日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* HAPPY MOTHER’S DAY *

2008年05月11日 | 雑感


昨日今日の寒さ・・ 衣替えしたあとにはきつい。 若葉の季節の寒さを”若葉寒”と言うらしい。
実家へ行っているセイ君が(お父さんの壮行会せなあかんやろ)厚意で夕方お宅へ全員集合になった。
もちろんお日柄で、鍋パーティー。 中華風とうどんすき二種類、人数が多いのでお鍋も二つ。
「お父さんが無事に・・そして一日も早い退院を、乾杯!」 セイ君が乾杯の音頭。 
「なんか入院が大きなイベントになりそうやな」 「そりゃぁ親父なんやからそれが親父」 
(はい、大事な家族の頭ですもの、大きなイベントです) 
みんなで囲む、みんなで鍋をつつく、これこそが和。 孫たちも賑わいを加え楽しい壮行会。

来年の還暦を前に、睡眠時間の少ない息子が朝仕上げた顔イラスト入り”ひろとTシャツ”着せられた。
後ろにも”母”の文字と”hahanohi 2008.5.11”と書いてあった、世界でたったひとつのTシャツに感激。
夫が羨ましがったっし「欲しい! 紺にしようか」 父の日これ決まり。


次女夫婦から、カメラがすっぽりはいるやろうとバッグ。 そして一本の生カーネーション。
お花のアレンジメントは入院する夫の部屋へ置こうかな、私の変わりに。


子供たちがそれぞれパートナーと、一生懸命に考えてくれてしてもらったもったない母の日。
何にもしてあげていないのにね、余命半年って言われても普段の家族でいい家族で過ごすかな。
何日かは田舎に帰って、感謝を込めて母のもとで過ごす・・ 毎日父のお墓参りをして友人に会い・・。

夫や私の母たちへの”母の日”の贈り物は、お互いに五人兄弟なので姉妹や嫁同士が事前に話し合って
地元にいる妹たちに代表してカーネーションを添えて届けてもらっている。
「兄弟仲ように・・」 が口ぐせで、今では遺言のようになっている父の思いの通りに。
みんなで考えて一緒にするプレゼント、それは親としてこれほど嬉しいことはない、とそう言っていた。


* 最高の人生の見つけ方・・ *

2008年05月10日 | 歌・音楽・映画・観劇


土曜はひろとDAY。  来るたびの変化、なんでもとりあげて自分のものにしたがったりするかと思えば、
今日は、一変して「なつめちゃん、なつめちゃん」と、与えたりやさしくてやさしくて面白い。
変化も自然な成長の姿なんだろうなぁと傍観、あるいは注意しながら教えながら接する楽しさ。
二人とも結構普通に主語述語形容詞も含めて話すことも増え、それがなんとも可愛いものである。
良く1歳半から2歳半までが一番可愛いと言うが、まさに二人ともその真っ只中。

日曜はセイ君の実家へと言うことで夫婦で”母の日”のプレゼント持参。
セイ君が選んで、長女が植えてくれたらしいカーネーション。 一本でも嬉しいカーネーションがこんなに!!

 

ルーター交換期でプリンターが使えなかったので、今日やっと修理に持って行こうと思っていたら・・、
セイ君がメッセージ入りの素敵なカードを作ってくれて・・、お陰で色々な思い出がいっぱいの写真、
こんな私に・・と感謝感激うるうる。


次女夫婦は、展君の実家へ”母の日”の贈り物持参で出かけ、私たちは神戸の夫人を訪ねた。
お店で見るなり(これ!絶対似合う!)初夏にちょうどいい花柄の薄手のブレザーにしたのだが、
着て見るなり「今までもらった中で、一番ええわ」 私もそう思う。 
冷凍にした筍ご飯のおにぎりや、子守りしながらお惣菜を色々作ることが出来たので何日分か持参。
一人分の料理って大変だと思う。 スーパーへ行けば何でもある時代だが、お料理が一番喜ばれる。
母の言う”してあげることが出来る、そのことが幸せ” まさにそれである。


