『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
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[映画『グラン・トリノ』を観た]

2009-04-26 15:09:20 | 物語の感想
☆小粒の作品ではあるが、完成度は高く、故に、私が語ることは少ないぞ。

 初っ端のタイトルクレジットから、ブルージーっちゅうか、ジャズった曲が流れ、一気に世界に引き込まれる。

 かつて朝鮮戦争を経験した元軍人のウォルト(クリント・イーストウッド)は、退役後の自動車工も退職し、妻にも先立たれ、生来の頑固さで子供や近所の住人とも疎遠に暮らしていた。

 町は、片田舎と言えども、多民族国家アメリカに相応しく、黒人やらメキシカン、東南アジア系の人々らが定住し、それらの各集団のワルどもも幅を利かせている。

 そんな中で、ウォルトは、町の秩序の乱れや治安に、性格の気難しさ故にやや自己中な不満を感じつつも、自分のテリトリー(家屋・庭)だけは保守していた。

 庭先には、常にアメリカ国旗がはためいていて、うん、彼は共和党支持のコテコテの保守愛国者なのだな^^

 そんな彼が、死んだ妻の依頼で何かと連絡してくる神父や、息子家族たちに無愛想な対応をする様は、その「マイナス的に気の利いたセリフ」ともども、コメディ風で何度もクスクスと笑わせられた^^

 顔を真っ赤にして、眉間にしわを寄せる「怒鳴る一歩手前の赤鬼みたいな顔」なんて、もう最高だ^^

 そのため息と言うか、社会への不満のようなうめき声も、実にいい!^^;

   ◇

 隣りに、モン族の一家が引っ越してきた。

 ウォルトは、差別主義者なので、顔をしかめる。

 しかし、その家の息子・タオが、同じくモン族のワルどもに絡まれている時や、

 池脇千鶴似の可愛い娘・スーが、黒人にちょっかい出されている時など、

 差別主義者以前の正義感で助けてしまう。

 タオは、チンピラどもに急かされ、ウォルトの愛車である<グラン・トリノ>を盗もうとさえしていたのだが、謝罪をするのだった。

 そして、モン族の家族との交流が始まる。

 はじめは、その押しつけに嫌々ながらも、スーの聡明さや、タオの可能性、そしてモン族への民族的な興味に、ウォルトは、その一人身の寂しさに素直になってみたときの帰結としても、タオの家族と親しくなっていくのだった。

 果たして、その在米少数民族モン族の文化描写が正確なのかは分からないが、その民族的な個性は、観ている私や、ウォルト(もだろう・・・)にも、敬意を表さざるを得ないものとなっていく。

 後に、ウォルトは、神父に「息子二人との不仲に悔いがある」と懺悔するのだが、

 それをやり直すかのように、ウォルトは、多くをタオに教えていく。

 多くの若者が定職を持たず、町をうろついていたが、ウォルトは「工具」の実用コレクションなどを通し、タオに事を為す・・・、働くことの重要性を教える。

 また、人とうまく交われないタオに「大人の普通の会話」なんてものも、非常に具体的に直接的に教授する。

 「イタ公」との床屋とのエピソードなど素晴らしい^^

 内気な青年であったタオも、次第にいっぱしの口を聞くようになる。

 タオは、モン族のいい女をデートに誘ったりもする。

 そして、そのデートには、ウォルトも、<グラン・トリノ>を貸そうじゃないかと言うのだった^^

   ◇

 ウォルトは差別主義者だが、やや、そこには哲学もある。

 白人とつきあっていたスーに、「同じモン族とつきあえばいいじゃないか」と諭すのだ。

 これは、[お前らイエローが白人とつきあうな]と言うニュアンスではなく、[同じ民族のほうが気心(文化・民族性)が知れてるじゃないか]と言う、ウォルトの「思想」なのだと思う。

   ◇

 しかし、つくづく、アメリカは銃社会だと思い知らされた。

 アクション映画でなくとも、おそらく、例えば、『マーリー』『イエスマン』なんかも、何かあったら戸棚から銃が転がり出ていたんだろうなあ、と思わせられるほど、この作品のアメリカには銃が生活と一体に頻発している。

 これが、アメリカの現実でもあるんだろうなあ。

   ◇

 ウォルトは、最後の最後まで、朝鮮戦争での自分の行いを悔いたりはしない。

 神父への懺悔も、あくまでも妻への不義や、息子との不仲についてだ。

 しかし、タオの家族と、モン族ギャングとの関わりの今後を真摯に考えたとき、

 そこに、先々においての自分の存在しないタオの家族の未来を思い、

 それこそ、このケースにおいての、片のつかない「憎しみの連鎖」に思い至り、

 あの、終幕に至ったのだろう。

 ・・・これは、いかにも、リベラルな決着の付け方のようでいて、そうではない。

 圧倒的に攻撃的な、・・・そう「特攻」である。

 戦いの前に、身を清めるウォルトの姿でそれは分かろう。

 『硫黄島からの手紙』を撮ったとき、イーストウッドはその着想を得たのだ。

 バカな奴が、保守派クリント・イーストウッドの変節を歌いそうなので、それだけは釘を刺しておく。

   ◇

 しかし、イーストウッドには、『ダーティー・ハリー』の完結編はお願いしたいのだが・・・。

 それから、モン族ギャングの一人がしている入れ墨の「家庭」の文字が逆説的で泣かせる^^;

                             (2009/04/26)