懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,379 広島県熊野町

2017年07月20日 | 日本茅葺紀行
狭い道と集落の中に茅葺民家がある。
そんな集落の中で茅葺民家を撮っていたら籠を担いだ女性が通りかかった。
話しかけて籠の中を見せてもらうキュウリやナス、ウリが入っていた。家庭菜園の収穫の帰りだった。年季の入った竹の篭、どれぐらい使っているのか聞かなかった。
平成になり年季の入った竹の篭は珍しい。
こんな光景に出会うにカメラを持ち回数通わないと出会わない。

最近はほとんど出かけないのでカメラも動くかどうか心配だ。
広島へ行ったら話題は広島カープ
会社勤めの時には広島出身の人が大勢いた。
みんな熱狂的なカープファンだった。
勝ち進んでいる時はなるべく野球の話はしなかった。
今も現役で働いている人はうるさいことであろう。

それにしても地方の球団で41年かも黒字経営は素晴らしい。
弱い時代にもそれなりに収益をあげていたのだ。選手の育て方もうまいし若手も伸びている。

蒸気機関車 小海線

2017年07月19日 | 蒸気機関車
小海線は高原列車である。
中央線の小淵沢から清里や野辺山を目指す。
小淵沢も標高が900メートル位ありそれからさらに1300メートル越えまで登っていく。
清里の手前の大堰堤や八ヶ岳バックが撮影ポイントだそうだ。

C56型蒸気機関車が初秋に高原キャベツを運んでいく。
客車はディゼルカ―で蒸気機関車は牽引しなかった。
清里の大堰堤をゆっくりゆっくりと登ってくる。
しかし、気温が30℃近くあり黒煙も白煙もなく拍子抜けだった。
蒸気機関車の撮影はこの一回限りだった。
南には高い山々が見える南アルプスの端か


清里は長野県と思っている人が多いが山梨県、隣の駅の野辺山は長野県
清里は東京の人だと日帰りでいける。
夏休みが始まると避暑に大勢訪れる。
夏休みも8月20日を過ぎるとがら空きになる。
子供の宿題に追われて旅行をする人もいないのであろう。
清里の民宿にはクーラーがなかった。冷房の必要がないのだろう。
うるさい道路工事のような騒音がした。聞くとエゾゼミだそうだ。
ツクツクボウシやヒグラシは何ともいい声だ。




好きな海はありますか

2017年07月18日 | 日記
好きな海はありますかと聞かれると獲物が獲れる海と答えます。
海は眺めたり泳いだりより獲物をとるためにあると思っています。
春はワカメとりアサリやハマグリ掘りやシャコ獲り夏はサザエやアワビ獲り。
サザエ、アワビは瀬戸内海や山陰の岩場が戦場
山陰はサザエアワビは密漁になり獲りにくくなった。
ひとの目に付かない磯でこっそり獲っていた。
私の会社の仲間5人でサザエ獲りに潜っていたら竹竿を持った漁師に船から叩かれた、水面から顔を揚げたら竹竿が降りてくる。必死に岩場に逃げたと言っていた。

サザエやアワビ獲りは危険が伴う波が荒れる酸欠になるので心臓発作を起こす。
40代になり子育てに金のかかる時期、家内から命をかけて獲るものではない。
1500円出せばサザエなど沢山買えると言われきっぱりやめた。

アワビもサザエも近づくときは浮遊物になり静かに行かないと逃げる。
サザエが逃げるどのように逃げると友達が聞いてきた。岩に吸い付いている吸盤をゆるめれば海底深くにコロコロ落ちていく。
目と目とあわさないように近づくといったら貝に目があるのかと友達がいってきた。カタツムリでも巻貝は目がある。
目がないとあるけんじゃないいかと答えた。
アワビのどこが巻貝かと言ってきた。一枚貝だろうといってきた。貝は二枚貝か巻貝しかおらんわい。彼は勉強はよくするがアウトドアはからっきししない。
寿司屋か水族館でアワビを観察してみればわかる。なんとか納得した。

