握るような緊張感をたたえています。ジェームス・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーンらのファンク・グルーヴを積極的に取り入れ、ジャズの要素を残しながらも電子楽器を最大限に活用したファンク・ミュージックを展開しています。さらに、バンド全体が一丸となってバシバシ繰り出すキメのフレーズがカッコいい。


     ・


 ドラマーのハーヴィー・メイスンはロサンゼルスのセッション・ドラマーでプロデューサーとしても名高いミュージシャンです。そのハーヴィーとポール・ジャクソンが織り成すファンキーなリズムに、パーカッションのビル・サマーズと、サックスのベニー・モウピンのクールなサウンドが絡んでゆきます。そしてハービーのクラヴィネットとエレクトリック・ピアノから生まれる絶妙なソロと的確なバッキングが、心地良い緊張感をもたらしているのです。


 最高の聴きどころはやはり1曲目の「カメレオン」でしょうか。シンセサイザー・ベースによる、ファンキーでダンサブルなリズムが魅力です。なによりカッコいいし、耳馴染みもよい。そのシンセ・ベースのリフに、ドラムス、ベース、クラヴィネットが次々に重なってきます。曲半ばで展開されるキーボード・ソロもハンコック節満載です。
 3曲目の「スライ」は、タイトル通り、スライ・ストーンにインスパイアされたものでしょう。バンド全員で作り出すリズムは、まさに生き物。アップ・テンポの中で展開されるベニーとハービーのソロには迫力があふれています。


 それにしても、ハービーのアルバムを聴くたびに思うのですが、ハービーってピアニストである以前に、なんて優れたコンポーザーであり、アレンジャーなのでしょう。これはマイルスからコードに捉われない演奏スタイルを求められ、伝統的ジャズのスタイルに捉われない洗練された曲作りを学んだことが大きく影響しているのではないでしょうか。
 それだからこそ、従来のジャズでは使われることのなかったシンセサイザーなどを思い切って前面に押し出して、アルバムを作ることができたのだと思います。そのあたり、ハービーの中で何かが吹っ切れたのでしょうね。
 ハービー自身の言葉によると、自分の進むべき音楽の道について迷っていた時、自分の信仰する宗教の教祖(日蓮上人)が夢に現れ、「自分の思う通りに進みなさい」というお告げを下し、それがきっかけでエレクトリック・ファンクに取り組むことができたとか。


     


 このアルバム、当時のジャズ・ファンからは「ハービーは堕落した」と、大きな非難を浴びたそうですが、ジャズ・ファン以外の人々に高く支持されて、なんとポップ・アルバム・チャート(ジャズ・チャートではなく)で13位にまで昇るヒットとなりました。売り上げ枚数は、ジャズとしては異例の150万枚を記録しています。
 これ以降のハービーは、ひとつの型にとらわれることなく、多彩な活躍ぶりを見せてくれていて、今なお進化し続けています。



◆ヘッド・ハンターズ/Head Hunters
  ■演奏
    ハービー・ハンコック/Herbie Hancock (keyboards)
  ■リリース
    1973年10月26日
  ■録音
    1973年9月、Wally Heider Studios, San Francisco, California
  ■レーベル
    コロンビア
  ■プロデュース
    ハービー・ハンコック、デヴィッド・ルービンソン/Herbie Hancock, David Rubinson
  ■収録曲
   [side A]
    ① カメレオン/Chameleon (Herbie Hancock, Paul Jackson, Harvey Mason, Bennie Maupin)
    ② ウォーターメロン・マン/Watermelon Man (Herbie Hancock)
   [side B]
    ③ スライ/Sly (Herbie Hancock)
    ④ ヴェイン・メルター/Vein Melter (Herbie Hancock)
  ■録音メンバー
    ハービー・ハンコック/Herbie Hancock (electric-piano, Clavinet, synthesizer)
    ベニー・モウピン/Bennie Maupin (tenor-sax, soprano-sax, saxello, bass-clarinet, alto-flute)
    ポール・ジャクソン/Paul Jackson (electric-bass, marimbula)
    ハーヴィー・メイソン/Harvey Mason (drums)
    ビル・サマーズ/Bill Summers (congas, shekere, balafon, agogo, cabasa, hindewhu, tambourine, log-drum, surdo, beer-bottle, gankogui)
  ■チャート最高位
    1973年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)13位、ビルボードR&Bチャート2位、ビルボード・ジャズ・チャート1位 日本(オリコン)86位
    1974年年間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)21位





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オー! ダーリン (Oh! Darling)

2007年05月27日 | 名曲


 もし、好きなビートルズの曲を10曲選べ、と言われたら、ぼくなら絶対に入れたい曲、それが「オー! ダーリン」です。アルバム『アビイ・ロード』の4曲目に収録されています。日本でのみシングル・カットされました。
 メロディー・ラインといい、ストレートな歌詞といい、ロッカ・バラードの見本のような曲です。御大ジェームス・ブラウンが歌っても似合うかな。


 最初にこの曲のセッションをしたのが1969年1月、ベーシック・トラックを録音したのが同年4月、正式にアビイ・ロード・スタジオで録音を始めたのが同年7月です。
 アビイ・ロード・スタジオの近所に住んでいたポールは、他のメンバーよりも早くスタジオ入りし、まずこの曲のヴォーカルを録音していました。まだ完全に目のさめていない、寝起きのような状態で声を出したかったのだそうです。


     
     『アビイ・ロード』


 そして、この7月の一週間ほどは、ポールは一日に一回だけしか歌わなかったということです。「何度も歌うと慣れてしまうから」というのがその理由です。
 「オー! ダーリン」のヴォーカル・トラックが録音された7月18日も、ポールは早くからスタジオに入り、声をつぶすために歌い込んで、レコーディングに臨みました。


 ジョンもこの曲を歌いたがったそうで、ジョンとポールのハーモニーがつけられていたヴァージョンも録音されましたが、結果的にはおクラ入りとなりました。ポールが自分のヴォーカルにこだわりを見せて、何度もリテイクを重ねてできたものが、現在アルバムに収録されているヴァージョン、というわけです。


 イントロのピアノの音色がシブいですね。コードで言うとEaug7(Eオーギュメントセヴン)です。ポロ~ンと弾いているだけですが、一気に緊張感が高まります。
 8分の12拍子で、いわゆる3連系の緩やかなロッカ・バラードです。ドラムスとベースのコンビネーションが良く、とても気持ちよくグルーヴしています。その上に被さるのが、アフター・ビートで入るギターのカッティングと、力強いピアノの3連ブロック・コードです。そしてオールディーズっぽいコーラスと、重量感のあるソウルフルなベースも曲にアクセントをつけています。


     


 サビで聴かれるポールの情熱的なシャウトがとっても魅力的。普段は甘い声が売り物のポールですが、この曲では凄みを効かせたヴォーカルを聴かせてくれます。
 しかし、ジョンは「俺がヴォーカルをとっていたら、もっといい出来になっていたのに・・・、ポールにセンスがあれば俺に歌わせていたと思うよ」「ポールの歌は良くない。俺の方がもっとうまく歌えたのに」などと発言しています。


