朝は雑煮、おせちをいただく。 、我が家もこちらでも鶏肉、梅型の大根や人参、厚揚げのすまし汁、
そして丸餅。 この辺では”やんだ餅”と言って半つきでつぶつぶがあり、炊くと切れやすい。
私は小さい時からこれが大好きで、小学校の時もお餅は4つ、高校に行っても4つだったなぁ。
お墓参りに行く。
私が幼稚園時代を過ごしたお寺、お堂の横の保育所は新しい中にも昔の幼稚園の面影を残していた。
わ・・あれからもう何十年???
帰りに叔母の所へ寄る、80歳になられた。
心臓に水が溜まる病気で、入退院を繰り返していたようだが、全快の見込みはないらしく、
24時間医療体制の整った施設に明日入居すると言うので、娘さんと身の回りの整理や
入居の用意をしていた。
大きな家なのに、叔父が亡くなり、私より一つ年上の長男が亡くなり、その悲しみがあまりに大きく、
いつも電話では涙声になる、そんな叔母にはとても大き過ぎる寂しい家であったが・・。
会えた事をとても喜んだ叔母の手を両手で握ると少し細くなあったかなぁと感じた。
「元気でがんばって下さいね」と言いつつ哀願するような叔母の目を見るのが辛かった。
(そうだ、写真を撮ったら時々プリントして送ってあげよう)
昼には夫の実家で食事、兄姉さんの丹精のお野菜や柑橘類車に積みきれないほど。
帰省するときの倍の時間を要し、夕刻7時無事に大阪へ着く。 狭いながらも我が家。
慌しい二泊三日の帰省であった。 少子高齢化の現実など、さまざまに話を聞かされ見もしたが、
息子夫婦に迷惑をかけないようにと、健康には特に気をつけている母の心情を重く受け止めた。
兄夫婦にはとても大事にしてもらえればこその母、義母にしても同じである。
今年実家の兄夫婦の長男、次男が結婚するが、長男は同居すると言う、三世代の家族関係が、
いかにうまく居心地がいいかと言う証でもあろうか。
そんな場所に帰らせていただく我が身のなんと有難いことだろう。
家の流れは心の流れとも言われる。 どこかで子や孫に自ずと流れて行くことがらもある。
「和」争わず仲良きこと、そんな互いの家の流れにそって生かされている自分はどんなに幸せなことだろう。
そんな流れをまた子や孫に流していく、そんな立場の責任であることも感じる。
慌しく双方を行き交う帰省で、カメラを取り出すこともおこがましかったが正解だったと思う。
その分日頃世話になっている兄嫁さんたちと話す時間がとても尊く貴重であった。
さぁ、明日からがんばるぞ! ふるさとの清々しく美味しいエキスをいっぱい吸ったんだから。