今日の東京は、おそらくこの冬一番の寒さだったのではないでしょうか。朝からずっと、みぞれ交じりの雪が降り続いております。今日は、8日に亡くなった職場の同僚の告別式でした。ワタクシは結局失礼させていただきましたが、職場からもたくさんの人が最後のお別れに参列したことと思います。こんなに寒い日に彼女は旅立ったのだと思うと胸が痛みます。たぶん、特別に親しかった何人かの友人たちは、最後のお別れにも立ち合わせていただいたのかなぁと思いながら、カイロプラクティックに向かうバスに揺られておりました。今年一番の寒さは、彼女の最後のメッセージのような気もするのです。控えめで、いつもみんなの後ろでニコニコ微笑んでいた彼女の印象しかないワタクシは、彼女の最後で最大の自己主張が今日のお天気になったのかもしれないと思います。たぶんこれから先、ワタクシたちはみぞれ交じりの雪が降るたびに彼女のことを思い出すことになるのでしょう。そうやって、自分のことを思い出して欲しいというメッセージを、彼女は最後のお別れに際して、今日のみぞれ交じりの雪に託したのではないかと。そう思うと、何だか途轍もなく悲しいお天気だよなぁと。
結局、ワタクシ自身は自分の忙しさと周囲の環境に取り紛れ、彼女の友人たちと同じような悲しみを共有することができないと思ったこともあって、お香典だけを式に参列する友人に託して失礼してしまいました。前にも書いたとおり、彼女の笑顔を忘れないでいることも、彼女に対する供養になるのではないかと思うのです。だから、ワタクシ自身は今日の告別式ではなくて、みぞれ交じりの雪と共に彼女の笑顔を思い出すんだろうと。人が生きていくということは、結局はいつかみんなとお別れをするということでもあります。でも、彼女のように、みんなが泣き崩れるようなお別れの仕方が誰にでもできるものではありません。彼女がいかにみんなから慕われていたかが、それだけで分かりますよね。いわゆるヒトの平均寿命から見るとかなり短い人生ではありましたが、みんなの記憶の中に生き続けることができるのは、ある意味では羨ましくもあります。確かに悲しい出来事ではあったけれど、残されたみんなの結束も強くしてくれたのかもしれません。徳を積むというのは、彼女のような生き方ができるということなのかもしれませんね。
結局、ワタクシ自身は自分の忙しさと周囲の環境に取り紛れ、彼女の友人たちと同じような悲しみを共有することができないと思ったこともあって、お香典だけを式に参列する友人に託して失礼してしまいました。前にも書いたとおり、彼女の笑顔を忘れないでいることも、彼女に対する供養になるのではないかと思うのです。だから、ワタクシ自身は今日の告別式ではなくて、みぞれ交じりの雪と共に彼女の笑顔を思い出すんだろうと。人が生きていくということは、結局はいつかみんなとお別れをするということでもあります。でも、彼女のように、みんなが泣き崩れるようなお別れの仕方が誰にでもできるものではありません。彼女がいかにみんなから慕われていたかが、それだけで分かりますよね。いわゆるヒトの平均寿命から見るとかなり短い人生ではありましたが、みんなの記憶の中に生き続けることができるのは、ある意味では羨ましくもあります。確かに悲しい出来事ではあったけれど、残されたみんなの結束も強くしてくれたのかもしれません。徳を積むというのは、彼女のような生き方ができるということなのかもしれませんね。