 確かに、もしジョンが歌っていたとしたら、もっとトンガったロックンロールになったとは思います。でもですよ、この曲のポールの歌が良くないとはどう考えても思えないんです。むしろ、ポールはバラードだけでなく、R&Rも見事に歌えるということを再認識させることができたんじゃないでしょうか。そういう意味では、「オー! ダーリン」のヴォーカルは、ビートルズ初期にポールが歌った「ロング・トール・サリー」や「シーズ・ア・ウーマン」などを思い起こさせますよね。


[歌 詞]
[大 意]
オー ダーリン どうか信じてくれ 君を傷つけたりはしない
信じてほしい この言葉 決して君を傷つけはしない
オー ダーリン 君に捨てられたら 僕ひとりではやっていけない
信じてほしい この言葉 僕をひとりにしないでくれ

僕なんかもうお払い箱と君が言った時 僕は泣き崩れてしまいそうだった
僕なんかにもう用はないと君が言った時 僕は悲しみのあまり死にたくなった

オー ダーリン 君に捨てられたら 僕ひとりではやっていけない
信じてほしい この言葉 決して君を傷つけたりはしない
信じてくれ ダーリン

オー ダーリン どうか信じてくれ 決して君を悲しませたりはしない
どうか信じてくれ この言葉 決して君を傷つけたりはしない

 
 
◆オー! ダーリン/Oh! Darling
  ■発表
    1969年9月26日
  ■シングル・リリース(日本のみ)
    1970年6月5日
  ■収録アルバム
    アビイ・ロード/Abbey Road(1969年)
  ■作詞・作曲
    ポール・マッカートニー/Paul McCartney(クレジットはレノン=マッカートニー)
  ■プロデュース
    ジョージ・マーティン/George Martin
  ■録音メンバー
    ビートルズ (Beatles)
     ポール・マッカートニー/Paul McCartney(lead-vocal, backing-vocal, bass)
     ジョン・レノン/John Lennon(backing-vocal, piano)
     ジョージ・ハリスン/George Harrison(backing-vocal, guitar)
     リンゴ・スター/Ringo Starr(drums)




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ロックンロール・ウィドウ (Rock'n'Roll Widow)

2007年05月26日 | 名曲


  ぼくがよく遊びにお邪魔するブログ、bugaluさんの「These Are Soulful Days」に、数日前、山口百恵さんの「ロックンロール・ウィドウ」についての記事が書かれていました。それに影響されて、今、山口百恵さんのベスト・アルバムを聴いてます(^^)。


 「ロックンロール・ウィドウ」は、数ある山口百恵さんの曲の中で、ぼくが最も好きなもののひとつです。
 ハードなギター・リフをバックに歌う百恵さん、思いっ切りロックしてます。「秋桜」や「いい日旅立ち」と同じ人が歌っているとは思えません。こういう歌も歌えるんですね。というより、ロックを歌うのもとても似合っています。表現者としての幅広さにも「ヤラレタ」って感じです。


 百恵さんの30枚目のシングルとしてリリースされた「ロックンロール・ウィドウ」は、阿木燿子+宇崎竜童夫妻の作品です。このふたりのコンビが作る曲は、比較的ロック色が濃いんですが、この曲はまさにそれが極まった感があります。
 編成はギター、ピアノ、ベース、ドラムスにマウス・ハープのシンプルなもの。ヘタにストリングスを加えてないところが、歌謡曲っぽさが薄まっているひとつの理由だと思います。いや、薄まっているというより、正当派のハード・ロック・サウンドではありませんか。良い意味でのバタ臭さが漂っています。


     


 いきなりギターが火を噴く攻撃的なイントロは、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」を彷彿とさせます。
 とにかくこの曲でほとばしるギターのエネルギーは、まさに活火山級。
 イントロしかり、百恵嬢の歌と絡むサビしかり、間奏のソロしかり。
 縦横無尽に弾きまくっているのは、名手矢島賢さん。
 ぼくはアリスの往年の名曲「遠くで汽笛を聞きながら」のギター・ソロが大好きなのですが、そのソロを弾いているのがこの矢島さん。
 1970年代以降の日本ポピュラー音楽シーンに君臨した素晴らしいギタリストです。
 ちなみにドラムスは渡嘉敷祐一さん、ベースは長岡道夫さん。
 一騎当千の強者ぞろいなのです。
 

 そしてこの曲を歌う百恵さんのヴォーカルのふてぶてしいこと。
 どっしりとした威圧感やドスの効いた歌声は、「見事」の一言に尽きるでしょう。
 単なる歌謡曲じゃありません、この曲。それに、そんじょそこらのアイドル・タレントが歌いこなせるようなハードルの低い曲でもないのに、まだ21歳の百恵さんの貫禄充分なパフォーマンスには、聴いてるこちらは興奮させられっぱなし。


 カッコつけで外見だけの「お調子者ロッカー」を痛烈に皮肉った阿木燿子さんの歌詞がとてもリアルに感じられて、痛快です。とくに『もしも誰かに聞かれたら/夫はとうに亡くなりましたいい人でした/かっこ~かっこつけて泣きたいわ』、このエスプリの効いた一節にはニヤリとさせられます。


 阿木燿子+宇崎竜童コンビの歌には好きなものが多いんですが、「ロックンロール・ウィドウ」はその中でも筆頭格です。
 最近出たトリビュート・アルバムでは藤井フミヤさんがカヴァーしているみたいですね。


     


[歌 詞]


ロックンロール・ウィドウ (Rock'n'Roll Widow)
■リリース
  1980年5月21日
■作 詞
  阿木燿子
■作 曲
  宇崎竜童
■編 曲
  萩田光雄
■歌 
  山口百恵
■録音メンバー
  矢島賢(guitar)
  長岡道夫(bass)
  渡嘉敷祐一(drums) ほか
■収録アルバム
  メビウス・ゲーム
■チャート最高位
  1980年度週間チャート オリコン3位
  1980年度年間チャート オリコン40位


山口百恵『ロックンロール・ウィドウ』


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演奏中に停電

2007年05月25日 | 価値観
♪わが相棒たち↑

 
 10何年も前のある夜のこと。
 美人歌手の誉れ高いAちゃんのライヴを、とあるライヴ・ハウスで行いました。
 と、言っても、別にぼくが主催したわけじゃなくて、Aちゃんのバックを務めたわけです。美人歌手の伴奏を務めたのはその時で3人目くらい(主観による)。どうもぼくは美人歌手に好かれる運命にあるのでしょうか(^^)。
 たぶん美しい人は美しい伴奏者を好むのでしょう(わはは)。うん、その気持ちはよーく分かります。
 ちなみにその時のメンバーは、美人歌手Aちゃん、サックス、ピアノ、ドラムス、そしてベースのぼく、の計5人でありました。おかげ様で客席は満席です。


