「原色の街」を読み直した。
初めて読んだのは17歳ぐらいかな?
いや、東京に出てきてからだったと思う。
新小岩に住んでいたころだった。
「墨東奇談」永井荷風に憧れていた。
退廃の意味も分からず、自堕落に憧れていた。
自堕落に憧れるだけで、落ちる意味も分からずに落ちることをただ恐れていただけなんだろう。
そしておしゃれで粋な吉行淳之介に憧れた。
その文章や考え方に・・・・
しかし、今読み返して、あの頃、そう、初めて読んだときの感じとは随分と違う印象になってしまったことに驚いた。
あの頃は単なる娼婦小説。この視点からこの世の中を眺め、女は甘くはないのよ!と、そんな叫びしか感じられなかったんだ。
男にとって女は、いつだって何を考え感じているのか謎だらけの生き物だし、
正直に本音はどう思っているのか知りたい。そんなことばかりが頭の中をグルグル廻るばかりだ。
吉行淳之介もきっとそうだったんだ。
不安に襲われ、考え、妄想し、または思いめぐらし…答えにありつこうとして
つまらないプライドを少し忘れた振りをして女に聞く?
「よかったかい?」
「いった?」とは決して聞けない。
怖いからね。
本気で愛されているかどうか、それがいつも不安の種。
だから研究し掘り下げてある種の行き着いた結論がこの小説なんだろう。
女の身体は微妙に育成されていくのだろう。
身体を開くことがビジネスでも生身の人間。
そんなプロをイカセルことが男とし凄い!そんな気持ちもすこしはあったようななかったような・・・
そんな子供じみたことではないんだ。
吉行淳之介は結構マジ。
探究したんだ。
娼婦という職業。セックスが売り・・・いつもいつも本気だと身体がもたない。
でも、彼女たちだって本物の恋がしたいし、幸せにもなりたい。
きっとそうに違いない・・・と信じたいがために
小説を書いている。
自分で疑い、仮設をたてては調べては書く・・・繰り返しでしかないのだ。
でも、本当は何もわからない。
不幸なことに、いくらセックスをしても
愛されているんだ!
そんな実感が身体と心の芯から湧き上ってこないからなのだろ。
僕にだってわからないんだから。
魔物なのだ。