☆以下は、1992年の夏の話である。
この文章をネット上に公開した頃、フィジーでは政治クーデターが起こっていました。
文中に、「カバ」と言う飲み物を飲んだ話が記されているが、この飲み物、ちょいと麻薬的な効果がある。
最近、こんなニュースがありましたよね。
<朝日放送>コカインの原料かむ場面を放送(2009年4月11日(土)18:00)
《朝日放送(大阪市福島区)が今年1月に放送したバラエティー番組内で、南米・ボリビアを訪ねた男性タレントがコカインの原料のコカの葉をかじる場面を放送し、近畿厚生局麻薬取締部が「違法薬物の使用をあおる恐れがある」として口頭注意していたことがわかった。
番組は1月2日に全国放送された「世界の村で発見!こんなところに日本人」。男性タレントが露店で売られていたコカの葉を手に取り、かむ場面が放送された。コカの葉は麻薬に指定され、使用した場合などには罰せられるが、番組内で特に説明をしていなかったという。【平野光芳】》
・・・別にいいじゃん、とも思うのだが、ちょっと簡単には答えが出せないな。
◇ ◇ ◇
[フィジーのクーデター便乗企画《Fiji冒険記①》] (2006/12/08 09:53)
☆現在夜勤でして、風邪も引いてしまい体力がない。
かつて書いた文の再掲をさせて頂きます^^
(プロローグ)
フィジーには、数え切れぬほどの島々が点在しているが、その中に、オバラウ島と言う直径4~5キロほどの元首都の小さな島がある。
私は、午後の便で、この島を去るので、朝一で、この島の東にある町から、西にある空港へ、最短距離で向かった。
つまり、本来は島の周回の道を歩くべきなのに、島の中心部の山道に分け入ったのだ。
そして、・・・遭難しかけた・・・。
その時のことは近日記すとして、そのプチ遭難の果てに、私は、とある村に辿りついた。
そして、その村の、とある一軒家で休ませてもらい、しばし疲れを癒した。
その家のお母さんに食事を頂き、村の子ども達や老人と歓談の時を過ごした。
アフロが印象的なフィジー人は、とても温和で優しいのだ。
その温和さは、余談ではあるが、「刑務所に囲いがないこと」から知れよう^^
更に、余談だが、ずーっと昔は<人食い人種>でした^^;
さて、空港の方角を聞き、私はおいとますることになり、最後に、持ってきていた折り紙、日本の和紙を、それぞれ子ども達、お母さんにプレゼントした。
その時、私は失敗した。
鞄に入れていた旅費の札束をボトッと床に落としてしまったのだ。
一瞬、気まずい雰囲気が流れた。
いや、村の方々が、それを盗るなんてことはないですよ。
ただ、やっぱり貧しい村の方たちなのである。
私の来訪をこころよく祝福してくれた方々に、何とも、私が所詮は<金持ちの道楽>で旅してるイメージを与えてしまったような気がした。
実際、その時から、お母さんや老人達の様子がよそよそしくなった。
『有り難う御座いました』
私は、深々と頭を下げ、その家を辞した。
村はずれまで、多くの子ども達が見送ってくれたのが、ささやかな救いであった・・・。
▼以下の文章は、十数年前に書いた文章で、私は、それを紙に清書し、コピーし、ホッチキスで製本し、ニュージーランドの街角で売っていたのである。
我ながら、凄い男である^^;
(蘭注)以外は、誤字脱字の訂正以外は、十数年前そのままに書き写す・・・。
# # #
第二章『遠くへ、更に遠くへ』
(6/16 TUE 快晴 NADI⇒NAUSORI⇒LEVUKA)
朝・・・。
8時にKENちゃんが空港まで車で送ってくれることになっていた。
僕はしばし、ベッドの上でボーッとする。
ポプリちゃんは、まだ寝ていた(蘭注・ニュージーランド時代の大親友)。
女の子なので、小さい体はベッドに沈んでしまう。
夜に彼女の方を見た時、消えてしまったかと思って、ガバッと起きて、ちゃんといることを確認してしまうこともあった。
外に出ると快晴^^
雨が振った次の日は快晴だ、と「姉御(蘭注・フィジーで滞在していたホテルの女主人)」が言っていたそうだ。
KENちゃんの運転で、ナンディ空港へ。
彼のヨットでの航海(ニュージーランドからフィジーへ)の話を聞く。
嵐に巻き込まれ、ヨットが逆さまになった時もあったそうだ。
僕は思わず、<タカ号の遭難>の話を思い出した。
空港でKENちゃんと再会を約束し別れ、フィジー航空のオフィスに向かう。
180F$のフィジー主要五島、一ヶ月乗り放題チケットを買う。
VISAカードで買う。
お父さん、お母さん、すいませんが日本の銀行口座を頼みます^^;
すぐに、首都SUVA近郊ナウソリ空港へのフライトを予約し、カフェで、コーヒーとチーズバーガーを食す。
バーガーのビーフがごってりしてて美味!
