雨の夜と下弦の月

毎日を静かに、穏やかに生きていきたいと思う日々。
そのわりにはジタバタと暮らすワタクシの毎日を綴っております。

群集心理。

2009-05-21 20:37:37 | …and so on
昨日、マスクが売り切れているなどとかなりのんきなことを言っていたら、東京にも新型インフルエンザの感染者が出てしまいました。不幸中の幸いというと感染した方には申し訳ないですが、いわゆるヒト-ヒト感染ではなく、アメリカから帰国した方だったとのこと。東京でもヒト-ヒト感染が始まるのが時間の問題であることは間違いないですが、多少なりとも時間稼ぎというか心の準備ができるかなぁと思います。でも、今朝の通勤電車ではマスク着用者が間違いなく増えていて、ちょっと焦りました。ワタクシが通勤に使う電車は、八王子や川崎とは全く関係ないところを走るのだけど、それでもマスク着用が増えつつあるわけで、やっぱり一種の群集心理が働いているんですね。新聞社のWebサイトを見ていたら、オイルショック時のトイレットペーパー騒ぎを思い出したというコラムがありました。

オイルショック当時は九州の田舎の小学生だったワタクシは、トイレットペーパーを買い占めに走る東京の人々を見て、何事だろうと思った記憶があります。今でも昭和を振り返るニュース映像とかでこのシーンが出てくることがあるので、若い方々でもご覧になったことがあるかもしれません。何がどうなると石油の高騰(だったか減産だったか)がトイレットペーパーの買い占めにつながるのか、全く因果関係が分からないのですが、おそらく誰かがそーゆーことを口走ってしまって、噂が噂を呼んだ結果なんだったんでしょうね。群集心理というのは、一人ひとりが冷静に考えることができなくなる結果として起こるんだろうなぁと思います。今回のマスク売り切れ騒動は、国や自治体がマスク着用を奨励した結果ではあるので、オイルショックとはちょっと違うのかもしれませんけど。

ただ、今回のマスク騒動でびっくりしたことがあります。個人的に東京では入手困難なので、実家の母に買って送ってもらえないか電話したところ、九州の田舎でもすでにマスクが入手できなくなっているらしいのです。大都市圏でマスクが欠品しているのは分かるのだけど、ワタクシの実家なんて本当に長閑な田舎なのです。あるいは、全国のマスクを大都市圏に集中的に流しているのかもしれないですが。厚生労働大臣があれだけマスク着用を奨励するという情報を流すと、今や都市部も田舎も変わらないということなのかもしれません。とにかく20枚確保しておいてよかったなぁとは思いますが、このご時勢にマスク業界(?)だけが潤っているんでしょうかね。

売り切れ。

2009-05-20 20:23:54 | …and so on
本格的に東京の人々も新型インフルエンザの警戒態勢に入ったらしく、今日、帰宅途中にドラッグストアを2件覘いてみたのですが、両店舗とも使い捨てマスクが完全に売り切れていました。厚生労働省のWebサイトを見たのか何かのニュースで見たのかは忘れましたが、取り急ぎ2週間分のマスクを備蓄するようにといっていたので20枚は確保しましたが、やっぱりあと10枚は買っておけばよかったかなぁとちと後悔中です。そんなこんなでパニックに陥りかねないのだから、やっぱり群集心理は怖ろしいと思います。うがいや手洗いをして、人混みをなるべく避けていれば、そんなに怖いものではないと頭では理解はしているつもりですが、見えない敵(?)というのはやっぱり怖ろしいというか不気味だと感じてしまいます。

日本で流行が加速すれば、WHOもフェーズ6に引き上げることもあり得るとのこと。確かに、先週まではどことなく対岸の火事的な気持ちでいたのに、あっという間に今そこにある危機になってしまった感は否めないですからね。落ち着いて考えれば、大都市を抱える大阪や兵庫で200人強の罹患率なのだから、まだ、大流行とはいえないはずです。でも、数字というのは動かしがたい現実です。たとえ弱毒性のウィルスで、お薬だってきちんと効果があると理解していても、日を追うごとに数字が増えるというのは、やっぱりどこかで恐怖心を煽っている気もします。だからといって恣意的に情報を公開しなければ、それはそれでパニックに陥ると思うし。ここら辺は、情報を公開する行政側としてもかなり難しい判断をしているんでしょうね。