 さて、ライブというものは大抵の場合2部制とか3部制(これを「2セット」「3セット」などと言います)になっていて、各セットの頭には1、2曲、ヴォーカル抜きのインストゥルメンタル、つまりバック・バンドだけの演奏をおこなったりします。
 その最中のこと。
 演奏に熱がこもってきて、「よ~し、ノってきたノってきた」と思いながらベースを弾いていたんでありますが、いきなり暗くなって音まで出なくなってしまった。そう、原因は分かりませんが、ステージ側だけブレーカーが落ちて停電してしまったのです。。。


 せいぜい50~60人も入ればいっぱいになるくらいの広さしかないハコ(この場合ライヴ・ハウスのこと。「小屋」とも言う)なので、電気で音を増幅しているのは、歌手用マイクと、ウッド・ベースに取り付けたマイクをアンプにつないでいるぼくだけです。ピアノもサックスもドラムも停電なんてお構いなし、平然と演奏し続けている中で、ぼくはいったいどうしたらいいのでしょう。


 この場合考えられる対処法としては、
 ①もうしかたがないので、そのままなるべくデカい音で弾きまくる。
 ②停電の原因を探るべくブレーカーのところまで行く。
 ③お店のスタッフにクレームをつける。即ち文句を言う。
 ④ウッド・ベースごと客席に乱入して楽器を弾きながら走り回る。
 の四つがあります。ぼくがやったのは①でした。とっさのことだったので、そういう風にしか反応できなかったのです。
 しかし、一番良い反応の仕方は④の客席へ乱入する、であります。もちろん、アンプと楽器を繋いでいるケーブル(シールド)を引っこ抜いて、楽器を引きずりながら乱入するのです。


 ドラムスがビシバシ叩きまくり、ピアノがガンガン弾きまくり、サックスが思い切り吹きまくっていたら、しょせんベースは弱音楽器の哀しさ、太刀打ちできるはずもありません。(でも1920~30年代のベーシストはアンプなしでビッグ・バンドを向こうに回して弾いてたんです。スゴイ。)その場で弾いていても客席には音は届いてないんです。自分の音が自分の耳にさえ聴こえてこない。したがって、お客さんには「弾いているところを見せているだけ」なのです。


 しかし④となると、今までステージにしかいないと思っていた者が、ハプニングで客席に下りてくるわけですから、客席が沸かないわけがない。アクシデントを成功にスリ替えるチャンスだったのです。あ~あ、まだまだ未熟だったんですね、その頃のぼくは。
 今では仮に停電が起きても、なんらかの芸をやってみせる自信があるんだけどなー。目立つチャンスですしね(^^)。でも、そう思っている時に限ってアクシデントは起きてくれないものであります。
 いや、ほんとうは停電なんて起きてくれないほうがいいんですけどね。




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愛するデューク (Sir Duke)

2007年05月24日 | 名曲


  ステイーヴィー・ワンダーが1976年に放った大ヒット・アルバムが「キー・オブ・ライフ」です。リリースされるや、いきなり初登場で全米アルバム・チャート1位となり、13週連続、計14週チャートの1位に輝いています。同年度のグラミー賞では4部門を制覇しました。
 「キー・オブ・ライフ」は、スティーヴィーの持つ豊かな音楽性を遺憾なく発揮した、大傑作アルバムだと言えるでしょう。


     
     『キー・オブ・ライフ』


 「愛するデューク」は「キー・オブ・ライフ」に収録されている曲で、これもシングル・カットされるや大ヒットを記録、全米ソウル・チャート、全米ポップ・チャートの両方で1位になりました。
 

 「デューク」とは、ジャズ界の偉人、デューク・エリントンのことで、スティーヴィーがナット・キング・コールと並んで最も敬愛しているアーティストです。
 1975年のグラミー賞授賞式では、最優秀アルバム賞受賞後に「前年に亡くなったデューク・エリントンに捧げる」とスピーチしているほどです。


     


 「愛するデューク」の、ホーン・セクションとドラムだけのイントロを聴くだけで、すでにワクワクしてしまいます。生き生きとしたビートに乗って流れてくるメロディーが楽しい。バックのホーン・セクションは、まるでビッグ・バンドのアンサンブルのようです。
 そして『音楽には誰もが歌い踊る平等な権利がある。そしてそれは生活と切っても切れないもので、みんな全身でそれを感じることができるはず』というメッセージが込められています。人種や言葉の壁を超えた、人間にとってはなくてはならない音楽というものを、心から讃える歌詞が歌われているんですね。
 後半、同じメロディーが何度も繰り返されるごとにどんどん盛り上がり、スティーヴィーのソウルフルな歌声もテンションが高まってゆきます。


 この曲の間奏は、ホーン・セクションとベースのユニゾンで演奏されています。みんなが気持ちよくスウィングしていて、とってもカッコいい。
 ぼくが初めてベースを弾いた(弾かざるをえなかった)時、渡された楽譜の中にこの曲があったんです。ろくに指も動かない全くの初心者なのに、あんな長い間奏、しかもユニゾンでキメなければならない難しいフレーズが弾けるわけがないと思いました。でも、一ヶ月ほど「デューク」ばかり弾いた甲斐があったのでしょうか、本番でもヒヤヒヤものながら、無事弾き終えることができたのもいい思い出です。


     


 歌詞の中にはエリントンのほか、カウント・ベイシー、グレン・ミラー、サッチモことルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルドの名前が出てきます。スティーヴィーが愛してやまないグレイトなアーティストの名を登場させることで、彼らをリスペクトしているのかもしれませんね。


 スティーヴィーの書く曲は、単なるブラック・ミュージックのカテゴリーにはとどまらず、さまざまなジャンルの音楽を貪欲に吸収し、消化しています。
 「愛するデューク」もソウル、ポップス、スウィング・ジャズなどのエッセンスを取り込んだ、とても楽しいナンバーです。
 この曲は2002年にはトヨタ自動車のCMに使われていたので、耳馴染みのある方もきっとたくさんいらっしゃることでしょう。



[歌 詞]
[大意]
音楽はそれ自体がひとつの世界で そこには誰でも理解できる言葉があり
みんなに歌い、踊り、手拍子を取る平等な権利があるんだ
レコードに溝が刻まれているからって 決まりきったことはしないこと
でも最初のAの文字から みんなが動き始めれば分かるはずさ

みんな全身で感じられるんだ そこら中に感じられる
みんな全身で感じられるんだ そこら中に感じられるのさ

音楽は知っているんだ それが生活に切っても切れないものだと
そしてそこには時間を経ても忘れられない 音楽の先駆者たちがいる
ベイシー、ミラー、サッチモ、そして全ての王者デューク・エリントン
エラのような声が鳴り響いても バンドは絶対に負けちゃいけない