さあ、9時半、Take Off!!
さあ、君の持っている『フィジー冒険マップ』のナンディからナウソリにものさしで線を引こう(蘭注・この文章には、フィジー地図を付していたのだ)。
これはネットで拾った地図です^^
しかし、フィジー航空は超アバウト。
僕が待合ホールに座っていると、「深夜さん出るよ」と気軽に言ってくる。
慌てて、必死で走って係員の横をすり抜ける。
僕の荷物のX線検査もしない。
飛行機はと言うと、これが何と十人乗り(パイロット含む)位のおんぼろセスナ機!
ヒエエーッ、である。
僕の横には、CANDACEそっくりのお姉さん(蘭注・キャンディスはニュージーランドでの同僚)。
後ろには日本人のダンナと、豆のような赤ちゃんを抱いたインド人女性(蘭注・フィジーの民族は、フィジー人とインド人に二分されているので、ここにインド人女性がいることに不思議はない)。
僕はダンナに話しかける。
僕 『凄く小さな飛行機ですよねえ・・・?』
ダンナ 『ええ・・・。実は、私は違う便だったのですが乗り遅れてしまって・・・。でも、良い経験だ・・・』
僕 『そうですね・・・。あの・・・、シートベルトは、やっぱり、した方がいいですかね?』
ダンナ 『そうでしょうね』
僕 『・・・、・・・でも、僕のシートベルト、切れているんですよね』
ダンナ 『・・・・・・』
プロペラが回りだした。
いよいよ飛ぶ。
隣りの席の<キャンディスもどき>が僕にニヤリと笑いかけてきた。
英国人のこの自信に満ちた笑顔は良い。
フワリと飛び立ち、地面は遥か下に・・・。
先ずは海上、深い青さを湛えている。
旋回して、フィジー本島ビチレブ島を突っ切る。
高度はどれ位なのだろう?
たまにエアーポケットに入って、「ガクン!」とくるのが恐ろしい。
豆赤ちゃんが静かなのが気になる。
下に、トラベラーズ・ビーチ・リゾートが見えた。
糞ポプリはどうしているだろうか?
飛行機は山脈を越える。
山の頂きの連なりが本当に血管のようで、脈打ってるみたいだ。
ガクン! とエアーポケット! ブザーが一回鳴る。
ヒヤッとする僕、慌てる<もどき>。
更に飛び、原生林の上空、濃緑の中を一直線。
続いて、雲の中へ突入。
首都スバは天気が悪く、スコールが頻繁、その上空は多くの雲を湛えている。
雲の中、視界ゼロ!
しかし、先が見えないほうが帰って安心^^
雲の切れ間、フィジーの大地。更に雲、多重構造の雲・・・。
ナウソリ空港へ着陸! 一時間弱のフライトだった。
・・・さて首都スバ観光と行きますか? いやいやスバは後回し~、OVALAU島に行くぞ~っ!
そこには旧首都LEVUKAがある。
さあ、世界どこにでもあるコカ・コーラを飲んで、さあ飛ぼう!
