しをり戸

ささやかな庭の山野草と
散歩・旅で出会った草木。 
季語・拙い俳句、
折々の写真などの記録です。

国立科学博物館附属 自然教育園 (しぜんきょういくえん)・・・[ 東京都港区 ] < 1月 >

2011-01-26 |  雀の足あと ・・ 冬

                ↑ 2011/01/21 撮影…入り口付近の路傍植物園  
 
白金台地の自然教育園は、
園内から縄文中期(紀元前約2500年)の土器や貝塚が発見されていることから、この時代から、人々が住んでいたと考えられています。

平安時代には目黒川、渋谷川の低湿地では水田が開墾され、台地の広々とした原野には染料として欠かせなかったムラサキの栽培も広範囲に行われていたと考えられています。
室町時代に入ると、この地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられています。この館の主が誰かは不明ですが、白金の地名は永禄2年(1559)の記録に初めてあらわれ、太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています。
江戸時代になると、増上寺の管理下に入りましたが、寛文4年(1664)には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となり、園内にある物語の松やおろちの松などの老木は、当時の庭園の名残であろうと思われます。
明治時代には火薬庫となり、海軍省・陸軍省の管理となり、大正6年(1917)宮内省帝室林野局の所管となり、白金御料地と呼ばれました。
昭和24年文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、
国立自然教育園として広く一般に公開され、昭和37年国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っています。
園内にはコナラ・ケヤキ・ミズキなどの落葉樹、スダジイ・カシ類・マツ類などの常緑樹が広がり、ススキやヨシの草はら、池や小川などがあります。
このような自然を活かした植物園が整備されており、四季にわたって様々な草花や、昆虫などの生きものを身近に観察できます。
                                ー 附属自然教育園のサイトより ー

都心にあって緑豊かな自然を残しています。
落葉樹と常緑樹からなる森は、
空気が澄み、鳥が飛び交っていました。
冬枯れの水生植物園は、
清々しく浄化された風情があり、
日を受けて、穏やかな明るさを感じました。
室町時代の豪族の館跡を偲ばせる土塁が残っていたり、
江戸時代の藩主の下屋敷であった頃の
松の老木などが見られます。
青木や万両の紅い実が目に付きました。

             2011/01/21 撮影
…大寒の水生植物園

…〃

…青木の実

 

 


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