日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 帰省 サンセットビーチ *

2011年08月12日 | 風景・お出かけ

 

 

朝から庭の小さな砂利とかで無心に遊ぶ。 大阪では、公園にしか土はない、アスファルトだけなので家の前では
このように遊ぶことが出来ないのである。

 兄夫婦、甥っ子家族と一緒にお墓参り。 
なつめやかんたの保育園はお寺関係なので、ののさま(仏さま)にはいつも手を合わせているようで、実家に来ても
お仏壇に手を合わせ、何やら拝んでいる。 良い習慣は有難い。

お寺が経営している幼稚園にひろとやなつめと同じ頃私は通っていた。 
教室は別室だが、発表会や毎日のお昼寝は本堂だった。 
境内には小さなお堂があって、「悪い子はここへ入れますよ」そんな脅かし、入ったことはない。
その幼稚園に孫たちと来るなんて、なんか不思議、。

 兄夫婦は帰宅、甥っ子たちと多々羅大橋を横目にサンセットビーチへ。

 青空で今日は恰好のお天気である。

 駐車場無料。 
桟敷を予約しておいた2500円、帰るときに500円バックで正味2000円、陰だし安心しておれるのでおススメ。
まだ12日そんなに多いと言う訳でもない人。

さぁ、海は広いな大きいな~なつめかんたは初海

 青い海と空、白い雲・・ロケーションには最高

お昼はお店の焼きそば、お好み焼き、おにぎり・・こんなのが美味しいんだよね。

 

甥っ子次男親子、2才2ヶ月のこーちゃんと10ヶ月のめいちゃん。
私はめいちゃんの子守するから、こんな時はこーちゃんパパママを独り占めしてよね。 

 

いいなぁ・・私も海に入りた~い! いえ、世間に目の毒なので今回は子守に専念、するねん。



存分に遊んだ孫たち。 ひろとは少し泳げるし、なつめはまだまだだけど慣れる所から、かんたも楽しんだし、
ゆいちゃんは海を怖がらず手を離せと言うし、姪っ子の所のちっちも慣れたね。 
そんな子供たちを嬉しそうに眺める若い親たちの顔を見ると私は嬉しい。
今回は法事と言う事で帰省したが、夫の実家の兄嫁さんの事を思うとこんなに楽しんでいいのかともちらっと思ってしまう。

 「ばぁば、ゆいのみじゅぎしぇくしー?」 1才の夏、保存版。

「うみってたのしいね。 ゆいはじゅうにがつうまれやねんけど、なちゅがしゅきになったよ」

滞在時間 3時間半 引き上げる

 海でいっぱい遊んだのでお昼寝をするかと思いきや、元気だ~。

夜はまた賑やかな夕食、仕事だった長男一家3人が増え、大人11人、子供7人。
母88歳、孫12人、ひ孫8人、ひ孫は今年中に2人増える。 賑やかさは家の繁栄、長生きはするものである。
長男のお嫁さんは大変だ、沢山のお布団干して、シーツかけて帰るとまた干して、食事の用意も半端じゃないもの。

 
食後は恒例の花火。 兄嫁さんがいつも孫たちを喜ばそうと用意してくれている。
大阪では公園はもちろん禁止、家の前でも煙など近所迷惑になるし、中々出来ない花火。 みんな順番に・・。
あれ駄目これ駄目・・でない、田舎の暮らし、孫たちはいつまでこうやって訪ねられるだろうか。

世間では「親が生きてるうちやで、元気な間に帰ってあげなさいよ」と良く言われるが・・
兄嫁さんは以前から、「万が一お母さんがいなくなっても、お墓参りしてすっと帰ると言うようなことはしないでね」
そう言ってくれている。 いつも心から歓待してくれるもてなし方を見たら、世間の言葉は実家にはいらない気がする。
「母が広島一の幸せ者」と口癖で言う所以は、ここにあるだろう。 

 


* 帰省・・・で、早朝散歩 *

2011年08月12日 | 風景・お出かけ

夫は夫の実家に義姉家族5人と泊まった。 私を含め8名は私の実家へ泊まった。
5時前に目覚めたので(朝日を拝みに行こう・・) 大抵、毎年そう決めている。 そっと家を出た。

まだ太陽は顔を見せていない。 静かに波が寄せて序奏曲。 
間もなく昇りはじめた。

田舎では日常なことが、大阪にいると中々このような瞬間を見ることはなく、少しの優越感。  

辺りをオレンジ色に染めながら昇る朝日、少し暗い海に一条のその光を映しだしながら。

 一日がどうぞ無事に過ごせますように・・母たちが穏やかに過ごせますように・・。

西の方は子供のころから貝を掘ったり泳いでいた浜。 兄に放り投げられて溺れかけ泳ぎがきらいになった海である。
未だに足の届かない所では泳げない。 このトラウマは人生の汚点。