懐かしい物 長屋門

2017年07月18日 | 懐かしい物
撮影場所 倉敷市玉島


昔の大きな庄屋の長屋門
普通は閉めてあるがこの日は開いていた。
本瓦葺きになまこ壁昔ながらの民家である。文化財のような民家だと思い撮影する。

長屋門は下男や下女の寝泊まりする部屋もあった。
戦前までは大きな格差社会であった。大地主が土地を保有し小作人に貸していた。
戦後は農地解放で小作人が安く買い取った。
戦後、都市近郊は土地2を持つ者と持たないサラリーマンでは大きな格差になった。

私の近所もガソリンスタンドや食堂、コンビニに土地を貸している人は羽振りがいい。
コンビニに土地を貸している人は毎月40万が入る。
年金よりはるかに多い。その金でアパートも建てている。

2016年 茅葺写真展 二棟続き その2

2017年07月17日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 長野県信濃町

野尻湖の近くの集落にあった。トウモロコシの畑が続く。
トウモロコシは背丈もあるし野菜では絵になる風景だと思った。
茅葺民家と植物や作物と一緒に撮影するようにしているがジサツマイモやャガイモなどは何の作物か見分けがつかない。
トウモロコシや里芋、ヒマワリの類がよい。

野尻湖にはナウマンゾウの化石が発見された渇水期の冬場に発掘したそうだ。
ナウマンゾウ絶滅の原因は人が捕殺して食べたのだと書いてある。
園山俊二氏の漫画ギャートルズの世界だなあと説明書きを読んで笑った。
ナウマンゾウは瀬戸内海にも居たそうだ地引網の漁網に太い骨の化石が引っかかった。
氷河期には瀬戸内海の水はなくなり平原であったそうだ。その時に大陸からゾウ
も陸伝いに移動してきたようだ。
野尻湖は長野市まで引かれ上水道になっている。天然のダムだ。
猪苗代湖や十和田湖も水源として活用されている。

信濃町に小林一茶の記念館がある。
藤沢周平の小林一茶を読んだ事がある。家督争いから妻や子が相次いで亡くなり不幸が続くそれでも再婚の妻の腹にいた子は無事に成長したようだ。それも知らずに一茶はこの世をを去っている。

茅葺民家 モノクロ 岡山県旧冨村

2017年07月16日 | 茅葺き民家
岡山県のすべての町村を回り茅葺民家を探そうと思った。
転勤で岡山に住み20年ここで一生暮らそうと思った。
岡山と言っても行った事のない土地ばかりだった。
茅葺民家を探すをテーマに78市町村の集落を訪ね歩くことにした。
ガソリンと時間の無駄な行為であった。
すべての市町村を巡ることはできても市町村道を走りすべての集落を巡るのは途方もなく大変である。まず経済的にも時間的にも無駄がおおすぎる。

私は過去に鉄道の写真や古い街並みを撮影したその時に岡山県の私鉄も含め全駅を撮らなかったのか古い街並みも岡山県内をすべて回らなかったのか今になって悔やまれる。
岡山に住み続けるかもわからなかった。岡山県にそんな愛着もわいていなかった。
今からやればと思うが時代が違いすぎる。魅力ある昭和の風景が消えて撮りたい意欲が湧かない。

何としても岡山県の各市町村を訪ね歩いた。平成の時代になっても500軒以上の茅葺民家に出会えた。今は車椅子生活になりひとりではなにもできなくなっただけに残ったネガを見るのが楽しみだ。

写真は冨村に残っていた数少ない茅葺民家


日本茅葺紀行 NO,378 岩手県旧室根村 

2017年07月15日 | 日本茅葺紀行
岩手県の南部から気仙沼にかけては豪壮な煙出しのある民家が見られる。
写真の民家の煙出しはそれほど豪壮でないが。・
佐野昌弘氏の茅葺民家の本でその存在を知った。
最初に行ったときは室根村にも沢山あったが昨年行ったら随分なくなったり朽ちていた。
トタンを覆うことなくそのまま廃屋になっている家が多かった。