しかし、フィジーエアー、またも超アバウト。
12時出発とか言っておいて、11時45分に客が揃うと、飛ぶことになった・・・。
今回のフライトは15分。
すっごくプチ可愛い白人の女の子が僕の前に乗っていて、時おり「ダディ!」とか言って僕の隣りのお父さんに話しかける。
茶色の髪を、後ろでエビに結っていて、隣りのパイロットを不思議そうに見上げるしぐさが愛らしい。
先ほどの<もどき>と墜落死するのは解せないが、この女の子(推定名前「チェルシー」)とだったら良しとしよう、などと思いつつ、Take Off!
低空飛行の今回は、眺めが最高でした^^ さんご礁も見えましたですよ(ふうっ! 風景描写は疲れるのでやめた)。
オバラウ島のNAIVITEITEI空港(ここの滑走路は土!)からバスに乗り込む。
乗り心地、すこぶる悪し。
おそらく、タイヤをパンクさせたまま走ってるのでは、と思えるほどだ。
さすがに、ここまで来ると、日本人は、僕たった一人の感がある・・・。
ヤシの木は、浜辺のように人工的に間隔を置いて生えていることはなく、他の植物と絡み合い密集していて、さながらジャングルだ。
ときおり村がある。
住民は僕と目が合うと、ジーッと視線を逸らさない。
視界から消えるまで逸らさない。
異常に多人数の洗濯物を干している家もある。
小学校もあって、チビどもが遊んでいる。
もうちょいで車に酔いそうになりながら、レブカに着く。
大きなマグロの缶詰工場があり、ツナ臭い。
ここは、日本の企業が技術協力しているそうだ。
さて、町は、片側は海岸なのだが、もう片方は、雑然と店が立ち並び、アメリカの西部劇の町のようだ。
そこへふらりと現われたJapanese Boy^^
昼間にもかかわらず、海岸側の公園風のベンチでは、親父やら子どもやら、おばさんやらがくっちゃべってる。
僕は海岸通りを歩いて行く。
みんなの視線が僕に集中! 悪くない、たまには注目を浴びるのも良いものだ^^
時におっさんと目が合い、おっさん「ニヤリ」と頭を下げる。
この町には、「意味ありげ野郎」がたくさんいる。
侵入者(僕)に対して好奇心はあるが、自分の生活の方が大事、って感じだ。
こっちに来て、普通のフィジーの住人たちを見て感じたのは、モジャモジャカーリーは妙だが、美人の女の人が多いと言うことだ。
特に(この島には少ないが)インド人の女の人は美人や^^
「あたし・・・、感じちゃったんです・・・」で有名なエロ作家・宇能鴻一郎もインド人女性をリスペクトしていたっけ・・・。
後藤久美子や中山美穂を更にエキゾチックにした感じだ。
何やら、学校が二つあるらしく、灰色の制服と真っ青な制服を着た学生がいる。
どちらも趣味がよい。
普通の人が着ている服もけして古臭さはない。
ニュージーランド人より遥かに優雅な生活だ。こんな島の街中でも、携帯電話を持ってる人がいるしね(蘭注・この頃は、日本にも携帯は普及してなかった)。
さて、<オールド・キャピタル・イン>ホテルに入る。
今までのアコモデーションより、ぐっとレベルが落ちて、昼食付きで9$90¢、シャワーも水しか出ない(<トラベラーズ・ビーチ・リゾート>はツインで35$)。
めんこい赤ちゃんが、ホールにポツリと立っていた。
僕のバッグに付いているアクセサリーのディズニーの小人とミッキーマウスに興味を示している。
すると、トットコトットコとおぼつかない足取りで寄って来て、片方の手で小人を擦り、また、トットコトットコと離れていく。
フィジアンの赤ちゃんだ。瞳がクリクリしていて、とても可愛い。
すると、またも寄って来て、ミッキーマウスを擦る。
もう一方の手は、口にくわえている。
指と口の間はぬめぬめしていたが、ホッペを触ってやると喜んだ。
ホッペは、水の入ったビニールのように柔らか^^
(ここを読んで、下らないことを延々と書いてるなあ、と思ってる方もいましょうが、後々の為の伏線だと御理解の程を・・・)
その後、部屋でしばし、友人どもへの手紙を記し、腹が減ったので近くのチャイニーズレストランでフライドライス(ポーク)を食う。
うまい。量も多い。合格!