君はそれを全身で感じる みんな全身でそれらが感じられる
君はそこら中にそれを感じる 僕も全身でそれを感じている
みんなそこら中に感じるんだ それが全身に感じないかい?
さあ、そこら中に感じよう 君も全身で感じられるさ みんな-全身で
 


愛するデューク/Sir Duke
■収録アルバム
  キー・オブ・ライフ/Songs in the Key of Life(1976年)
■シングル・リリース
  1977年3月22日
■作詞・作曲
  スティーヴィー・ワンダー/Stevie Wonder
■プロデュース
  スティーヴィー・ワンダー/Stevie Wonder
■録音メンバー
  スティーヴィー・ワンダー/Stevie Wonder(vocal, electric-piano, percussion)
  マイク・センベロ/Michael Sembello(lead-guitar)
  ベン・ブリッジス/Ben Bridges(rhythm-guitar)
  ネイサン・ワッツ/Nathan Watts(bass)
  レイモンド・パウンズ/Raymond Pounds(drs)
  レイモンド・マルドナード/Raymond Maldonado(trumpet)
  スティーヴ・マダイオ/Steve Madaio(trumpet)
  ハンク・レッド/Hank Redd(alto-sax)
  トレヴァー・ローレンス/Trevor Lawrence(tenor-sax)
■チャート最高位
  1977年週間チャート  アメリカ(ビルボード)1位  イギリス2位
  1977年年間チャート  アメリカ(ビルボード)18位



スティーヴィー・ワンダー『愛するデューク』


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カルメン・マキ&OZ ライヴ (Live)

2007年05月23日 | 名盤


 アナログ盤では「ラスト・ライヴ」と銘打たれていたこの2枚組アルバムは、1977年5月の日比谷野外音楽堂と、同年10月の東京厚生年金会館におけるライヴの模様が収録されています。文字通り末期のカルメン・マキ&OZのラスト・パフォーマンスが聴かれます。
 アルバムのリリースは1978年8月ですが、OZはその前年に解散しています。


 


 カルメン・マキ&OZは、ジャニス・ジョプリンに触発されたマキ嬢が春日博文氏を誘って、1972年春に結成したバンドです。OZが結成された頃は、日本ロック界の黎明期でした。まだまだ未成熟な音しか出せない多くのバンドの中にあって、OZの出現は強烈な印象を残しました。マキ嬢のヴォーカルと春日氏のギターは、欧米のロックに慣れ親しんだファンの耳にも驚愕を持って迎えられました。
 OZには聴くものに有無を言わせないパワーがあります。OZの作品は「日本のロック」という狭いカテゴリーを超えた、当時のロック・ミュージックというものに対する日本からの回答のひとつではなかったでしょうか。


 


 この作品は、臨場感あふれる最高のライヴ・アルバムのひとつです。ライヴならではの緊張感と、ダイナミックな演奏が楽しめます。選曲も、ベスト・アルバム的で、OZの代表的なナンバーばかり。
 激流のような勢いのある、迫力の満点の荒々しいサウンドは、まさしくハード・ロックそのものと言っていいでしょう。


 冒頭は「君が代」から「午前1時のスケッチ」へ、そしてそのままベースのフリー・インプロヴィゼイションへと続きます。切れ目なく曲は「崩壊の前日」へなだれ込みます。このあたりの流れはとてもエキサイティング。
 「君が代」は、ウッドストックでのジミ・ヘンドリックスのパフォーマンス、「アメリカ国歌」に触発されたものでしょうか。
 ザ・フーのジョン・エントウィッスルを彷彿とさせる川上茂幸のベースはファズ(ブラスマスター?)がかかっていて、まさに唸りを上げるといった表現がぴったりです。


 
     

 Disk2の、「閉ざされた町」~「26の時」~「空へ」~「私は風」という流れがまさに圧巻です。
 OZならではのドラマティックな曲、叙情的な歌詞、マキ嬢の表情豊かな美声とシャウト、ヘヴィーな演奏、これらが一体となった音のかたまりが迫ってくるのです。
 ハード・ロック・バンドとしてのサウンドもさることながら、奔流のような詩情があるからこそ、ぼくを含めて大勢の人の胸に響いたのではないでしょうか。


 マキ嬢の歌声の生々しさは、聴いていてトリハダものです。
 マキの半生を綴ったかのような「26の時」、ジャニス・ジョプリンへの敬慕を歌詞に託した「空へ」、哀しい女心を歌った「私は風」などで聴かれる歌唱力は群を抜いていると思います。
 歌唱力ももちろんですが、スピリットにおいて、また存在感において、マキ嬢を上回る女性ロッカーは、これ以降まだ出現していないのではないでしょうか。


 
  左上:春日博文(guitar) 右上:武田治(drums) 左下:川上茂幸(bass) 右下:川崎雅文(keyboards)


 当時から自前の照明・音響チームを抱えていたOZは、現在のコンサート・ツアーという形の先鞭をつけたバンドでもあります。どんな所へも機材を全て持って行ったOZは、そのために経費がかさんでしまい、これがバンド解散の一因ともなった、と言われています。


 
     

 カルメン・マキ&OZが、その後のSHOW-YAを始めとする女性ロッカーたちに与えた果てしない影響と強いインパクトは、残された数少ない音源から充分に伝わってきます。
 マキ嬢は、現在「カルメン・マキ&サラマンドラ」を率いて活動しています。そのバンドはハード・ロックではないけれども、ジャズ寄りのソウルフルなサウンドで、積極的にライヴも行っているようです。


 



カルメン・マキ&OZ ライヴ (Live)
  ■リリース
    1978年8月
  ■プロデュース
    カルメン・マキ&OZ
  ■収録曲
   [side-A]
    ① 君が代(インストゥルメンタル)
    ② 午前1時のスケッチ
    ③ シゲのソロ(インストゥルメンタル)
    ④ 崩壊の前日
    ⑤ 六月の詩
   [side-B]
    ⑥ Image Song
    ⑦ とりあえず……(Rock'n Roll)
   [side-C]
    ⑧ あどりぶ(インストゥルメンタル)
    ⑨ 閉ざされた町
    ⑩ 26の時
   [side-D]
    ⑪ 空へ
    ⑫ 私は風
  ■録音メンバー
   [カルメン・マキ&OZ]
    カルメン・マキ(vocal)
    春日博文(guitar)
    川崎雅文(keyboards)
    川上茂幸(bass)
    武田 治(drums)


 

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アローン・アゲイン  Alone Again(Naturally)

2007年05月22日 | 名曲


  ギルバート・オサリヴァンという名前や、アローン・アゲインという曲名を聞いて、すぐにピンと来る人ってどのくらいいるのでしょうか。今やあまり耳にすることのないそのタイトルですが、実際に曲を聴いてみると「あ、知ってる」と思う人って案外多いんじゃないか、と思います。
 日本では金曜ドラマ『ホーム・ドラマ!』の主題曲に使われたり、三菱自動車やJTのコマーシャルにも使われていましたね。あ、そうそう、アニメ『めぞん一刻』の第24話や、実写版の『めぞん一刻』にも使われたんでしたね。