何枚か朝日を撮っていたら、一台のライトバンが止まった。 おじさんが犬のひもを波止場にくくりつけた。
私を見ても吠えもせず、おとなしくしていた。

 

おじさんはスコップと袋を持って、砂浜に降りた。  (声をかけようかかけまいか)この至近距離ではかけない方が不自然、
「何を掘るんですか?」 「砂じゃ、砂をとるんじゃ。 もう潮が満ちて来て駄目じゃ、濡れとるわ」
砂をどうするのか訪ねたら、「お墓に持って行ったり、ご先祖さんを迎えるお膳みたいなんがあるじゃろう、お寺さんが
拝みに来てくれる精霊棚にもちょっと供えたらええんじゃで。 あんたどこの人」 
実家の姓を言うと同じ地区の人で、亡き父の事も知っていたし、母のことも良く知っていた。
おじさんは自分の姓を言われたが多分、妹のどちらかに同級生がいたような気がする。 

 いい事を聞いた、海で亡くなった父、15年間船乗りをしていたのでよけいに海の砂を墓所に持って行きたいと思った。

近年出来たのであろう、遊具のある公園みたいな・・。 それでなくても田舎は広々しているのに、海のそばに。
喜ぶだろうなぁ、4人の孫たちの顔が浮かんだ。 

 今や時の花、売れ始めている人気の花の種や苗、その名は世界を制覇した・・女子サッカーチーム”なでしこ”
一輪では目立たないが群れて咲くと存在感をアピール、しかし楚々とおとなしい、やはり大和なでしこ。



何年前かの大火で焼けた山にも、年々木々が育って来て少しづつ山肌を覆い始めている。

子供の頃・・中学いや高校くらいまでだろうか、ここは造船所だった。 
小学校くらいまでは、新造船の進水式には紅白の餅まきがあって近所の人たちで賑わったものである。
放置された船場は年々廃家となして、過去の栄光など微塵も感じられない所か、放置されたままの廃家屋は悲しい。 

 廃材の古さのそばで、季節には新しい葉をつけている草木が対照的で、鮮やかでひどく新鮮に見える。

 ヘクソカヅラと言う気の毒な名前の花も、可愛く美しく見える。

青い柿の実に朝日がさす。 そばの家からはTVの音、まな板の音、動きだしている人の声が聞こえた。
今日も一日が始まる。 どんな一日になるだろう。

私がよちよち歩きの頃、この鳥居の近くを歩いていたとき、一頭の牛が田んぼをすく鍬が何個かついたような農具を
つけて暴走してきたそうだ、母の目の前でそれはあっと言う間に。 
「あ!!曳かれる!!」 青ざめ叫んだ母の目にとっさに横から走り出てきた1人の男の人が私を抱くなり横に転げた。 
牛はすき鍬を着けたまま走り去った。 暴走した牛の飼い主がしばらくして走って来たそうである。

私は助けてくれたその人のお陰で、危機一髪で難を逃れた。 あの時、もし牛がぶつかっていたら、鍬くわでもあたって
いたらどうなっていただろうか。 大怪我・・運が悪ければ・・飛ばされて頭を打ったり・・どうだろう。
田舎なら大抵は、どこの誰それさんと分かるものであろうが、なぜか見かけない人だったそうである。

小学校の高学年の頃、そのことを聞かされた。 名前も告げず去ったその人は、言うならば私の命の恩人である。
その人に助けてもらわなかったら、もしかしたら私の人生は無かったかも知れない。 
その人はどんな人だったのだろうか。 鳥居のそばでは、普段は忘れているその事を思い出してしまう。
見えないその人には大いに感謝である。

 (お帰りなさい) 兄嫁さんが植えているミントの花が、そう言っているようにやさしく迎えてくれた。

浜に行って良かった・・朝日を拝めた清々しさに加え、海の砂の話を聞けた。 
この後庭の木や花に水を撒いていた兄夫婦と、そんなことや写真の事などしばらく立ち話をした。
袋を持って行ってお墓に海の砂をお墓参りに・・と思っていたのに、出来なかった。 
2人とも砂のことは知っていて、お墓に持って行ったそうである。 そう言えば遠い過去、精霊棚のお供えの大きな
蓮の葉のうえに、砂が小さく盛ってあったような(違うかも)  精霊棚にはお供えが飾ってあった、笹をたてて。
お坊さんが13日朝一軒一軒お経をあげに回る、そうしてご先祖さまを迎え16日に送るのだ。
孫4人を連れて帰ったし、昨日は父の命日でもあったし、明日朝母たちと一緒に迎えられることが楽しみとなった。