「帰り映画みないか」 前日夫が何気に言ったのでHAT神戸シネマ検索検索、
上映の映画何に・・、今日ロードショーの”最高の人生の見つけ方”キャストやタイトルに惹かれて決めた。
余命半年・・なんて、来週手術の夫にマイナーかなと思ったが、夫の手術は生きるか死ぬかではないし。
20時始まりだったが、かなり多かった。 前評判はいいらしい。
たまたま同室になった大富豪家と修理工互いに余命半年、棺おけリストに共感して実行して行く。

「何点?」 「65点やな」 「私は★★★☆☆ 余命半年でしたことってロマン・・お金があるから出来る」 
「まぁ、あんなんもありってことや」 「もっと家族や夫婦の絆にぐっとくるかと思ったけど、
男の人ってあんなんかな」 ひたすら家族の為にがんばってきたらそうかな・・自分のやりたいことって・・。

余命いくら・・それをどう過ごすか何をしたいか・・この手の映画は良くある。
私は家族愛、夫婦愛・・そんな結末であって欲しいな。 結婚、家庭ってその為の人生だったのだから。
でももし夫が最後こんな楽しみ方を選んだら、・・それはOKかな・・いや寂しいかな・・どうだろう。
私がもし余命半年を宣告されたら・・。


* 赤いカーネーション *

2008年05月09日 | お絵かきツール


土曜日に、神戸の一人暮らしの婦人に贈る為に、次女と花キューピットのお店に行った。
「カーネーションどれにしようかな」 赤やピンクや迷った。 
店頭には母の日にと薔薇や紫陽花等、最近はカーネーションにこだわらないようだ。

小学生の女の子二人が、小さな籠や缶にコーディネートされたカーネーションを選んでいた。
「これがいい?」 「こっちがいいかな・・」 とっても可愛いお財布を持っていて
花の値段とお財布の中味と照らしあわせながら、少女たちは一生懸命に選んでいた。
「可愛いなぁ、お母さんにカーネーション選ぶ目って。 お財布見ながら可愛いな」 次女が言う。
本当に目がやさしくて輝いていた。 「これにしよ!」 
お母さんありがとうのメッセージのついた780円也のカーネーションの花かごを買った。
偶然にも帰り道で、風をきり走る少女の自転車に出会った、笑顔いっぱい嬉しそうだ、とっても。
プレゼントされたお母さん、どんなに嬉しいだろうなぁ。

「私らのあのくらいの時はどうやった? もう何贈ったか忘れた」 
「小さい時は肩たたき券とか、お手伝い、ノートとか色々やね、カーネーションだったり必ずしてくれたよ」
子供からプレゼントするのに、その日のカーネーションは普段の何倍もの値段、それでも母の日は
カーネーション。 小さい子供たちには可愛そうだといつも思う。 
娘たちから100本のカーネーションが贈られたこともあって驚いた。
ある時、子供たちからプレゼントはもらったけれど、誰からもカーネーションは無かったことがあって、
贅沢にも申し訳なくも、なんだか複雑な寂しい気持ちだった。 もちろん言わないけれど。  

私にはどんなプレゼントも嬉しいのだけれど、一本でもカーネーションが一番嬉しい。
それはどれほどの役目もしていないけれど、母の日の私の最高の特権だから。

最愛の恋人が戦死で結婚をされなかった神戸の婦人、私はその日娘になって赤いカーネーションを贈る。


* 天国からの父のメッセージ *

2008年05月08日 | 雑感




田舎でした結婚式のときに、仲人を務めて下さったクリスチャンである夫の会社の
社長さまが出席者の方々に書いてもらった、白い表紙のウェディングメッセージノートが出てきた。
その後、社長さまがルーテル教会の牧師さまたちと我が家に来てくださり、メッセージを残して行かれた。

