懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

東日本大震災の記憶

2020年03月12日 | 日記
東日本大震災を知ったのは、地震発生後30分経過してからだ。
私の住むところは震度1で揺れは感じなかった。
近くの消防署の地震の放送もなかった。
ラジオを聞きながらパソコンを見ているが、その日はラジオを消していた。
ブログはやっていなかった。パソコンに大地震の記事が増えて来た。
ラジオとテレビで東北の地震を知る。津波が平野部を家や車を押し流す映像に巨大をみた。家内は仕事で地震は知らなかった。超巨大地震発生、東北が裂けたとメール入れた。

地震の規模はM7.8と報道があった。津波警報が出され最大潮位3メートルと繰り返し報道された。地震の規模M7.8の津波の高さのため低く発表された。
私もM7.8は関東大震災クラスの大きな地震だから人や建物の被害はある。津波は防潮堤で抑えられると思ていた。この先入観感が多く人の避難を鈍らせる結果となった。
地震の規模を測るマグニチュードは8.0以上は飽和して測定ができない。
モーメントマグニチュードで後日、算出するとM9.0だった。当初.のM7.8より40倍以上の巨大地震であった。津波による潮位も、潮位計が破損して正確に測れない。地震計も破損や停電でデーターが取れなかった。
あの時 、超巨大地震発生、30メートルの大津波が襲来、それ以上の高台に大至急、避難する事と繰り返し放送すれば犠牲者は半減していた。数年前にインドネシアで巨大地震があっただけに惜しまれる。

現在は巨大地震の規模の測定できるシステムや水中の浮きの水圧で津波の高さを推測する設備が導入されている。

地震発生で停電してテレビを見て居なく情報不足の人がいた。.車の中でカーナビのテレビを見たりラジオを聞き情報難民にならない事も必要だ。