誰のどんな言葉にだって哀しみが宿っている。
なんて、ことを僕は思っている。
だから、人にやさしくできるし、思いやれる。
ただただひたすらに前向きな、人の言葉を借りてきただけの言葉には
人を励ます力などはない。
そう、感動しないんだ。
何よりも、地球の環境への悪影響を訴えたり、経済的指標だけで幸福論を語ったりするひとに限って
家庭電器使用料が通常の倍だったり、グルメツウ~ぶったり、自動車会社に勤めていたりして
そんなに人に限って上っ面の希望を周囲の人間にメッセージしたりしている。
別に、許せなくはないんだけどね。
「無邪気」と言う評価が「無神経」に変わるときがある。
誰でもがそんな時期を微妙に感じ取る。
欲しいものがいっぱいあったりする期間は誰にだってあって、その欲望のままに生きている。
素直でいい。
でも、そう、あまりモノが欲しくなくなる時があるんだ。
ヒトとの関係においてもそうだよね。
友達はそんなにはいらないよ。なんてことを思ったりする。
それって、いったいなんなんだろうか・・・・・?
60歳を過ぎると、生きる時間が少なくなってしまっていること。
若いうちは、そんな実感などない。とは言うモノの友達の死が、身内の死が教えてくれるのだ。
「死」に対する意識がなかった時をあまりに多く過ごしてしまったからだろう。
そう、かって人は簡単に死んだりしていた。
死が身近だったんだ。
でも、今は違う。あまりにも遠いことのように感じてしまう。
医学の発展なのか、科学技術の進化なのか・・・・
まるで、不死鳥のように生きられた。
どちらがいいのかはわからない。しかし、今なら期限付きの過ごし方の方が楽に生きられる。
どうしてかって、俗にいう野心みたいなものから遠ざかりたいからなのだろう。
仕事がうまく行けば行くほどに先頭に立っていると怖くなってくる。
怖さとは失敗することとか、周りの人間をガッカリさせることだったり
さまざまなネガティブ要素を思いついてしまうのだ。
孤独であるうちはいいが・・・・孤立を招いてしまうのだ。
暗闇の階段で降りるときに似ている。
もうこれでお終いだと思って一歩を踏み出したのに、もう一段階段があった。
そんな気分はもううんざりなんだ。
欲望は尽きない。なんて言葉は嘘っぱちだ。
だから、人には言うのだ。
一寸先は闇だ。気をつけたってしょうがないよ。
疵付くことに慣れろと・・・・・・
失敗から学ぶことは唯一そんなことだけなんだろう。