年たけるということ
令和元年9月1日
長月に入り、この年最後の
月となる。
満ち欠けもまた知足の域かな?
夜泣き石は現在小夜の中山
トンネル脇に据えられており、
伝説ゆかりの久延寺にも似た
形の石が祀られている。
久遠寺を過ぎた所に、
西行法師の大きな歌碑が
立っている。
「年たけて また越ゆべしと
おもいきや 命なりけり
小夜の中山」
西行法師69歳の時の歌。
「風にたなびく
富士のけぶりの
空に消えて
行方も知らぬ
わが思ひかな」
この歌は、出家時23歳の歌。
不安と諦念の西行の青年の率直
な思いも伝わってくる。
半世紀近くの月日の流れは・・・?
年老いてから、この山をまた
超えることができる(旅ができる)
と思っただろうか、いや思いは
しなかった。
小夜の中山を越えることが
できるのは、命があるからこそ
だなぁ。
という意。
老いるにつれ、この思いは
深くなる。
活動の歓び、生きる歓びかな?!