貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

伊賀市愛染院その3「偲翁碑」と尼寿貞への追慕!

2023-12-05 10:44:49 | 日記
令和5年12月5日(火)
  芭蕉没後、伊賀の門人達は、
毎年10月12日に、
此処で「しぐれ忌」を催し追善。
 その志は今日まで連綿と
続けられている。             
 ここには
文豪尾崎紅葉や川端康成をはじめ
多くの文人墨客が参詣。

 上の写真は、
「はせを故郷塚碑」。
 農人町三叉路にあった道しるべを、
昭和17年に移建。
 文化2年(1805)、
長月庵若翁建立。
 次の写真は、「偲翁碑」。

 故郷塚の手前左手にある。
 昭和18年11月、
芭蕉翁二百五拾年忌に
蟻塔会建立。
 碑陰に塩田紅果の句が
刻まれている。
「はれやかに 
   咲いてさびしき 
       冬佐く良」
 故郷塚の手前右手に、
もう一基、
芭蕉の句碑。    
 「数ならぬ 
  身となおもひそ 
     玉祭り」 。           
 元禄7年(1694年)芭蕉51歳の作。                   季語「玉(魂)祭り」で秋。
 『有磯海』(浪化編)に
「尼寿貞が身まかりけるときゝて」
と前書きする。
 「身まかる」は人が亡くなること。
 「玉(魂)祭り」は、
陰暦7月15日に祖先の霊を祭る仏事、
盂蘭盆会のこと。 
 伊賀上野で盆会を迎え、
一族の人々と共に法要を営んだ
芭蕉が寿貞の死を悼み詠んだ句。
 寿貞に関する資料は、
元禄7年5月以降の芭蕉の手紙5通
(内、遺書1通)と、
この追悼句1句のみ。
 芭蕉の甥桃印の妻とする説、
など諸説あり。
~つづく。