ワタクシのカイシャでも、もし罹患者が出たらどうするかメールが来ていました。保健所などから外出自粛要請が出たら、休暇を取らなくても欠勤扱いはしないとか、一人でも罹患者が出たら逐一本社に情報を上げろとか。先週ぐらいまでの通りいっぺんのうがい手洗いの励行メールなどと比べると、かなり具体的な指示が出てくるようになりました。現在は滋賀県ぐらいで止まっているようですが、ウィルスだって東へ西へ移動していくわけです。ウィルスが落ち着くまで大人しくしてろということで休校措置になっているお子さま方は、今日も繁華街をうろついていたんでしょうか。頼むから、マジで、働く大人の皆さまにこれ以上感染を拡大させないように、退屈なのはわかるけど家にじっとしていてくれと思う今日この頃ではあります

ソフトランディング。

2009-05-19 21:16:03 | …and so on
今日まで虎ノ門で会議の予定だったので、いつもより早めに家を出て、東京メトロを3回乗り換えて8:30に虎ノ門の事務所に着きました。ところが、着いた途端にワタクシの事務所から電話がかかってきて、今日事務所で留守番予定だった同僚が、お子さんが熱を出してカイシャに来れなくなったので至急戻って来いと。本当に虎ノ門には5分もいないうちに、自分の事務所に戻る羽目になりました。会議を抜けられたのはめでたいことなれど、ワタクシは何のために地下鉄を3回も乗り換えたんだかと思うと、ちょっと哀しい気もしました。帰ってみると確かに人はいないし、メールボックスを開けると、1日留守にしただけなのに山のように調査もののお願い&督促メールは来てるしで、結果的には戻って正解ではあったんですけどね。

小さいお子さんが風邪を引いたとなると、時期が時期だけに親御さんとしては神経質にならざるを得ないんでしょうね。新型インフルエンザが東京に飛び火したという情報はまだ出ていませんが、遅かれ早かれ東京にも来ることは避けられないでしょうし。関西では、中学生や高校生がカラオケに繰り出したり繁華街をうろついているとニュースになっていました。何のために学校を閉鎖しているのか、根本的に理解していないみたいですが。それはそれとして、もっと年齢の低いお子さんたちのいる、特に共働きの人々は困るでしょうね。保育園や小学校が閉鎖されると親が休んで面倒を見ないといけないんでしょうが、おいそれと1週間も休めるカイシャなんてないですから。今のご時勢、下手したらそれでクビになるなんてことだってあり得ないとは言い切れない。

東京都の公式Webサイトをチラ見していたら、国(厚生労働省)に対し、もう少し柔軟な対応を求めたとか何とかいうPDFが載ってました。確かに、大阪や兵庫みたいに高校以下の学校、高齢者通所施設などを一律に閉鎖してしまうと、かなりパニックに近い雰囲気になってしまいそうですね。感染ルートを断つためには、大阪などが取った措置も緊急避難的に止むを得ないというのは分かりますが、肝心のお子さま方が街をうろついているのではあまり意味はない。ワタクシの同僚みたいに、理由はどうあれ、小さい子供を家に残して仕事にくるわけには行かない人々だって相当数いると思いますし。不幸中の幸いという表現が適当かどうかは分かりませんが、タミフルやリレンザもかなり効果があるとのこと。国や地方自治体には、その地域の実情にあった対策を打ち出していただきたいものです。


炎天下。

2009-05-18 18:49:21 | works
今日と明日は虎ノ門にある事務所で缶詰になっております。…とはいっても、今日の午前中は現場視察と称して、この炎天下の中虎ノ門-新橋間を歩いて往復する羽目になりました。地下鉄の駅1つ分です。雨天でも決行することになっていたので、傘を差しながら歩くよりはましだったとは思うしかないですね。年に1回ぐらいここを歩く羽目になるのですが、いつ来ても、新橋とか虎ノ門に住んでいる方がいるというのが不思議で仕方ない。基本的に山手線の内側に住めるのはかなりのセレブリティな方々だけだと思いませんか?土地を持たない庶民は、新橋に住もうなどという発想はしないですが、実際にヨレヨレになりながら歩いていると普通にお家があるんですね。先祖伝来の土地なんだという説明を受けるたびに、うらやましいご先祖様をお持ちだなぁと思ってしまいます。

