昭和の古い町並み写真展 その40 「働く 魚行商」 倉敷市玉島仲買町(今は玉島阿賀崎)
魚の行商の後を付いていって撮影させてもらう。
写真展をした時に県庁に勤めている人がすぐ近くなので昼休みに写真展を見に来てくれた。
「私この行商していているお婆さんを知っている。横で立ち話をしている人は○○さんでこの人も知っている」というのです。県庁勤めの男性は家は玉島で昔からの古い民家に住んでいるそうだ。
県庁に勤めて人は40代で若く見えた。四十年近く前だし幼い頃の事を何で知っているのだろうと思った。行商している女性の息子さんも知っていると言っていた。
写真展の最終日に行商をしている女性の息子さん夫婦が写真展を見に来てくれた。
県庁に勤めている男性が息子さんに電話をしてくれたのだ。
お母さんは82歳まで行商をしていて85歳で亡くなった、この写真は74歳頃だと思う。
家族の了解も得ず写真展にだして後ろめたい気持ちもあったが大変喜んでもらい良かったと思った瞬間である。県庁に勤めていた人は10歳くらいまで行商をしていた姿をみたのかもしれない。
写真展をすれば何かの出合いがある。出会いと共に何か得るものが多くある。
私は日頃人々と付き合いや会話の機会がほとんどない。写真展を開催し人にきてもらい刺激を受ける格好の機会でもある。
魚の行商の後を付いていって撮影させてもらう。
写真展をした時に県庁に勤めている人がすぐ近くなので昼休みに写真展を見に来てくれた。
「私この行商していているお婆さんを知っている。横で立ち話をしている人は○○さんでこの人も知っている」というのです。県庁勤めの男性は家は玉島で昔からの古い民家に住んでいるそうだ。
県庁に勤めて人は40代で若く見えた。四十年近く前だし幼い頃の事を何で知っているのだろうと思った。行商している女性の息子さんも知っていると言っていた。
写真展の最終日に行商をしている女性の息子さん夫婦が写真展を見に来てくれた。
県庁に勤めている男性が息子さんに電話をしてくれたのだ。
お母さんは82歳まで行商をしていて85歳で亡くなった、この写真は74歳頃だと思う。
家族の了解も得ず写真展にだして後ろめたい気持ちもあったが大変喜んでもらい良かったと思った瞬間である。県庁に勤めていた人は10歳くらいまで行商をしていた姿をみたのかもしれない。
写真展をすれば何かの出合いがある。出会いと共に何か得るものが多くある。
私は日頃人々と付き合いや会話の機会がほとんどない。写真展を開催し人にきてもらい刺激を受ける格好の機会でもある。
昭和46年の車ですかこれを撮ったのは昭和48年です。
今考えると昭和の時代は何を撮っていても今は懐かしい風景になりました。昭和の古い町並みと旧車のファンですか頑張って趣味を続けてください。
旧車と昭和の町並みが好きで、偶々一枚目の写真を見掛けたのですが、二年程前に旧車雑誌の取材を受けた時、偶然愛車(昭和46年スバル サンバー)と撮影して頂いたのがこの場所でした。
巻頭5ページ掲載の1ページ目がここだったので、非常に嬉しくなりまして…
西〇知在住ですが、幼少の頃、尾道から行商のおばあちゃんが海産物を満載して月に二回ほど訪ねて来ていたのが懐かしいです。