再びそのあたりをさがしたが記憶もあいまいで建物が撤去されていたら全く思い出せない。
走った道路を色で塗り茅葺民家をプロットしておかないと分からなくなる。

日本の田舎の風景も建物も時間との勝負だと思う。




鶴瓶の家族に乾杯 鳥取県日南町

2017年07月14日 | 日記
家族に乾杯で日南町が舞台だというのを予告で知り楽しみに待っていた。
家族に乾杯は毎回楽しみにしている番組だ。
舞台は田舎がほとんど、東京や大阪が舞台になった事もあるが家の鍵を掛ける都会はさすがの鶴瓶さんでも立ち入りにくいだろう。日本テレビ系のダーツの旅も田舎専門である。
私が働いていた時に新見市から通っていた関連会社の人がいた。出かける時に鍵を掛けた事がないという。
電化製品など盗まれないのかと聞いたら全くないという。鍵を締めると地域の人が物を持ってきてくれたり物を借りにきにくくなるという。

田舎の方がいろんな暮らしがあり食べ物があり断然面白い。
草刈りをしていたらマムシがいたので二匹鎌で殺したと放り投げた死骸を見せるお婆さん。こんなシーンは作られたものでないので面白い。

日南町は岡山県新見市の隣のため私の住むところから近い。
茅葺民家を撮影に15回は通った。茅葺民家も15軒は残っていた。
しかし、撮り始めて25年だか、時代が随分変った。過疎限界集落の寂しさがただよう。
茅葺もほとんど消えた。集落にもっと元気がある頃に訪れたかった。それでも町の中心にスーパーもできた。・

家族に乾杯はおじいちゃんおばあちゃんのいる大家族の家を訪れるのが主目的になっている。
地元の人には田舎でも元気に生き甲斐をもって生活している。顔にも暗さがないのが救いだ。

茅葺民家の撮影で山間部に行くがそこに住んで誇りに思っている人が多い。都市部の住む人は買い物も学校も不便と思うがそんな悲壮感は少なく田舎の楽しみを満喫している人が多い。

日南町に住む民家はみんかな大きくいいい木材を使っている。
ゲストの羽田美智子さんが親近感をもって接するのでいい番組だった。




納豆好き嫌い?

2017年07月13日 | 日記
納豆は大好きですが飲んでいる薬が効かなくなるので医者から食べるのを禁止されている。

昔は冷蔵庫がなく関西以西では納豆を食べる習慣がなかった。
成人して初めて食べた。スーパーで冷蔵され売られるようになり食べるようになっと記憶している。
今は沢山売られているが関東以北にくらべてると消費は少ないのでは。

それにしても納豆は不思議な食べ物です。豆だけ食っても美味しいものではないが醤油、からしにネギと温かいご飯がそろうとおいしくなる。納豆を初めて食った人は凄い、どう見ても腐ったものです。
酒などと同じで偶然にできたのでしょうか。昔の農家はどこにでも藁があったので納豆菌もあったのでしょう。
食べ忘れた大豆に納豆菌が付着して納豆になっても不思議ではありません。
よく言われている言葉に豆が腐るのはナットウで豆を納めるのがトウフではないか豆腐と納豆の文字の使い方がテレコになって伝わったという話はどうなった。

私の昭和鉄道遺産 その36 宮崎のC61型

2017年07月13日 | 私の昭和鉄道遺産
日豊線宮崎機関区のC61型蒸気機関車

奥羽線の電化で宮崎に転属になった。
活躍期間は二年余りであったが日向路を駆け抜けた。
大型機関車が姿を消して最後にこんな機関車が見られたのは良かったと思う。

宮崎機関区は機関車の掃除が行き届いていた。
機関車が黒光りしていた。
汚い機関車は北海道だった。ナンバープレートは薄汚れてみえずあれれだけ煤がでるのではいくら掃除しても無駄の思いがあったのかストライキのビラの張ったあとの機関車
JR北海道のずさんな保全状態が明るみになるのを思うと40年経過しても体質は変わっていないのか

私はSLブームなって出版された本を見て撮影を始めた。
私より若い人でも昭和30年代から撮影している。
中学生である。しっかりした考えで撮影している。
それも70歳になっても継続している。
14才でプロ棋士になった天才少年もいる。世の中には早熟な天才人がいるものだ。