鰯雲と女性
令和2年1月10日
今朝も青空が広がっている。
最後の十基目の芭蕉句碑。
「行春や
鳥啼き
魚の目は泪」 。
元禄2年。奥の細道出発の際の
留別吟。
惜春の情に堪えかねて
鳥は啼き、
魚は目にいっぱい涙をたたえ
ている。
惜別の情を魚鳥に託した句。
そして広場には、
知らない俳人の句碑が立つ。
「鰯雲
女がゆえに
耳朶を染む」
小屋久幸という人の作。
調べたが、詳細不明。
山を下ると、
常住寺焔魔堂という見晴らし
のよいところに出る。
鰯雲と女性
令和2年1月10日
今朝も青空が広がっている。
最後の十基目の芭蕉句碑。
「行春や
鳥啼き
魚の目は泪」 。
元禄2年。奥の細道出発の際の
留別吟。
惜春の情に堪えかねて
鳥は啼き、
魚は目にいっぱい涙をたたえ
ている。
惜別の情を魚鳥に託した句。
そして広場には、
知らない俳人の句碑が立つ。
「鰯雲
女がゆえに
耳朶を染む」
小屋久幸という人の作。
調べたが、詳細不明。
山を下ると、
常住寺焔魔堂という見晴らし
のよいところに出る。
風雅の正道
令和元年1月9日
今朝も、
バショウも生き生き!
8基目の芭蕉句碑は、
池の向こうの小山にあり。
探索に探索の結果発見!
「旅に病で
夢は枯野を
かけ廻る」 。
元禄7年10月8日、
芭蕉最後の吟。
9基目の芭蕉句碑の句は、
「古池や
蛙とひこむ
水の音」 。
貞享3年。
『葛の松原』に、
最初「蛙飛こむ 水の音」という
七五だけを得て、上五文字を
案じていた時、
傍らにいた其角が「山吹や」
と上五を冠した。
しかし芭蕉はとらないで、
「古池や」と定めたという話
が見える。
支考が『俳諧十論』の
「俳諧ノ伝」において、
「古池の蛙に自己(芭蕉)の
目をひらきて、風雅の正道を
見つけたらん」といって以来、
この句は、蕉風開眼の句
として宣伝され、古注では
種々附会の説が見えるが、
むしろ即興的な句といわれ
ている。
此の春は何で年よる?
令和2年1月8日
此の春は何して?
今は、更級紀行の原稿
パート2の仕上げで日々
暮れていく。
上松宿まで辿るが、1月
いっぱいかかりそう。
そして、鹿島詣の見直し、
東京都区内の芭蕉句碑の
見直しで、本格的な春?
更級紀行の地埼玉、長野を
もう一度旅するか、島根、鳥取に
行くか、四国の巡礼か、未だに
迷っている。
魅了してくれるのは、どこ?
此の春は、何で年よるかな?
6基目の芭蕉句碑の句は、
「此秋は
何で年よる
雲に鳥」 。
元禄7年。
「此秋はいかなる事の心に
かなはざるにかあらん。
伊賀を出て後は、明暮に
なやみ申れしが…。」(笈日記)
とある如く死を前にして、
めっきりと老を感じた芭蕉。
どうして今年はこんなに
老のさびしさが しみじみと
身にしみるのか。
空を仰げば、雲の中に消えて
行く鳥が見える。
思えばあの鳥の如く漂泊の旅
を重ねて来た自分の一生であっ
たの意。
7基目の芭蕉句碑の句は、
「俤や
姨ひとり泣く
月の友」 。
元禄元年。
姨捨山の伝説を踏まえた句。
姥捨山に月を見ていると、
捨てられてひとりで泣いて
いる老婆の面影が浮かんで
くる。
その面影を今宵の友として
月を眺めようの意。
田毎の月見だ。
秋の月見に行ってみたい処
のひとつ。
蟬の聲は何蝉?
令和2年1月7日
歩行禅で、久しぶりの
対面。3ヶ月ぶり?
「おはよう!」
「荷物でいっぱいだね。」
両手に、五つぐらいの袋を
ぶら下げて・・・。」
「今日が始業式で!」
「えっ、?・・・」
ちょっと躊躇するが、
早いところは今日から3学期
のよう。
「いってらっしゃい!」
と送る。
8日からが殆どだろうが・・・。
授業時数の確保で、悪戦苦闘!?
さあ、芭蕉ふるさと公園へ。
3基目は、
「閑かさや
岩にしみ入
蟬の聲」 。
元禄2年。山寺と称す立石寺
での吟。
『奥の細道』本文に、
「岩に巌を重ねて山とし、
松柏年旧(ふり)土石老て苔
滑(なめらか)に岩上に
院々扉を閉て物の音
聞こえず。」
とある。
『曽良書留』の形の
「山寺の
石にしみつく
蟬の聲」
が初案。
『初蟬』の形、
「山寺の
石にしみつく
蟬の聲」
が再案。
さて、蟬は何蝉?
この蟬は、騒がしい油蝉
ではなく、
補足澄んだ声のニイニイ蝉。
蟬の声が澄み徹って、
あたりの岩にしみ徹って
ゆくような感じ。
俗塵を絶した静寂を詠む。
5基目の句碑は、
「行秋や
手をひろげたる
栗のいが」 。
元禄7年。伊賀での作。
「人々にわかれて、
山路を行くと、
栗の木の梢に手をひろげた
ような栗の毬(いが)がいくつ
も残っていて、
あたかも握った掌をひろげて
行く秋を呼び返そうと
する如くに見える」
の意。
こっそり抜け出さねばならぬ
ほど熱心にとどめる伊賀の
門人衆に対する惜別の情を
託している。
と
が説明板。
髑髏?
令和2年1月6日
芭蕉句碑巡り!
2基目。
貞享元年。
野ざらし紀行の旅出立の吟。
「野ざらしを
心に風の
しむ身哉」 。
江上の破屋は、隅田川の畔の
芭蕉庵。
野ざらしは、捨てられて雨風
に晒された髑髏(されこうべ)。
髑髏。すごい文字。
「行き倒れて髑髏になってもと
覚悟を決めて旅に出かけると、
ひとしお秋風が身にしみること
だの意。
現代の旅は、覚悟を決めて
の旅ではない。
安全 ・安心の旅。
有り難し!
3基目。
貞享4年10月11日。
由之が主催して笈の小文の
旅へ出る芭蕉を送った
送別の席での吟。
「旅人と
我名よばれん
初しぐれ」 。
「旅人と呼ばれてみたい
ものだ。
初しぐれに濡れながら
侘しい旅を続けて。」
の意。