令和4年10月21日(金)
仙台市: 榴岡天満宮
仙台市の観桜地として有名な榴ヶ岡に
仙台市の観桜地として有名な榴ヶ岡に
鎮座する榴岡天満宮は、
平安時代の天延2年(974)に
山城国(現在の京都府)に創建された。
その後、平将春が陸奥国宇多郡
その後、平将春が陸奥国宇多郡
(現在の福島県)に勧請し、
次に宮城県柴田郡川内村に御遷座
したのが始まりで、
天文20年(1551)に
小俵玉手崎(仙台市青葉区の仙台東照宮の地)に
三度目の御遷座が行われたそうだ。
後に、藩祖伊達政宗公が仙台城を造営
するとき、当宮の社木(境内地にあった樹木)
を用財として切り取った為、
その報賽に慶長16年(1611)に
新たに丹塗りの御社殿を造営したが、
慶安3年(1650)徳川幕府の命令による
仙台東照宮建立に際し、
その境内地東側に御遷座がなされた。
そして、寛文7年(1667)7月25日に
そして、寛文7年(1667)7月25日に
三代藩主伊達綱宗公の意思により、
丹塗りの社殿・唐門を新たに造営し、
菅原道真公の真筆(直筆の書)が奉納され、
現在の鎮座地である榴ヶ岡に御遷座が行われ、
杜の都の天神さまとして現在も広く
崇敬されている。
御社殿は総欅造り、照星閣とも呼ばれ、
御社殿は総欅造り、照星閣とも呼ばれ、
明治9年(1876)の明治天皇御巡幸の際に、
明治天皇が御参拝された御宮である。
また、仙台城構築の際、
有力な築城の候補地とされ、
元禄2年(1689)5月7日には
当宮に松尾芭蕉が参拝し、
「ここ玉田よこ野 つつじが岡は
あせび咲くころ也
ここに天神の御社など拝て
其日はくれぬ」
(奥の細道)
という文章を遺していることからも、
当時の天神信仰が盛んだったことを
示している。
寛政7年(1795)2月25日に
寛政7年(1795)2月25日に
落雷による不慮の火災が発生し、
本殿・拝殿・楼門・神楽殿・鳥居と
多くの歴史的建造物を焼失した。
非常に残念なことではあったが
、道真公が高天原より降神なされたのでは、
という歴史的ロマンをくすぐる
唯一の天満宮といわれている。
(現在の御社殿はその頃の再建)
つづく。