37度の気温が9日間も続いている。
この星はどうなってしまうのだろうか・・・・。
散々、好き勝手に海の寛容さと大地の寛大さと空の偉大さに抱かれたままに生きてきたし
そろそろ本気で怒りだしてもいい頃だろう。
そんな怯える時も短いまま、僕はまた能天気に暮らしている。
しかし、さっき一雨来て、アスファルトは少し湿って気分をゆったりさせてくれた。
先日土曜日は友人の音楽発表会へ行った。
場所はサントリホール小ホール。「ローズルーム」
中学生までピアノを習い、学生時代はさわりもしなかった。
社会人になって、50歳近くの年齢になったら、思い出したようにピアノをうまく弾きたくなり・・・・
近くのレッスンスクールへ通うようになった。
誰もかれもが判で押したように行動する。
楽器を売りつけるにはいい年齢層なんだろう。
少しお金があって時間もそれなりに自由になってでも自分で何も決められなくて・・・
誰かに習う。
自分の意思ではない。誰かに強制されればどこにでも行く。
時間はもう自分のモノでなくなってしまう。けれど、考える時間を与えられると困惑。
そう、ナニをすればいいのかわからなくなってしまうんだね。きっと。
技術の習得は確かに大切。表現するものが内側にあればね。
休火山が突然、噴火するように、たまりにたまったナニかは外側に出ようと作用する。
誰もそれを押しとどめたりはできない。
火山の場合は噴火すればいいけれど、
人間はそうはいかない。
心のひだに溜まったものを噴出させるには「技術」が必要なんだろう。
それは「書く」ことだったり「演奏」することだったり「語る」ことだったり「踊る」ことだったり。
そして、それが気持ち良く吐き出すことができたとき、満足したりするんだろう・・・
解らないけれど、昨日はそう考えたんだ。
2年も通い詰めたピアノスクールで年に1度の発表会。
満足のいく演奏ができたのかできなかったのかはわからない。本人にしかね。
エクスタシーを感じたような顔は、多分、自分に酔えたのだろう。
こんなことまでして感じるものはきっと癖になる。
病みつきになるんだろう。
中毒患者は飽きるまでとことんなのだ。
しかし、いつかは飽きるのだ。
何よりもそれが怖いのだ。飽きてしまうのが・・・・・。
だから、僕は、誰かに何かを習うのが嫌なんだ。