 ギルバート・オサリヴァンは姓で分かるようにアイルランドの出身です。ジェリー・ゴフィン&キャロル・キングに影響されて曲を作るようになり、デモ・テープをありとあらゆるレコード会社に送ってチャンスを伺いますが、全く相手にされませんでした。業を煮やしてロンドンに出てきたギルバートは、1967年、ようやくデビューに漕ぎつけます。しかし当時はアート・ロックやサイケデリック・ロックの全盛期だったので、牧歌的なギルバートの作品はほとんど売れませんでした。


 1970年代に入ってアメリカでシンガー・ソング・ライターのブームが起こると、ギルバートにも次第にスポットが当たるようになります。70年にシングル『ナッシング・ライムド』とファースト・アルバム『ヒムセルフ』がヒットし、それが72年の『アローン・アゲイン』『クレア』のヒットにつながっていくわけです。
 『アローン・アゲイン』は72年7月から8月にかけて4週連続、計6週連続全米1位、年間チャートでは2位となる大ヒットを記録しました。


     


 『アローン・アゲイン』はピアノとアコースティック・ギターを主体としたシンプルな伴奏で、柔らかいストリングスと軽めのホーンが、曲に優しく味付けしています。ジョン・レノンに似た、少し鼻にかかったようなとても優しげな歌声です。どこか寂しげで、それでいてどこか懐かしい、とても印象的なメロディーを持っている曲です。哀愁が漂っているんですが、哀しみに打ちひしがれるような暗さはなく、不思議に安堵感があるんです。
 賑やかでケバケバしい音が氾濫する中でこの曲を聴くと、ちょっとホッとする気がしますね。
 しかし、きれいなメロディーに対して歌詞はとても重い内容を持っています。傷ついて孤独な人生を送っているあわれな男の物語が歌われているのです。


 『アローン・アゲイン』のヒットでギルバートは一躍新進のメロディー・メイカーとして注目されるようになります。当時、ポール・マッカートニーは「ぼくの後に続くアーティストはエルトン・ジョンとギルバート・オサリヴァンだ」と公言していました。そのエルトン・ジョンも「ライバルはギルバート・オサリヴァンだ」と発言。また、後年ビリー・ジョエルは「ぼくはギルバート・オサリヴァンの次を狙っていた」と言っていますが、これらの言葉から、ギルバートがいかに注目されていたかが分かります。


 ギルバートは80年代になると音楽業界から遠ざかります。しかし90年代になると復活、マイ・ペースで活動しています。1992年には初来日を果たしました。
 近年はドーバー海峡に浮かぶイギリスの小島、ジャージー島で創作活動に励んでいるということです。



[歌 詞]
[大 意]
今からちょっと時間が経っても もしまだ気がくさくさしてたら
ひとつこうしてやろうと自分に約束してある。
近くの塔へ行って てっぺんまで登って 身投げしてやるぞって
みんなに教えてやろうという気があるんだ
体がバラバラになるってどんなのかをね
でも今は教会で誰にも相手にされずポツンとしている
こんな声が聞こえる―
「お気の毒に」「彼女に待ちぼうけ食わされたんでしょう」
「私たちここにいてもしょうがないですね」「家に帰りましょうか」
昔もそうだったようにまた一人になってしまった 当たり前みたいに

もしこう考えたら 
昨日まではぼくは陽気で明るく楽しげで わくわくしてたって考えたら
ぼくが演じようとしている役を 私ならしないと誰が思うだろう。
でもまるで打ちのめしてやるとばかりに 現実が現れて
ちょこっとも触ることすらせずに ぼくをこなごなに切り裂いてしまった
それでぼくは疑っている 慈悲に満ちた神の話とか
もし本当に神がいるならだれが神なのかとか なぜボクを神は見捨てるのかとか
まさかのときに 本当にぼくは また一人になってしまった 当たり前のように

ぼくには思えるんだ もっともっと
世界には傷心しているのにそれを癒すこともできずに
相手にもされないままの人がたくさんいるって
どうしたらいいんだ どうしたらいいんだ

また一人になってしまった 当たり前のように

過去数年を振り返ってみると 他に何が目に浮かんで来ても
父が死んだとき泣いたことを覚えている 
涙を隠そうという思いなど毛頭なかった
そして65歳で母は他界した
理解できなかった なぜ母が愛した唯一の男はあの世に連れて行かれ
その男のせいで母は傷心した生活を始めなくてはいけなかったのか
ぼくの励ましにもかかわらず 母は言葉を失っていった
そして母が他界したとき ぼくは一日中泣いて泣きまくった
また一人になってしまった 当たり前のように
また一人になってしまった 当たり前のように



アローン・アゲイン/Alone Again(Naturally)
■シングル・リリース
  1972年2月18日(英) 1972年5月(米)
■収録アルバム
  グレイテスト・ヒッツ/Greatest Hits (1973年)、バック・トゥ・フロント/Back to Front (2012年リマスター)
■作詞・作曲・歌・プロデュース
  ギルバート・オサリヴァン/Gilbert O'sullivan
■チャート最高位
  1972年週間チャート アメリカ1位(ビルボード 1972.7.29~8.19、11.2~11.9 計6週)、イギリス3位、日本1位(オリコン 1972.10.23~11.20 5週連続)
  1972年年間チャート アメリカ(ビルボード)2位、イギリス36位


ギルバート・オサリヴァン「アローン・アゲイン」



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出発(たびだち)の歌 ー失われた時を求めてー

2007年05月21日 | 名曲


  「出発の歌」は1971年10月に行われた「合歓ポピュラー・ソング・フェスティヴァル」に参加しました。
 エントリーされた全34曲の中から、赤い鳥「窓にあかりがともる時」、沢田研二「君をのせて」、トワ・エ・モア「友達ならば」などを抑えて、グランプリに選ばれました。
 次いで出場した同年11月の第2回世界歌謡祭でもグランプリに輝き、12月にレコードをリリース、翌72年にかけて大ヒットしました。
 「ポピュラー・ソング・コンテスト」(通称ポプコン)もあってとてもややこしいのですが、この大会はポプコンとはまた別のフェスティヴァルで、歌手やプレイヤー中心だった当時の音楽状況の中で、作曲家に作品を発表する機会を与え、日本のポピュラー音楽の質の向上と反映をはかるという目的で開催されたものです。

 
 ぼくがこの曲を知ったのは、高校の時です。先輩が組んでいたバンドに誘われたのですが、そのバンドはこの「出発の歌」をレパートリーにしていました。「出発の歌」が世に出てからずーっとあとのことで、ぼくはバンドの練習の時に初めてこの曲を聴いたわけです。その時は「まあまあいい曲だなあ」と思っただけで、原曲は聴かずじまいでした。
 初めてオリジナルを聴いたのは数年前です。レンタル・ショップで借りた「青春歌年鑑'72」というオムニバス・アルバムの中に入っていたのです。「まあまあいい曲」どころか、なんてカッコいい曲なんでしょうか。
 