町を散策する。
海岸通りを行ったり来たり。
シャレた、と言うか、趣のある時計台もある。
古いので止まっているのかと思いきや、定刻には金を鳴らす。
現役だったのだ。
戦争記念碑の前で、しばし、コロ海を遠望し、風に吹かれる。
海は干潮で海底が見え、あまり眺めは良くなかったが、骨休めにはなった。
部屋に戻る。
蚊が多いのだが、蚊帳があるので、夜は快適に過ごせた。
・・・蚊帳の中に、蚊が一匹でも入ってくると<金網デスマッチ>が始まる^^;
夜は、フィジー報告が溜まってしまったので、それを記すことに専念する。
夕食は<Kims>と言う店でエビカレーを食って美味かった。
何でもうまいと感じられるのは健康な証拠!
いや、インド人が大半を占めるフィジーは、カレーが美味いんだわ^^
実は、先ほど昼食を食べた店でも、エビカレーを注文しようとしたのだが、しかし、さて、オーダーしようと思ったら、僕の席の後ろに水槽があり、その中にザリガニ風が何匹も泳いでいた。
これを出されてはたまらんとエビカレーを断念していたのだ。
(追記)書き逃した事がある。それは、『カバ』と言う飲み物のこと。これはカバの木の根を、干して、擦って、水に溶かし濾過したもので、フィジーでの儀式に良く使われるそうだ。
ホテルの人に勧められて、僕も何杯と飲んだが、無味無臭、後に舌に痺れが残る。
無害。
・・・だが、英国王族がフィジーを訪れた時、この、麻薬とも解釈される<カバ>の扱いでひと悶着あったそうである。
それから、フィジーでのビールとは、全てFiji Bitterだと思って欲しい。
言葉では説明しにくいが、少しクセのある美味いビールである。
さて、誰も横にいない、たった一人の夜、急に寂しくなる。
そして、翌日、冒険は加速をつけて急展開を迎えることになる。
・・・今は、蘭クン、安らかに熟睡・・・。
(2006/12/08に再掲す)
◇ ◇ ◇
長いですね^^;
数回に分ければ良いシリーズになったのに・・・^^;
(2009/04/16)
この文章をネット上に公開した頃、フィジーでは政治クーデターが起こっていました。
文中に、「カバ」と言う飲み物を飲んだ話が記されているが、この飲み物、ちょいと麻薬的な効果がある。
最近、こんなニュースがありましたよね。
<朝日放送>コカインの原料かむ場面を放送(2009年4月11日(土)18:00)
《朝日放送(大阪市福島区)が今年1月に放送したバラエティー番組内で、南米・ボリビアを訪ねた男性タレントがコカインの原料のコカの葉をかじる場面を放送し、近畿厚生局麻薬取締部が「違法薬物の使用をあおる恐れがある」として口頭注意していたことがわかった。
番組は1月2日に全国放送された「世界の村で発見!こんなところに日本人」。男性タレントが露店で売られていたコカの葉を手に取り、かむ場面が放送された。コカの葉は麻薬に指定され、使用した場合などには罰せられるが、番組内で特に説明をしていなかったという。【平野光芳】》
・・・別にいいじゃん、とも思うのだが、ちょっと簡単には答えが出せないな。
◇ ◇ ◇
[フィジーのクーデター便乗企画《Fiji冒険記①》] (2006/12/08 09:53)
☆現在夜勤でして、風邪も引いてしまい体力がない。
かつて書いた文の再掲をさせて頂きます^^
(プロローグ)
フィジーには、数え切れぬほどの島々が点在しているが、その中に、オバラウ島と言う直径4~5キロほどの元首都の小さな島がある。
私は、午後の便で、この島を去るので、朝一で、この島の東にある町から、西にある空港へ、最短距離で向かった。
つまり、本来は島の周回の道を歩くべきなのに、島の中心部の山道に分け入ったのだ。
そして、・・・遭難しかけた・・・。
その時のことは近日記すとして、そのプチ遭難の果てに、私は、とある村に辿りついた。
そして、その村の、とある一軒家で休ませてもらい、しばし疲れを癒した。
その家のお母さんに食事を頂き、村の子ども達や老人と歓談の時を過ごした。
アフロが印象的なフィジー人は、とても温和で優しいのだ。
その温和さは、余談ではあるが、「刑務所に囲いがないこと」から知れよう^^
更に、余談だが、ずーっと昔は<人食い人種>でした^^;