今の事務所に来るまでは、新橋とか虎ノ門って仕事に行く場所ではあっても住む場所だとは思ったことがありませんでした。そういう意味では目からうろこが落ちるような現場視察ではあります。炎天下でない時にお散歩気分で歩けるなら本当にいいのですが、何故か、この現場視察の時っていつも炎天下を歩く羽目になってしまいます。普段の行ないがよすぎる(?)のかもしれません。午後からは、個人的にはどーでもいい会議で缶詰。明日も同じく缶詰になって会議です。仕事だから仕方ないのですが、事件は会議室では起こらないし、会議では何の解決にもならないと思うのだけど、会議だぁい好きなおぢさんたちには勝てない。事務所には新型インフルエンザ対策メールも来ていると思うのですが、2日間はメールも見れないのでちょっと気にしております。

炎天下の時期にインフルエンザが流行ったという記憶はあまりないので、やっぱりかなり感染力の強いウィルスなんだなぁと思ったりして。それにしても、感染しているのはほぼ高校生ばかりというのは不思議ですね。前に、高齢の方は感染しにくいらしいというニュースがあったけど、当たらずと言えども遠からずなんでしょうか。今日、虎ノ門に行くのに久しぶりに東京メトロに乗ったのですが、やっぱりマスクをしている人がちらほらいました。備えあれば憂いなしというわけでもないでしょうが、東京にウィルスがはいってくるのも時間の問題のようですから、昨日買い物に出たときに追加でマスクを買ってきました。20枚あればまあ大丈夫かなと。関西ではマスクが売り切れてるみたいですしね。腐るものでもないので、早めに買っておけば、精神的には何がしかの保険にはなるかもしれません


モンスター。

2009-05-17 17:07:24 | …and so on
新型インフルエンザの国内感染が始まりましたね。今のところは関西圏に限定されているようですが、東京に飛び火してくるのも時間の問題です。大阪で高校生の保護者が怒っているというニュースのヘッドラインを見て、いささかげんなりしております。国も地方自治体もできうる限りの手を尽くして感染拡大を防ごうとしているわけですが、自分の子供が罹患した、あるいはその危険性があるということになれば保護者としてはパニックを起こすのかもしれません。ヘッドラインしか見ていないのでどういう状況が怒りの原因になったのかは分かりませんが、こういうときは、結局は自分の身は自分で守るしかないわけですよね。学校が悪いとか行政が悪いとか言ってみても始まらない。今、この時期にモンスターペアレントをやってる場合じゃないと思うんですが。

自分の子供にマスクを着用させ、うがい手洗いを徹底させ、なるべく人混みには行かないようにする。それでも、今の時点では新型インフルエンザに対する免疫はできてないわけですから、感染してしまうことはありうるわけです。不幸中の幸いという表現が適当かどうかは分かりませんが、今回のウィルスは弱毒性で、適切な治療さえすれば大事には至らなさそうなわけです。ウィルスに感染したら、マスコミなどでも散々言っているように、発熱相談センターに電話をかけて専門家の指示を仰ぐしかない。この期に及んで保護者がパニックを起こしている場合じゃないと思う。ワタクシは、個人的には、モンスターペアレントと呼ばれる人々の精神構造が全く理解できないのですが、そういう人々ってある意味で育児放棄をしてるんじゃないの?と思ったりもします。悪いのは全て学校や行政って、自分の子供に責任を持つのは最終的には親なんだと思うんですが。

今回のことも、本当にインフルエンザが危ないかも…と思うのなら、保護者の判断で学校を休ませることだってできたはずなのです。それを、いざ感染者が出てきたら学校のせいだなどというのはちょっと筋が違うんじゃないかと。モンスターペアレントと呼ばれる人々は、ワタクシたちから下の年代に多いというのが嘆かわしい限りです。よく「子供が子供を産むからこういうことになるんだ」と言ったりもしますが、確かにワタクシの年代から下の世代というのは、戦争も体験していないし、高度経済成長期に甘やかされて育ってきた部分はある。それにしても、自分や自分の家族に対する責任ぐらいは取れないでどうする?と思ってしまいます。新型インフルエンザがどうのこうの以前に、ワタクシが一番ムカつく類のニュースだったので、何だか思わずアツくなってしまいました。ちょっとクールダウンして、うがい手洗いに励みたいと思います。

