日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 誕生日のお祝い *

2011年01月22日 | 雑感

部屋の前の葉をすっかり落としたプラタナスの木には、沢山の雀が群がっていました。

” 我と来て 遊べや 親のない 雀 ” そんな一茶の句を思い出してしまいます。

「やかましいけんど賑やかにピーチクしゃべるのを聞いているのも、時には楽しいもんやで」
そうかも知れません。 だってそれはそれは楽しそうに・・おかしくって笑えるくらい賑やかなのです。

神戸の夫人の誕生日のお祝いをするために、半ドンの夫が帰宅するなり出発。
昨日より2度高い気温、風のない分日差しがとても暖かく感じられる土曜です。

震災後16年、埋立地に復興住宅だけが建っていたこの辺りも今やイオンや学校、美術館、日赤、大型飯販店など、
驚くほどの速さで様変わりしました。 震災後通いつつその変化を眺めながら、人間の力のすごささえ感じております。
本当に街は何事もなかったように、見事に復興しています。

しかし・・問題はこれからです、一人暮らしの高齢者の方々が住まいする復興住宅はやがてその契約期間を終ると言うのです。
市営住宅は高い家賃の公団になるようですが、多くの人たちは何処へどのように住居を移すのでしょうか。 

夫人は17日の2日前の午後、住宅で会った女性記者さんを家へ呼んで暖かい飲み物を入れてあげて、
長い間震災のことなど色々と話をしたそうです、まるで寒いところから帰って来た我が子にそうするように。

「なんで初めての私に、家に呼んでこんなにお話ししてくれたのですか?」
「だって私、今日まだ誰とも一言も言葉交わしてないんやもん」

夫人からこの話を聞いた時、普段6人で暮らす私には気付かなかったことに衝撃でした。
(もっと電話してあげなあかんわ、葉書も出してあげよう・・)

「17日寄せていただいてもいいですか?」 「いいけんど、もう思うこと今日全部話したよ」
いつも「頭が悪うて・・が口癖の夫人ですが、話は好きでそれにしっかりしているのです。
記者さんの心に響いたのは「震災を今は辛かったとか、みじめとか何にも思っていないけれど、これからの住まいの事が
一番の不安なのです」 そんな夫人の話が、記者になって3年だと言う彼女の心をついたのでしょうか。

17日大きなカメラを持ったカメラマンさん、音声さん、彼女の3人が訪ねてきて、しばらく部屋で時間を過ごしたそうです。
夕方6時頃出るかも知れないですと言われ、夫人は6時までTVを見ていたけど出てないわとチャンネルを変えたそうです。
なんと6時過ぎに出たようで、知っている住宅の方や病院の看護師さんやあちこちからTVに出ていて驚いたと言われたそうです。
本人は見ていないのに。 TVさんは夫人の何を訴えとして放映したのでしょうか、私はそれが気になります。
17日当日電話しようかと思いながら、震災のことは思い出したくないだろうからと翌日にしたのです。
その時はそんな話しなかったのです。  

ベランダの窓を開けると一気に、雀の賑やかなおしゃべりが耳につきます。 それはそれはやかまし過ぎるくらい。
しかしそれさえも夫人には、” 我と来て 遊べや・・”そんな一茶のやさしい思いに重なっているのでしょう。
私にも、雀たちが何やら楽しい会話を交わしているように聞こえます。 

母には高校を出て以来このようにして、誕生日を祝ってあげたことはありません。
兄夫婦や、その子供たちがこのようなことには心をいっぱいかけて、してくれています。 

神戸の母・・夫人が会社にいるときから、夫がおかんおかんと慕っていたことのお陰で今の私があります。
家庭を持たなかった夫人の娘にしては、足りない私ですがそのまねごとでもさせて頂ける事を有難いと思います。

しかし・・そんなやさしい夫はいつも会話から逃げて、近くの温泉へ行くのですよね、ずるい。 
気になっていたのよと言うエアコンのフィルターや掃除をしてあげたらそれだけで大喜びな神戸の母。
夜用にとすき焼きもいっぱい炊いたのですが、肝心な昨夜作った筑前煮忘れて来た馬鹿な私。

持って来た時にはまだ緑色だったチューリップが、部屋の暖かさにピンクの顔色を覗かせています。
「また来てや」
通夜に行くのでなければ、もっとゆっくりいたかったのですが。  
気持ちの切り替えをするのが辛い夜でした。  夫人の5日早い85歳の誕生日を祝った土曜は。