さて、空港の方角を聞き、私はおいとますることになり、最後に、持ってきていた折り紙、日本の和紙を、それぞれ子ども達、お母さんにプレゼントした。
その時、私は失敗した。
鞄に入れていた旅費の札束をボトッと床に落としてしまったのだ。
一瞬、気まずい雰囲気が流れた。
いや、村の方々が、それを盗るなんてことはないですよ。
ただ、やっぱり貧しい村の方たちなのである。
私の来訪をこころよく祝福してくれた方々に、何とも、私が所詮は<金持ちの道楽>で旅してるイメージを与えてしまったような気がした。
実際、その時から、お母さんや老人達の様子がよそよそしくなった。
『有り難う御座いました』
私は、深々と頭を下げ、その家を辞した。
村はずれまで、多くの子ども達が見送ってくれたのが、ささやかな救いであった・・・。
▼以下の文章は、十数年前に書いた文章で、私は、それを紙に清書し、コピーし、ホッチキスで製本し、ニュージーランドの街角で売っていたのである。
我ながら、凄い男である^^;
(蘭注)以外は、誤字脱字の訂正以外は、十数年前そのままに書き写す・・・。
# # #
第二章『遠くへ、更に遠くへ』
(6/16 TUE 快晴 NADI⇒NAUSORI⇒LEVUKA)
朝・・・。
8時にKENちゃんが空港まで車で送ってくれることになっていた。
僕はしばし、ベッドの上でボーッとする。
ポプリちゃんは、まだ寝ていた(蘭注・ニュージーランド時代の大親友)。
女の子なので、小さい体はベッドに沈んでしまう。
夜に彼女の方を見た時、消えてしまったかと思って、ガバッと起きて、ちゃんといることを確認してしまうこともあった。
外に出ると快晴^^
雨が振った次の日は快晴だ、と「姉御(蘭注・フィジーで滞在していたホテルの女主人)」が言っていたそうだ。
KENちゃんの運転で、ナンディ空港へ。
彼のヨットでの航海(ニュージーランドからフィジーへ)の話を聞く。
嵐に巻き込まれ、ヨットが逆さまになった時もあったそうだ。
僕は思わず、<タカ号の遭難>の話を思い出した。
空港でKENちゃんと再会を約束し別れ、フィジー航空のオフィスに向かう。
180F$のフィジー主要五島、一ヶ月乗り放題チケットを買う。
VISAカードで買う。
お父さん、お母さん、すいませんが日本の銀行口座を頼みます^^;
すぐに、首都SUVA近郊ナウソリ空港へのフライトを予約し、カフェで、コーヒーとチーズバーガーを食す。
バーガーのビーフがごってりしてて美味!
さあ、9時半、Take Off!!
さあ、君の持っている『フィジー冒険マップ』のナンディからナウソリにものさしで線を引こう(蘭注・この文章には、フィジー地図を付していたのだ)。
これはネットで拾った地図です^^
しかし、フィジー航空は超アバウト。
僕が待合ホールに座っていると、「深夜さん出るよ」と気軽に言ってくる。
慌てて、必死で走って係員の横をすり抜ける。
僕の荷物のX線検査もしない。
飛行機はと言うと、これが何と十人乗り(パイロット含む)位のおんぼろセスナ機!
ヒエエーッ、である。
僕の横には、CANDACEそっくりのお姉さん(蘭注・キャンディスはニュージーランドでの同僚)。
後ろには日本人のダンナと、豆のような赤ちゃんを抱いたインド人女性(蘭注・フィジーの民族は、フィジー人とインド人に二分されているので、ここにインド人女性がいることに不思議はない)。
僕はダンナに話しかける。
僕 『凄く小さな飛行機ですよねえ・・・?』
ダンナ 『ええ・・・。実は、私は違う便だったのですが乗り遅れてしまって・・・。でも、良い経験だ・・・』
僕 『そうですね・・・。あの・・・、シートベルトは、やっぱり、した方がいいですかね?』
ダンナ 『そうでしょうね』
僕 『・・・、・・・でも、僕のシートベルト、切れているんですよね』
ダンナ 『・・・・・・』
プロペラが回りだした。
いよいよ飛ぶ。
隣りの席の<キャンディスもどき>が僕にニヤリと笑いかけてきた。
英国人のこの自信に満ちた笑顔は良い。
フワリと飛び立ち、地面は遥か下に・・・。
先ずは海上、深い青さを湛えている。
旋回して、フィジー本島ビチレブ島を突っ切る。
高度はどれ位なのだろう?