天使と悪魔。

2009-05-16 21:05:44 | books&magazine
今から地上波で初めて「ダヴィンチ・コード」を放映するみたいですが、地上波だと吹き替えなのでいまいちイメージがずれてしまいます。「ダヴィンチ・コード」は劇場で見たので、なおさらそう思うのかもしれません。それはさておき、先週、トム・ハンクスの来日にのせられて、文庫本の「天使と悪魔」全3巻を買ったままで家に置きっぱなしだったのですが、昨日の夜と今日1日かけてようやく読了しました。ローマカトリックのことには全く不案内なワタクシですが、本当に面白く読みました。これを買った書店で「ダヴィンチ・コード」と両方読んだ人の96%が、この「天使と悪魔」の方が面白かったと答えたというちらしを置いていて、疑り深いワタクシは半信半疑で読み始めたのですが、読み終えてみると確かにこっちの方が面白かったです

どこまでが真実でどこからが虚構かというのも面白いのですが、ワタクシは、結局人間の精神とか信仰心みたいなものに興味があるようです。そして、ミステリーとしても犯人像が二転三転するので本当に夢中になって読みました。ワタクシ、若い頃には本当にヨーロッパに憧れたものですが、何故かローマ(というかイタリア)には全く興味が湧かないまま年を取ってしまい、今日に至ります。でも、この本はある意味ローマ、特にヴァチカンについての観光ガイドブックにもなりそうです。世界一小さな国で、ローマ教皇がいるカトリックの総本山だということぐらいしか知らないワタクシでさえ、物語の進行とともにラングドン教授と一緒にヴァチカンを走り回っているような気になりました

人間が自分の力ではどうにもならない恐怖にさらされた時は、最後はやっぱり神に縋るものなのかもしれません。神というのは人それぞれが心の中に持っているもので、ある人にはイエスであり、ある人にはブッダであり、またある人にとってはイスラムの教えだったりするのでしょうが。日本人だと八百万(やおよろず)の神様だったりするのかもしれません。ワタクシも、平時は不信心極まりない生活を送っていますが、何か困ったことがあると八百万の神様に何とかしてくれとお願いしたりもします。宗教指導者と呼ばれる立場の人々は、その庶民の素朴な信仰心を良い方向に向けるために在るんだとは思うのですが、時として、それが狂信的になってしまうのが怖かったりもしますよね。信仰は、あくまでも個人の心の中に存在するはずで、一部のエライ人々がどうこうできるものではない。基本はミステリーなんですけど、宗教とは何ぞやということにちょっとだけ思いを馳せてしまう本ではありました。

日本語が通じない。

2009-05-14 20:51:47 | works
いや、別に外国の話ではなくて。

仕事の行きがかり上、今までお話するのを避けていたおぢさんと激論(?)する羽目になってしまったのです。そのおぢさんには辟易としている人々は多くて、なるべくなら真正面からお話したくない人ではあったのですが。とにかく、自分の縄張りを自分で勝手に決めていて、その領分を少しでも増やすことになる仕事を頑なに拒否し続ける人なのです。本来あなたの仕事なんですけど…的なことであっても、何せ、自分の縄張りを自分で限定しているので、お願いして拒否されるぐらいなら自分でやった方がマシだという人々が多くて。ワタクシもどちらかというと自分でやった方が早いと思ってしまうタイプなので、そのおぢさんとは衝突しないようにしていたのです。

今日は、行きがかり上本当に仕方なくそのおぢさんと正面衝突してしまったのです。が、そのおぢさんにこちらの言い分を分かっていただこうとすればするほど、日本語が通じないことに気がつきまして、途中からどうでもよくなってしまいました。仕事をしていると、時々日本語が通じない人に出くわすことがありませんか?こちらが意図していることを、意識的にか天然かは別として曲解して捉える人。ワタクシは人を説得しようという気が全くなく、自分でちゃっちゃとやる方が合理的だと思ってしまうので、結局は相手の思う壺にはまってしまっていたりします。今日も、どうでもよくなってしまった時点でワタクシの負けでした。そうやって人の事などお構いなく、のらりくらりとしていられる人がうらやましいとも思うのですが、こればっかりは性格ですよね。

