懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車  雪の函館本線

2017年12月15日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道 函館本線大沼付近

駅の付近や吹雪の酷いところは暴風雪を防ぐ柵をしていた。
柵に筵などで張りつけ風を防いでいた。
雪国の鉄道は除雪も必要だしポイントは凍り付く機関車や気動車の管理も手間が掛かる。
鉄道を維持するのに金が掛る。

若い時は日本各地へ出向き寒さや環境の厳しさを体験してみることだ。
蒸気機関車を追い厳冬期のの北海道にいったのも自分の人生にはよかった。
歳をとってではあの寒さではシモヤケが出来るは心臓発作を起こしかねない。

北海道の人はあの寒さでよく暮らしているものだ。

大沼の沼から吹く風雪の中をD51蒸気機関車の貨物列車が走り抜けた。


懐かしい物 団子三兄弟

2017年12月14日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県旧加茂町


雪の降ったあと茅葺民家を撮影にいく。
訪れた家に犬を飼っていた。
家の縁側にいた三匹の犬が外に飛び出し揃って吠え出した。
小犬でも三匹が吠えるとうるさく近所に聞こえる。
あの頃、団子三兄弟と言う唄が流行っていた。
NHKのみんなの歌かなんかで連日流れていた。
犬たちを見ていて団子三兄弟だと思いながらシャッターを切った。
余りにも鳴き声が酷いので家人がうるさい静かにしなさいといったら三匹そろって飼い主の方へ振り返りビシャっと鳴くのをやめた。




茅葺民家 広島県旧黒瀬町の民家

2017年12月13日 | 茅葺き民家
黒瀬町は現在は東広島市に編入されている。
二、三軒茅葺民家が残っていた。
今はほとんど消えたと思われる。
茅葺民家の維持は難しいし耐久性がない。コストも茅刈などの手間もかかるので残る要因がない。文化財として残すしかない。

家の周りの枯草も刈り取らないと火災の危険がある。
高齢化や住む人がいなくて雑草が放置されたままになっている空地が目に付く。

草刈りで刈り取っても二か月もすると元の草むらに戻る。
茅や背高泡立ち草の宿根と種で増える雑草も20センチくらいに伸びた時にラウンドアップを噴霧器でかけると全滅できる。三カ月後にもう一度かけると完璧だ。コストは100坪で一回200円から300円 粒の除草剤より断然安く効果抜群。

日本茅葺紀行 NO,412 茶畑のある風景

2017年12月12日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 島根県大東町

茅葺民家を探しに奥出雲をうろついていた。
道路工事をしていたので担当者の人に声を掛けて茅葺民家の所在を聞いた。
工事現場の人も必ずしも地元の人とは限らず土地の人間でないので分からないと言われる事が多い。
聞いた時は地元の人がいて20代の若い人だったのでどうかなと思った。
この上を登ったらあると教えてくれた。
登ったら若い人の言う通りあったではないか。
茶畑と一緒に撮影する。
茶畑と茅葺き民家も一つのテーマで熱心に撮って置くべきだった。
小規模の茶畑はやめるところが多い。茅葺きも減るし時代と共に淘汰される。
茅葺の民家を撮りながら茅葺の所在を随分聞いた。
趣味でも地元の人へのこまめに声掛けが必要だ。

車のトップセールスの有名な話、その人は人に会いひたすら名刺を配る。一日に100枚配るのをノルマ―とした。夜遅くなると交番のお巡りさんを相手に名刺を配り車を買う時は電話をしてほしいと依頼した。それを毎日続けたら数年したらトップセールスに成長した。

綾小路きみまろ氏もブレークする前は漫談のテープを作り観光バスの集まる駐車場でガイドさんにひたすら配り車内で流してほしいとお願いした。次第に面白いと評価され舞台やテレビ、CDの販売で人気者になった。