 


 アコースティック・ギターによるイントロに続き、ヴォーカルが抑えた感じで入ってきます。
 言葉をひとつひとつ丹念に拾ってゆくような、静かながらも芯が通ったような歌です。
 サビのメロディーからはスケールの大きさが伝わってきます。
 大らかなメロディーですね。よく伸びるふくよかな上條氏のバリトンが響きます。
 何度も繰り返されるエンディングのリフレインは、力強いコーラス、ストリングス、ホーン・セクションなどが入ってくるダイナミックなもの。いったんブレイクした後で、ドラムスのフィル・インによって再びリフレインが繰り返されます。そして盛り上がったまま、エンディングを迎えるのです。
 ダイナミックで、飛翔感のある名曲だと思います。
 これは、上條氏の男っぽくてスケールの大きな歌唱力と楽曲の素晴らしさとが相まって、世間に和製フォーク・ロックの魅力を認めさせた曲だといってもいいでしょう。
    
 
 上條氏は翌72年にはテレビドラマ「木枯らし紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」をもヒットさせ、その年の紅白歌合戦に出場しました。
 その後は俳優として舞台に、テレビに、映画にと活動の場を広げています。素晴らしい声量の持ち主で、ミュージカルをもこなしています。ドラマでは、「3年B組金八先生」での社会科教師・服部肇役がとても有名ですね。
 ぼくが印象に残っているのは、十朱幸代を慕う純朴な青年の役を演じた「男はつらいよ 寅次郎子守唄」です。これがまたハマり役だったんですよ。
 
 
  「六文銭」は上條氏のバック・バンドではなく、この曲のためにコラボレートしたようです。
 ちなみにリーダーの小室等氏は「フォーライフ・レコード」の初代社長を務めました。またメンバーの四角佳子嬢はのちに吉田拓郎と結婚しましたね。



六文銭


 「出発の歌」は、卒業や結婚式などでもよく取り上げられていたみたいです。卒業ソングを集めた「卒業物語」というオムニバス・アルバムにも収録されています。
 コーラス曲としてもよく歌われていたようですが、今はどうなんでしょう、あんまり歌われていないのかもしれません。
 今では「隠れた名曲」的存在になっているのでしょうか。もっともっと歌われて欲しい曲だと思います。
 
 

[歌 詞]
 
 
■出発(たびだち)の歌 -失われた時を求めて-
 ■シングル・リリース
   1971年11月
 ■作詞
   及川恒平
 ■作曲
   小室 等
 ■編曲
   木田高介
 ■歌
   上條恒彦+六文銭
   (六文銭=及川恒平、原茂、橋本良一、四角佳子)
 ■チャート最高位
   オリコン週間5位
 

「出発の歌」 上條恒彦・六文銭 
 



 

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ミシェル・ペトルチアーニ (Michel Petrucciani)

2007年05月20日 | 名盤


 ミシェル・ペトルチアーニが、先天性の骨形成不全という障害を持っていたことはあまりにも有名です。
 成人したミシェルの身長は1mほどしかなかったばかりか、骨がとても脆かったそうです。このためミシェルは演奏中に指を骨折したこともあったそうですし、歩くことにも慎重にならざるを得なかったといいます。医者からは「とても長生きはできない」と言われていました。事実、彼は1999年に36歳の若さで亡くなりました。
 さて、ミシェルは障害を持ちながらピアノを弾いていたから有名になったのでしょうか。
 いや、断じてそうではないと思います。
 素晴らしい音楽を奏でたからこそ、ピアニストとして正当な評価を得たのだと思います。


 ミシェルのタッチは力強く、その音色には曇りがありません。彼の弾くピアノは明快で、非常にスケールが大きく、時にはユーモラスでさえあります。
 おそらくミシェル・ペトルチアーニという人間は、ユーモアがあり、バイタリティにあふれているのではないでしょうか。そして、その人間性が彼の音楽にわかりやすく反映されているのではないか、と思えて仕方がないのです。


     


 自分の障害を真正面から見据え、受け入れるには、大きな葛藤に苛まされたかもしれません。また、長くは生きられないであろう自分の人生を思う時、彼は精神的にも追い込まれたことがあったかもしれません。しかしなぜ彼はあのような明るくユーモラスな演奏ができたのでしょうか。とても不思議です。
 だから、ぼくは、彼の身体的状況よりも、彼の持つ精神面の強さや、価値観、哲学などに興味を抱いてしまうのです。


 この「ミシェル・ペトルチアーニ」というアルバム(ジャケットの縁取りが赤いところから通称『赤ペト』と言われている)は、彼が19歳の時に発表した、初リーダー作です。
 ジェニー・クラークとアルド・ロマーノという、ヨーロッパ屈指の名手と言われる二人に支えられて、ミシェルは、障害を持っているかどうかということなどを超越した、素晴らしいピアノを聴かせてくれます。とくに、力強さにあふれたタッチから生み出す音色は、切れ味鋭く瑞々しい。そのうえ、ペトルチアーニならではの温もりに満ちています。


 オープニングの「オマージュ・ア・エネルラム・アトセニグ」から、ビル・エヴァンスを思わせるような雰囲気のピアノが聴こえてきます。ベテラン二人に臆することなく、伸び伸びとプレイしているようです。
 ゆるやかなテンポで演奏される「酒とバラの日々」では、音の空間を巧みに生かして、美しいメロディー・ラインとヴォイシングを際立たせています。
 3曲目の「クリスマス・ドリーム」、これはぼくがこのアルバムの中で一番好きな曲です。スピーディーな明るいワルツで、とてもメロディアス。ハッピーな気持ちになれる曲です。





 4曲目「ジャスト・ア・モーメント」では、緊張度の高い、高揚した演奏が聴かれます。ドラムがピアノに煽られて、次第にハイ・テンションになるのが面白い。
 続くジャズ・ボッサ風の「ガティット」は、不思議な浮遊感があります。変幻自在にピアノに絡んでゆくクラークのベース、とてもユニークです。
 ラストはスタンダードの「チェロキー」。ドラム・ソロから始まり、次第にメロディー・ラインを浮き上がらせています。超高速で飛ばす三人の演奏はとても爽快です。


 ミシェルのアルバムを聴く時、やはり短かったミシェルの生涯にも思いをはせます。
 しかし短い生涯だったからといって、彼が不幸だと考えるのは間違いだと思います。
 ミシェルは普通の人の倍のスピードで人生を駆け抜けていったのではないでしょうか。
 きっとそれは、実に濃く凝縮された、充実した一生だったのだろうと思うのです。



