日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 祇園祭宵山 結構制覇・・の巻 *

2011年07月15日 | 風景・お出かけ

実際の日より1週間が過ぎたが、PCの調子も良くなり写真を見ながら記憶をたどり懐かしみながらやっと更新。
かなりな長文かも、写真で雰囲気だけ・・全然OK。 今回夫の「一眼レフはやめとき」素直に聞いて、コンデジのみ持参。

「今回はとにかく怒らせないようにするわ」 「おやじは、待つってことにいらいらするからなぁ」次女とそう話した朝だった。
いつもの如くゆいちゃんの子守をしながら、とにかく第一関門は地下鉄の待ち合わせであることを認識する。
それよりも内心(やったぁ)と思ったのは、なんと夫は朝会社へ携帯を忘れて行ったのである、こんな大事な時に。 
年末1人長女夫婦のいる香港へ行った時も忘れて、婿が車で追いかけたりで大騒ぎだった。

会社から待ち合わせ場所を何処にするか電話があった。 駅付近では連絡のしようがないので、私の意見が優先された。
地下鉄苦手だし、あそこと言われても慣れてないし、方向音痴だし、子守が終わると早い目に出かけ約束の場所へ出向いた。 

御堂筋線の梅田行きの待ち合わせ場所で、何本も電車を見送りながら私は恐るべき光景を見た様な気がした。
節電で今夏の服装は男性とて開放的にはなっているが、こんなんあり? 電車通勤の人たちには見慣れた光景かも知れないが。
前が大きく開け放たれた服、(おっぱいが半分見えてるじゃん!)と思うと、 (おばさん!いくら足細いったって私より年上でしょ!
超ミニスカ!じゃん)目を疑った。 (お姉さん透けてるし~・・服、中・・見えてるし・・) 滅多と電車に乗らない私唖然としてしまう。
こんなん日常? 貞操心(こう言う言葉を使う私も古い)これでは男性の目を惹くし、誘惑されてもしょうがないじゃん!
我が娘だったら叱咤ものである。 それにしてもなんであんなに開放的なのだ~大阪だけかい? 

夫は定刻通りに来た。 梅田から阪急線に乗り換えると、浴衣を着て祇園祭へ行く風な人が停車するたびに増えて行く。
夫に渡した携帯には京都市内に住む友人チテイジンさんから前夜メールが入っていた。 「駅まで迎えに出ます」と言う。
夫になりすまし駅では暑いし申し訳ないので、ホテル名を書いて出発した時間を知らせた。 
四条烏丸しか頭になかった私たちに、「四条大宮で降りた方がいい」と返信あり、そっかさすが京都人、有難い。
昨年の”大文字の送り火”で会って以来。 部屋に荷物を置いて、チテイジンさんの案内が始まった。

祇園祭の山鉾、9つの鉾と23の山からなる。  山と鉾ってなんぞや。  怖いのは昨年調べたはずなのに忘れている!
9基ある「鉾」には名の通り、屋根には20数メートルの真木(しんぎ)と言われる「鉾」があるのだ。 
四条傘鉾、船鉾、綾傘鉾は真木を持っていない。 船であったり傘、ならばなんで鉾? 奥が深くいやはや複雑で書けない。 
「山」は「曳山(ひきやま)」北観音山・南観音山・岩戸山の3基 後は「舁山(かくやま)」昔は担いでいたようだ。 
山の為に鉾がなく、かわりに屋根の上に松や杉の木が飾られているそうで、それでも山によって異なるし、またこれも難しい。
来年また、山鉾をより楽しむためにと調べたが、少しは頭に入った気がする。 でも時が経ったらまたすぐに忘れるであろう。

下調べして行けば見どころ、カメラアングルも違ったのにねと、今更ながらの後悔。
何しろ、昔から歴史が苦手で・・と言うより嫌いで・・興味関心と言う問題もある。 今回はイベント好きな夫をたてて。 
それに山鉾を一面に紹介したある日の購読の新聞の一説に・・(引用)

祇園祭は「貞観地震」で東北地方が大津波に襲われ、疫病が流行した869年、平安を願って行われた御霊会が起源とされる。
今年再び大震災に見舞われた東北に鎮魂の思いを届け、復興の一助になればと、祇園祭山鉾連合会は14~16日の宵山期間中、
各山鉾町に義援金箱を設置。 祭り終了後の8月6~8日に仙台市で開かれる「仙台七夕まつり」では長刀鉾のお囃子、
綾傘鉾の巡行を披露し、その前後には、福島県を訪れる計画だ。 
連合会の理事長は「平安時代から祇園祭は国民の安寧を祈る祭り。 被災者のためにしっかり努めたい」と話す。