ま、自分でやった方が早いと思う性格でかなりストレスも溜めるし、しなくていい仕事ばかり増えることに関しては損しているとも思います。ワタクシ的には今日はかなり粘ったつもりではあるのですが、ぬかに釘というか暖簾に腕押しといおうか。日本語が通じない石(今日のおぢさんは岩!)だと思えば腹も立たない。それにしても今日は本当にヘロヘロになってしまいました。泣く子と地頭と日本語の通じない岩には敵いません。このおぢさんとは2度と仕事の話はしないと心に誓った1日でした。おやすみなさい。

終焉。

2009-05-13 21:20:23 | music
何にも見たい番組がなかったので、先日お亡くなりになった三木たかしさんの追悼番組を見てしまいました。三木さんといえばテレサ・テンではありますが、他にもあらゆるジャンルの曲を書いてらっしゃるんだなぁと改めて思いました。「アンパンマンのマーチ」から「夜桜お七」まで。何気なく聴いていた曲の中に、実は結構三木さんが作られた曲が多いんですね。テレサ・テンに関して言えば「つぐない」「愛人」「時の流れに身を任せ」「別れの予感」と、今の若いOLさんでも結構カラオケで歌っている人は多いんじゃないでしょうか。カテゴリー分けすれば演歌になるんでしょうけど、あまり泥臭くないからそれほど抵抗なく歌っている人もいそうな気はします。曲としてはとても難しい「夜桜お七」もそうですよね。歌人の林あまりさんが作詞した印象しかなかったのですが、演歌初の16ビートの曲は三木さんによるものだったんですね

演歌だけでなく、岩崎宏美や西城秀樹などなど当時のアイドルにも曲を提供していらしたわけです。思えば、ワタクシの世代が小~中学生の頃必ず見ていたと思われる「スター誕生!」の審査員でもありました。いわゆる歌謡曲とか正統派アイドルがいた頃の芸能界を牽引していた一人だということです。阿久悠さんや都倉俊一さんがいろんな曲を作り出していた時代です。1970年代ということになるんでしょうか。懐かしくも遠く過ぎ去ってしまった時代ではあります。ワタクシたちは「その頃はまだ生まれていませんでした」という人々と、今現在一緒に働く羽目になってしまっている。ジェネレーションギャップがないほうがおかしいわけですよね。

最近、その頃TVで見ていた人々、活躍されていた人々が鬼籍に入られたというニュースを耳にすることが多くなりました。個人的には、阿久悠さんが亡くなられた時に、歌謡曲の時代は終焉してしまったのかもしれないと思っております。残ったのは演歌なら演歌、ポップスならポップスというようにあまりにもカテゴライズされ過ぎてしまって、どの曲も見事に同じにしか聴こえなくなったという現実かなぁと思います。自分の音楽は自分で作る人々が増え、職業としての作詞家、作曲家がこれからどんどん減っていくんじゃないでしょうか。いくらワタクシが年を取ってしまったとはいえ、今の演歌を聴く気にはまったくならない。素晴らしい曲は後世に歌い継がれるとはいっても、テレサ・テンの歌った4曲みたいな歌を作れる人がいなくなってしまうのはちょっと寂しい気もします。

三木たかしさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

いわしの頭も信心。

2009-05-12 20:09:26 | …and so on
先週の土曜日からダン・ブラウンの「天使と悪魔」を読み始めました。トム・ハンクスの来日にのせられて、つい上中下3巻衝動買いしてしまいました。どちらかというと仏教の方が好きで、それとて信仰が篤いわけでもないワタクシゆえ、ローマカトリックには全く縁がなく生きてきました。仏教にしても、美術工芸品としての仏像が好きだったり、学問としての仏教哲学みたいなものに興味があるという程度です。現在、上野の国立博物館で展示中の奈良・興福寺の阿修羅像も見てみたいとは思うけど、あまり信仰の対象として考えたことはない。お顔を拝見して素直に拝みたいと思ったのは、京都・広隆寺の弥勒菩薩ぐらいかなぁ。あの弥勒菩薩は本当に癒されるというか、不思議に見ているものをホッとさせるお顔の菩薩様ですね。何でも赦していただけそうな気がするのは、日頃ののわが身の多々ある不徳の致すところかも知れず