趣味をするにもこれくらいの努力とアイデアがいるのかな

私の昭和鉄道遺産 その53  機関庫の中

2017年12月11日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 鹿児島県 肥薩線 吉松機関区

暗い機関庫の中、停車している機関車や作業している風景を撮影
少ない光のため三脚使用。
露光は適当にやっていたので露出不足も数多くある。
外で撮りたかったが作業のため機関庫に入ったまま出てこない。
度々来れるところだった外に出てくるのを待つが一時間程度の滞在時間であった。
作業している人にとっては鉄道ファンは迷惑な存在であっただろう。

吉松の駅前に共同温泉があった。この付近には小さな温泉が沢山あるのだ。
駅前の旅館に泊まると共同温泉まで渡り廊下でつながっていた。旅館には風呂はなく泊り客は無料で入れた。少し硫黄臭のする色の付いた湯であった。

霧島火山帯のはずれなので温泉はあるのだろう。
車椅子でなければ昔訪れたところへも行ってみたかった。






懐かしい物 豆を干す

2017年12月10日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県旧吉永町

茅葺民家の庭先で豆を干している光景を撮影させてもらった。
よく乾燥するようにひっくり返しているようだ。

植物は実が熟れ乾燥すると落下したり豆のように遠くに飛ばしたり動物の毛や人間の服にくっついたり羽根が風でとばされて子孫を残す。
蕎麦や豆は乾燥して落ちる前に収穫しないと軸と殻だけになってしまう。
米や麦は人間の品種改良で実っても実が落ちなくしたそうだ。

筵やゴザの上で乾燥して脱穀する。
大豆も小豆も作るのは難しくないが売れるような品質を無農薬で作るのは難しい。
穀物は外国産が安く乾燥保存がきくので日本産は家庭用や地域販売に限定されている。

原材料ではコスト的に外国産には勝負できないが国産品の加工品や農家レストラン民泊などで料理として提供すれば生きる道もあるかと思う。田舎の過疎化人口減少を食い止めるためにも智恵とアイデアがいる時代だ。これからの日本の田舎も都会の人に魅力のある体験ができる資源を発掘し田舎に泊まろう田舎に行こうを発信してほしい。

小遣いをもらわない

2017年12月09日 | 日記
小遣いをもらわない。

家内から小遣いをもらわなくなって一年になる。
自分が長年働いてもらっている年金から家内に小遣いをもらっていた。

しかし、車椅子生活で家から出ることもなく家に籠りぱなしなので金を使う事がない。
以前はフィルムやプリンターのインクや写真紙を買っていたがそれもなくなった。カメラの購入や補修にまとまった金がいるのである程度の蓄えはいる。
私は極小消費ジジイである。消費拡大の産業界に一番嫌われるジジィでもある。
昼間菓子を置いてあっても間食はしないので自分で買う事はまずない。酒は飲まないし煙草も吸わない。全く面白みのない人間だ。何が楽しみで生きているのかと思われる。いつまで生きるか分からないので本など買って物を増さない。
小遣いをもらっても使わないので財布には金が少しづつたまっていく。
それを知って家内もなかなか小遣いをくれなくなった。

家内にへつらい小遣いをもらうのも癪だし小遣いなど自分で工面するので要らんと断った。
小遣いを稼ぐ手は株で儲けるかネットオークションで集めた物を売るかである。

会社を定年になったとき退職金から自分の小遣いをいくらかもらった。

長年集めた物は他人が見ればゴミだ。死ぬまでに売りさばいて現金にしようと思う。
残しても焼却処分されるだけだ。子供のためにもいらない物は処分していきたい。
切符や鉄道雑誌、時刻表や写真のネガが沢山ある。
自分の集めた物を売りさばくのは面倒なものだ。値段も200円くらいのものに時間を掛けて郵送するのもやっていてもあほらしくなるが頑張ってみるしかない。