真摯な気持ちでこの気持ちに心が動かされた。 
貞観地震は今から1142年前の869年に起きた大地震だそうで、東日本大震災に直面し1100年余り平安を祈願しながら続いている祇園祭、
今更ながらその継承を素晴らしく感じながら、京都から東北へ大きな願いや力が届けられる事であろうと胸が熱くなる思いである。

6時過ぎ、ホテルの前の”四条傘鉾(しじょうかさほこ)” を見ながら、歩行者天国になった四条通りを歩き始めた。
全てはチテイジンさん任せで。 
せっかく色々回って下さったので、敬意を表して・・しつこく山鉾を掲載。

また、目線の違うチテイジンさんの祇園祭り 「宵々山」 「宵々山つづき



四条通・・独身時代最初に住んでいた西洞院通 ”郭巨山(かっきょやま)

 新町通仏光寺 ”岩戸山(いわとやま)

明るければ山鉾が良く分かるが、暗くなった辺りに提灯の灯りはやはり情緒がある。
四条通 ”月鉾(つきほこ)

辻々には両側に夜店が立ち並び、老若男女老いも若きも・・食べ飲み・・これがまた楽しみ、孫たちの顔が浮かぶ。
人がどんどん増えて来て、通るにも事欠きながら賑わいは絶好調。

 ”鶏鉾(にわとりほこ)

 ”函谷鉾(かんこほこ)
チテイジンさんが通り通りをきちんと案内してくれる。
「姉三六角蛸錦 四綾仏高松万五条」 結婚前の5年間を京都で過ごした私は、東西の通りを覚える為に歌っていた、
通り歌」を思い出し何度も繰り返しながら歩いていた。 

巡行のときの先頭を行く”長刀鉾(なぎなたほこ)” 鉾先には長刀、(朝また来よう!)
ここのちまきはすでに売り切れ、やはり一番人気であろう。
チテイジンさんのお母さんは、疫病災難除けのちまきはやはり「長刀鉾でないとあかん」らしい、買うのは明日に。 
臨場感を味わうためにチテイジンさんの動画を。 撮っていたのを知らなかった。



 私の好きな”菊水鉾(きくすいほこ)” 鉾の装飾、それぞれの山鉾の提灯の模様も楽しめる。

 ”山伏山(やまぶしやま)” 商家ではご神体が見られる。

 ”茅(かや)の輪くぐり” かなりな行列だったが、信仰心の厚いチテイジンさん故に、(ほな並んでお参りしまひょ!)
回り方・・左回って右回ってまた左を回って中心へお参り・・だったかなぁ、厄除け、無病息災OK。 
並びながら内飾りの緞帳がみな素晴らしい。 歴史を感じながら見ものである。
「ようお参り下さいました。 ありがとうさんでございます」 丁重に言っておられた。

 ”鯉山(こいやま)” 中国の龍門の滝を登る鯉の雄姿。 左甚五郎作。

 ”黒主山(くろぬしやま)
細やかに回りながら、出来るだけ多く夜の山鉾を・・との、チテイジンさんの気持ちがひしひしと伝わる。 
それぞれの飾り席の装飾品、屏風など歴史の風格・・素晴らしい。

 ”八幡山(はちまんやま)” 素晴らしい胴懸。

 ”北観音山(きたかんのんやま)
夫には(足がもう駄目・・)とこそっと言ったけれど案内してくれる熱意を思うと、口数は減ったが気力で回った。

 ”放下鉾(ほうかほこ)

 ホテルの近く ”蟷螂山(とうろうやま)”  山鉾では唯一のからくり、かまきりと車輪が動くらしい。
途中遠目に見た山鉾もあるが、「20数基は回ったと思います」と言われ、自分たちでは絶対回れてなかったと夫と良かったと喜んだ。
これだけの数を制覇すると欲が出て、巡行で提灯をとった山鉾そのものの雄姿を見てみたい・・と思った。

10時頃ホテルの前で明日の約束をして別れた。  部屋に入るとベッドにドテ!! うつ伏せのまま1時間位が経過しただろうか。
閉じた瞼の中には、夜店の賑わいやさまざまな提灯の灯りがやさしく揺れた。 
「チェックアウトは11時やけど、待ち合わせ11時半にしようね・・」伏したままつぶやいたかも。 「おう」 と言ってくれたかも。