令和5年12月31日(日)
令和五年も卯年も今日でお別れ!
「貢蕉ブログ」も今年最終となる。
『野ざらし紀行』の中途、辰年へ!
続けられたのも、このブログを読んで
「いいよ」「続き希望』など励ましや
声援を送ってくださる方々のお陰、
この場をお借りして深謝申し上げます。
今年の晩秋には300人を超える方が
開いてくださり、「おっ、芭蕉ブーム」
が到来しているのかな?という錯覚?
まで頂戴しました。
隠居宣言から七年以上経過、なかなか
真の隠居にはなれませんが・・・。
来る辰年もよろしくお願い致します。
さて、大津市の「戒琳院」へ。
大津市: 戒 琳 院
<戒琳院門前から>
浜田珍蹟洒落堂跡。
蕉門の一人、浜田洒堂の草庵跡。
膳所の医師で、
元禄2年芭蕉に入門。
<酒堂の傑作>
元禄3年(1690)、
芭蕉は浜田珍夕の草庵「洒落堂」を
訪れ、草庵を讃えて
「洒落堂記』を著す。
後の戒琳庵。
そして、今は戒琳院。
<門前に酒堂の俳画>
普通の家の暮らしだが、
入口はお寺らしくもあり。
『淡海の芭蕉句碑 下』に、
『淡海の芭蕉句碑 下』に、
「碑文は
『木のもとに
汁もなますも
桜哉
はせ越』
とあります。
<門前に色紙>
句碑の大きさは、
『ちょうど東を向いて建つ
この句碑の高さは三十センチ、
碑の周囲は八十五センチで、
自然石の台の高さは六十五センチ、
台上は百センチ四方もあった。
その台上に
この碑がこけないように
上品にコンクリートで巻かれて
安定していた。』」
と記す。
<芭蕉句碑>
建造者・建造年は碑の裏面に、
「昭和四十六年四月建之、
戒琳庵 祖明代、浜田珍碩落堂跡、
有志一同」
と四方に刻されている。
<芭蕉句碑>
芭蕉の句は、
「木のもとに
しるもなますも
桜哉」
来年も満開のが散り始め
来年も満開のが散り始め
桜絨毯の上を踏みしめて
ウオーキングできますように!!!