貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

四万十川の名称由来とアイヌ語

2022-10-04 11:44:00 | 日記
令和4年10月4日(火)
 高知県高岡郡津野町の
不入山(いらずやま)を源流とし、
県中西部を逆S字を描くように
蛇行しながら多くの支流を集め、
四万十市で太平洋に注ぎこむ。

 河口附近では「渡川」という名前
であるため、水系名は、
「渡川水系」となっている。
 「日本最後の清流」といえば、
「四万十川」を想起するほどに
有名になっているが、
河川法上では
1928年から1994年まで
「渡川(わたりがわ)」
が正式名称だった。
 1896年(明治29年)の旧河川法により、
1928年(昭和3年)11月1日に
「渡川」を法律上の公式名称に採用。
 1964年(昭和39年)の新河川法でも
「渡川」だったが、
1994年(平成6年)7月25日に
「四万十川」と改名された。
 河川法の一級河川名称変更は
これが初めてで、
これは「四万十川」が「日本最後の清流」
として、全国的に有名となり認知されて
いるという実情によるところが大きい。

 しかし高知県内では、
知名度では劣るものの
仁淀川の方に水質では軍配が上がる。
 江戸時代には「四万十川」と書い
て「わたりがわ」と呼ばれていたこ
ともあるという。
 宝永5年(1708年)の土佐物語には
「四万十川 わたりがわ」
と記されているという。
 一方、周辺の河川名を見ると、
古来関係の深かった九州に向かって
「向川(現在名:中筋川)」、
「渡川」を渡って中村(四万十市)の市街、
その後ろに「後川」があり、
位置的な名称と考えることもできる。
「四万十川」の語源については、
諸説があり定かではない。
 数多くの川(四万十の川)が
合流している川である。
 アイヌ語の「シ・マムト」(非常に美しい)
が変化したものである。
 上流部の支流四万川と中流部の支流十川、
あるいは上流部の四万川村と
中流部の十川村の連称地名である。
 四万石の材木を十回流し送るほど、
豊かな森があったという林業の盛んな川である。
 アイヌ語の「シマト」(砂礫の多い所)
から来たものである。
 四万十川の沈下橋は、
本流に22本、支流を含めると47本ある。
 鉄筋コンクリート造りで、
欄干がなく、
通常の水位より2~3m上にかけられている。
 台風や大雨時には沈下することで、
流木などが橋脚などに引っ掛って滞留し
水圧がかかり橋全体が破損、
流失するのを防いでいる。
 沈下橋と川、
周囲の山並みの醸し出すのどかな景観は、
四万十川の代名詞にもなっており、
しばしば好まれて写材にもなっている。
 次は、沈下橋を見に行こうかな?