* お互いに 尽くしあいなさい *

* 御家庭の祝福を 祈ります *

* 尊う心を いつまでもお持ち下さい *

* 愛は いつまでも 絶ゆることはない *

* 憤ったままで 日が暮れるようであっては ならない *

最後の言葉が一番印象深く、自分に言い聞かせるように頭の中で繰り返し実行して来た。
年月とともにそのことが、当たり前のようになっているはずなのにいつしか忘れかけ
可愛くない私を演じているときが多々あったと思う、いや昔より今の方がそうかも知れない。

夫は今度結婚する時は、「もっと可愛げのある女と結婚する」と言った30代、今ならどう言うだろう。
私が苦労をかけたのに、「他の人と一緒になっていたら、あんたはもっと楽やったかも知れん」
私をかばい、「僕でない方がもっと幸せになれると思う」と言うかも知れない、言ったことがあった。
そんな優しさを秘めた人だから。

親戚の叔父や叔母、友人、知人色々な方々もメッセージを懐かしく読み返した。
末永く明るい家庭を、夫婦いつまでも仲良く、お決まりのような言葉も、今は深い意味あいを思う。
簡単であって簡単でない。 それらは努力、一生が努力・・と母がいつも言うけれどまさにそう。

母の言葉が隅っこにあった。 色々な教えで導いてくれる母にしては珍しく、短い言葉だった。

* 今の気持ちを一生ね  母より *  

もしかしたらこの言葉が一番、今の私にふさわしいかも知れない、あの時の夫への純愛、大切な初心。
還暦も待たず今の私の年に他界した、大好きだった父のメッセージを見たとたんに涙が溢れた。

* 健闘を 心から 祈る  静雄 *  健闘って・・ いかにも父らしい。

母より4つ年上、生きていれば米寿の春なのに・・  (お父さん、曾孫たちも大きくなったよ、可愛いよ)

来週夫の手術日が決まって、それぞれに心の準備、夫の気持ちを思うと私の一番大切なそんな時、
天国の父が肩をたたいて、優しい目で私に声をかけてくれたような気がした。 「みっちゃん、頼むよ」と。


* 屋上に薔薇・・ 咲く *

2008年05月07日 | 雑感


連休が終って、夫、展君、次女、もちろん息子や愛ちゃんもそれぞれに仕事に出かけたようだ。
ひろとは無事保育所へ行ったようだ。 なつめの熱は下がっていて、いつものような朝、食欲も元気も。
昨日の夏のような陽ざしや賑やかさが嘘のような、爽やかで静かな一日だった。

薔薇があちこちで目をひくようになった。 我が家の屋上にも咲いた。
昨年五月、セイ君がプレゼントしてくれたミニ薔薇。 来年もきっと咲かせようと虫がつかないように、
大事に育てていた。  1年という月日の積み重ね、その内容の重みになんだか胸がいっぱいになる。


午後3時電話が鳴った。 (もしや・・)的中、病院から夫の手術日が決まったと連絡だった。
入院は来週の13日火曜日、手術日が15日。  会社の夫へ電話を入れた。
「OK!」 ひと言明るい夫の声だったが、いよいよと思うと少し緊張感が走る。

三度の阪神戦、ゴルフのコンペも、万博公園や造幣局の桜も堪能したし、釣りにも行けたし、
ゴールデンウィークも家族みんなで楽しんだ。  最初手術日と言われてから一ヶ月以上経ったが
イベント大好きな夫、これらが自分不在だと寂しかっただろう、それにみんなの楽しみも半減しただろう。
良かったなぁ、春を満喫出来て・・・ なんだかジーンとした。・・のに・・。

夜夫は、手術が連休前だったら少しでも会社を休まなくていいからその方が良かったと、
残る者への少しの不安、意外な言葉を発した。 
気になるようだが、案外といないこともが逆にいい結果を生むかも。