令和5年12月6日(水)
5月11日、
芭蕉が上方へ旅立った後、
寿貞は芭蕉庵へ身を寄せていたが、
6月2日頃病歿。
旅中、寿貞の訃報に接した芭蕉は、
「寿貞無仕合もの、
まさ・おふう(ともに寿貞の娘)
同じく不仕合、
とかく難申尽候。」
(同年6月8日付猪平衛宛芭蕉書簡)
と、その死を深く嘆いている。
「数ならぬ身となおもひそ」に、
芭蕉の寿貞の霊への悲痛な呼びかけと、
情愛を感じる。
<芭蕉句碑「数ならぬ・・・・」>
「自分のことを
物の数にも入らない身だと
決して思わなくていいよ。
どうぞ私の心からの供養を
受けてください。」
の意。
浜松の俳人大蕪庵十湖の句碑もあり。
浜松の俳人大蕪庵十湖の句碑もあり。
「白菊に
紅さしてくる
はつしくれ」。
芭蕉の句
「白菊の
目にてゝ見る
塵もなし」
を踏まえて吟じた句。
冬の白菊の優美に加え、
色香漂う高貴な句。
<内藤鳴雪筆の「故郷塚由来記」碑>
内藤鳴雪筆の、
「故郷塚由来記」碑には、
「元禄七年十月芭蕉翁
「元禄七年十月芭蕉翁
浪花の客舎に逝く。
遺骸は粟津の義仲寺に葬せしも、
郷里の門人土芳・卓袋等
翁の徳を慕ひて、
遺髪を菩提所たる伊賀上野
愛染院内に埋め、
一基の碑石を建て
芭蕉翁故郷塚と称え里。
此由来を汎く世に知らしめんとて
翁の碑石を建て、
翁の遺徳と共に永遠に伝へんとす。
因つて
故郷塚保存會諸氏等の請に應じ、
其顛末を誌すと云爾。」
と刻印。