日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 85歳の誕生日を祝う *

2012年02月04日 | 行事

気温は低いが、陽が差すとその場所は暖かくて気持ちほっとしていた。 
今日は立春、明日からは少しは気温もあがるようだ。
いつも車の中からここを撮ってしまうのは、島育ちだからだろうか、波もたたず穏やかな新淀川から湾岸線を望む。

1月27日は神戸の婦人の85歳の誕生日だった。
その頃は娘や孫のインフルエンザやなんやでざわざわしていたし、夫人にうつしては・・と延期していたのだ。  

 

近代美術館の上には、奇妙なカエルのバルーンが・・! 
「解剖と変容:ブルニー&ゼマーンコヴァーチェコ、アール・ブリュットの巨匠」展開催中で人通りが多かったのだ。
専門的な美術教育を受けていない作り手が、芸術文化や社会から距離を置きながら制作した作品と書いてある。
本展では、世界有数のアール・ブリュット・コレクション、関連資料によって、生物の形態の解剖学的変容をテーマに、
チェコ出身の画家アンナ・ゼマーンコヴァーとルボシュ・プルニー日本で初めて本格的に紹介。 でカエル?



1人では鍋料理も無いだろうと前もって「何か鍋でもしましょうか」と尋ねたら「回転寿司がいい」と言ったので、
いつものスシローへ行った。 昨年の何月だったか生まれてはじめだと言う回転寿司、回って来るお寿司を自分で
とるのがとても嬉しそうで、以来出向いた時のお昼は回転寿司になった。
それまでは朝から3人分のお弁当と、何日分かの料理を作っていたから私には有り難い。 私たちも回転寿司ファンだし。

お昼を少し過ぎるので人待ちもなく気軽に1時間を過ぎるほど話し込む。 いっぱい積もった話を聞く。 
電話で聞いた話や同じ話をすることも多いが、初めて聞いたように聞く。 私は娘に良く「聞いたわ」と言われるけど。
私の場合はまだ62、言った事に対しての意識調査みたいに鍛えてくれているのだろうと思って笑ってすませているが。
時には外へ出たくないと言うこともあるので、外へ出る事を選んでくれた事にはほっとしている。
身体のあちこちは少しづつ衰えを増しているが、食欲は旺盛で私たちと同じだけ食べてくれる。 
まだ家事でも自分で努力出来るのは、綺麗ずきだし、してくれる人のいない1人暮らしと言う責任感や気甲斐性だと思う。 

食べた後は、港辺りをいつもドライブする。 それは夫の優しさでもある。
阪神淡路大震災のとき住んでいたアパートや船で灯油や食料を運んだ海岸、この時期は思い出したくないと言っていた。 
しかし寒い時期災、倒壊したアパートで1人生きていたと言うその奇跡は、ともすれば希望の見えない暮らし悲想感の中で
「生かされている命なんやからがんばろうよ」と、婦人を励まし続けるのには有り難かった。



今日はずっと震災のときのことが話題だった。 
年月の経過と見事な神戸の復興のお陰で思い出として、時には笑いながら話せるようになった事は嬉しい。
しかし以来親交の深かった友達を次々と3人も、1週間前には最後の友達を失った寂しさははかり知れないだろう。
「1人になったわ・・」 つぶやくように言ったその言葉を重く受けとめた。

ポートアイランドから夫人の好きな神戸空港を回り1時間のドライブ。
それから帰ってお祝いをした。  朝買ったときは蕾だったチューリップ、来る時車の中で1輪咲いていて
ドライブして留守の部屋ではまた蕾んでいた。 話しこんでいるとまた開きかけた八重。
花の明るさは少しでも心が癒えるかな・・、最近は行く度に鉢植えを届けている。 大切に育てて下さるし。

先だっては、住宅の1階ホールの大きく重いドア、入って歩く歩数よりドアが閉まるのが早くて転倒して頭が悪くなったと言う。
部屋で転びそうになって思わず流し場に手をついたと言い、思い切り脇を打ちかなり痛いらしく湿布をしていた。
最近は部屋でも時々転びそうになるし、座布団へ座ったり立ち上がるのも大変でもっぱら椅子生活になった。
電話が鳴っても急がないでねと、以前より長く出るのを待つようになった。
互いの実家の兄嫁さんたちも、変化する母たちに細やかな配慮をして下さっている日々、私は夫人との対応の中に
兄嫁さんたちのご苦労をほんの少しなりとも感じることが出来るとすれば、少しだけは申し訳になるかなと。 

ハッピーバースデーを歌い、うっかり「お母さんろうそくふーして」「痛うてできひん」 「そうやったね」私が変わりにふー。 
85歳のお誕生日。 来年もまたこの部屋で元気でお祝いしたいな・・と念じながら。

楽しく過ごした後の別れは辛い。 いつもベランダから見送るが「痛いからもうここでね」と部屋で両手を握った。
いつの間にかしわが増えて冷たい手だった。 「最近手が冷とうて」 「部屋用に指先のない手袋見つけて送るわね」
やっぱりベランダまで出てきて、手を振っている・・痛くない反対の手で。
「おかん、またくるけん」 夫が大きな声で叫んで、クラクションを鳴らした。

「辛いね・・見送られるのは」 身を乗り出すように首を斜めにして手を振る姿には、いつも胸がいっぱいになる。 
少し沈黙が続く。 2人とも言葉にすると涙が出そうになるから。 
「もう少し足を運ばなあかんね」 「そうやなぁ」

夫人の家にいる時に、夫へ長女から電話があった。 が、内容は夫は話さなかったし、聞かなかった。
帰宅したら長女と、次女孫たちが来ていて、夕食の鍋の用意をして待っていてくれた。
娘たちが夕食の準備をして待ってくれると言う、そんな内容夫人の前で言えなかったのだ。
孫も交えた賑やかな夕食、1人ご飯の夫人、持参した手料理を今頃食べているだろうなぁ・・それだけは救いであった。