歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

歳を重ねるということ・・・

2015-01-26 | 音楽

そろそろ1月も終わる。

1月という月がどうも好きになれない。

正月、特に3が日が嫌いなんだ。

 

そんな1月ももう終わる。良かった。

土日の2日間を家で過ごした。

土曜日にライブに行く予定だったんだけれど、気分が乗らなかった。

 

少しの朝寝坊を楽しみたかったし、芋虫みたいに布団にくるまって愚図愚図起きているのか眠っているのか

自分でも自覚できない時の流れを楽しみたかった。

 

いつも誰かにせかされてる。

そんな気持ちはこの際、猫にでも持たせて追っ払いたい。

猫も困るだろうに・・・・。

 

しかし、このぐずった気分はどうしてこんなにも僕に解放感を与えてくれるのだろう。

性分的には、いつも焦っている。

どっかりと腰を落ち着けて、付和雷同することもなくトラブルに対応できないのだ。

バンドでもそうだ、特に出だしが裏で入る時なんて、その典型なのだ。

歳を重ねていけばきっと修正されるだろう・・・なんて甘かった。

 

焦るのはどうしてかって、ガキの頃からず~と考えて修正しようと思ってきた。

 

で、今のところ思い当たるのは「準備不足」なんだ。

でも、まあ、不足の事態というか、緊急事態というか、予想外の時なんだよね。

 

で、僕が編み出したのは、どんな状態でも急いで結論を出さない。

例えば、土壇場で原稿のミスが発見されて修正しなくてはならなくなったとする。

そう、誰かに指摘される。オオにしてクライアントだと想像してみてくれてもいい。

できるだけ、要望に応えようとあれこれ考える。でも、相手の言ってることが、受けてにとってより、ベターなのか?

今一度、よーく考える。時間は刻々と流れたとしてもだ。

そして、自分の結論的な考えを相手に話す。ただそれだけだ。

文字や、写真の間違いなんかだと、まあ、そんな場合は身体が買ってに動くものだよね。

それは、長年の修業的準備の賜物としか言いようがない。

失敗は繰り返すことで、最良の対処方法を学ぶことになるようだ。

 

しかし、演奏の対処方法については・・・・

学べていないようだ。

 

さきほどの仕事の処方箋どおりに、

失敗を繰り返し、身体が無意識に反応できるまで

やり続けるしかないのだろうか?