今日の東京はきれいな青空とはいきませんでしたが、気温は上がって春のような陽気になりました。ってか、もうすぐ2月も終わりますが。そろそろ、通勤電車から富士山を眺めるのが厳しくなってきました。東京からだと、冬の凛とした空気の時期限定でとても美しい富士山を眺めることができます。自分が年齢を重ねていくとともに、富士山とか桜とか、若い時には見向きもしなかったような日本的なものに郷愁を覚えるようになりました。誰かの本で「年とともに桜を待ちわびる気持ちが強くなる」というのを読んだことがありますが、確かにそれはそのとおりだなぁとおのれを振り返る昨今ではあります。桜の散り際とか雪を被った富士山がいいと思うようになったワタクシは、最後には西行法師の心境になるのかも知れず。
願わくは花の下にて春死なむその如月のもちづきの頃
ワタクシは小説を読むのはかなり好きですが、詩・短歌・俳句などの散文の類には全く馴染めずに今日まで生きてきました。その中で唯一の例外が上記の西行法師の歌なのです。ワタクシがまだ高校生の頃、当時実家で買っていた「サンデー毎日」に女優の壇ふみさんがエッセイを連載していて、そこでこの歌のことを書いていたのです。ひょっとしたら、この歌は西行法師の代表作でもあるわけなので、古文の教科書にも出ていたかもしれません。が、ワタクシは散文に興味がなかったうえ、古文は英語よりも意味が分からないと思っていたぐらいなので、教科書に載っていたとしても全くスルーしていたに違いない。壇ふみさんがどういう文章の流れでこの歌を紹介していたのかは全く忘れてしまいましたが、とにかくこの歌は強烈に印象に残り、現在に至ります。華やかなのにどことなく厭世感が漂っているところが気に入ったのかなぁと、後付けの理屈ですが。厭世的な高校生ってどうよ?とは思いますが、確かに当時から世の中を斜めに見ていました。今は160℃ぐらい回転しているかもしれません。死ぬまでに360度回転して元に戻らないかと、密かに期待してはいるのですが…。
願わくは花の下にて春死なむその如月のもちづきの頃
ワタクシは小説を読むのはかなり好きですが、詩・短歌・俳句などの散文の類には全く馴染めずに今日まで生きてきました。その中で唯一の例外が上記の西行法師の歌なのです。ワタクシがまだ高校生の頃、当時実家で買っていた「サンデー毎日」に女優の壇ふみさんがエッセイを連載していて、そこでこの歌のことを書いていたのです。ひょっとしたら、この歌は西行法師の代表作でもあるわけなので、古文の教科書にも出ていたかもしれません。が、ワタクシは散文に興味がなかったうえ、古文は英語よりも意味が分からないと思っていたぐらいなので、教科書に載っていたとしても全くスルーしていたに違いない。壇ふみさんがどういう文章の流れでこの歌を紹介していたのかは全く忘れてしまいましたが、とにかくこの歌は強烈に印象に残り、現在に至ります。華やかなのにどことなく厭世感が漂っているところが気に入ったのかなぁと、後付けの理屈ですが。厭世的な高校生ってどうよ?とは思いますが、確かに当時から世の中を斜めに見ていました。今は160℃ぐらい回転しているかもしれません。死ぬまでに360度回転して元に戻らないかと、密かに期待してはいるのですが…。