雨の夜と下弦の月

毎日を静かに、穏やかに生きていきたいと思う日々。
そのわりにはジタバタと暮らすワタクシの毎日を綴っております。

屋台骨。

2009-07-21 20:32:46 | …and so on
東京は、夕方から久しぶりに雨が降り出しました。西日本ではかなりの豪雨になっているようですね。梅雨が明けたのは関東地方だけで、他のところは梅雨末期の大雨になっているところもあるようです。今日から学生の皆さまは本格的に夏休みに入っていると思われるのですが、その割には朝の電車はそれほど空いていなかったので、ちょっとがっかりしました。それに部活なのか補習なのかは謎ですが、高校生と思しき面々が結構電車に乗っていたし。同僚から聞いたところによると、最近の小学校は2学期制を採っていて、夏休み前に通知表を持って帰ってこないらしいですね。通知表自体もワタクシがご幼少の頃は5段階評価でしたが、うちの8つ下の弟が小学生になった頃には、すでに3段階評価になっていて全く通知表らしくないなぁと思ったものです。なので、最近の通知表はもっと変貌しているのかもしれません。

「ゆとり教育」なるものが明らかに失敗に終わり、その影響をもろに蒙った世代は本当に基本的な国語や算数が分からないまま大人になってしまうらしい。ワタクシは、悪名高き共通一次試験の3年目に大学入試を受けましたが、ワタクシが通っていたろくでもない高校の先生の言葉で唯一納得できたものがあります。それは「国(この場合は当時の文部省)が一旦制度を作ってしまえば、どんなに欠陥があろうとも無くなることはない」というもので、だから5教科7科目はどれも手を抜くんじゃないと続くわけです。高校の数Ⅰ(今はこういう言い方はしないらしいですが)で挫折して、高校の先生に白眼視されながら高2の頃にはすでに国公立を諦めたワタクシ。田舎の高校では国公立に合格することが全てで、私学を受けるなどというのは、たとえそれが早稲田・慶応クラスだったとしても問題外の外に置いてきぼりなのですよ。ワタクシなども完全に落ちこぼれ扱いで、高3の頃には自分ひとり別メニューで受験勉強をする羽目になってしまったものです。

「6大学(もちろん東大は除く)か関関同立のどこかには拾ってもらえるだろう」とか言われたっきり、担任の先生にも全く無視され続けた悲しい過去を持つワタクシとしては、共通一次にはいい思い出がないのです。でも、当時の先生の予言どおり、センター試験と名前を変えつつも制度自体はしぶとく生き残っていますよね。これこそ日本の官僚のしぶとさだと思うのですが。制度がなくなれば予算も人も剥ぎ取られてしまうわけで、官僚と名前のつく人々は自分の既得権益は絶対に手放さない。だから、どーでもいい政治家センセイたちが離合集散、呉越同舟を繰り返しても、良くも悪くも日本国の屋台骨はびくともしないわけで。仕事でバタバタしている間に衆議院が解散してしまったようですが、ネットによると、外務省などはすでに民主党シフトの人事異動を始めているらしい。やっぱり官僚ってしたたかじゃないと生き抜いていけないわけで、そーゆー意味では変わり身の早さにもミョーに感心してしまいます。政治家センセイ方も、もうちょっとうまく立ち回れないと、本当に国民に見放されてしまうんじゃないでしょうか。何だかんだ言っても、やっぱりこの国は官僚が動かしているんですよね。