日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* お鏡開き・・ *

2008年01月11日 | 料理・その他食


                 ◆アオツヅラフジ(カミエビ) 多摩のNTの住人さまより

午後が雨になるとかの予報だったので、11時から1時間半歩いた(正味1時間) いつもの丘陵。


                                         この丘陵の下は中央体育館

花は山茶花がせめてもの彩りだが、冬を耐えている木々の中にも思いがけず絵になるものもある。
PCに落としたらいい色合いだった。 木の名前、なんだったかなぁ・・思い出せないが。

今日はお鏡開き、朝飾っていたお鏡を下げる。 少し前まではお鏡の形にお餅が埋め込まれていて、
まだ割るときには昔の気分を味わえたが、今中味はパックの小餅ちが詰め込んである。



お供えしたお餅は11日のお鏡開きでみんなで分け合って食べることで神様から力をいただき、
新しい年を元気に過ごせるとされている。 もともとは武家の間で行なわれていた習慣が一般化。
武家の風習のため、切ると言う言葉は縁起が悪いとされ「運を開く」にかけて鏡開きといわれ、
手で割ったり、木槌で割り開く
。(ダイエー歳時記カレンダー引用)

田舎にいた頃はまだ暗いうちから、蒸篭(せいろ)で蒸したもち米を石うすに杵で父や兄が餅をついた。 
以下子供たちは片栗粉をひいた広い台を囲んで、つきたてを母が「熱う!」と言いながら
小さく、切り分けていくのを待ち、そうして熱いうちに丸めて、あん餅や平餅を作って行くのだった。
つきたてのやわらかいお餅に二つも三つもあんを入れて食べる!それが餅つきの日の醍醐味だった。
出来たお餅はいくつかずつお盆に載せて、奥の部屋へ広げた新聞紙に片栗粉をひいた上に並べていく、
子供らは競って走って、行ったり来たり嬉しそうに運んだものだった。 
お鏡はむろん、これは母の役目、つきたてを大きく切り分け冷めないうちに両手でくるくる回しながら作る。
そんな母の芸当のようなわざを、目を輝かせながらいつもすごいと見つめていたっけ。
これが時間が経ってもひびの来ないつるっとしたお鏡餅にうまく出来上がるのだ。
小さなお鏡は私たちにも作らせてくれた。 田植えも稲刈りも雑穀もこんなことも、みんな家族総出。
暗いうちから電灯に照らされ家族みんなの笑顔や声が今だに忘れられないでいる。
家族の『和』と言うものは昔から、自然にこのように出来上がっていたのではなかろうか。

今は都会ではパック包装、味気はない。 しかし行事だけは代々伝えて行きたいものである。
せっかくだと言うのに、次女はお昼ごろからずっとむかむか、体調悪く・・おぜんざいを食べていない。

 
                 家族分母が手縫いのランチョンマット