◆ミシェル・ペトルチアーニ/Michel Petrucciani
  ■演奏
    ミシェル・ペトルチアーニ/Michel Petrucciani (piano)
  ■リリース
    1981年
  ■録音
    1981年4月3日、4日 スピッツバーゲン・スタジオ(オランダ)
  ■レーベル
    Owl Records
  ■プロデュース
    Jean-Jacques Pussiau & François Lemaire
  ■収録曲
   [side A]
    ① オマージュ・ア・エネルラム・アトセニグ/Hommage À Enelram Atsenig (Michel Petrucciani)
    ② 酒とバラの日々/The Days of Wine and Roses (Johnny Mercer, Henry Mancini)
    ③ クリスマス・ドリームス/Christmas Dreams (Aldo Romano)
   [side B]
    ④ ジャスト・ア・モーメント/Juste un Moment (Michel Petrucciani)
    ⑤ ガティット/Gattito (Aldo Romano) 
    ⑥ チェロキー/Cherokee (Ray Noble)
  ■録音メンバー
    ミシェル・ペトルチアーニ/Michel Petrucciani (piano)
    ジャン-フランソワ・ジェニー・クラーク/Jean-François Jenny Clark (bass)
    アルド・ロマーノ/Aldo Romano (drums)



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ラプソディー (Rhapsody)

2007年05月19日 | 名盤
 
♪自分的名盤名曲151


ラプソディー (Rhapsody)
■1980年
■RCサクセション
 ☆忌野清志郎(vo)
 ☆仲井戸麗市(g,vo)
 ☆小林 和生(b)
 ☆GONTA-Ⅱ(keyb)
 ☆新井田耕造(drs)
 ----------------
 ★小川 銀次(g)
 ★梅津 和時(sax)


 1978年から80年頃にかけてメンバーを入れ替えたRCサクセションは、ロック・バンドとして再生しました。ロック・バンドたるRCサクセションの実質的なデビュー・アルバムが、この「ラプソディー」です。
 「ラプソディー」、辞書を引いてみると、『形式にとらわれない、はでな器楽曲』とあります。まさにこのアルバムにピッタリの言葉ではないでしょうか。


 チャボこと仲井戸麗市が加わった1978年頃から、RCサクセションはライヴ・ハウスなどで人気を高めてゆきます。80年1月には、渋谷のライヴ・ハウス「屋根裏」でのギグを4日間にわたって満員にし、大成功を収めました。
 そして迎えたのが、1980年4月5日、東京・九段の久保講堂での、このライヴです。
 当時のRCサクセションは、なぜかレコーディングではおとなしくまとまってしまっていたため、何とかライヴ時の迫力が伝わらないものか・・・と考えた結果、ライヴを収録してそれをレコードにしよう、ということになったんだそうです。


     


 「ラプソディー」は、『日本ロック史上最高のライヴ・アルバムを選べ』と言われると、真っ先にその名が出てくるもののひとつだと思います。ライヴ盤がスタジオ盤を超えた数少ないアルバムとも言っていいでしょう。とにかく、一番ハジけていた時の彼らの姿が垣間見えるんです。メンバーのふてぶてしい面構えが見られるジャケット写真もカッコいい。
 オープニングで観衆をあおる清志郎、のっけからエンジン全開です。1曲目の「よォーこそ」ですぐ音の渦の中に引きずり込まれます。


     


 ソウルとブルーズとが絶妙にブレンドされた骨太のロックが飛び出してきます。RCサクセションはまさに「KING OF ROCK」。
 R&Bの洗礼を受けている清志郎の音楽観と、従来のJ-ポップ(ニュー・ミュージック)の概念から逸脱した反骨精神旺盛で率直な歌詞が気持ちいい。ギラギラした輝きを持つこのバンドの精神、ロックンロールでパンクですね。
 ソウルフルなボス・清志郎の圧倒的な存在感は、例えていうならミック・ジャガーとか、御大JBらを彷彿とさせるものがあります。


 当時、「最強のライヴ・バンド」と言われていただけあって、スタジオで加工されていることを割り引いても、素晴らしく臨場感のあるアルバムに仕上がっています。
 バックの演奏は堅実で、ホットで、非常にパワフルです。不良っぽくて、エネルギッシュ。ローリング・ストーンズを思わせるところがありますね。サポートの小川銀次の驚異的テクニックのギターと、サックスの梅津和時の少々エキセントリックなサックスがバンド・サウンドに大きく貢献しています。


     


 全9曲、どれもステキです。中でもぼくのお気に入りは「よォーこそ」、ピーター・ガンに似たイントロを持つ「ボスしけてるぜ」、「雨上がりの夜空に」、そして清志郎が奥さんとのことを唄った曲「ラプソディー」です。~バンドマン歌ってよ/バンドマン今夜もまた/ふたりのためのラプソディー~という一節、泣けますね。


     
     『ラプソディ・ネイキッド』


 最近、このライヴの未発表9曲とDVDがついた「ラプソディー・ネイキッド」が発売されて好評を呼んでいるようです。MCまで含めた、このライヴの全貌を聴くことができますよ。


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真夏の夜のジャズ (Jazz On A Summer's Day)

2007年05月18日 | 映画
 
♪お気に入り映画24


真夏の夜のジャズ (Jazz On A Summer's Day)
■1959年
■監督…バート・スターン、アラム・アヴァキアン
■音楽…ジョージ・アヴァキアン
■演奏曲目・出演
 01. トレイン・アンド・ザ・リヴァー(ジミー・ジュフリー・スリー)  
 02. ブルー・モンク(セロニアス・モンク)
 03. ブルース(ソニー・スティット)
 04. スウィート・ジョージア・ブラウン(アニタ・オデイ)
 05. 二人でお茶を(同)
 06. ロンド(ジョージ・シアリング・クインテット)
 07. オール・オブ・ミー(ダイナ・ワシントン)
 08. アズ・キャッチ・キャン(ジェリー・マリガン・カルテット)
 09. アイ・エイント・マッド・アット・ユー(ビッグ・メイベル・スミス)
 10. スウィート・リトル・シックスティーン(チャック・ベリー)
 11. ブルー・サンズ(チコ・ハミルトン・クインテット)
 12. レイジー・リヴァー(ルイ・アームストロング・オールスターズ)
 13. タイガー・ラグ(同)
 14. ロッキン・チェア(ルイ・アームストロング,ジャック・ティーガーデン)
 15. 聖者の行進(ルイ・アームストロング・オールスターズ)
 16. 神の国を歩もう(マヘリア・ジャクソン)
 17. 雨が降ったよ(同)
 18. 主の祈り(同)



 この作品は、1958年7月3日から6日までの4日間にわたって開催された、第5回ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルの模様を収録した記録映画です。
 監督には当時弱冠28歳、新進気鋭のファッション・フォトグラファー、バート・スターンが起用されました。
 1959年のカンヌ映画祭で特別公開されています。日本公開は翌60年でした。


