貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

「五位」って?

2019-09-07 08:58:30 | 日記

「五位」って?

 令和元年9月7日

 台風15号が上陸しそう?

 「備えあれば憂いなし」で、

今回は早めの備えをしておこ

うかな。

 今朝も磐田市。

 医王寺薬師堂へ。

 周りが区画整理・道路整備の

ため、やっと拝顔!

 桜と紅葉と緑と岩がいっぱい! 

 天平6〜20年(734~748)、

聖武天皇の勅命を奉じて、行基

菩薩が当地を訪れ、この地に

薬師如来の霊験ありとする。

 山内の名木で薬師如来の尊像を

一刃三礼のもとに敬刻、ご本尊

として祀ったのが始まり。

 行基菩薩が開基と仰がれている。

 平安時代の弘仁年間(810~822)

嵯峨天皇の厚い帰依を受け、七堂

伽藍が整い、真言密教の根本道場

となる。

 その当時の山容は、広大な境内

に、本堂、金堂、講堂、五重塔、

三重塔、鐘楼堂、仁王門、三十六

ヶ坊の末寺などが配置されていた

が、戦国時代の元亀3年(1572)、

武田信玄勢の兵火にかかり寺塔

悉く灰燼と化す。

 天正12年(1584)、徳川家康

自ら浄財を出してその再興を援助

するが、旧観に復帰させることが

出来ず。

 慶長9年(1604)、再び失火に

よる火災に見舞われる。

 しかし、徳川幕府の御寄進を受け、

医王寺は復興。 

 寛永12年(1635)三代将軍家光

は、祖父家康のかつて与えた

「黒印」を改めて、石高百三十五石

(135石)の「朱印」を与える。

 おかげで代々百三十五石を領し

隆盛を期すことに。

 医王寺に「大名駕籠」を現存して

いることからも分かる。

 昭和19年(1944)、第二次世界

大戦本土空襲の激化のため、帝都

疎開命令が出され、東京の国民学

校初等科児童が次々と集団疎開。

 医王寺では、児童108名を

受け入れる。

 芭蕉句碑の句は、

「いなつまや 闇のかたゆく 

    五位の聲」 

        はせを

 「五位」とは、ゴイサギのこと。