たまにエアーポケットに入って、「ガクン!」とくるのが恐ろしい。
豆赤ちゃんが静かなのが気になる。
下に、トラベラーズ・ビーチ・リゾートが見えた。
糞ポプリはどうしているだろうか?
飛行機は山脈を越える。
山の頂きの連なりが本当に血管のようで、脈打ってるみたいだ。
ガクン! とエアーポケット! ブザーが一回鳴る。
ヒヤッとする僕、慌てる<もどき>。
更に飛び、原生林の上空、濃緑の中を一直線。
続いて、雲の中へ突入。
首都スバは天気が悪く、スコールが頻繁、その上空は多くの雲を湛えている。
雲の中、視界ゼロ!
しかし、先が見えないほうが帰って安心^^
雲の切れ間、フィジーの大地。更に雲、多重構造の雲・・・。
ナウソリ空港へ着陸! 一時間弱のフライトだった。
・・・さて首都スバ観光と行きますか? いやいやスバは後回し~、OVALAU島に行くぞ~っ!
そこには旧首都LEVUKAがある。
さあ、世界どこにでもあるコカ・コーラを飲んで、さあ飛ぼう!
しかし、フィジーエアー、またも超アバウト。
12時出発とか言っておいて、11時45分に客が揃うと、飛ぶことになった・・・。
今回のフライトは15分。
すっごくプチ可愛い白人の女の子が僕の前に乗っていて、時おり「ダディ!」とか言って僕の隣りのお父さんに話しかける。
茶色の髪を、後ろでエビに結っていて、隣りのパイロットを不思議そうに見上げるしぐさが愛らしい。
先ほどの<もどき>と墜落死するのは解せないが、この女の子(推定名前「チェルシー」)とだったら良しとしよう、などと思いつつ、Take Off!
低空飛行の今回は、眺めが最高でした^^ さんご礁も見えましたですよ(ふうっ! 風景描写は疲れるのでやめた)。
オバラウ島のNAIVITEITEI空港(ここの滑走路は土!)からバスに乗り込む。
乗り心地、すこぶる悪し。
おそらく、タイヤをパンクさせたまま走ってるのでは、と思えるほどだ。
さすがに、ここまで来ると、日本人は、僕たった一人の感がある・・・。
ヤシの木は、浜辺のように人工的に間隔を置いて生えていることはなく、他の植物と絡み合い密集していて、さながらジャングルだ。
ときおり村がある。
住民は僕と目が合うと、ジーッと視線を逸らさない。
視界から消えるまで逸らさない。
異常に多人数の洗濯物を干している家もある。
小学校もあって、チビどもが遊んでいる。
もうちょいで車に酔いそうになりながら、レブカに着く。
大きなマグロの缶詰工場があり、ツナ臭い。
ここは、日本の企業が技術協力しているそうだ。
さて、町は、片側は海岸なのだが、もう片方は、雑然と店が立ち並び、アメリカの西部劇の町のようだ。
そこへふらりと現われたJapanese Boy^^
昼間にもかかわらず、海岸側の公園風のベンチでは、親父やら子どもやら、おばさんやらがくっちゃべってる。
僕は海岸通りを歩いて行く。
みんなの視線が僕に集中! 悪くない、たまには注目を浴びるのも良いものだ^^
時におっさんと目が合い、おっさん「ニヤリ」と頭を下げる。
この町には、「意味ありげ野郎」がたくさんいる。
侵入者(僕)に対して好奇心はあるが、自分の生活の方が大事、って感じだ。
こっちに来て、普通のフィジーの住人たちを見て感じたのは、モジャモジャカーリーは妙だが、美人の女の人が多いと言うことだ。
特に(この島には少ないが)インド人の女の人は美人や^^
「あたし・・・、感じちゃったんです・・・」で有名なエロ作家・宇能鴻一郎もインド人女性をリスペクトしていたっけ・・・。
後藤久美子や中山美穂を更にエキゾチックにした感じだ。