退職金の小遣いで株を買って小遣いを稼ぐ。
10月はみずほフィナンシャルの株を195円で4000株買い205円で売った。手数料1600円、税金2割で手取り3万円。これで一か月の小遣い稼ぎの目標達成
こんな小遣い稼ぎも面白いものだ。一万、二万円を儲けるのに一喜一憂するのは惚ける暇もない。小遣いなど貰わず自分でいかに稼ぐかの方が俄然やる気になるものだ。
息子の義母さんはご主人を早く亡くし遺族年金暮らしだが毎日の食費を稼ぐために一万株単位で売り買いしている。
売買で2円騰がれば15,000円の儲けといいながら売り買いが毎日の日課になっている。
株だから儲かる日もありゃあ痛い目に遭う日もある。
小遣いを貯めて自分の生きた証の写真集でもだすか

茅葺民家 悲しい家やね モノクロ

2017年12月09日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧加茂町

茅葺民家に雪が少し降る。この家には人はもう住んででいないのか。
もうどうであったか忘れてしまった。
上田正樹の歌に「悲しい色やね」というのがあった。
大阪で生まれた女同様に大阪弁の歌た。

いつまでこの家はもつのだろう。見ていて寂しいものだ。
悲しい家やねといってしまった。

日本茅葺紀行 NO,411 京都府京丹波の民家

2017年12月08日 | 日本茅葺紀行
京丹波町に住む人が京丹波町の民家を教えてくれた。
合併前の知和町や丹波町の頃に何軒か撮影した。
美山町に行くのによく通った。
最近は撮影の頻度も減った。
自分の茅葺を追い求める情熱が消えうせた。
行けば何か発見があるが出るのが億劫になっていく。
地方の老人が痴呆老人に突き進んでいるのだろうか。

和(なごみ)という道の駅でトイレ休憩と買い物をする。
いつもここで聖護院大根や里芋を買うのだが今年の大根は小振りだ。
長雨と台風の影響かいつもの年と比べると球が小さい。


定年後、再雇用で3年近く勤めた。もう一人再雇用の人がいた。
その人が聖護院大根を作っていて職場にもってきくれていた。二個切ったら大鍋一杯になった。
再雇用組がおでんの具や筋肉を買ってきて昼休みに仕込み15時頃に現役組に食べさせた。
アルミの大鍋で作るので夜勤のメンバーの分まであった。
聖護院大根を見るとそんな事をやったのをおもいだす。


道の駅で昼ご飯のおかずに鹿肉のから揚げと天ぷらセットを買った。ご飯は炊き込みご飯や赤飯など夜の分まで買った。帰り着いたら21時頃になる。
鹿肉のから揚げ250円と安い。何パックもあったので聞いてみた鹿肉や猪の肉は冷凍保存しているのでだいたい置いてあるとの事。
九州の延岡に住んでいた頃に職場に猟をする人がいて鹿の刺身や焼き肉をたべさせてくれた。
鹿の肉を食べるのはそれ以来だ。肉は牛肉より硬いが嚙むほどに味がある。
茅葺民家を撮った家の脇に車を止めで昼ご飯と鹿肉を食べる。横の田圃の畦道を猿が歩いていく。これでは鹿も猿も猪もいるわと思った。





蒸気機関車 のんびりと

2017年12月07日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道 千歳線下り
千歳線の下り線路をD51の回送蒸気機関車がのんびりと千歳方面に向かう。広大な風景に機関車が一台、この地域一帯は渡り鳥の休息地になっている。五月でも北国に帰っていない白鳥が陸に上がって休息している。そばに行くとオオハクチョウは大きなものだ。

D51のナメクジタイプの機関車が単機で走る。
蒸気機関車を撮っている時にもっと時間があれば全国のD51ナメクジタイプの機関車を撮るとかC55型蒸気機関車をすべて撮るとかできなかったか。いかんせん撮影期間が短すぎた。
何でも10年は継続してやらないといけなかった。
若い時に早く気付くやりだしたら根気強く続ける。
誰か師匠や目標になる人を探す。自己流にならないように評価やアドバイスをもらう人を持つ事が必要だった。

仕事にしても趣味にしても投資にしても必要だったように思う。
自己流では間違いだらけの人生だったように思う。