令和4年10月25日(火)
仙台市: 十符の菅(とふのすげ)
芭蕉没50年後、
芭蕉没50年後、
『続奥細道蝶の遊』を著した俳人北華が
「塩釜へは、…原町、あんない、
びくに坂、今市…」と
道筋を記載している。
芭蕉たちもこのルートを通ったと
思われる。
但し、現在の道が当時の道と同じかは
不明。
『奥の細道』には、
『奥の細道』には、
「かの画図にまかせてたどり行けば、
おくの細道の山際に、十符の菅あり。
今も年々十符の菅菰を調(ととの)へて、
国守に献ずといへり。」
と記されている。
民家の庭先に、
民家の庭先に、
今も往時を偲ばせる「十符の菅」が
栽培されている。
十符とは、10の節の事であり、
この菅で編んだ菅菰(すがごも)は
きれいな模様が浮き出て
珍重されたとのこと。
菅は近辺の湿地帯に一杯生えていたが、
この地のものが歌枕の代表となる。
曾良の備忘録に,
「百姓屋敷の内にあって、垣で囲ってある。 今も国主に菰を献じている。ここまでの道 は田の畔(くろ)で、奥の細道と言う」
と記されている。
初めて、十符の菅を見ることもでき、大満足。
道の駅「おおさと」で一泊。
曾良の備忘録に,
「百姓屋敷の内にあって、垣で囲ってある。 今も国主に菰を献じている。ここまでの道 は田の畔(くろ)で、奥の細道と言う」
と記されている。
初めて、十符の菅を見ることもでき、大満足。
道の駅「おおさと」で一泊。