☆ここでは、皇學館教授の新田均先生のブログをそのまま転載してしまいましょう^^
この問題は、より多くの人々に読まれたほうがいいでしょうから^^
今回、「皇位継承問題」で孤立している小林よしのり氏と、対立する一人になった渡部昇一氏が、小林よしのり氏に『ゴーマニズム宣言』でデマを流されたのを反証する内容でした。
しかし、かつて、反米・親米問題で孤立した小林よしのり氏は、渡部昇一氏と共著を出すことでイメージ上の孤立を回避していたものだけどね・・・。
◇
<新田均のコラムブログ>
小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(117)
小林さんは『WiLL』12月号195頁で、渡部昇一氏の発言を批判して、次のように書いています。「皇學館に確認したのだが、『神道専門の教授として渡部氏を招くとは考えられない』ということだった。」「こんな風に、論敵の批判は、事実確認に基づいてやらなきゃ相手のダメージにならないよ。」
しかし、これでは「事実確認」になっていません。
①.「皇學館に確認した」といのは、どういう意味でしょうか。まさか「皇學館」という建物に聞いたわけではないでしょうから、「皇學館の関係者に確認した」という意味でしょう。しかし、このような実名を上げない書き方は、以前彼が八木秀次氏を批判した際に否定したやり方です。「わしはこのような確実な根拠を示さず書かれた説を信用しない」(『サピオ』平成21年11月25日号56頁)
②.その皇學館関係者は、なぜ「考えられない」という言い方をしたのでしょうか。事実を知っている人ならば、「そういう事実はあった」「そういう事実はなかった」と、イエス・ノーで明確に答えるはずです。つまり、「考えられない」などという曖昧な言い方をしていることが、この人物が事実を直接に知り得る立場にはなかったことを証明しています。
そこで、当時、直接に事実を知り得る立場にあった私が申し上げましょう。
あの時は、神道を専門分野としながら宗教学を担当していた神道学科の教授が他学部に異動になったために、神道に理解の深い宗教学担当者が必要となり、そこで渡部昇一氏に当時の文学部長他がお願いに参上したというのが真相です。
◇
こうして事実を公開しても、小林よしのり氏は、都合の悪いことをスルーして、その先の屁理屈を展開させてしまうからなぁ。
だから、時に『ゴーマニズム宣言』は<砂上の楼閣>となり、崩れる。
新田先生は、論理構築においての事実の積み重ねには、非常に自分を律しているが故に「負け無し」の論客でもある。
文章の遊びの部分と、そこは厳然と区別している。
・・・ところで、新田先生には娘さんがいる。
私もそろそろ遠距離恋愛をしようかなぁ^^;
(2010/10/31)
この問題は、より多くの人々に読まれたほうがいいでしょうから^^
今回、「皇位継承問題」で孤立している小林よしのり氏と、対立する一人になった渡部昇一氏が、小林よしのり氏に『ゴーマニズム宣言』でデマを流されたのを反証する内容でした。
しかし、かつて、反米・親米問題で孤立した小林よしのり氏は、渡部昇一氏と共著を出すことでイメージ上の孤立を回避していたものだけどね・・・。
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<新田均のコラムブログ>
小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(117)
小林さんは『WiLL』12月号195頁で、渡部昇一氏の発言を批判して、次のように書いています。「皇學館に確認したのだが、『神道専門の教授として渡部氏を招くとは考えられない』ということだった。」「こんな風に、論敵の批判は、事実確認に基づいてやらなきゃ相手のダメージにならないよ。」
しかし、これでは「事実確認」になっていません。
①.「皇學館に確認した」といのは、どういう意味でしょうか。まさか「皇學館」という建物に聞いたわけではないでしょうから、「皇學館の関係者に確認した」という意味でしょう。しかし、このような実名を上げない書き方は、以前彼が八木秀次氏を批判した際に否定したやり方です。「わしはこのような確実な根拠を示さず書かれた説を信用しない」(『サピオ』平成21年11月25日号56頁)
②.その皇學館関係者は、なぜ「考えられない」という言い方をしたのでしょうか。事実を知っている人ならば、「そういう事実はあった」「そういう事実はなかった」と、イエス・ノーで明確に答えるはずです。つまり、「考えられない」などという曖昧な言い方をしていることが、この人物が事実を直接に知り得る立場にはなかったことを証明しています。
そこで、当時、直接に事実を知り得る立場にあった私が申し上げましょう。
あの時は、神道を専門分野としながら宗教学を担当していた神道学科の教授が他学部に異動になったために、神道に理解の深い宗教学担当者が必要となり、そこで渡部昇一氏に当時の文学部長他がお願いに参上したというのが真相です。
◇
こうして事実を公開しても、小林よしのり氏は、都合の悪いことをスルーして、その先の屁理屈を展開させてしまうからなぁ。
だから、時に『ゴーマニズム宣言』は<砂上の楼閣>となり、崩れる。
新田先生は、論理構築においての事実の積み重ねには、非常に自分を律しているが故に「負け無し」の論客でもある。
文章の遊びの部分と、そこは厳然と区別している。
・・・ところで、新田先生には娘さんがいる。
私もそろそろ遠距離恋愛をしようかなぁ^^;
(2010/10/31)