大島 渚。
そんなに好き監督ではなかった。
60年代を生き急ぎ、せっかちで、今までの常識をぶち壊す・・・。
異常であれば、「革新」なんだと言わんばかりの映画。そんな印象しかなかったし、
見終わった後に何にも残んなかったんだ。
小市民のへっぽこな日常に活を入れればそれでよかった時代だった。
それが、ほぼ末期に撮られたこの「愛のコリーダ」
本番!なのか?そんな話題で盛り上がった映画・・・見たくもなかった。
ショッキングな「阿部定」事件をたたき台にした。本番ポルノ。まあ、いいんじゃないか!
白けた顔するのが流行りだったから、見向きもしなかった。あのころは・・・
それが、どうしたことか見に行ってしまった。
キネカ大森。
独自の上映ポリシーで一部の映画ファンを魅了している。
ミニシアターを想像していたが、とんでもなくビッグなスクリーン。
CMなんかなく、いきなり始まってしまう。そんな姿勢がなんだか楽しかった。
で、始まってしまった。
もう、最初から最後まで、藤 竜也と松田英子。やっているシーンしかない。
しかも、そんなに体位が変化することもなく・・・延々と始まり終わらない。
終わったと思いきや、すぐに始まる。
見ているうちに股間が痛くなってきた。エレクトしたわけではなくて、想像していくなかで、
これは、男として結構、痛いんじゃないかなぁ~なんて思い始めたんだ。
そういえば、そうだったよ。終わった途端にすぐしたくなる気分・・・よくわかる。
彼女もそう、はっきり口に出したりしていた。
半端な一体感がその瞬間にはあって、体の中に入り込んでしまいたくなる。女でそう思っちゃうんだよね。
そこまで、求められるとなんでもいいから、その欲求に応えてやらねば・・・なんて思っちゃう。
男はそんな気分で過ごす時間を「愛」だと思っちゃう。
その時点で、女と違って「性愛」の境目を遥かに超えてしまったりしちゃうんだ。
女はまだ、「性愛」の中で確信を得たいと願い続けているようだ。
ラストに近づく。首を絞める、絶頂を欲する女は、あまりにも残酷で貪欲。
首を絞められても、男は・・・・女が喜べば、「それでいいよ」と言い放つ。
そんな瞬間があるわけで、覚悟してしまっている。
女はしぶとく生き残る訳だよね。しかも、気持ちよくて、楽しみを感じながらでないとダメのようだ。
やっぱり、この地球上で最後まで生き残れるのは「女」なのだ。