1960年。
僕は9歳だった。
この10年間は音楽に最も親しんだ年月だった。
ナルシソ・イエペスにザ・ベンチャーズ。
加山雄三にグループサウンズ。
ザ・ビートルズにローリングストーンズ。
そして、ザ・ビーチボーイズ。
しかし、このバンドについてはどうも好きにはなれなかった。
サウンドが明るくはねるから、嫌だったんだろう。それとも、ボーイソプラノ的なハーモニーが頭痛を呼び寄せるからなのだろう。
自分でもよくわからない。
嫌悪感があったのは確かだ。
ブルースをベースに作られた音楽が僕には相にあっているようだった。
あの頃は・・・・
わけもなく切なくモノ哀しくセンチメンタルで憂鬱な気分に憧れていた。
あまりにもあっけらかんとした明るさには耐えがたい軽薄さが漂っていて、僕をイラつかせたのを覚えている。
そんなザ・ビーチボーイズの映画を観た。
「LOVE & MERCY」
このバンドのリーダー“ブライアン・ウィルソン”の半生伝記映画だ。
このバンドの60年代の代表アルバム「ペットサウンズ」は最高傑作とされている。
凝りに凝りまくった音作りに誰もが感心したし、
録音機材がまだまだ開発されていない中での多重録音によるレコードアルバムはとても魅力的だった。
それに火を着けたのはザ・ビートルズのレコード「ラヴァー・ソウル」。
確かに「ラヴァー・ソウル」はすごかった。
彼らのそれまでのレコードアルバムとは全く違っていて最先端録音技術を実験しているように思えた。
8トラックしかない録音機材での多重録音の面白さは時の流れなど無視してしまうのだろう。
そんな音作りに夢中になるブライアンを横目に他のバンドメンバーたちは、絶頂人気の居心地の良さを堪能している。
そこにブライアンの苦悩の種が蒔かれていたようだ。
新しいものを作り上げるということは、そんなに簡単な事じゃない。
ましてや、周りの人々がすべて歓迎してくれるものでもない。
名声が欲しかったわけでもない彼はこのアルバムでナニを言いたかったんだろう・・・・。
多分、何もなかった・・・・そうではないよ。
制作途中での自分に対するみんなの態度を含めた疎外感からくる寂しさだったような気がする。
溢れだす才能の持ち主は異端なんだ。
少しみんなからずれた感覚は、寂しさへと結びついていく。
誰かにやさしくされないと自分自身を保てない。
繊細さ自己破壊に結びつく唯一の欠点。
壊れていく自分を再生させる力は自分自身の内側には見当たらない。
その場その場の直面する危機をあまりにも重要視するからだ。
いとも簡単に自分を投げ出したり捨て去ったりできる人間は自己崩壊などしない。
80年代のブライアン。
再生の道はない。依頼心の芽生えは被害者意識。その弱さにつけ込む悪徳医師。
しかし、
そんな彼を救えるのは人間の深い愛情なのだろう。
しかも“女”と言うよりも女の中にある“母”なんだ。
だから、苦しい時には言葉にして、声に出して
「どうか、助けてほしいんだ!」
そう、言うんだ。
僕に、できるかな?