江東区:臨 川 寺
平成29(2017)年 2月15日 12:40~
清澄3-3-9
延宝8年(1680)深川に移り住んだ
松尾芭蕉は二歳年上の仏頂禅師の人柄に
感服し、足繁く参禅するようになる。
芭蕉庵と呼ばれた草庵が、臨川寺と
ほんの五百メートルほどしか離れていな
かったことも、二人の交流を深めたのだ
ろう。
芭蕉庵は新しい俳風を模索する一門の
拠点となり、また、号を桃青から芭蕉翁
と改めたのもこの頃。
禅味が加わった芭蕉の作風は、従来
見られなかった高い精神性を俳句の世界
にもたらし、文芸としての価値を世間に
知らしめた。
臨川寺には「玄武仏碑」を始め、
「梅花仏碑」「墨直しの碑」「芭蕉由緒
の碑」などの石碑が残され、芭蕉ゆかり
の寺として知られている。
懐かしさも手伝い、町並みも楽しんだ。
臨川寺入口

玄武仏碑説明

芭蕉由緒の碑など一隅にまとめられていた

芭蕉由緒の碑

墨直しの碑

常磐2丁目に深川芭蕉通りがあった。
平成29(2017)年 2月15日 12:40~
清澄3-3-9
延宝8年(1680)深川に移り住んだ
松尾芭蕉は二歳年上の仏頂禅師の人柄に
感服し、足繁く参禅するようになる。
芭蕉庵と呼ばれた草庵が、臨川寺と
ほんの五百メートルほどしか離れていな
かったことも、二人の交流を深めたのだ
ろう。
芭蕉庵は新しい俳風を模索する一門の
拠点となり、また、号を桃青から芭蕉翁
と改めたのもこの頃。
禅味が加わった芭蕉の作風は、従来
見られなかった高い精神性を俳句の世界
にもたらし、文芸としての価値を世間に
知らしめた。
臨川寺には「玄武仏碑」を始め、
「梅花仏碑」「墨直しの碑」「芭蕉由緒
の碑」などの石碑が残され、芭蕉ゆかり
の寺として知られている。
懐かしさも手伝い、町並みも楽しんだ。
臨川寺入口

玄武仏碑説明

芭蕉由緒の碑など一隅にまとめられていた

芭蕉由緒の碑

墨直しの碑

常磐2丁目に深川芭蕉通りがあった。