     
ジミー・ジュフリー(左)とボブ・ブルックマイヤー  ジェリー・マリガン


 大西洋を臨むロードアイランド州ニューポートは、ハイ・ソサエティの別荘地でもあります。このジャズ・フェスティヴァルは、ちょうど行われていたヨットのアメリカズ・カップと同時に開催されています。
 ジャズ・フェスのあった4日間ずっとカメラが回され、トータルで24時間分、10万フィート以上のフィルムが撮られました。これをスターンとA・アヴァキアンが半年をかけて82分の記録映画に編集したというわけです。


     
     セロニアス・モンク


 洒落たカメラ・ワークも見どころの、スタイリッシュな作品だと思います。
 出演ミュージシャンも豪華ですが、垢抜けたファッションの観客や、客席の雰囲気、ニューポートの街の情景にも魅了されます。
 冒頭のヨット、客席のウッド・チェア、観客のファッション、アイスクリームを食べる若い女性、キラキラした海面の照り返し、田舎道を走るオープン・カーなど、ライヴ会場周辺の様子がふんだんに挿入されています。そんなニューポートの風景をスケッチしたフォトジェニック的美しさと、観客の陽気な仕草やリアクションがシンクロしている構図がまた楽しいんです。


     
     ルイ・アームストロング


 ステージで一番ぼくの印象に残っているのは、なんといってもアニタ・オデイの熱唱ぶりでしょう。
 アニタは、黒のノースリーブ、羽飾りのついた帽子、白い手袋と、まるでファッション雑誌に出てくるようなスタイルで登場します。まずは「スウィート・ジョージア・ブラウン」です。アフリカン・リズムを思わせるドラムと歌とのデュオで始まります。エキゾチックな雰囲気を醸し出しておきながら、一転してミディアム・スローの粘っこいテンポに変え、実にブルージーに歌い込みます。アニタはこの曲をクールに、そしてエレガントにキメてみせます。
 続く「二人でお茶を」が圧巻です。超高速でカッ飛ばすアニタ、余裕しゃくしゃくです。オッフェンバックの「天国と地獄」の一節をまじえながら、バック・バンドを翻弄するように自在にリズムで遊んでいます。後半部分の、バックとの掛け合いがこれまた見事。おてんばなアニタが、ユーモラスかつスリリングにバンドを煽ること煽ること。そんなアニタの陽気でイタズラっぽい表情がまたキュートなんですね。強烈なスウィング感あふれるこのパフォーマンスに、観ているぼくの目は釘付け、体は思わずリズムを取っています。


     
     アニタ・オデイ     


 サッチモことルイ・アームストロング(tp)と、ジャック・ティーガーデン(tb)の掛け合いもとびきり愉快です。まさに最高のエンターテイナー、サッチモの本領発揮、といったところでしょうか。
 とてつもないパワーで観衆を興奮させるダイナ・ワシントンの歌も素晴らしいです。曲中、間奏部分で自らもマレットを持ち、テリー・ギブズにヴィブラホンでのバトルを仕掛けているのも、これまた楽しい。
 最後に登場するマヘリア・ジャクソンは、聴く者をみな包み込むような温かいゴスペルを貫禄たっぷりに歌っています。


     
     ルイ・アームストロング(左)とジャック・ティーガーデン


 この映画は、1950年代のアメリカの文化を鮮やかに写し出していると思います。それに、当時のミュージシャンたちの動く姿がカラーで見られるなんて、ちょっとした感動ですね。
 欲を言えば、もっとミュージシャンの演奏する姿を観ていたいのですが、この映像が単なるライヴ・フィルムではなく、1958年7月のニューポートの光景を切り取った記録映画だというふうに受け取れば、それもまた仕方がないでしょう。
 とにかく、「真夏の夜のジャズ」を観るたびに、ジャズを体感できる至福の時を味わえるのです。


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アリス (Alice)

2007年05月17日 | ミュージシャン
  
♪お気に入りアーティスト58


アリス (Alice)
 ☆谷村新司(vo,g)
 ☆堀内孝雄(vo,g)
 ☆矢沢 透(drs,per,vo)


 中学時代は洋楽ひとすじに聴いていたぼくですが、邦楽にはあまり興味がありませんでした。せいぜいテレビの歌番組を時々観るくらいです。
 高校へ入ると、同じクラスにタカギ君というフォーク少年がいて、彼がかぐや姫やアリスのレコードを貸してくれたのがきっかけで、J-ポップ(いや当時は「ニュー・ミュージック」と言ってましたね)を聴くようになったんです。


    


 タカギ君が一番好きだったのが、「アリス」です。その影響で、ぼくもアリスの曲をよく聴くようになりました。そういえば、初めてギターで弾けるようになった曲(と言ってもコード・ストロークだけですが)が、アリスの「今はもうだれも」だったんです。文化祭でも一緒にアリスの曲を演奏しました。


 初期のアリスはどちらかというとマイナー調の曲が多かったと思います。歌詞もちょっと暗かったなあ。青春の苦味や痛みを綴ったような詞が印象的でした。
 「今はもうだれも」がヒットする前と後ではだいぶ曲の雰囲気が違ってきます。それまでは和風のフォークが主流だったのですが、「今はもうだれも」あたりからよりポップになり、ロック色が強まりました。


    


 ラジオの深夜放送の人気番組、「ヤングタウン」や「セイ!ヤング」などもよく聴いてましたね。谷村新司がパーソナリティーを務めていて、これがまた話術が巧みで、とても面白かったんです。そもそもぼくが夜中まで起きていたのは、勉強をするという理由だったはずなんですが、気がつけばラジオにかじりつきになっているダメな高校生でした。


 アリスは「冬の稲妻」のヒットで大ブレイク、その後は「涙の誓い」「ジョニーの子守唄」「夢去りし街角」「狂った果実」「チャンピオン」など、立て続けにヒット曲を出しています。70年代の終わりには「秋止符」など、アリスの原点に帰ったような曲も出しています。でもぼくが一番好きなアリスの曲は、なんといっても「遠くで汽笛を聞きながら」なんです。やっぱりぼくはロックな曲が好きなんですが、この曲はリード・ギターとドラムスのフレーズがカッコよかったので、一番たくさん聴いたんじゃないかな。ドラマティックな「さらば青春の時」という曲も好きでした。


    


 1972年にデビューしたアリスは、1981年に解散します。文字通り、70年代を代表するニュー・ミュージック・グループでした。その後、何度か短期間再結成しては活動を休止することを繰り返しています。紅白歌合戦にも出場してましたね。
 今では谷村氏も堀内氏も「立派な演歌歌手」(^^)になっちゃってます。谷村氏は、中国の上海音楽学院の教授も務めているようですね。矢沢氏は今では飲食店とギター・ショップを経営しているそうです。
 今は三人それぞれが自分の道を歩んでいますが、今度再結成する時は原点に帰って、純粋なフォークを演奏するのも悪くないと思うんです。実現してほしいな~。



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