何やら、学校が二つあるらしく、灰色の制服と真っ青な制服を着た学生がいる。
どちらも趣味がよい。
普通の人が着ている服もけして古臭さはない。
ニュージーランド人より遥かに優雅な生活だ。こんな島の街中でも、携帯電話を持ってる人がいるしね(蘭注・この頃は、日本にも携帯は普及してなかった)。
さて、<オールド・キャピタル・イン>ホテルに入る。
今までのアコモデーションより、ぐっとレベルが落ちて、昼食付きで9$90¢、シャワーも水しか出ない(<トラベラーズ・ビーチ・リゾート>はツインで35$)。
めんこい赤ちゃんが、ホールにポツリと立っていた。
僕のバッグに付いているアクセサリーのディズニーの小人とミッキーマウスに興味を示している。
すると、トットコトットコとおぼつかない足取りで寄って来て、片方の手で小人を擦り、また、トットコトットコと離れていく。
フィジアンの赤ちゃんだ。瞳がクリクリしていて、とても可愛い。
すると、またも寄って来て、ミッキーマウスを擦る。
もう一方の手は、口にくわえている。
指と口の間はぬめぬめしていたが、ホッペを触ってやると喜んだ。
ホッペは、水の入ったビニールのように柔らか^^
(ここを読んで、下らないことを延々と書いてるなあ、と思ってる方もいましょうが、後々の為の伏線だと御理解の程を・・・)
その後、部屋でしばし、友人どもへの手紙を記し、腹が減ったので近くのチャイニーズレストランでフライドライス(ポーク)を食う。
うまい。量も多い。合格!
町を散策する。
海岸通りを行ったり来たり。
シャレた、と言うか、趣のある時計台もある。
古いので止まっているのかと思いきや、定刻には金を鳴らす。
現役だったのだ。
戦争記念碑の前で、しばし、コロ海を遠望し、風に吹かれる。
海は干潮で海底が見え、あまり眺めは良くなかったが、骨休めにはなった。
部屋に戻る。
蚊が多いのだが、蚊帳があるので、夜は快適に過ごせた。
・・・蚊帳の中に、蚊が一匹でも入ってくると<金網デスマッチ>が始まる^^;
夜は、フィジー報告が溜まってしまったので、それを記すことに専念する。
夕食は<Kims>と言う店でエビカレーを食って美味かった。
何でもうまいと感じられるのは健康な証拠!
いや、インド人が大半を占めるフィジーは、カレーが美味いんだわ^^
実は、先ほど昼食を食べた店でも、エビカレーを注文しようとしたのだが、しかし、さて、オーダーしようと思ったら、僕の席の後ろに水槽があり、その中にザリガニ風が何匹も泳いでいた。
これを出されてはたまらんとエビカレーを断念していたのだ。
(追記)書き逃した事がある。それは、『カバ』と言う飲み物のこと。これはカバの木の根を、干して、擦って、水に溶かし濾過したもので、フィジーでの儀式に良く使われるそうだ。
ホテルの人に勧められて、僕も何杯と飲んだが、無味無臭、後に舌に痺れが残る。
無害。
・・・だが、英国王族がフィジーを訪れた時、この、麻薬とも解釈される<カバ>の扱いでひと悶着あったそうである。
それから、フィジーでのビールとは、全てFiji Bitterだと思って欲しい。
言葉では説明しにくいが、少しクセのある美味いビールである。
さて、誰も横にいない、たった一人の夜、急に寂しくなる。
そして、翌日、冒険は加速をつけて急展開を迎えることになる。
・・・今は、蘭クン、安らかに熟睡・・・。
(2006/12/08に再掲す)
◇ ◇ ◇
長いですね^^;
数回に分ければ良いシリーズになったのに・・・^^;
(2009/04/16)