それに比べると、キリスト教に関連する絵画とか教会にはいまいち興味が湧かないのです。キリスト教自体があまり自分の身の丈に合うと思ってないからかもしれません。本当に不勉強なので感覚とイメージでしか見ていないせいもありますが、特にローマカトリックにはちょっと排他的な部分があるような気がして、ビビッてしまうところがあります。もちろん良い悪いの問題ではないし、それこそ信教の自由とか内心の自由とかあるわけです。信仰している方々が排他的だと思ってるわけでもないんですけどねぇ…。なので、ヨーロッパに散在する教会の壁画とか、聖母子像とかをTVなどで見てもピンと来ないのです。

日本人って、「信じるものは救われる」とか「いわしの頭も信心」とか、宗教に対してかなりおおらかな民族なんじゃないかと思うんですね。キリスト教やイスラム教のような厳格な規律を求めていないというか。だって、クリスチャンやイスラム教を信じる方々に「いわしの頭も信心」とか言ったら石持て追われそうだと思いませんか?お宮参りと七五三は神道、結婚式はキリスト教、お葬式は仏教で…なんて、他所の国の人から見ればはてなマークがいくつもつきそうだけど、日本人は平気でやりますよね。真面目に宗教を信仰してるというと、なぜか新興宗教の信者さんだったり。もちろん、新興宗教も良い悪いの問題ではないですよ、念のため。このようなワタクシですが、「天使と悪魔」を読了したら、また感想を書こうと思っております。

89歳。

2009-05-11 20:02:40 | …and so on
今日も暑い1日でした。ここ2,3日の東京は、初夏というよりは夏そのものという感じになっています。これも地球温暖化の影響なのかもしれないと思うと、ちょっと薄気味悪いものもありますが。一昨日ぐらいから夏物の服を着ていますが、このまま夏になるとは思えないので、今から活躍するのがカーディガンなどの羽織りものです。特に、暑がりのくせにエアコンの冷房にめっぽう弱く、すぐ冷房病を起こす私にとっては必需品です。今日もカーディガンを羽織って出かけたのですが、電車も事務所もまだそんなにきつい冷房はしていないので、帰宅時には脱いでいてもちょうどいいぐらいではありました。部屋が本格的にキンキンに冷える時期になると、カーディガンを羽織るのはもちろんのこと、首にストールを巻いて完全防備をしなければなりません。何か間違っているとは思うんですけどね。

何とか国民のご機嫌を取りたい日本国政府は、舞台「放浪記」主演2,000回という前人未到の記録を達成した森光子さんに国民栄誉賞を贈ることに内定したとのこと。確かに、今日のめざましTVを見てたら、連続主演記録の2位が松本幸四郎さんの「ラ・マンチャの男」で1,100回弱だったから、これから先ちょっとやそっとで破られる記録ではないですよね。40年以上の時間をかけて成し遂げた記録へのご褒美だから、国民栄誉賞もありだなぁとは思います。森光子さんは純粋に称えられて然るべきです。ただ、ちょっとだけ疑問符がつくのは、衆議院選が近いからゴマをすっておくか的な思惑が透けて見えるような気がすること。穿ち過ぎの見方かもしれませんが、政府にとっての国民栄誉賞とは、国民に対する飴でもあるというのを何かの本で読んだからかもしれません。

御年89歳。ちょっと前にTVで見た森光子さんは年相応に声も姿も弱々しくなったなぁと思ったのですが、少なくとも舞台の上では矍鑠(かくしゃく)としたものです。でんぐり返しを封印したとはいえ、2時間以上舞台の上に立っているというだけでも敬服します。TVはある意味残酷な媒体ではあるので、「老い」をそのまま映し出すことにもなるのでしょうが、舞台の上ではご本人の努力と気合が全てということなのかもしれません。舞台を見る機会はないにせよ、TVの「時間ですよ」から見ているワタクシたちの世代にとって、森光子さんはいつまでも日本のお母さん、おかみさんなんですね。これからもお元気で、1回でも多く舞台の上に立っていただけたらいいなぁと思ったのでした。